花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

横浜 港南区から金沢区の山道を歩く

2015-05-04 | 里山 森林行

風薫る五月 山歩きの季節到来です。横浜市は人々の希望を掬って宣伝をして頂いていると思っています。例えば山行きではさり気なくパンフレットを。少し前の市民マラソンは、大成功でしたし・・・。

私は十年くらい高山も含めて登っていたのですが、体力不足になり断念のやむなきに至りましたが、それなりの山歩きを始めようかな~の心境になっところです。

集合 9時30分。 コース 港南台南公園~いっしんどう広場~おおやと公園~金沢自然公園~草舞台公園~釜利谷公園~金沢文庫駅 1時30分頃解散。

途中 30分の昼食がありました。参加費は3段階くらいあって、最高で500円。

 


ノルデイック・ウオーク

2015-03-14 | 里山 森林行

横浜市の最南端に長年住んでいて、山深い所も多々あるように思っていたのですが、鎌倉に隣接したあたりに、横浜市の公共の宿・横浜市民ふれあいの里「上郷・森の家」と言うのがあって、春まだ来ころから、目にするようになっていたのですが、一度訪ねてみることにしました。

公共も色々・・・でしょうが、バス通りからも程よく離れていて、シッカリとした造り、スタッフもなかなかで・・・何よりも登山に親しんでいましたので、山深いのが魅力的です。

体調や家庭の事情から、生活のリズムが変わっていたのを、春の季節に合わせられたらなあ・・と思っているところです。

ノルデイック・ウオークは、最近目にするようなのですが、2本のストックを持ちながら2時間位歩くことなのですが、山道を歩くことで日常からかけ離れた新鮮さをあじわえるかなあ~の心境です。

 横向きですが・・・

例えば階段もさっそうと。

 


第6回 富士山麓ぐるり一周

2011-11-19 | 里山 森林行



        

     【冬桜・・・ こんな大樹に4本もお目にかかりました】

 
 今回でこの富士山麓一周は完歩します。順調にゆけば6回目だったのですが、震災があり順番が狂ったのです。欠席した丸火自然公園を歩くことで終了になります。 下り道が多く前方は大きく開けています。遠く南アルプスが連なり 富士山は右後方にあるけれど白い雲の中でした。 標高600メートからの遠望です。紅葉も見ごろになっていました。         
             

      【村山浅間神社】

       

 平安時代富士山を山岳修行の場として選び、鎌倉時代には村山の地に富士修験が定着しました。


       【護摩壇】

        

   【村山古道】

 村山口登山道は平安時代からの歴史があり、明治39年に大宮口が開かれて衰退しましたが、2004年に2年に及ぶ発掘・再開作業を経て蘇りました。
参道から山道に入ると、角が取れて丸くなった石道があり、文字を書いた掌いっぱいの石がいくつも置かれています。発掘調査のところに行き着いて平安時代の古道の復活が間もなく開かれるようです。



            

 あたり一帯は次第に民家が増えてきたように感じていると、道には信号が付き車の往来も増えて富士宮市に入っていました。

      【富士山本宮浅間大社】
 
            

 日本国内1300余の浅間神社の総本山で富士山信仰の中心地です。
大宮浅間とも呼ばれ御神体は、富士山頂に奥宮があります。
富士山8合目から上は登山道・富士山観測所を除き浅間神社の境内となります。

       【源頼朝 騎馬像】

           

      【大鳥居 道路からの撮影】
  
           

   夕刻が迫ってきました。帰宅は9時頃でしょうか・・・  


    ★    ★    ★    ★    ★    ★



私のblogが漸く正常に戻ってまいりました。上記の記事は別のところに新しくはじめようと造りかけたのですが、紆余曲折の後昔の姿にはなりましたが、不安な部分もあります。
一切電話が出来ませんし、全くの暗中模索だったのです。質問箱があったので書いたものが通じたか・・・半信半疑です。
「第6回 富士山麓ぐるり一周」は他からドロップで引きずりましたので可笑しいところもありますが、もう触りたくない気持ちです。以前どうりどうぞよろしく・・・。


