花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

東京国立博物館 その二

2010-08-29 | 美術館
その二 『誕生! 中国文明』 

        【 入場券 】

この展覧会は、中国の河南省で出土した数々の名品に焦点をあて、中国文明の誕生と発展のあとが紹介されています。
中国大陸を西から東に流れる黄河の中流域に位置する中国王朝発祥の地なのです。
中国最初の王朝と言われる「夏(か)」の中心地は、河南省にあったと考えられます。
その後「商(殷)」の安陽、後漢・魏(三国時代)・北魏(南北朝時代)の洛陽、北宋の
開封など、歴代の王朝の都が河南省に置かれました。
夏が始った紀元前2000年頃から北宋が滅亡した12世紀頃まで、中国の政治、経済、文化の中心地として栄えた中で大きく「王朝の誕生」「技の誕生」「美の誕生」のテーマで中国を知る事が出来る良い機会でした。

【王朝の誕生】
青銅器や玉器など王者の権威を示す作品。
          《動物紋飾板》
           
 青銅・トルコ石 長辺6.5cm 孔のあいたつまみは衣服に縫い付けるため。お墓から 発掘 被葬者の胸で見つかっています。
 
           《方か》
            
 商時代の青銅器 内側に王妃の名「婦好」の文字が鋳込まれていて、表面に眼、口、角 のある動物が左右対称に描かれています。

           《金縷玉衣》
            
 2008枚の玉の札を金の糸でつずった衣。修復には銅の糸を使用。

【技の誕生】
古代の人々の暮らしの様子。
            
            《金製耳飾》
              
 花と蝶のデザイン 表面には極小の金の粒があしらわれています。                     
             《双龍耳瓶》
             
 盒・器皿など実用性が高くお洒落な器などもありました。

【美の誕生】
今日まで続く中国の伝統美に出会う。
             
            《三彩駱駝》
              
 唐時代 高さ81cm
            《神獣》
             
 体の表面にトルコ石を嵌めこんで龍、鳳凰、虎などの細かい文様を表しています。
            《羽人》
             
 背中にある羽は不老不死の仙人の印 腕や膝にも羽毛が表現されています。
            《武人俑》
             
 白磁72cm お墓の入り口に置かれたもの。
            《三彩仏舎利容器》
             

展示品は147点と膨大で、王朝、工芸技術、文字(漢字)など中国文明を特徴ずける様々な要素がこの河南省で生まれ、ダイナミックに発展していくさまを辿る事ができました。日本が中国のあらゆるもの なかんずく文化を吸収していった過程、中国の寛大さ日本の吸収する力・努力に思いを馳せずにはいられませんでした。

 ☆美しい絵(写真)は全てパンフレットからの引用です。 

東京国立博物館 その一

2010-08-27 | 美術館
その一&その二 二部構成になりました。

その一
東京国立博物館生涯学習ボランティア による解説。
「日本美術の流れ」では時代にそって展示されていて、各時代の特色あるテーマに沿って
多様な日本文化とそこから生まれた日本美術の多彩な展開、そして日本人の美意識の変遷を
見ることが出来るようになっています。

『国宝室』に於ける 《餓鬼草子》は餓鬼道にうごめく餓鬼たちを絵師の優れた技量で描き出されています。
『茶の美術』室町時代に生まれ、安土桃山時代に千利休が大成して現代まで続く茶の湯は、日本が世界に誇る伝統文化です。
『屏風と襖絵』建物の壁や襖に描かれた絵を障壁画と呼び、これに屏風の絵を加えて障屏画といいます。時代によりテーマや表現が異なるし、構図などには流派に依る違いを見ることが出来ます。

以上本館(国宝館)に於ける30分限定の解説を移動しながら聴講しました。
平成館に入ると縄文時代~弥生時代~古墳時代における夥しい土器や埴輪が建ち並びフラッシュ無しの撮影が許されることを知りました。

『縄文時代の土器』

【埴輪の望遠】
          

          【火焔土器・・あたかも燃えさかる焔を象ったかのような】 
          

                         【乙女の埴輪】
                         

【埴輪】


          【銅鐸】
          

【縄文土器・・縄文中期は縄文文化が最も隆盛をきわめた大型で豪華絢爛たる装飾の土器が多く見られます】
 

博物館入場前の印象深い風景がありました。

【庭園の噴水にかすかに虹が】


【本館と平成館の間からスカイツリーが・・】


【本館の休憩場所から姿勢を低くして見た池】

鎌倉史蹟めぐり 覚園寺から

2010-08-13 | 鎌倉の四季
 8月10日は覚園寺の「黒地蔵縁日」にあたり、この日に先祖供養のお参りをすると四万六千日分の御利益を授かると言われています。
覚園寺は鎌倉幕府執権北条氏ゆかりのお寺ですが、有力御家人の足利氏一族とも強い繋がりがあり、足利ゆかりの地も辿りました。
 
