花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

磐梯山と蔵王山 へ

2008-10-26 | 登山
                   
                      【山波最奥の磐梯山へ いざ!】


紅葉の季節には必ず東北が候補に上がり、今年は深田百名山の2山に決まりました。
南浦和7:10集合 チャーターバスで東北道から磐越道と乗り継ぎ、磐梯山ゴールドラインの猫魔八方台から歩き始めました。目指すは会津を象徴する《磐梯山(1819m)》です。広葉樹海が目の届く限り秋色に染まり、上空は青く澄み渡っています。

【ブナの林】
     

山裾から垣間見た磐梯山は、余りにも遠く歩くほどに岩石の急坂で中々の手強さです。山頂下400mの弘法清水小屋からの磐梯は荒々しい牙を剥いています。
1888年(明治21年)水蒸気爆発により、大規模な山体崩壊と岩屑雪崩(がんせつなだれ)で現在の二つの峰になりました。
頂上は雲が流れていて猪苗代湖の眺望が利かず残念でしたが・・・

【磐梯山々頂裏面の荒々しさ (M・M氏撮影)】
     

【下山の風景】
     

下るにつれて周囲は華やかな色に変り、幼い頃に夕陽と戯れた事が思い出されてしばし郷愁を憶えていました。
今宵の宿はは磐梯表山麓の扇島温泉「玉の湯旅館」です。お風呂も料理も差し入れのワインも大変結構でした。明日早朝の出立もあることとて一時間を「山の歌」で締めくくりでした。


翌日は6:00 出發 磐梯高原IC~白石ICを出て蔵王エコーラインから刈田岳山頂で下車。
《蔵王は宮城と山形県境に約40kmにわたって貫かれた蔵王連峰の総称です。》「地球の中心で・・」と言う言葉がありますが、まさに刈田岳の中心から広大な雲海の彼方に 朝日連峰、飯豊連峰、吾妻連峰が浮かび上がっていたのです。
歩き出すと間もなく「お釜」が見下ろせました。火口湖で気象に依っては青・緑・赤褐色等に変わるそうですが、今日はエメラルドグリーンに見えました。

【お釜】


馬の背と言われる広い道を過ぎると、最高峰の熊野岳(1841m)に向かいます。赤く小さな祠がありその先に又雲海が見渡せる絶好の場所で記念撮影でした。

【熊野岳山頂での記念撮影 (M・M氏撮影)】
    

【遠く月山を望む】


ここからは下り道でしたが、大きな岩をかなりのスピードだったのでチョト大変でした。

【祓川コースから熊野岳を振り返る】


垂直に近い崖の中腹を非常に狭い道幅の所があり、要細心の注意でした。
そこを過ぎれば平坦で明るい湿原が広がり、やがて降雪にはゲレンデになるであろう草原を下ってロープウエイ駅に到着です。
昨日より大分北になる為山上の紅葉は終わっていたのですが、ロープウエイが動き出すと車窓は紅葉・黄葉で美しく彩られていました。

【蔵王山麓駅着での風景】


近くの蔵王温泉で身支度を整えると、東北道をひた走って予定より早く南浦和駅に到着でした。
何時も何時も予定を計画し計画書を戴き、説明会やメールも頂いてリーダーをされる方々には本当に頭が下がります。
運転手さんも安全運転をされつつも、予定時刻にも配慮戴き心から有難うございます。



  

光明寺のお十夜

2008-10-15 | 鎌倉の四季
                             【光明寺 大殿】

念仏を唱えれば誰でも極楽浄土に生まれ変る・・と言う信仰が平安時代から鎌倉時代に掛けて盛んになりました。
阿弥陀仏は修行時代に「命ある者全てを救いたい」と四十八願を立てて仏になり、その願いが成就されて築かれた世界を極楽浄土と言います。
阿弥陀信仰は、浄土教として円仁・空也・源信を経て成立し、良忍の『融通念仏宗』、法然の『浄土宗』、親鸞の『浄土真宗』、一遍の『時宗』などがこれに属します。
光明寺第九代観譽祐崇上人は名僧の誉れ高く、宮中で浄土の法門を天皇に御進講を
しました。1495年の10月より光明寺での「十夜法要」が勅許されたのです。
今も古式に則り毎年10/12~15までの4日間盛大に厳修されるのです。

