花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

油壺 「新井城址」史跡めぐり

2008-01-26 | 鎌倉の四季
                                【油壺湾】

鎌倉幕府の重臣、相模の名族三浦氏の城址を訪ねてきました。
桓武天皇から桓武平氏としての由緒があり、三浦半島に勢力を持った豪族です。

三浦氏は『前九年の役』で武功を揚げて 『三浦介』を称しました。
『保元・平治の乱』で三浦義明(大介)・義澄親子は 源義朝に従い敗れました。三浦一族は戦線離脱し落ち延びて帰国します。

1180年頼朝の挙兵に応じますが、『石橋山の戦い』に破れ安房に逃れます。この時和田義盛と共に功績があって、鎌倉幕府では大きな権力を持つに至りました。
しかし1213年和田氏は和田合戦で滅び、1247年宝治合戦で三浦氏も滅亡します。

その後傍流の佐原氏の三浦盛時により再興。戦国大名の相模三浦氏となりました。

時移り1516年相模平定をもくろむ北条早雲に攻められて、三浦義同(道寸)・義意親子は自刃。三浦氏は滅亡します。
この時の最後の『砦』が【新井城】でした。
     

城は三方を絶海に囲まれた要害でした。北条早雲に相模の要所要所をを奪われ、最後に逃れ来た拠点こそが、三浦半島の先端に位置するこの城だったのです。
早雲はこの堅城の力攻めを諦め、鎌倉に玉縄城を築き長期包囲(兵糧攻め)の策で3年の歳月を費やしました。
この城の南に位置する油壺湾の名前の由来は、落城時の凄惨な戦いのために湾が血に染まった様を表現したものだと言われています。

現在では 東大地震研究所のある鬱蒼と繁る木立のなかに浅く【外堀】が残るのを見るくらいです。
     

城址を後に下って行くと相模湾がのぞまれます。この城址を取り囲む砂浜が今は油壺ハイキングコースになっていて、手前は『荒井浜』。突端は『胴網海岸』(三浦義意の胴が落ちた浜)。この美しい2kmの海岸は又歩きたいと思ったほど気持ちのいいものでした。
     
     【荒井浜にて】
     

     【胴網海岸にて】
     

再度荒井城址に戻り『三浦道寸義同の墓』に参拝。
辞世の歌を聞く。
『討つものも討たるる者もかはらけよ 砕けて後は元の土くれ』

『三浦荒次郎義意の墓』に参拝。
小網代湾の崖上に供養塔がありました。

此処で解散でしたが、バスの便が良いので数名で城ヶ島へ向かいました。
烏賊の塩焼きに熱燗を頂いて寒さを吹き飛ばす事が出来ました。

強風に雲が散って小さく富士山が見えていました!

     
                            (10倍ズーム)




    



 

相模湾に浮かぶ霊峰富士

2008-01-17 | 鎌倉の四季
             【披露山公園からの富士・・見える? 見えない?】

一月中旬の「晴天・風・寒さ」の三拍子が揃って、富士眺望の絶好日和に巡り会えて皆晴れやかに集いました。
この日の「古都鎌倉史跡めぐり」は上記のタイトルの如く主役は【霊峰富士】なのです。

鎌倉駅東口を南下して【来迎寺(らいこうじ)】に参拝。衣笠城で戦死した三浦大介義明を弔うため、源頼朝が建てたと伝えられています。三浦一族の五輪塔や宝筺印塔が多数安置されています。今月末に三浦氏の「新井城址」史跡巡りがあるので良い機会でした。
     

鎌倉には隣接している所もある位に、10mも歩けば次のお寺に行き当たるくらい沢山の寺院があります。

【補陀絡寺(ふだらくじ)】は頼朝が鎌倉に入った翌年に祈願所として創建されました。開山とされる文覚上人は元は武士で、誤って源渡の妻袈裟御前を殺してしまい罪を償うために出家、苦行の後神護寺の再興に尽力しますが、後白河法皇と意見が合わず伊豆に流され、頼朝と出会い親交が始まったと言われています。
内部を拝観しましたが、ご本尊は11面観音菩薩で沢山のお像が祀られていて、頼朝もありましたがいつもの気品ある風貌ではなく戦う武士のお顔でした。
此処から先は海沿いの道を歩く事になりました。