第12回 富士山麓ぐるり一周

2011-10-27 | 里山 森林行

 表題の12回はこのシリーズの終了を意味します。しかし3・11の大震災で順序が崩れて私の場合、第6回を実行出来ず来月に復活が可能になっています。
この意味は富士山麓のシリーズが人気があり、エンドレスで続いているため その時を探し出して実行出来るようになっていて、完結終了した暁には表彰状と、副賞 そしてリーダーの賛辞と参加者の称賛を受けることになるのです。

  【御祭神: 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)】
 
 正しくは北口本宮富士浅間神社といいます。富士山麓を12等分し第一の地にしたのも
 納得できるものでしょう。
 ぐるり一周して多くの神社仏閣をを拝観したことになりました。





  【富士山の雄姿】



 頂上に雪はなく中ほどに雲を纏った姿は心に畳んで忘れまじ。

  【河口湖ミューズ館 与勇輝館】



河口湖を取り巻く道が高校生たちのマラソンコースになっていて、丁度その日に当って
賑わっていました。


  【六角堂】



振り向いて湖を見れば小さな島いっぱいに祠があり、好い眺めなので撮っておく。
背後に富士山が視界に入る 雲が消えて・・・ああ 今回もお天気に恵まれたらしい

  【御師 旧外川家住宅】

御師とは富士山の崇拝者に代わって祈りを挙げ、お札を配り、信仰登山の際には自宅を宿泊所として提供し富士信仰を広める役割を果たしていました。
上吉田地区は「御師宿坊の町」として賑わい、江戸時代の最盛期には100軒ほどもありました。県の文化財に指定されています。(お経が聞こえて・・テープでしょうか )



  【北口本宮富士浅間神社】 



見上げるばかりの四脚門はなんて素晴らしいのでしょう。本日一番に入場した時の北口本宮富士浅間神社から数時間かけてまた同じ名前の神社に入場することになりました。 全くの驚き。

最初の神社と見比べていただきましょう。




脇社が立ち並んでいます。

温泉で汗を流して一日が終わろうとしています。

第11回 富士山麓ぐるり一周

2011-09-11 | 里山 森林行
 鳴沢氷穴からのスタートにないます。すなわち前回この地で終了になり2週間余で再び富士山麓に足を運んだことになります。
なんとも大好きな富士山。今回は20m余の地底に入り気温3℃を体感できるらしい。
カーディガンにヘッドランプを装備して・・いざ!
狭くて、低くて、急坂で 片手で手すり、片手にカメラと危険だったかも。


氷柱が長く横たわって あれはよかったですねぇ~。


またまた前回の地続きのような青木が原樹海に入ってゆくのです。
経験もあるし明るいし、森の動物にはあわないけれど茸がいっぱい!しかも赤色で・・・地元の人が収穫していました。「美味しいんだって」。
【玉子茸】

樹海の様子です。


祠のある洞窟が何箇所もありました。


西湖いやしの里根場
ここは台風で茅葺集落が被害を受け壊滅しましたが、今 茅葺集落を復元し富士北麓で営んできた文化の伝統技術を紹介しています。
 


「西湖」との出会いは大きい池くらいの印象でしたが、入り江の繋がりで広大でした。湖越しに富士山が見える処なのに・・・それは残念ながら・・・しかし湖での競技会がたくさん夏休み中行われる処とか。
 


西湖から河口湖へと長~く歩いて、帰りのバスに乗るころには夕暮れになっていて、薄墨色の富士山が全身を現していたのでした。

★写真をクリックすると少しましな大きさになりますよ~。



第10回 富士山麓ぐるり一周

2011-08-28 | 里山 森林行
月一回で一年かけて富士山麓を一周する企画に出会い 登山を断念した時だったので、我が意を得ましたが 1~2月は雪深くなるので・・そして3月も震災で中止になり、順序は狂いましたが私は11月で終了の形になったのです。個人差はありながらすべからく希望通りにいっているようです。

しかし今度はパソコンの不具合で(何ヶ月か我慢の末に)買い換えることにしたのですが、未だ正常に扱えてはいないのですが、エイッと本日見切り発車に踏み切りました。
(映像の大きさをを自在に扱うサイトに行きあたらないのです・・・)