今回 お十夜の一日を関東総本山『浄土宗光明寺』へ参詣いたしました。
総門から入場すると、広場の向こうに巨大な山門が聳えています。鎌倉最大で 間口16m、奥行7m、高さ20mは、一階が日本式、二階が中国式で楼上には釈迦三尊や四天王、十六羅漢が祀られています。山門拝観は4月の観桜会と10月のお十夜の時だけなので、上がって見ることにしました。前方には鎌倉の海がひろがっています。周り廊下の後方には大殿が控え この時ばかりは出店が多くそちらの賑わいも加わっていました。
      【山門】
  

          【十六羅漢】
          

本堂右手の庭園は小堀遠州の作と伝えられ、【三尊五祖の石庭】と言われています。
三尊は阿弥陀仏と両脇の勢至菩薩と観音菩薩を表し、浄土宗の五大祖師(釈尊・善導・法然・鎮西・記主)を示しています。
  

【内籐家墓地】
江戸時代、磐城平 後に日向延岡藩主に封じられた譜代大名で、三代藩主 忠興の時、江戸 霊岸寺から光明寺に歴代の墓を移し、ここを菩提寺にしてきました。
その際多数の寺領と宝物(国宝の当麻曼荼羅)等の寄進を行いました。
58基もの墓碑を備え、高さ3mを超える大宝篋印塔が並ぶ壮大な内籐家墓地は、その興隆を物語ると共に、江戸期における大名墓地の時間的変遷を知る好材料として貴重なものです。
石像の総数は200基は有ると言うことです。

  【内籐家の墓地 宝篋印塔】
  

  【内籐家の墓地 墓碑】
  

  【内籐家の墓地 燈篭】
  

昼食は浜辺でとる事になりました。
光明寺からは目の前です。海中に和賀江島が顔を出していますが、これは鎌倉幕府が船の寄港のため突貫工事で完成した船の係留島です。一帯は材木座の地名が残り建築資材の集積が成された処でした。入港する船からは光明寺の広壮な聳え立つ山門が見えた事でしょう。
空は今にも雨になりそう・・・これから「お練行列」があるので心配です。
 
【材木座からの海原】


近くの九品寺から光明寺までお練があるのですが、遂に雨が降り始めてしまいました。練行列とは 稚児やご詠歌の行列、雅楽の奉奏、念仏の詠唱をしますが、道路は中止して開山堂の廊下から大殿の裏側を廻って正面へとお練行列は行われました。傘を差しながらの撮影です。

【大殿正面の練行列】
  
       
            
                 

               

鎌倉の伝統芸術にふれる

2008-10-10 | 鎌倉の四季
                            【街の中の切通し】

鎌倉武士は刀に神仏の加護が宿ると信じ、「相州伝」と呼ばれた正宗は信仰心篤く相模の国独自の作風を生み出し、日蓮に深く帰依して法華経の真髄を入魂して刀を打ちました。
又 禅宗寺院から生まれた鎌倉彫も鎌倉の誇る伝統工芸です。
そして今は鎌倉薪能の季節でもありました。
現在に生き続ける伝統工芸にふれ、能舞台の優雅な雰囲気に浸る一日を過ごして参りました。

【正宗工芸美術製作所】
鎌倉時代末期の幕府御用達の刀匠「五郎入道正宗」の伝統の技を受け継ぐ二十四代目 山村綱廣氏が現在の当主です。
現在も刀剣の製造をされていて、その刀鍛治の作法を拝見しました。
・・鋼を焼き・打ち・冷やし を繰り替えして次第に形造られてゆく・・
  