【和賀江嶋(わかえじま)】日本最古の築港で鎌倉の海上交通の表玄関(裏玄関は六浦の港)。貞永元年(1232)三代執権北条泰時の時代に25日間で完成しました。
長さ200m、幅40mの突堤で 六浦港と相携えて鎌倉への物資の集散、対外貿易に力を発揮したものと思われます。今も海中に僅かに石積みが見られます。
          

古い築港に隣接して近代的な逗子マリーナが現れました。海中を埋め立ててスペイン風の瀟洒な建物が立ち並んでいます。此処を抜けて山側の急坂を登り詰めると【大崎公園】です。海を隔てて見える三浦半島や伊豆半島、箱根連山、富士山など湘南随一の景勝地です。 
同じくらいの高度を進んでゆくと、湘南屈指の披露山邸宅を抜けて【披露山公園】に到着です。此処からも大崎公園と同じような眺望を味わう事が出来ました。
披露の名前の由来は 「鎌倉時代将軍に献上物を披露する所 或いはそれらの役人の住まう所」 からでした。
ここでお弁当でしたが椅子とテーブルのある屋内を使用出来て「流石!」でした。

【太陽の塔】
披露山公園を後に再び国道に下りて行きますが、其の途中に石原慎太郎氏の家があります。今は管理人が居るのみのようですが。
クルマの通行が多いので海岸の砂浜を歩く事になりました。真冬の海にヨットが何隻も浮かんで絵になっています。
《太陽の季節ここに始る》と書かれた記念碑。
石原慎太郎作「太陽の季節」の芥川賞受賞50年を記念して、平成17年に完成しました。この記念碑から丘の上の石原家が見えます。               
               

【蘆花記念公園】
四季折々の草花や深い緑に囲まれた桜山にある公園です。道の傍に徳富蘆花の「自然と人生」からの抜粋が立て札にして随所にありその一枚をご覧頂きましょう。
     

「徳富蘆花の文学碑」 
          

【葉山マリーナ】
葉山は日本ヨット発祥の地といわれています。ヨットが鬩ぎ合って係留されています。
               

スタートからここまで7km余、出発の際「今日はもう歩きたくな~いと言う程歩いてもらいます」と言われましたがホント少し疲れましたが、でも心地よい疲れでした。

英連邦戦死者墓地

2008-01-12 | Weblog
                           【英連邦戦死者墓地】

先日『横浜こども植物園』に行きましたが、その一帯に児童遊園地に隣接して広大な『英連邦戦死者墓地』があります。
入り口の門から続く石畳の道を下ると装飾された第二の門から自由に入る事ができます。

その日は人一人いなくて黄色い芝生の墓地が広がっていました。
この墓地には当時の英連邦諸国・・・イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インド、パキスタン・・・の他、アメリカ合衆国とオランダの各国戦没者が葬られています。尚太平洋戦争の戦没者ばかりでなく、朝鮮戦争やベトナム戦争での戦没者も加えられました。

以前には一般公開されていなかったのですが、エリザベス女王夫妻が参拝したのを機に解放されるようになり、ダイアナ妃やサッチャー主相も訪れた事が知られています。

入り口近くに下記の文字が掲げてありました。
『1939-1945 この共同墓地の土地は第二次大戦で亡くなった陸・海・空軍戦没者の永遠の安らぎの場所として日本国民から贈られたものです』
『墓地の維持管理は英連邦戦死者墓地委員会が諸国に代わって行っています』

次の写真のような刈り込みで各国の墓地が区切ってあります。少し歩いたのですが余りの静けさに他の国には行かず退出いたしました。

  

横浜 こども植物園

2008-01-10 | Weblog
                             【メタセコイア】

お花の無い季節には温室を思い出すのですが、沿線にある植物園は「こども」向きだと思っていたのですがnetで見てみると、お散歩に好いかもしれないと行って見ました。
起伏が上手く利用されていて狭いと言われつつも楽しむ事が出来ました。

石造りの重厚な門を入ると下り斜面に【メタセコイア】が稜線を綺麗に並べて天を突いています。
300万年ほど前に絶滅したと思われていて、化石植物と言われていました。

左手の平坦な一番広い所に【バラ園】がありますが、春に再訪する事に決めました。
     

【メンデルのブドウ】
エンドウの交雑実験で遺伝の法則を発見したオーストリアの植物学者メンデルは、ブドウでも交雑を計画し何種類かのブドウの品種を修道院に植えていました。
1913年にメンデルゆかりの地を訪れた植物学者三好学博士は、記念にその一枝を譲り受けて送ってもらいました。
小石川植物園では「メンデルのブドウ」として栽培し、当園に寄贈されました。枯れ枝のような先端に数枚の葉が残っていました!
     