【出発は前回の終了地から始まるので、本栖湖からの出立でした】


 本栖湖の透明度は全国の湖の中でも、屈指の深さを持ち富士5湖ではナンバ-ワンなのです。 千円札に描かれている富士山は富士山の北側から撮影されたものです。

【青木が原樹海】


 富士原始林は、青木が原樹海といわれる様になって久しいのですが、松本清張の小説からと聞きます。初めての入山だったのですが想像以上に明るく遊歩道は楽しいものでした。
これも一人歩きであれば妄想の中を歩くことになったのでしょうが・・・


 湖もいくつか通り過ぎ、明るい空ながら富士山は雲に取り囲まれてほんの片鱗を覗かせただけでしたが・・・。


 樹海の印象としては、苔むした大地でしたが、太陽光が木々の隙間から矢のように突き刺さると苔を鮮やかに映し出して息を呑むほどの美しさでした。本当に長く歩きましたが赤や白茸にも出会いましたし、今回山友と同行して心丈夫でもありました。


 長時間の後、彼方に大きく外界が見えてきたときは、緊張がふ~っと抜けてゆくのを感じました。

★映像をクリックしていただくと大きくなります。

第九回 富士山麓ぐるり一周

2011-07-30 | 里山 森林行
     <<ふもとっぱらの富士山>>


 今年は梅雨期が早く終わったと思ったら、7月の終わりになって梅雨らしくなり富士山麓巡りは初めて雨具が必要でした。
次第に雨も小ぶりになり やがて富士山が少しずつ姿を表して来ました。

「ふもとっぱら」とは、ふもとと原っぱの合成語だそうですが・・・【ここには何も無い原っぱがあり、何かを探して何かを見つけること】と書いてあります。
「楽しみを探し、見つけて体験し、緑豊かな膨大な牧草地に囲まれた経験が・・とても大切なこと」と受け止めました。

          

 小川が流れて池ができ、大きな休憩所でお弁当を頂いたあとには、そのまた先の原っぱの突端にトップ寫眞の富士山が裾野をなが~く伸ばして、山頂だけ雲帽子を載せていました。
今回は殆どの道が「東海道自然歩道」なので細く両脇は草地になっていて歩きやすいのです。
先頃 千葉に住んでいる郷里の友人が「ちっとも蝉が鳴かない」と言っていたけど、この煩さはなんでしょう(?)と同行の方に聞くと「蜩(ひぐらし)」とのこと。蜩は夏の終わりの蝉だと思っていたので びっくり。何匹も取って頂いたので一匹だけビニール袋に入れて持ち歩く。

               
                    

 道の駅で可哀想になって、ビニールから出して写真を撮って逃がす。そのかわり向日葵を撮る。
      
              

 暫くすると二つ目の「根原のつり橋」に差しかかる。最初に比べて長さは20mと1/3だけどかなり揺れるので4人以下しか乗れない。怖がる人・平気な人様々。

 やがて国道139号線を歩いて北へ北へと。全く雰囲気が変わりますが皆頑張って歩きます。この回が最長の16キロを歩くのです。きちんと歩道はありますが殆どがトラックです。やがて腐葉土の山道を下だり続けることになり美しい林の中にキャンプ場が現れました。そしてその先に本栖湖の広く美しい湖面がありました。

     
      

           ★富士山は最後に全貌を表しました★

    



  仕上げは温泉で長旅の諸々を流しました。
出発は朝6時20分 バスに乗る頃には夕暮れが迫っています。
自宅到着は22時を過ぎていて、これほど長時間の山麓巡りは初めてでした。時計で図るようなものとは違いますし、翌日一日予定があったにもかかわらず、足の痛みがなかったとは?二日続き幸せでした。          

