花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

第二回 富士山麓ぐるり一周

2010-10-24 | 里山 森林行

 【山中湖・・・しかし厚い雲ですねぇ】 
 
 1ヶ月振りに待ち遠しかった2回目がやってきました。出発地点は前回の終了地点です。
花の都公園」は前回撮影が出来なくてこの日満を持していました。1ヶ月を過ぎると花檀はかなり変化していましたが行列の先頭から徐々に遅れつつ、何枚か撮る事が出来ました。
 
 ✿花の都公園 a b c ✿

   
      

 ✿山中諏訪神社✿

雨模様の中 富士山は見えずとも足取り軽く進むうちに、山中諏訪神社に到達しました。
天文21年(1552)甲斐国の守護武田晴信が相模国北条との合戦に際し、当神社に御加護を請うため本殿を造営寄進しました。一段低い所に奉納相撲の立派な土俵がありました。



  ✿山中湖✿
トップの写真ですが、どんよりと人気なく然し夏の名残を残していました。湖に沿った道には
広い敷地を持つ綺麗なホテルが建ち並んで夏の賑わいを髣髴する事が出来ます。私も何度か訪れてボートで漕ぎ出した事など思い出しました。

  ✿文学の森公園✿
  

園内には 三島由紀夫→徳富蘇峰の文学館を中心に散策路が広がり江戸、明治の民家も移築され四季折々の楽しみ方が出来るようです。
 
  
   

散策路に添って俳句の館・風生庵、また山中湖にちなんだ句碑・歌碑が点在しています。

与謝野晶子の歌碑 「富士の雲 つねに流れて つかの間も 心おちいぬ 山中湖」
   

公園内でお弁当を頂きました。雨はなく秋の風情の公園はしっとりと「文学の森」を感じながら松茸もどきのおかずと御寿司で好評でした。


  ✿富士薊二題✿
              
               

朝のご挨拶の中で「今の時期富士薊」を見ることが出来ます。の言葉はかなりのインパクトがありました。箱根の山で撮りそこなっていたのです。
道路から一歩入った処にそれはそれは大きな株が2株もあったのです。
「少しおそいかなぁ~」の趣はありましたが、虫が食っていてもなんのそのです。

  ✿籠坂峠✿
山中湖畔の道路から山道に入ります。2車線はあるでしょうか しかしクルマは殆ど通りません。難所というか県境であり長距離を覚悟しないといけないらしいのです。前回下りが大変と聞き登山靴にストックを用意したのですが、富士山に登るのではないのでと苦笑いです。

  ✿藤原光親の墓✿

鎌倉幕府執権北条義時の専横な政治を怒り、後鳥羽上皇は義時追討の院宣をを発令しました。
義時の子泰時は素早く京都に出陣し、上皇方を敗り光親卿など5卿を捕らえ六波羅に護送。
光親卿は甲斐武田信光に預けられる身となり、その途路幕府の命により籠坂矢筈山の山中で処刑されました。
          

膝は何の支障もなく須走までを踏破できました。(ホッ)

鎌倉 材木座界隈を歩く

2010-10-14 | 鎌倉の四季

             【材木座海岸  ボードセーリング教室?】

古都鎌倉史蹟めぐりに参加しました。
大町から材木座に向かう大師道をたどり、上行寺~来迎寺~長勝寺~和賀江嶋から500余年の歴史ある十夜法要厳修中の光明寺を訪れました。

 ✿上行寺✿
  
  宗派:日蓮宗
  創建:正和2年(1313)

山門の裏側に、左甚五郎作と伝わる竜の彫り物があります。 
         
  
本堂は公開されていないのですが、右側の建物は全ての病 特に癌に効用があるとされる瘡守稲荷堂と鬼子母神を祀る薬師堂があります。火焔奉じの美しい絵がたくさん飾られていました。
         

 ✿来迎寺✿

 宗派:時宗
 創建:建久5年(1194)

来迎寺は源頼朝が旗揚げの際 犠牲となった三浦大助義明の菩提を弔うために建てられました。本尊の阿弥陀三尊像は運慶作と伝えられ、義明の五輪塔墓や三浦一族百余基の五輪塔があります。
         
          

 ✿長勝寺✿ 

 宗派:日蓮宗
 創建:弘長3年(1263)

