花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

帰省

2012-03-31 | Weblog

郷里は遠くなってしまいましたが,生まれた時からの3人姉兄は健在で,  母の25回忌を区切りにすると実家を守る兄から聞いたときは寂しい思いがありました。 

詩を詠んでいた母は 西行の 「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」 (山家集) 。 「櫻のころにて春死なん」・・・・と母も望みどおりでした。

私は関西と東京に住み分けながら幾度帰省したことでしょう。幼児を連れて帰るときは夜行列車がよかったなあと今では思います。一人旅の今は4時起きでお昼前に新幹線「のぞみ」と,山陽本線乗り換えで「柳井」に到着なのです。 横浜~広島・・・3時間半。 広島~柳井・・・2時間半。このローカル線に呆れています。

御住職にはこれまでは自宅にお迎えして御供養をして頂いていたのですが,身内も少なくなって菩提寺でお経を挙げて頂くベく参内しました。新築されていて本堂も庫裏も椅子席になリ助かりました。前回の17回忌以来でしたが,御住職は代替わりをされていて,30代の若々しい読経は清々しく「真宗勤行集」を参列者共々唱和させて頂きました。小6の兄の孫娘が朗々と読み上げて頼もしいものでした。        

お昼食は席を設けてありましたが,精進料理など死語になっているのでしょうか。街の様子でも行って見る・・・の誘いに何年振りかしらと散歩がてら歩いてみて大分様子が変わっているようでした。 

                   

江戸時代から土蔵つくりの商家が並び岩国藩のお納戸として栄え,錦帯橋建設を支えました。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。金魚提灯も風情がありますね。

                   

雛祭りの時だけよりもう少し楽しみたいのでと,毎年長く飾っているらしいのです。夫は体が不自由になり長男が泊まってくれて,私も一泊出来て兄や義姉ともしみじみと語れて幸せでした。           

                  

宮島あたりまでずーと穏やかな瀬戸内海を,昔通リの移りゆくさまを眺めていて,ふっと幸せな晩年なのかもしれない・・・の思いがよぎりました。

             

広島で新幹線に乗り換えると,気分は一変して都会の緊張を蘇らすものでした。行きは二人掛け帰りは三人掛けで・・・京都で五重塔を撮りたいから。一昨年下関での葬儀に出席した時は疾走を表現出来たのですが,今年は静止画が撮りたかったので・・・(シャッターチャンスは一度きり)

 

 


三崎 頼朝三御所めぐり

2012-03-10 | 鎌倉の四季

 源頼朝は鎌倉で初めての武家政権の樹立に於いて,都の朝廷に対し又武家政権内部の武将たちに対しても,神経をすり減らす毎日であったことでしょう。そのような時 明るい三浦の海を訪れ開放感を味わうために三つの別業(別荘)を儲けました。

それは【桃の御所】・・・見桃寺(けんとうじ)。 【桜の御所】・・・本瑞寺(ほんずいじ)。 【椿の御所】・・・大椿寺(だいちんじ)。 

その三寺を軸に周辺を訪れました。

  ★ 三崎の歴史 ★

 源頼朝の別業の時代。                                                  

戦国時代には,三浦氏により新井城の出城として三崎城ガ構えられました。三浦氏を滅ぼした後北条氏は房総の里見氏に備え,三崎城を強化しました。

天正18年(1615),徳川家康は関東入府に伴い,三浦郡の直轄領を支配するため,長谷川長綱を三浦領代官に命じます。一方江戸湾口のおさえとして,三崎に向井・間宮・小浜・千賀氏の4名のお船手奉行をおきました。

1615年豊臣氏が滅亡すると,4氏のうち向井氏だけが残り御船手奉行として,元禄期まで長く三崎に足跡を残します。

1618年向井将監忠勝によって船改めが開始され,海の関所として「出船・入船}の検査が行われたのです。1696年にはそれも廃止され下田奉行所に引き継がれました。

欧米の外国船が接近するようになった19世紀には,会津藩主松平容衆が幕府から任命され,その後 川越 小田原 熊本 佐倉藩等が沿岸防備に着きました。

  ★ 見桃寺 ★

 

【山号寺号】紫陽山見桃寺。  【宗派】臨済宗妙心寺派。  【開基】向井正綱。 

源頼朝の三崎・三御所の一つ「桃の御所」跡。                              能救寺と城ケ島の神宮寺が見桃寺に合併され,秘仏の薬師如来は三浦市の指定文化財。境内には北原白秋の歌碑があり,三崎の名を天下に知らしめた「城ヶ島の雨」はここで出来たとされます。

   ★ 本瑞寺 ★

【山号寺号】海光山本瑞寺。  【宗派】曹洞宗。  【開基】三浦荒次郎義意

源頼朝の三崎・三御所の一つ「桜の御所」跡。

 

 境内には彫刻家北村四海の胴型の墓があり,その傍らには彼の愛児桜子の像が彫られています。御所に相応しいお名前ですね。

 

  

     ★ 大椿寺 ★

 【山号寺号】金剛山大椿寺。  【宗派】臨済宗妙心寺派。 【創建】正治元年頃(1200)

源頼朝の三崎御所の一つ「椿の御所」跡。ここには頼朝の愛妾がいて,頼朝亡き後髪を下して妙悟尼と称し大椿寺の開基となったといわれています。

本尊は秘仏の十一面観音菩薩坐像。右脇間には椿の杉戸絵があり「椿御所」の掲額があります。

久々の「鎌倉史跡めぐり」に参加して,三崎に頼朝の別荘があったことも初めて知ることが出来ましたし,いつもはお弁当のところをお食事処で海の幸を味わうことが出来て楽しい旅になりました。