第八回 富士山麓ぐるり一周

2011-06-30 | 里山 森林行
 
<<田貫湖からの雄姿>>

広大な朝霧高原の一角に位置し富士山の全景を真東に仰ぎ見ます。
周囲4kmの湖水は富士山はもとより天子ヶ岳も映す神秘的な湖で、湖畔には櫻や躑躅の他 北側には広葉樹林がひろがり、雄大な富士山をバックに美しい風景が広がっていました。
逆さ富士やダイヤモンド冨士は見ることが出来ませんでしたが、岸辺には釣りの舞台が設えられ太公望達がビーチパラソルを固定して、のんびり楽しんでいる様は一幅の絵のようでした。獲ったばかりの大きなヘラブナを水中の網から通行人に見せる交歓もありました。
       
        
              ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  


前回は白糸の滝で終了でした・・・今回はその地からのスタートになります。

<<天子(天使)の森キャンプ場>> という深くてしかし明るい林の道を進むことになりました。
    

<<小田貫湿原>> 田貫湖北側に位置し、静岡県側の富士山麓では唯一の低層湿原です。湿原は水が溢れ 渡り石が置かれて一個大隊35名は、面白おかしく渡り初めを致しました。
    

<<陣馬の滝>> 一級河川の五斗目木川(ゴトメキガワ)にかかる滝で、上流からの水の流と溶岩の隙間から湧き出す水が滝をなしています。白糸の滝と同じように、富士山麓の湧水の仕組みの一端を見ることが出来ます。
源頼朝が富士山麓で巻狩を催したとき、日が暮れて滝の近くに一夜の陣を敷いて以来陣馬の滝と言われるようになりました。
 
     

<<太鼓石>> 又その夜のこと滝壺からドンドンと太鼓を打つような音がしたので、不思議に思った頼朝は、家来に滝壺を探らせると中が空洞になった石が出て「太鼓石」と名づけられ現在に至っています。

    

<<撫川>> 太鼓石の置かれた側の川は藻の浮かぶ美しいところです。

    

<<川遊び>> 五斗目木川で川遊びの一家。

       

第七回 富士山麓ぐるり一周

2011-05-28 | 里山 森林行
 
 【富士山本宮浅間大社】

 <<本殿>>

大震災で中止や延期で順序が変わり、今月は2回冨士山麓巡りが出来て埋め合わせをしていただきました。緩やかな上りにもかかわらず、又歩行距離も前回より長くなったのに疲れも足の痛みもなく幸いでした。

富士山の麓にはいったい、いくつの市町村があるのでしょうか。夫々我町こそはと「浅間大社」の壮麗さを競うかのごとく圧倒されてしまいます。

 <<国指定特別天然記念物 湧玉池>>
   

 この池は霊峰富士の雪解けの水が溶岩の間から湧き出るもので水温は13℃。
 湧水量は1秒間に3.6キロリットル(約20石)で、年中殆ど増減がありません。

  つかふべき数にをとらむ 浅間なる御手洗川の そこにわくたま  平 兼盛

 <<鳩 神の使いと言われて>>
     

 【本門寺】
 
 

日蓮聖人の高弟 日興上人が1298年に創建した古刹。
 
 <<本門寺五重塔>>
           
 この五重塔は明治43年(1910)12月15日の消失まで現存しました。
 「本門寺五重塔」を約十分の一のスケールに再現したものです。
 高さ33m、約30m2 東海随一の大宝塔でしたが現在は礎石を残すのみです。

前回 源頼朝の巻狩を記しましたが、丁度その時 曽我兄弟による親の仇討で工藤祐経は、陣屋で殺害されました。すぐに兄弟は捕らえられ処刑されます。
祐経はこの地に葬られひっそりと、守られてきました。
又 頼朝の命により曽我兄弟の霊を慰めるために曽我八幡宮が建てられています。
 
 
 <<この辺りでは右手に長時間、冨士山が大きく見え続けて、幸せな気持になっていました>>  

 
 <<尚も歩いていると前方に、大きく「駒止の櫻」・・頼朝が馬を降りた場所の櫻。今も大きく美しく咲き競います>> 

 【白糸の滝】
  
          

