花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

神武寺と晩秋の鷹取山

2014-12-16 | 登山

横須賀市の鷹取山は、何時でも行けそうでいて未だそのチャンスに恵まれないでいたのです。知人に登った人は数多く、皆気軽に登られたように聞いていたので、ようやくその日が来たかと喜んだのですが、年を重ねすぎて厳しいものがありました。でもでもやっぱり嬉しい!

       

    神武寺【天台宗】

  天台宗の古刹。鎌倉宝戒寺の末寺。神亀元年(724)聖武天皇の勅願により、行基の創       建とされる。1183年ころ、源頼朝が平氏討伐を祈って坊舎を造営し、文覚を住持とする。客殿には、鎌倉後期作と言われる阿弥陀三尊が祀られている。不動明王立像及び十一面千手観音菩薩像は、鎌倉国宝館に寄託中。

弥勒櫓 一番奥の「みろくやぐら」で鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の雅楽所の首長だった中原光氏の墳墓窟。石造りの正応3年銘の弥勒菩薩坐像が安置されている。埋蔵者の明らかな「やぐら」は珍しく鎌倉八幡宮国宝館にある「はだか弁天]の右足裏に光氏の名が刻まれている。

薬師堂(本堂)                                               行基が創立したと言われる本堂(薬師堂)。本尊は薬師如来坐像で、日光・月光菩薩が脇侍として祀られている。毎年12月13日に「お祓い法会」があり、この時お祓いが出来る。

          

 私達はこの日にお参りしたので、上図の僥倖に出会うことが出来ました。はじめの写真に   本堂で大屋根の中央に大きな飾り瓦が建造されていて、何度見てもこれ程のものは見たことがないと思うほどの巨大さで釘付けになってしまいます。そして 神武寺のさらなる山に登ります。朱塗りの茅葺の四脚門が現れ、 その奥に薬師堂の威厳のある姿がありました。              

 ここからがいよいよ建物の無い山に向かうのでした。山の頂上にいきなり立っている感覚です。文物はいきなり眼下なのです。私は10年ぐらい山歩きをしましたが、久々の山は嬉しさと共に怖さもありました。滑りそうな岩肌をステッキ一つ持たず歩くのですから・・・

この状態が1時間位続いたでしょうか。違う違うと何度心で叫んだでしょうか!    

         

 しかし楽しいところに差しかかりました。垂直の岩肌にしがみついて登っている若者たちがいたのです。それは左側の斜面で隠れていますが、10名位で競い合っていました。その麓を迂回して反対側へ廻ることで、右側の展望台に登ることが出来るのです。そこからは東京湾が広がっていてベンチでお弁当も頂けたのでした。

そして山道も次第に歩きやすくなり、階段を下るようにさえなっていたのです。

         

   磨崖仏は、逗子市在住の実業家川口満氏の熱意に、横須賀市佐原在住の彫刻家藤島茂氏が協力し、昭和37年ころに制作した「弥勒菩薩」(4m✖8m) 巨大な彫像に圧倒されました。

この後も暫く山の頂上部を歩いていると、水道設置がコンクりーとで覆われて延々と伸びていることに気付きました。高低を利用してしかもその上を歩きやすくしていることに感銘し、横須賀をもっと知りたくなっているところで~す。   


大楠山へ

2014-01-17 | 登山

念して久しいのですが、近くだけど行っていないなあと思うと、無性に行きたくなって計画し

 

ていると大雪になるらしい・・・こうなったら雪も楽しいかも!身支度は全て揃っているからラ

クラク。

横須賀に近い横浜から電車を乗り継いで一時間ぐらいで集合場所に。50名ぐらいの男女・まあ私は年長組でしょう。

     

準備運動もそれなりにシッカリと。初参加者はきれいなリボンを身につけて・・・目の片隅に入れておいて頂けるのでしょう。遊園地のような坂道を登り続けていると「衣笠城趾」が目に入りました。

                           

 ここで衣笠山公園の石碑と違うことに気づきました・・・解説はないし参加者は皆ご存知のことなのだと思い帰宅して調べたところです。薄暗くこのようなことは多々あることでしょうと‥‥‥思ったことでした。

大楠山は三浦半島の最高峰(242m)で、阿部倉コース  衣笠コース  大楠芦名コース 前田橋コース の総称にもなっていて、4時間くらいかけて、アップダウンも数多く久しぶりの登山に疲れてしまいましたが、昔とった杵柄で頑張らなければなりませんでした。