長勝寺は1ヶ月前にも拝観していますので、広大な仏閣は割愛しますが石段を幾重にも登り墓地を縫って最上階の広い墓地へ到達です。                              
         
反対側には車道が通り材木座の住宅が下方に向かって延びていて尚も行くと海岸に到着でした。

 ✿和賀江嶋✿

現存する日本最古の築港遺跡として国の史跡に指定されています。材木座は遠浅の海で、波風は荒く難破・破損する船が多く港湾整備の必要がありました。貞永元年(1232)時の執権北条泰時はこれを約1ヶ月で完成させます。江戸時代までは港として利用されましたが、震災や風化によって石積が崩れ今では干潮時のみ見られる状態です。
       
 
            【トップ写真の子供達 今日はここまで お疲れ様】

 ✿内籐家墓地✿

内藤家は江戸時代、陸奥国常盤平 のちに六代藩主・内籐正樹のとき日向延岡藩主に封じられた譜代大名です。
常盤平二代藩主・内籐忠興の時に 江戸霊巌寺から光明寺に歴代の墓を移し、ここを菩提寺としてきました。その際 当麻曼荼羅絵巻(現国宝)などの絵画や彫刻など多数の宝物を光明寺に寄進し、光明寺の繁栄に寄与しました。

58基もの墓碑を備え、高さ3mを越える大宝篋印塔が並ぶ壮大な内藤家墓地は、その興隆を物語ると共に、江戸期に於ける大名墓地の変遷を知る貴重なものです。


       
       【ホトトギスの花咲お墓】

 ✿光明寺✿

 宗派:浄土宗(大本山)
 創建:寛元元年(1243)

鎌倉幕府 第四代執権北条経時が然阿良忠(ねんな りょうちゅう)を迎えて開いた浄土宗の大本山です。
明応四年(1495)後土御門天皇の勅願所となり、「関東総本山」の称号を賜り「お十夜法要」を勅許されて以来、現在も盛大に念仏法要が営まれています。
江戸時代になると徳川家康が寺領を寄進し、関東十八檀林(浄土宗の学問所)の第一に定めました。各地から多くの学僧たちが集まり学問と修行の中心としても栄えました。

鎌倉最大の山門は県の重要文化財 楼上には釈迦三尊や、四天王、十六羅漢が祀られています。
【内籐家の墓地から光明寺の山門をズームで引き寄せました】

 ✿お十夜法要✿
 
この時期 応仁の乱から戦国時代にかけて天下は乱れに乱れ、飢餓・疫病が相次ぎ庶民は地獄の業火に焼かれる苦難の様相に喘いでいました。後土御門天皇はこの乱世を嘆かれ、救いを仏の教えに求めて一日も早い安穏の暮らしと、安泰を望まれて十夜法要を許可されました。(現在は10月12日~15日の4日間)

○お十夜の旗印
 
○法要a

○お稚児さん
        
○法要b
 

○散華
        
お十夜の行列に「散華/散花」といって山門の上から花形を蒔き、舞い落ちる花を拾う事で 供養になると言われています。

西伊豆 初秋の海岸美撮影会

2010-10-04 | 撮影を楽しむ

【黄金崎のプロピライト】

 西伊豆はリアス式海岸の多彩な奇岩や、海の洞窟(遊覧船で入る)・トンボロ(干潮時には
島との間に石州が出来て歩いて渡れる現象)・プロピライト(風化した岩が夕日を受けて黄金色に輝く現象 トップの写真が夕日をうけると陰影が出来て馬の形に輝く)等が「田子・浮島」地区。場所を移して「堂ヶ島」地区で夕焼けを待つ間周辺を散策しました。

又地名も面白く 宇久須(うぐす)・安良里(あらり)・田子・浮島(たご・ふどう)・大沢里(おおそうり)等々。

西伊豆は「夕日の町」でもあるのです。落日のショーを撮影していますのでご覧下さい。
奇岩で特に面白いのは「ゴジラ岩」でしょうか。 

 【 渦 】
  
 【 富士山が見えた! 】
       
 【 彼岸花 】
     

 【 落日のショー 】

 ✿ 落日の予感 
  
 ✿ 落日の始まり A
  
 ✿ 落日の始まり b 
  
 ✿ 落日の始まり C
  
 ✿ 正に消えなんとす
  
 ✿ 落日の終焉