大小の滝が絶壁から一気に流れ落ちる白糸の滝。水しぶきが白く煙り爆音が響き渡ります。富士山の雪解け水が創り上げる山麓最大の滝です。
       

第五回 富士山麓ぐるり一周

2011-05-15 | 里山 森林行
 <<忠ちゃん牧場からスタート>>
     

昨年の12月以来富士山麓行きが長らく途絶えていました。
真冬の2ヶ月は当初から計画はなく、暖かさの兆しの3月から再開と云う予定でしたが大震災で4ケ月を待ち続けて・・・1年以上を要する計画ですが全て欠けること無く参加できるよう望んでいます。
太宰治は富士山には「月見草がよく似合う」と言いましたね。「水仙は如何でしょう」

忠ちゃん牧場から北方に、富士山資料館が見え隠れしていますがこれから訪れるところなのです。
  
  【富士山資料館】
 


 ★富士山の噴火史ーWikipedia
富士山は最近10万年で急速に大きくなったと考えられており、その意味では「若い火山」に分類される。現在見えている山の外観は約1万年前から噴火活動を開始した新富士火山であり、その下に約70万年前から活動していた小御嶽(こみたけ)火山と約10万年前から約1万年前に噴火した古冨士火山が存在する。

         
噴火年表を写してきましたが見づらいもの・・拡大鏡でやっとですが。
 
 ★神輿
    
御神輿(おみこし)は神霊が本社より他所に渡御する際の乗り物で、正しくは(しんよ)と呼びます。種類は多様で四角・六角・八角と複数美麗を極めた物もあります。
上記の神輿は須山浅間神社の宝物で昭和42年まで使われました。

 ★富士山に関わる地図や寫眞、動物 生活道具 来歴等程よい広さ 富士山を知る上で様々な工夫がなされていました。
    
  【十里木別荘地】

富士山の南麓2合目、標高1000メートルに位置する十里木高原は人気の高い別荘地です。冨士をバックに木立の中に建つお洒落な別荘を見ながら歩きます。敷地が広く人気の感じられない家、手入れが行き届いて花々が飾られている家、冬はかなり寒さが厳しいようです。
  
       ★別荘その1
       

       ★別荘その2
       

       ★別荘その3
          

  【頼朝の井戸】

頼朝の井戸と称されるところは広大で、ミズナラの巨木やブナ、ケヤキ等の原生林が広がり自由に入っていけるところでもありました。
  
建久四年(1193)将軍源頼朝は武威をを天下に誇示し、且つ将兵の士気をも鼓舞せんものと、駿河國藍澤(御殿場地方)から冨士野に亘る広大な富士山の裾野で大規模な巻狩を催しました。
吾妻鏡によると巻狩は、5月から6月までの1ヶ月に及び、直属の北条義時、畠山重忠、三浦義村、和田義盛等、一万一千騎を従えて狩猟や酒宴に明け暮れたのです。
頼朝の井戸も本陣跡と共に、巻狩の遺跡の一つで往時は巨大な巖間から湧水が小湖をなしていました。その清冽な湧水を汲んで蘇生の思いだった将軍は、手にした朱の椀を池に沈めて水神に献じたと伝わる。
  
 (東屋いっぱいに石囲の井戸があります)

       ★十里木関所跡
        

  【丸火自然公園に向けて歩く】

日本一の富士山の麓はさすが「日本一の山麓だなぁ~」と思いつつ、2万歩以上を歩いたのですから今日よりも明日、明後日が思いやられます。道幅も広く起伏もなだらかなのですがさすが長距離。ウォーキングリーダーの同行で随時ストレッチを入れていただくのですが次第に口数も少なくなって・・・しかし富士山が見えると元気がでますし、草花は少ないながら愛でながら最終章の温泉に入って人心地がついたのでした。

  ★森林墓園の側を歩いていて富士山をみ~っけ・・
  

  ★華鬘草
         

  ★ヘルシーパーク裾野は自家源泉100%の良質の美人湯・・だそうで
  
(左側に富士山があり、露天風呂からはバッチリ)




