花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

小さいおうち

2014-02-24 | Weblog

                 

 ベルリン国際映画祭での公式上映。 宣伝に惹かれて鑑賞することにしました。昭和初期から現在までを、現在80代前後の女性が語り継いだ物語になっています。

私の歩んだ時代を反映している所も多々ありますが、母親と重なる部分も少なからずあるかと・・・・興味は深まってゆきました。

物語は東京郊外の赤い屋根の家に、地方から女中として来た二十歳前の女性の目で語られています。そこには、玩具会社の重役の旦那様と美しい妻、病弱な学齢前の男の子がいて、会社関係の男性の来訪が多々あり、その中に病歴があって招集を免れた若く魅力的な男性がいました。この家の美しい妻はこの若き男性を誘うのです。そして女中も気づくのですが、何度かの逢瀬があって、この街は空襲に遭い赤い屋根のうちは焼け落ちてしまいます。皆は生き延びても、この秘密をだれにも語らず女中は郷里に帰ります。

この物語「小さいおうち」は、直木賞を受賞した中島京子の小説を、山田洋次監督が映画化して、ベルリン国際映画祭で、金熊賞を受賞した(多分女中を演じた女性)ではないかと思うのですが・・・?

晩年のタキ(女中)が、大学ノートに綴った自叙伝{小さいおうち」で過ごした記憶が綴られていますが、奥様に忠実であったタキも奥様からの手紙を恋人に手渡さなくて (これはタキの独断) で今も開封されないまま残っているということが最終章に明かされていました。

 

 

 


下村観山展

2014-02-04 | 横浜美術館

近代日本画家・下村観山展が横浜美術館で開催されています。観山は幼少の頃から狩野派の伝統的な描法を学び、様々な古典絵画や西洋画研究を経て独自の気品ある画風を確立しました。又師である思想家、岡倉天心の理想に共鳴し、横山大観らと日本美術院の創立に参画したことでも知られています。

観山(明治6年~昭和5年)は、紀州徳川家に仕える能楽師の家に生まれました。幼い頃から狩野芳崖や橋本雅邦に師事して狩野派の描法を身につけ、明治22年に東京美術学校の第1期生として入学しました。そして日本美術を代表する画家の一人として、新しい絵画の創造に力を尽くしてゆきました。更にイギリス留学による西洋画研究の成果を加味し、気品ある独自の穏やかな画風を確立したのでした。

   

   

上記2双は代表作「小倉山」ですが2色の絵画を手に出来ましたので、添付してみました。展覧したものは、双方の中間あたりの色であったかと思います。「小倉百人一首」・平安時代の貴族であった藤原忠平が歌った「小倉山 峰のもみじ葉心あらば、今ひとたびのみゆきまたなむ」の歌意を描いている・・・散りゆく紅葉を眺めているのは忠平公であろう。複雑に交差した木々や蔦、紅葉が調和する優美な作品。明治42年の国画王政研究会展覧会に出品されました。

100有余の絵画は、感嘆するばかりでしたが面白い繪にも出会ってその一つ2つを・・・

豊太閤  太閤秀吉が孫のような幼子と戯れている図。(淀殿との子であろう・・・と。)

魚藍観音  「モナリザ」を土台とする・・・とあり賛否両論のあった作品。

楓     人物ばかりではなく、大型の作品が多く圧倒され続けました。

下村観山のみならず、他の絵画、美術展示も拝観して館外に出て美術館に名残を惜しみました。