ブドウなどの果樹が緩やかな勾配の畑に、今は殆どが葉を落として春を待っています。其の中で【ブルーベリー】が鮮やかでした。
     

【ニュートンのリンゴの木】
イギリスの物理学者アイザック・ニュートンが、万有引力を発見するきっかけとなった彼の生家のリンゴの木は、1814年に枯れてしまいましたが枯れる前に接木したものがイギリス国立生物学研究所及び 他にも植えられていて、研究所所長サザランド卿から日本学士院院長柴田雄次博士に送られてきた苗が、接木繁殖してその内の一本が当植物園に寄贈されました。
     

果樹園を背に登り勾配を歩いていると、散り敷いた枯葉を集めている人達に出会いました。腐葉土を作るのでしょうか。
左手の平坦な土地にコの字型に垣根の植物が見えています。数点を貼付して見ましょう。
【ヒイラギモクセイ(モクセイ科)】
ヒイラギとキンモクセイの雑種と考えられ、丈夫で日陰にも強い。
     

【サネカズラ(マツブサ科)】
常緑の蔓植物。日向 日陰どちらにも向く。別名ビナンカズラ。
     

【ムベ(アケビ科)】
常緑の蔓植物 葉陰に白緑色の花を付け実は食べられる。
     

もう一段高い所に薬草園がありました。
【なぎなたこうじゅ(枯れていますが面白い形をしています)】
葉 茎は利尿、発汗、解熱薬として使われます。
     

【メギ(メギ科)】
目の病気にこの枝を煎じて洗眼します。目木。
     

【リュウノウギク(キク科)】
葉を揉むと竜脳(ボルネオ樟脳)に似た香りがします。高級香料や薬剤とする。
野菊に分類され、花色は冬になると淡紅色に変わる。
     

【クチナシ(アカネ科)】
実を薬や染料にします。熟しても割れて口を開かないので口無しと名付けられた。
     

次に興味のある形や謂われ 始めて出合った植物を載せてみます。
【ウグイスカグラ(鶯かぐら)スイカズラ科】
鶯の啼く頃に咲き始めるそうです。今は2~3個だけ咲いていました。
     

【ナギイカダ(ユリ科)】
葉の先端は棘で葉は枝が変形したもの、その一部から花が咲き果実を実らせる。
     

【コトネアスター(バラ科)】
又の名を”オータムファイアー”と呼び、地面を這って伸びて鮮紅色の実を沢山付けます。
     

植物園の第一目的は、温室の花たちを見たいためでした。かなり下のほうにガラス張りの家が見えていますので、では取って置きの温室にいざ!
四方がガラス張りの扉を開けて オャッ 先ず殆どがサボテンで埋まっていました。いいでしょう・・・私の思い違い。誰も花がありますよなんて言っていないのですもの。
【温室のサボテン】
     

植物たちをユックリ見ていて、お正月の慌しさを洗い流してもらった気持ちになりました。冬枯れの植物園も又良きかな・・・かな。  




謹賀新年

2008-01-01 | Weblog
                     【駒ケ岳にて ’07 11 27 撮】


お正月は数知れなく迎えましたが、今年も前向きな気持になれたことがなにより嬉しい。

blogを充実すべく意欲を掻き立てて見ようかなと思ったところです。

ある時気付いたのですが、アクセス・ランキングと言うのがあって「ああこんなに訪ねて頂いているのね!」と感動しました。
そしてこの感動が、原動力になって不思議な不思議なweb siteに魅了され続けているのです。

元旦にお訪ね下さいまして有難うございました。
楽しい一年であることを祈念いたします。