第四回 富士山麓ぐるり一周

2010-12-19 | 里山 森林行

 <<冨士の真南 忠ちゃん牧場から 標高800mからの眺望。>>

 予報通りの晴天に、一電車早く出かけてしまいました。
 前回終了の地点からのスタートになります。

     御胎内清宏園 

 
 <<清宏園は樹木が多く富士山は木の間越しでした>>

 
 <<洞窟の入口。内部はヘッドライトで進むも、写真は無理でした。>> 

 富士山の噴火によって生じた洞窟で、人体の内部に似ているということで
 「御胎内」と称され、一周155mあり天然記念物に指定されています。中腰で
 歩き中程に身体一つ通り抜けるだけの狭いとこらがあって、難儀なところでした。

 
 <<冨士噴火の際、溶岩流が倒れた木を転がし 包んだ木が焼けて筒状
   になったもの。外周3m、内周60ct、長さ3m 公園になっています。>>

   旧石田家住宅 

 
 <<土間座敷(庭座敷)>>

 石田家は印野の小木原の農家で江戸時代は鉄砲鍛冶をしていました。建造
 は不明ですが天保9年(1838)に改築したという記録が残っています。
 土間の南側は御殿場地方を代表する田の字型の間取りで骨組みは当時のま 
 ま。明治以降この地方の産業だった養蚕や竹行李造りのために、ニワザシキ
  等が改築されています。

    須山浅間神社 

 
 <<石段の最上部からの鳥居>>
 
景行天皇(110年)の皇子日本武尊が、東夷征伐の時にこの地を訪れ浅間神社を創起し、欽明天皇13年(552)に蘇我稲目宿禰が再興したとあります。
山岳信仰として「富士山」をご神体とし、仰ぎ奉り度重なる噴火に浅間大神を祭り岳神の霊を慰め奉ったのが始まりと思われます。
武門の崇敬も厚く、源頼朝を始め武田信虎、勝頼、今川家代々の戦勝祈願がなされていました。

    忠ちゃん牧場 
 
 標高800mの十里木高原に広がる牧場には、めん羊と乳牛が放牧されていて
 美味しい牛乳や、ソフトクリーム 乳製品をいただくことが出来ます。
 のどかな牧場風景の前方に全身を表した富士山を目にすることが出来ました。
 富士山百様と行きたいところですが、数枚を貼ってみましょう!

  
  
  
  <<赤富士は「冨士遊湯の里」から>>
    
      
      <<冨士の裾野もご覧頂きたく・・・>>
  
      尚 「遊湯の温泉」でホロホロ鳥が飼われていて撮ったもの。
      動きまわって焦点が定まりにくく、ニワトリ位の大きさです。
  
     

     

第3回 富士山麓ぐるり一周

2010-11-30 | 里山 森林行
 
<<須走浅間神社>>

延歴21年(802)富士の噴火を鎮めるために807年に創建され、江戸時代に再建されたものを山門越しに撮りました。
境内は杉の古木に囲まれ、天然記念物の神木「ハルニレ」の大木があります。
又須走口登山道の起点にもなってるところです。

 <<ハルニレは最奥中央右>>

ほぼ下り坂を歩く計画になっていると聴き、膝関節症になってしまった身には嬉しい。右手富士山側は森に覆われていて、左手の山麓を見ながら歩きはじめました。

晩秋の霧に包まれた木々や、高度によっては縞模様を創っています。

   
   

富士山側が拓けてきました。空は広く青く見えていても、雲がちぎれるように飛んでゆきます。富士山とのご対面は如何に・・・東側から仰ぐ位置になるので、水平線が少し傾いているようです。山頂右手では雲を抱きよせて最後まで決して離すことはありませんでした。雲の多様さをこの時ほど感じたことはありませんでした。


  
   

御殿場の五合目あたりを歩いているらしいのです。(私は富士山には登ったことがなく、もっぱら眺めることに喜びを感じているのですが) 五合目までは乗り物で行き、そこから歩き始めると聞いたことがあり、ならばこの辺りからなのかしら・・・と。
「横走り道」と云う辺りが広々とした大地で、車道も歩道も幅広く富士山を右横向きでよく見えるところから名づけられたられたと聞く。左手の彼方に箱根の外輪山がみえてきました。そして前方には高木の並木道が延々と伸びています。

   
   