     

     

     

遠く 近くの眺めにも楽しみもあり、冷たいお弁当にも熱いお茶でなんとか乗り切れました。

これからも少しは歩こうかしら・・・の思いも出来たところです。


大楠山へ

2014-01-17 | 登山

登山は断念して久しいのですが、近くだけど行っていないなあと思うと、無性に行きたくなって計画していると大雪になるらしい・・・こうなったら雪も楽しいかも!身支度は全て揃っているから大丈夫。

横須賀に近い横浜から電車を乗り継いで一時間ぐらいで集合場所に。50名ぐらいの男女・まあ私は年長組でしょう。

     

準備運動もそれなりにシッカリと。初参加者はきれいなリボンを身につけて・・・目の片隅に入れておいて頂けるのでしょう。遊園地のような坂道を登り続けていると「衣笠城趾」が目に入りました。

                           

 ここで衣笠山公園の石碑と違うことに気づきました・・・解説はないし参加者は皆ご存知のことなのだと思い帰宅して調べたところです。薄暗くこのようなことは多々あることでしょうと‥‥‥思ったことでした。

大楠山は三浦半島の最高峰(242m)で、阿部倉コース  衣笠コース  大楠芦名コース 前田橋コース の総称にもなっていて、4時間くらいかけてのアップダウンも数多く久しぶりの登山に疲れてしまいましたが、昔とった杵柄で頑張らなければなりませんでした。

     

     

     

遠く 近くの眺めにも楽しみもあり、冷たいお弁当にも熱いお茶でなんとか乗り切れました。

これからも少しは歩こうかしら・・・の思いも出来たところです。


日光 鳴虫山 へ

2009-05-23 | 登山
                         【鳴虫山の落葉松と躑躅】

浅草を7:10發の快速電車は、2時間少々で東武日光駅に到着です。そして日光 鳴虫山の登山口まで徒歩で行ける程の街並に、山が迫り来ている自然を感じ、しかも世界遺産のある文化都市・観光都市でもあります。

今回目的地の標高が1103m 日光駅が海抜600m。この高低差700mを歩くのです。
山に雲が掛かると雨が降ると言い伝えられて山名にもなっているとか・・今日は快晴の予報。山中は緑滴る涼やかな風を受けながら尾根道を辿りました。

片側は杉や檜の針葉樹林帯 反対側は広葉樹林帯と2分されています。今までもこうした植栽を多く見て来た事に気付くのでした。


登るほどに左右から大木の根が地表に現れ出て大蛇のよう。先月の登山で膝関節症になってしまって、この急登は辛く不安がよぎります。
木の間隠れに日光の市街地が見えています。その上方に女鋒山や男体山の稜線が連なっていました。

     【大谷川(ダイヤガワ)が中央を貫いています】
     

ダイヤガワとは宝石を連想してしまいます・・・
喘ぎながらも一歩一歩前進していれば、頂上に立つことが出来ました。

【鳴虫山々頂の集合写真 T・M氏撮影】


山頂の展望台は広くてお弁当の椅子に最適でした。
ここから下山になりますが、急坂を下りつつもアップダウンが用意されていて、登りに引けをとらず細心の注意が必要でした。
期待していたヤシオツツジは遅かったようですが、途中で一箇所だけ咲いていて トップページの落葉松林に花を添えていました!

やがて期待していた『含満ヶ淵』に到着です。山中から見た水涸れの大谷川の上流は水しぶきを上げる激流だったのです。

【大谷川の上流 その一】



【大谷川の上流 その二】


川沿いを下っていると、地蔵が沢山並んでいます。道を挟んで左右に、片側だけに、お雛様の壇飾りのような所も・・一体何基あるのでしょう? 『並び地蔵』『化け地蔵』とも呼ばれ、何度数えても数が違うらしいのです。

【並び地蔵(化け地蔵)】


尚も行くとお寺の境内を進んでいました。山中の花は終わっていましたがここに来て楽しむことが出来ました。

【白躑躅を愛でる一行】


【赤躑躅も山際に】


一旦は取りやめにした温泉に「まだ陽も高いし」とタクシー3台で行くことになりました。途中『田母沢御用邸』を過ぎ『東大理学部植物園』を左に見て、川越えの山裾に大きくて立派な『やしおの湯』があり、至福の時を過ごすことが出来ました。
ここを始発にバスが日光駅まで往復していて、乗り込んできた高校生の日光訛りが楽しかったです。