四方にしめ縄が張られ、白装束の鍛治師に神性さを感じました。
【刀製作の行程図】
  

現在は刀は勿論 特注の包丁、鋏、鉄製の装飾品、実用品も展示されていて購入も出来ます。
鎌倉駅に近く北西の位置にあります。

【刃稲荷】
最澄が謹刻し比叡山の守護神とした稲荷明神のご神体を鍛治の神として祀りました。この一帯は当時 鍛治谷と呼ばれていました。
     

【鎌倉彫会館(鎌倉彫資料館)】
800年の歴史ある伝統工芸 鎌倉彫に関する博物館相当の施設です。
鎌倉彫をビデオで紹介。作品の展示。材料・道具の販売。鎌倉彫教室などがあります。作品の一例を。
          【卓】
          
               【文箱】
               

【鎌倉彫再興の碑】
13世紀の半ば 禅宗の移入に伴い宋から伝えられた美術工芸品の堆朱(ついしゅ)の彫漆品の影響をうけた仏師たちが、その意匠をもとに木彫彩漆の仏具を作り始めたのが鎌倉彫の始まりでした。江戸時代に茶道の普及と共に需要が増えます。
工芸品としての中心に、後藤斎宮(いつき)、三橋鎌山(けんざん)がいました。
パリ、ウィーン、アメリカ等の万国博覧会に出品して好評を博して海外にも人気が波及しています。碑は後藤家の門前に有ります。
          

【鎌倉能舞台】
伝統芸能・能楽の公開・振興から文化の向上を目的として、1970年鎌倉在住の能楽師中森昌三氏(平成20年死去)が長谷に創設しました。閉鎖的な能の世界を
今日的なものへと目指して、中学・高校生や、勤労青少年など若い世代にも伝えようと、各地で意欲的に公演を行ってきました。
鎌倉薪能は全国に広がる薪能人気の火付け役に成りました。
本日私達は能舞台に入場して、美しく衣装の飾られた本舞台で能楽氏の1時間半に及ぶ正座でのお話を拝聴したのでした。朗々としたお声で謡の一節もご披露戴きました。
写真は禁止でしが、鎌倉能舞台のホームページから拝借したものです。
     【鎌倉 能舞台】
     
 
          【能 船弁慶】
          

               【狂言 蝸牛】
               
        
鎌倉の「能」は鎌倉宮の薪能の事は知っていたのですが、長谷の鎌倉能舞台のことはは知らずにいました。何時か是非こちらのお能を見たいと思っています、                          
          




国営昭和記念公園

2008-10-06 | 撮影を楽しむ
                             【コスモス群生】

一眼レフカメラの講習を受けてより2ヶ月、カメラを購入して半月「デジカメボランティア協会」の会友に入れていただきました。コンパクトカメラに比べて、なにやら大きく違っていてあの膨大な説明書を読みこなさなければ成らない事に溜息がでます。

曇り日の日曜日 初めて昭和記念公園での撮影会に参加しました。
講習会の時のアシスタントのお顔が何人も見えてホッとするも、今日はご自分の撮影が第一なので・・しかし質問には丁寧にお応え戴いて・・悩ましい一日ではありました。

昭和記念公園は広大で本日はコスモスが主題でした。「中央北東寄り」と「原っぱ東花園」にピンク系と白色が植え分けられていて大変な広さです。
     【赤い縁取りコスモス】
     
     【白いコスモス】
     

赤い縁取りの方が上手くいったと思うのですが、何時も同じに行かないのが悲しいところです。良い花撮りが悲願なので何時かマクロレンズを持ちたいと思っています。
空模様が怪しくなって、「西花園」がはしょられてしまいましたが「みんなの原っぱ」の日曜日は何時もこんな光景なのでしょうか。主要道路などはさながらラッシュアワーのようでした。
【みんなの原っぱの風景 その1】


 【みんなの原っぱの風景 その2】


 【みんなの原っぱの風景 その3】
 

 【紫苑のある情景】
 

私には久々の昭和記念公園でしたが何時も平日だったので、日曜日の人出は強烈でした。四季折々の表情を見に来たいものです。
美しい芝生の上に100台はあろうかと思われるクルマの駐車にも驚きました。