小山市をスタートしいつしか御殿場市に入っていました。広大な桜公園でお弁当でした。富士山も見えて少々風はあるけど気持ちのいい休憩場所でした。
川柳浅間神社に参拝です。社殿の前に二本の巨大な杉(樹齢500年)が立ち塞がるようにあり、この地区に別荘のあった海軍大将 伯爵樺山資紀氏はこの木をこよなく愛し明治39年「芙桑樹」と命名されたとあります。

          
           
          周りに紅葉の彩りがありました。

第二回 富士山麓ぐるり一周

2010-10-24 | 里山 森林行

 【山中湖・・・しかし厚い雲ですねぇ】 
 
 1ヶ月振りに待ち遠しかった2回目がやってきました。出発地点は前回の終了地点です。
花の都公園」は前回撮影が出来なくてこの日満を持していました。1ヶ月を過ぎると花檀はかなり変化していましたが行列の先頭から徐々に遅れつつ、何枚か撮る事が出来ました。
 
 ✿花の都公園 a b c ✿

   
      

 ✿山中諏訪神社✿

雨模様の中 富士山は見えずとも足取り軽く進むうちに、山中諏訪神社に到達しました。
天文21年(1552)甲斐国の守護武田晴信が相模国北条との合戦に際し、当神社に御加護を請うため本殿を造営寄進しました。一段低い所に奉納相撲の立派な土俵がありました。



  ✿山中湖✿
トップの写真ですが、どんよりと人気なく然し夏の名残を残していました。湖に沿った道には
広い敷地を持つ綺麗なホテルが建ち並んで夏の賑わいを髣髴する事が出来ます。私も何度か訪れてボートで漕ぎ出した事など思い出しました。

  ✿文学の森公園✿
  

園内には 三島由紀夫→徳富蘇峰の文学館を中心に散策路が広がり江戸、明治の民家も移築され四季折々の楽しみ方が出来るようです。
 
  
   

散策路に添って俳句の館・風生庵、また山中湖にちなんだ句碑・歌碑が点在しています。

与謝野晶子の歌碑 「富士の雲 つねに流れて つかの間も 心おちいぬ 山中湖」
   

公園内でお弁当を頂きました。雨はなく秋の風情の公園はしっとりと「文学の森」を感じながら松茸もどきのおかずと御寿司で好評でした。


  ✿富士薊二題✿
              
               

朝のご挨拶の中で「今の時期富士薊」を見ることが出来ます。の言葉はかなりのインパクトがありました。箱根の山で撮りそこなっていたのです。
道路から一歩入った処にそれはそれは大きな株が2株もあったのです。
「少しおそいかなぁ~」の趣はありましたが、虫が食っていてもなんのそのです。

  ✿籠坂峠✿
山中湖畔の道路から山道に入ります。2車線はあるでしょうか しかしクルマは殆ど通りません。難所というか県境であり長距離を覚悟しないといけないらしいのです。前回下りが大変と聞き登山靴にストックを用意したのですが、富士山に登るのではないのでと苦笑いです。

  ✿藤原光親の墓✿

鎌倉幕府執権北条義時の専横な政治を怒り、後鳥羽上皇は義時追討の院宣をを発令しました。
義時の子泰時は素早く京都に出陣し、上皇方を敗り光親卿など5卿を捕らえ六波羅に護送。
光親卿は甲斐武田信光に預けられる身となり、その途路幕府の命により籠坂矢筈山の山中で処刑されました。
          

膝は何の支障もなく須走までを踏破できました。(ホッ)

第一回 富士山麓ぐるり一周

2010-09-19 | 里山 森林行

 【富士山麓はススキを纏い始めていました】     
 
 『日本一の山「富士山」。その裾野には日本一の自然が溢れています。湖面に富士を映す富士五湖、絹糸のような優美な白糸の滝、迷宮の深い森、青木ヶ原樹海など 個性豊かな大自然が富士山麓を取り巻いています。歩きながらこの自然を満喫してみませんか』