金時山 へ

2009-04-18 | 登山
                        【猪鼻砦跡から見た金時山】


数日前までは予報は雨。近ずくにつれて前倒しになり早朝から満身に陽を浴びての久々の山行です。
箱根外輪山の最高峰 金時山(1212.5m)は、沢山の登下山ルートがありますが、今回は御殿場駅からバスで乙女峠→乙女茶屋→長尾山→金時山と登るにつれて、真っ直ぐな急登の印象でしたが2時間チョットで山頂では、体力不足を意識せずにすみました。

『乙女峠は湖尻峠、長尾峠と並んで富士見3峠の一つで、御殿場の街の上に長く尾を引く富士山は素晴らしい眺めです』 とリーダーはメッセージを発信されました。 しかし上空の青空に反してついぞ姿の片鱗も見ること與わなかったのです。
が 吹く風は心地よく神山や駒ケ岳の裾野の先には芦ノ湖や仙石原ゴルフ場、家々が箱庭のように見えています。


やがて金時山々頂が急登の最上部に見えてくると、赤茶けた噴火岩石が砦のように立ちはだかり、巨大な鴉に行手を拒まれているかに見えたのですが、私の誇大妄想だったのでしょう。何事も無くお弁当にありつくことが出来ました。

頂上からの帰路は等間隔に3方向あって、私達は北側の急坂で今ではアルミの綺麗な梯子が架けられていて、かなり緊張を要するところです。(以前は梯子ナシだったと聞くと、誰でも登ると言う訳には行かなかったことでしょう)

暫くすると緩やかな道になってきました。
あちらこちらに豆桜が咲いていました。富士山周辺に見られるので富士桜とも言われています。

【あっ 富士桜!】


【桜の下を行く一行】 
     

暫く行くと辺りが明るく開けます。『猪鼻砦跡』の表示板があって左手遠くに富士山が遠望できる所でもあります。

【猪鼻砦跡の眺望】


2006.9.上旬  この道を登った時は富士山が少し見えていたのですが、頂上では隠れていた体験がありました。 焦がれるほどにつれないな~・・・

【シャッターを押してもらった時には・・・少~し見えているでしょう?】
       

さぁ 下りで時間を稼ぎましょう。鬱蒼とした森林を気持ちよく歩いて 川の流れの中を石を伝って対岸に渡り夕日の滝に到着です。迎えのタクシーで山北駅からは
流れ解散ですが電車の中も話は尽きないのでした。
リーダーさん サブリーダーさん 下見をしていただき楽しい良い登山を有難うございました。        

冬の西沢渓谷 

2009-02-22 | 登山
                   【七ツ釜五段の滝上部 K・M氏撮影】

我「山水会」の番外編を企画していただき、奥秩父の秘境『冬の西沢渓谷』の雪と氷の世界を探訪してくる事が出来ました。
春から秋のシーズンには多くの人で賑わうこの渓谷も、白く凍結した静寂の世界に 我々8名と完全装備の撮影目的のお2人以外には誰一人出合わない、緊張の時間を共有したのでした。

山梨県の北部と、長野県・埼玉県に境を接し奥秩父連峰を源流とする笛吹川の上流を流れ落ちる起伏に富んだ渓谷は、飛沫を凍らせ氷華をつくり我々の行く手を阻むのでした。

「山水会」は2~3000mにも登りますが、危険の伴う冬山は予定の無いことが多いいのです。今回会長はアイゼンを着用すれば行けると踏んで西沢渓谷行きを計画されました。
登山道への導入部は広く美しく整備されています。空は雲無く晴れ渡り落葉松が高々と垂直にのび、川の流れに沿って腐葉土の道が緩やかに上向いていました。

【落葉松林を行く】


次第に泡立つ川になったと思う間もなく滝が現れました。
【三重の滝】


この辺りまで来ると、川は飛沫を上げ急流となり比例して道も急坂になってゆくのでした。道には雪は解けているものの氷の滑り台状態が出現し始めていました。
こうなればアイゼンのお出ましです。何年ぶりかの装着は思うに任せずまどろかしいものでした。しかしなんという優れものでしょう。サクサクと好い音を響かせて一歩たりとも仕損じが無かったのでした。
急流に目を向けると「なんということ!」氷の花が輪舞しているではありませんか!!「なぜ?こんな事が?」色々な条件が重なったからでしょうか。

