花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鶴ヶ峰に『畠山重忠』滅亡の跡を巡る

2010-07-07 | 鎌倉の四季
【帷子川】



源頼朝の信頼厚き鎌倉武将「畠山重忠」が頼朝の死後、北条時政の謀略で無念の最後を遂げた「二俣川合戦」の史蹟を巡りました。

 【二俣川合戦】

1205年6月19日 従兄弟の稲毛重成に「鎌倉に騒乱、至急鎌倉出仕」を要請され畠山重忠は側近134名を従えて武蔵国・菅谷館を出発します。
北条時政は「重忠謀反 大軍で攻め来る」と義時に出陣を命令。6月22日「万騎ケ原」に大軍で待ち伏せした義時は重忠主従を包囲します。鎌倉にいる我子重保謀殺を知る事になる重忠は時政の罠にはまったことを悟るのです。「疑いを晴らすため」清く戦う事数時間 鶴ヶ峰で遂に倒れ134騎主従は自害。
帰還した義時は謀略をなじり稲毛兄弟を誅殺。父時政を伊豆に追放して ここに北条義時は執権となりました。

畠山重忠没後 足利義純(1176~1210)が重忠旧領を付与され、重忠未亡人を妻として畠山姓を継ぎ、その子孫は足利幕府管領として歴史上に名をなして行くのです。

「重忠戦死」を聞いた内室(菊の前)は駕籠で駆けつけその場で自害します。駕籠のまま土葬されました。

 《重忠首塚  七重多層塔 重忠地蔵》

     

 《重忠の墓  薬王寺》

     
 
 《駕籠塚》

     

薬王寺は重忠主従の供養寺。この寺には六つ塚と言う重忠の郎従134騎を葬った塚があります。
その隣地に駕籠塚はありました。

 【白根神社】【白根公園】

八幡太郎義家は兜の不動明王を納めて「前九年の役」に出陣して勝利します。
1063年 鎌倉権五郎景政が不動堂を創建し義家の不動明王を祀ります。1333年新田義貞の鎌倉攻めで焼失し、現社殿は大正の建築。崖下の深いところに綺麗な流れが出来ています。
「白糸の滝」や「一条の滝」でうねる様にながれて帷子川は徐々に川幅を広げて行きます。   
     
     《一条の滝》

          

          《帷子川の上流》

                

川幅は次第に広くなってやがて森の中に入ってゆきました。「帷子川親水緑道」と書かれていて別世界の中を歩いている気分です。赤い蕾があります そう「ガマズミ」でしょう。晩秋まで咲き続けて実は太く葉も赤く素敵な風情を醸しだす植物です。