そう呼びかけられて参加することに致しました。日帰りで月1回、一年をかけて一周するのです。

【北口本宮富士浅間神社】
 東名高速から富士吉田に出て「北口本宮富士浅間神社」からスタートです。
富士の山開きや山じまいなど、富士山と深いつながりのある神社なのです。
富士山の噴火を鎮めるために延暦7年(788)頃に創建されたと伝わっています。
桃山様式の本殿と永禄4年に武田信玄が再建したと伝わる東本宮殿、室町末期造営の西本宮殿は国の重要文化財に指定されています。
大鳥居から真っ直ぐに伸びる敷石を踏みしめて、全員で安全祈願をして出立です。        
     ✿北口本宮富士浅間神社
           

✿本殿内部 
     

近くに東海道自然歩道があり、すぐ傍を1m巾くらいの側溝が延びて急流に逆らうように歩き出し始めました。晴天なのに暑くもなく右手の彼方に富士山が見え隠れし、田圃には黄金色をした稲穂が靡き期待は大きく膨らむばかりです。
大きな建物があって休憩時間です。綺麗な庭でお弁当を頂き、民族博物館・富士山レーダードーム館・古民家・道の駅etc。 写真や特産物、お土産などで思い思いに過ごしました。 

✿富士山レーダー (富士山頂で不要に・・)

     
     ✿忍野八海

次に目指すは忍野八海です。平日なのに多勢の人達だなぁ~と思っていると、韓国語や中国語が随分飛び交っています。
富士山に降った雨や雪が、富士山の地層で80年以上の歳月をかけて濾過された水が沸くと言われています。水温は年間を通じて12~13.5度と安定しています。湧水池が8ヶ所散在している事から命名されたと言われています。
     

     ✿花の都公園

花の都とは・・想像を掻き立てる命名です。大平原のその先にススキを纏った富士山が少しの雲をたなびかせて、悠然とその雄姿を現し長時間見つめ続けて歩く事になったのです。(トップの富士山の写真からご想像ください)
ああ なんと言う仕合せ!

しかしいつの間にか赤松林の中を通り抜けたと思ったら、反対側の山頂に白く輝くものが見えてきました。そして山裾一面が100万坪はあろうかと言う花の都公園が展開されていたのです。
      
       《コスモスの群落》
     
          《ホテル マウント富士》
 

花の都公園では温泉入浴をしない者は、自由散策出来ると言うことで一眼レフを背負って行っていたので後でと思っていたら変更になり一枚もないので、「上記コスモスの群落」はパンフレットから借用しました。

来月はここ「花の都公園 」から第2回目がはじまります。

幕山ハイキング

2009-03-13 | 里山 森林行
                              【湯河原梅林】


3月も半ば 観梅を兼ねてのハイキングが計画されていました。神奈川県民としては余りにも有名なこの梅林をその時期に訪ねたことが未だ無く、とても楽しみにしていたのですが、梅便りは芳しいものではありませんでした。が、遅咲きの花があって語らいがあれば楽しくないはずがありません。

湯の街 湯河原の北東にこんもりと聳える幕山は標高620mの小さいながらも典型的な溶岩ドーム型の山なのです。岩壁がちょうど幕を張ったように見えることが名前の由来だそうですが、山頂からの眺望は天城連峰や箱根外輪山、そして相模湾に突き出した真鶴半島が手にとるように見えることでした。

【ロッククライミングの岩場】


     【あっ タンポポ】
     

      【クサイチゴ】


                【オウバイ】
                 

数年前の4月だったでしょうか。 沢山の花を撮ったことを思い出していました。この季節1ヶ月の違いは大きいものがあります。奇妙な花「大葉ウマノスズクサ」が咲いていてアサギマダラの食草だと聞き、この蝶の小さな体での飛翔行動を聞くに付け一生忘れられない程の衝撃を受けたのです。そして愛しい生物になったのでした。

頂上でのお弁当タイムの後には、北面のほぼ直線の急坂を一気に駆け下りると、道に添った地表スレスレの流れの中に入って靴の土を洗い流して早春の日差しの中をゆっくりと歩いたのでした。

【その時の笑顔を】
     

最後は温泉宿のお風呂に浸かって至福の時が流れました。