花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

第七回 富士山麓ぐるり一周

2011-05-28 | 里山 森林行
 
 【富士山本宮浅間大社】

 <<本殿>>

大震災で中止や延期で順序が変わり、今月は2回冨士山麓巡りが出来て埋め合わせをしていただきました。緩やかな上りにもかかわらず、又歩行距離も前回より長くなったのに疲れも足の痛みもなく幸いでした。

富士山の麓にはいったい、いくつの市町村があるのでしょうか。夫々我町こそはと「浅間大社」の壮麗さを競うかのごとく圧倒されてしまいます。

 <<国指定特別天然記念物 湧玉池>>
   

 この池は霊峰富士の雪解けの水が溶岩の間から湧き出るもので水温は13℃。
 湧水量は1秒間に3.6キロリットル(約20石)で、年中殆ど増減がありません。

  つかふべき数にをとらむ 浅間なる御手洗川の そこにわくたま  平 兼盛

 <<鳩 神の使いと言われて>>
     

 【本門寺】
 
 

日蓮聖人の高弟 日興上人が1298年に創建した古刹。
 
 <<本門寺五重塔>>
           
 この五重塔は明治43年(1910)12月15日の消失まで現存しました。
 「本門寺五重塔」を約十分の一のスケールに再現したものです。
 高さ33m、約30m2 東海随一の大宝塔でしたが現在は礎石を残すのみです。

前回 源頼朝の巻狩を記しましたが、丁度その時 曽我兄弟による親の仇討で工藤祐経は、陣屋で殺害されました。すぐに兄弟は捕らえられ処刑されます。
祐経はこの地に葬られひっそりと、守られてきました。
又 頼朝の命により曽我兄弟の霊を慰めるために曽我八幡宮が建てられています。
 
 
 <<この辺りでは右手に長時間、冨士山が大きく見え続けて、幸せな気持になっていました>>  

 
 <<尚も歩いていると前方に、大きく「駒止の櫻」・・頼朝が馬を降りた場所の櫻。今も大きく美しく咲き競います>> 

 【白糸の滝】
  
          

大小の滝が絶壁から一気に流れ落ちる白糸の滝。水しぶきが白く煙り爆音が響き渡ります。富士山の雪解け水が創り上げる山麓最大の滝です。
       

第五回 富士山麓ぐるり一周

2011-05-15 | 里山 森林行
 <<忠ちゃん牧場からスタート>>
     

昨年の12月以来富士山麓行きが長らく途絶えていました。
真冬の2ヶ月は当初から計画はなく、暖かさの兆しの3月から再開と云う予定でしたが大震災で4ケ月を待ち続けて・・・1年以上を要する計画ですが全て欠けること無く参加できるよう望んでいます。
太宰治は富士山には「月見草がよく似合う」と言いましたね。「水仙は如何でしょう」

忠ちゃん牧場から北方に、富士山資料館が見え隠れしていますがこれから訪れるところなのです。
  
  【富士山資料館】
 


 ★富士山の噴火史ーWikipedia
富士山は最近10万年で急速に大きくなったと考えられており、その意味では「若い火山」に分類される。現在見えている山の外観は約1万年前から噴火活動を開始した新富士火山であり、その下に約70万年前から活動していた小御嶽(こみたけ)火山と約10万年前から約1万年前に噴火した古冨士火山が存在する。

         
噴火年表を写してきましたが見づらいもの・・拡大鏡でやっとですが。
 
 ★神輿
    
御神輿(おみこし)は神霊が本社より他所に渡御する際の乗り物で、正しくは(しんよ)と呼びます。種類は多様で四角・六角・八角と複数美麗を極めた物もあります。
上記の神輿は須山浅間神社の宝物で昭和42年まで使われました。

 ★富士山に関わる地図や寫眞、動物 生活道具 来歴等程よい広さ 富士山を知る上で様々な工夫がなされていました。
    
  【十里木別荘地】

富士山の南麓2合目、標高1000メートルに位置する十里木高原は人気の高い別荘地です。冨士をバックに木立の中に建つお洒落な別荘を見ながら歩きます。敷地が広く人気の感じられない家、手入れが行き届いて花々が飾られている家、冬はかなり寒さが厳しいようです。
  
       ★別荘その1
       

       ★別荘その2
       

       ★別荘その3
          

  【頼朝の井戸】

頼朝の井戸と称されるところは広大で、ミズナラの巨木やブナ、ケヤキ等の原生林が広がり自由に入っていけるところでもありました。
  
建久四年(1193)将軍源頼朝は武威をを天下に誇示し、且つ将兵の士気をも鼓舞せんものと、駿河國藍澤(御殿場地方)から冨士野に亘る広大な富士山の裾野で大規模な巻狩を催しました。
吾妻鏡によると巻狩は、5月から6月までの1ヶ月に及び、直属の北条義時、畠山重忠、三浦義村、和田義盛等、一万一千騎を従えて狩猟や酒宴に明け暮れたのです。
頼朝の井戸も本陣跡と共に、巻狩の遺跡の一つで往時は巨大な巖間から湧水が小湖をなしていました。その清冽な湧水を汲んで蘇生の思いだった将軍は、手にした朱の椀を池に沈めて水神に献じたと伝わる。
  
 (東屋いっぱいに石囲の井戸があります)

       ★十里木関所跡
        

  【丸火自然公園に向けて歩く】

日本一の富士山の麓はさすが「日本一の山麓だなぁ~」と思いつつ、2万歩以上を歩いたのですから今日よりも明日、明後日が思いやられます。道幅も広く起伏もなだらかなのですがさすが長距離。ウォーキングリーダーの同行で随時ストレッチを入れていただくのですが次第に口数も少なくなって・・・しかし富士山が見えると元気がでますし、草花は少ないながら愛でながら最終章の温泉に入って人心地がついたのでした。

  ★森林墓園の側を歩いていて富士山をみ~っけ・・
  

  ★華鬘草
         

  ★ヘルシーパーク裾野は自家源泉100%の良質の美人湯・・だそうで
  
(左側に富士山があり、露天風呂からはバッチリ)