花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

第12回 富士山麓ぐるり一周

2011-10-27 | 里山 森林行

 表題の12回はこのシリーズの終了を意味します。しかし3・11の大震災で順序が崩れて私の場合、第6回を実行出来ず来月に復活が可能になっています。
この意味は富士山麓のシリーズが人気があり、エンドレスで続いているため その時を探し出して実行出来るようになっていて、完結終了した暁には表彰状と、副賞 そしてリーダーの賛辞と参加者の称賛を受けることになるのです。

  【御祭神: 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)】
 
 正しくは北口本宮富士浅間神社といいます。富士山麓を12等分し第一の地にしたのも
 納得できるものでしょう。
 ぐるり一周して多くの神社仏閣をを拝観したことになりました。





  【富士山の雄姿】



 頂上に雪はなく中ほどに雲を纏った姿は心に畳んで忘れまじ。

  【河口湖ミューズ館 与勇輝館】



河口湖を取り巻く道が高校生たちのマラソンコースになっていて、丁度その日に当って
賑わっていました。


  【六角堂】



振り向いて湖を見れば小さな島いっぱいに祠があり、好い眺めなので撮っておく。
背後に富士山が視界に入る 雲が消えて・・・ああ 今回もお天気に恵まれたらしい

  【御師 旧外川家住宅】

御師とは富士山の崇拝者に代わって祈りを挙げ、お札を配り、信仰登山の際には自宅を宿泊所として提供し富士信仰を広める役割を果たしていました。
上吉田地区は「御師宿坊の町」として賑わい、江戸時代の最盛期には100軒ほどもありました。県の文化財に指定されています。(お経が聞こえて・・テープでしょうか )



  【北口本宮富士浅間神社】 



見上げるばかりの四脚門はなんて素晴らしいのでしょう。本日一番に入場した時の北口本宮富士浅間神社から数時間かけてまた同じ名前の神社に入場することになりました。 全くの驚き。

最初の神社と見比べていただきましょう。




脇社が立ち並んでいます。

温泉で汗を流して一日が終わろうとしています。

『石橋山合戦』 跡へ

2011-10-08 | 鎌倉の四季
 
 
 《石橋山古戦場》
 
 1180年8/17 伊豆流罪中の源頼朝は以仁王の「平家追討令旨」を受けて挙兵する。
伊豆目代・山木兼隆を討って石橋山に着いた8/23、大庭景親の源氏追討軍(3000騎)
に遭遇、伊東祐親軍(300騎)との挟み討ちにあい頼朝軍は惨敗。

土肥実平の手引きで、頼朝主従は雨中箱根山を逃避行するのです。
8/28主従は真鶴・岩ノ浦から小舟で七騎落とし房総で三浦一族と合流す。

房総半島を北上して房総・武蔵の武士を結束しながら1ケ月後の10/6には、早2万5000騎を率いて鎌倉入りし10/20には、富士川合戦で10万騎の平家軍を破る破竹の勢いで、関東を制覇 わが国初の武家政権「鎌倉幕府」の足場を固める。

平安末期 早川一帯は相模平氏・土肥実平が城を構えて支配していました。
土肥一族は頼朝の挙兵を助け、石橋山合戦で頼朝を救い、その後の平氏追討戦にも活躍をします。その後備前・備中・備後の守護として中国地方を平定しました。
 
 《ねじり畑(先陣激戦地)》

 8/23の夜 頼朝の家臣・岡崎(三浦)義実の嫡男 真田与一義忠(15騎)は、頼朝軍の
先陣で、敵将大庭景親の弟・俣野五郎景久(75歳)と対決。一騎打ちで上になり首を取ろうとした与一の刀が血糊で抜けない。そこへ敵方・長尾新六定景が駆けつけ、後ろから殺害(25歳)するのである。
           
           
       ★与一塚 1190年伊豆山の岐路立ち寄った頼朝は、自分の
            身代わりで戦死した忠義の墓前に落涙する。

 
 《佐奈田霊社》

 現在石橋山の中腹に、真田与一の霊社はあります。与一の首を掻き切った長尾定景が
供養塔を立てる。天正年間になり真源和尚が菩提寺を創建し、後に佐奈田霊社として
現在に至っています。
                

                    
本殿には★頼朝の古文書(真田与一の功労に報い「魁秀明神」の号を贈る)。
     ★真田与一の石像と木彫像。★真田与一の組み討ち図。

 本殿に入場してお住職の流麗なお話を拝聴。
佐奈田与一のしるしを掻き切った本人・長尾定景が供養の庵を建てたことに、武士道を見る 思いがします。
祭神は真田与一義忠。痰の持病があった義忠は喉を守る神として・・飴を買ってみる。
     
   

尚 頼朝は真田与一義忠の菩提を弔うために、現在の横浜市栄区に「證菩提寺」を建立しています。当時は非常に広大な敷地でした。
 

 《分三堂》

 佐奈田与一の郎党・文三家安を祀る墓碑・供養塔。
 小田原城主・稲葉正則の家老で田辺権太夫信吉が建立した供養塔が家の中に祀られている。

          

              《金木犀が香る》

              

                《新幹線が眼下を一瞬で通過》