【覚園寺 黒地蔵盆】
  
   《山門》
  
        《脇門と七重の石塔》
        
鎌倉幕府第2代執権北条義時が日頃信仰していた薬師如来を祀る為に建立した大倉薬師堂が前身とされています。
約80年後、直系の子孫である貞時が元寇再来のないことを願い覚園寺としました。
鎌倉幕府滅亡のあと後醍醐天皇の勅願所になり、その後足利氏の祈願所ともなりました。

薬師堂に程近い所に地蔵堂があります。
鎌倉時代の地蔵菩薩像が安置されていて「黒地蔵」と呼ばれています。この地蔵は、地獄に落ちて火責めの刑にあっている人々の苦しみを少しでも和らげようと自ら火を焚くので煤けており、幾ら彩色しても一夜の内に黒くなってしまうと言います。
古くから招福除災の信仰で知られており、又病気治癒や子宝・出産・育児にも霊験あらたかとされています。

「黒地蔵盆」には、初めての参拝でしたが、灯りの入った灯篭や色紙の帯、線香が焚かれ、多勢の人々が熱心に拝礼して、静まったいつもとは大いに違って華やいでいました。
拝観受付以奥からはいつも撮影はご法度ですが、本日に限って境内は全てNOでした。

塀の外側に咲いていた花2点を添えましょう。
          《ガマズミ》
          
               《藪茗荷》
               

【瑞泉寺】
開山は夢想疎石 禅院相応の勝地としてこの地を選び建立した寺。
初代鎌倉公方足利基氏は、遺命で当寺に葬られ以後鎌倉公方代々の菩提寺になりました。盛時には10を超える塔頭があり、関東十刹の一位に列せられていました。
夢想疎石は造庭の才にも優れ 禅の思想に基ずいた国指定の名勝になっています。

     《名勝 庭園》
     
               《本堂》
               
花の寺としても有名ですが、強烈な陽射しに花がなく屋根の稜線が際立っていました。

【護良親王墓 (もりながしんのうの墓)】
     
護良親王は後醍醐天皇の第三皇子です。征夷大将軍となり軍勢を率いて入洛します。その後足利尊氏との対立を深め、捕らえられ鎌倉に下されます。中先代の乱で足利直義が背走する時に親王を殺害し藪の中へ捨てます。その首を葬ったのが理智光寺の住職でした。
時移り明治天皇の勅命で理智光寺跡の谷から、急坂の石段を登ったところに石垣と菊のご紋に囲まれたお墓が出来、宮内庁が管理しています。

【浄妙寺】
足利尊氏の父・貞氏が中興開基であり元弘元年(1331)に亡くなり、浄妙寺殿と呼ばれ当寺に葬られました。
14世紀後半には七堂伽藍、100人を超す僧侶、20を超す塔頭があり鎌倉五山に列せられました。

《貞氏の墓》
               
《鎌足桜》



                      

尾瀬岩鞍ゆり園 & 夕方から咲くユウスゲ撮影会

2010-08-06 | 撮影を楽しむ

                                 【リフトで散策】

 鮮やかで多彩なゆりの咲く岩鞍ゆり園は、秋から春にかけてスキーを楽しみ、雪解けの頃からはゴルフを、 そして夏にはゲレンデはゆり園となって花に彩られ 多くの人々が集い楽しめる高原のリゾート地になります。

【リフトを降りて】
        
       《入道雲の中までも広がる勢いで》        
        
          《高く伸びよ》
           
                    《一番美しかったゆり!》
                     
        《水辺に憩う》
         
        《水辺のモザイク》
         
                    《滝に咲くゆり》
                     
                    《白樺の精のように》
                     

ユウスゲは夕方に花を咲かせて、翌日の午前中にはしぼんでしまう一日花ですが、夕方になると又次の花を咲かす を繰り返します。
親戚のニッコウキスゲのオレンジ色に比べて淡いレモンイエローをしています。

榛名山麓に咲く可憐な花 ユウスゲの風情を撮影するために、右回りから湿原に入ってゆくと、手入れは最小限に自然体の萓の道を掻き分けながらの道中で、常に西方に榛名富士を見つつ歩く事になっていました。途中から「ゆうすげの道」なる巾が1メートルくらいの素晴らしい木道が敷かれていて、ゆうすげも数見られるようになり、あまたの夏草も撮りながら、先ほどの多色刷りのゆり園とは対照的な風情を楽しみました。

《ユウスゲ》  

        《シモツケソウ》
        
                 《コオニユリ》
                 
                         《ヨツバヒヨドリ》
                         
                              《マツムシソウ》
                                                               

《落日》
  

榛名山で夕暮れになり、多分帰宅は10時を過ぎることになるでしょう。
一日中 目一杯カメラと共にあったと言う充実感を味合う事が出来ました。
交換レンズ(AF18- 270mm) を初めて一日中付けっぱなしにしたのですが・・・さて(?)