【輪舞する氷華】


川の流れの右側は肩すれすれにツララが分厚く迫り出しています。
【歩道に突き出した氷柱 M・M氏撮影】


ここまでくれば折り返し地点の、「七ツ釜五段の滝」もまじかです。滝を眺める橋は行き止まりになっていました。雪の頃は危険なのでしょうか。この長大な釜と滝は一度にカメラに収めることは不可能なのです。
トップの写真は上部になります。

同じ道を引き返し温泉に浸かって良い一日でした。写真を使わせていただき有難うございました。

新年会

2009-01-09 | 登山
             

       


 我登山会『山水会』の新年会が行われました。
いつもは浜松町の或るビルの一室を拝借して、隔月の例会で登山の反省の後、次の登山の説明があります。          
今回は新年のため その前に顧問・会長・副会長・リーダーが新年度4月からの年間計画を立案されるべくその数時間前から協議をされて、来年度の予定表が出来上がったところに、全会員が集合いたします。

新年初の例会は華やいでいました。シニアの会ですが山を愛し 生き甲斐にしている人達ばかりなので年齢を感じさせない心意気を感じます。
2001年の発足で8年の歴史が刻まれました。 

会議が終了しますといつもなら駅近くで 「ウガイ(チョット一杯)をして帰りましょう」 となるのですが、年の初めに相応しいところにお席が設けられていました。黄昏近く海岸方向の 竹芝賓館 つきじ「植むら」でお正月にふさわしい部屋飾りや 華やぎのお会席料理と何種類もの飲み物ですっかりリラックスモードになって 「なんて楽しい人達でしょう!」 と思ってしまいます。

窓外はすっかり夜の帳がおりて浜離宮公園の灯りが瞬き、その先・先とビル灯りが水面に映って幻想的でした。
                        
                    
                                   


           

大菩薩嶺 へ

2008-11-15 | 登山
                     【まゆみの樹氷・・大菩薩峠にて】

私たちの会で3度目の計画で2度も登ることになった山(2056.9m)。
いずこの山でも100回・200回と登る人は多勢いますが、登山暦のない私が2度登ることは大変意義があり嬉しい限りです。

空模様が怪しく雨具装着で出発です。上日川峠でチャーターバスを降ります→福ちゃん山荘→大菩薩峠(介山荘)へと向かう頃には、もう雨とも霰ともとれるものが降りかかっていましたので市営の休憩所で早目のお弁当になりました。
 
汗をかいているのに寒さがあり、もう一枚セーターを羽織る助言を頂いて以後快適でした。
【辺りの風景】


中山介山の『大菩薩峠』や、深田久弥の『日本百名山』の文学作品によって、どれだけ多くの人を呼び寄せて来た事でしょう。
又富士山の美しさ 大きさも賞賛されているにも拘らず、私の二度はお仲間に入る事ができませんでした。
しかし樹氷を纏った風景には魂を吸い寄せられてしまいました。 特にトップ写真のまゆみには!

賽の河原とか雷岩と言うオロ恐ろしげな処を 花もなく、湖も見えずとも喘ぎながらも進んでいればやがて「大菩薩嶺」に到着する事が出来るのでした。

【大菩薩嶺への雪道】


標高2056.9mの頂上は、そこだけ樹木が切り払われたような眺望のない処で、記念撮影をされたり したりしていると先程までの軌跡を思い感慨が湧いてくるのでした。

【大菩薩嶺にて】
       

同じ道を雷岩まで引き返すと前方の空が明るくなり南アルプスが現れたのです。
歓声を上げたのも束の間 雲間に隠れてしまいました。しかしこのような状態が何度もあって、それぞれ私の一枚が撮れたことでしょう。

ここから道を替えて唐松尾根を下るのです。石ゴロの急坂道は難儀でしたが、風景は次第に明るく足取りも明るいものでした。

【上日川ダム(大菩薩湖)】


尚下るとやがて塩山の市街地が見渡せるようになり、遠く南アルプスも隠れなくなっていました。
【塩山市が一望に】



途中「大菩薩の湯」に浸かり、話に花を咲かせて八王子駅で解散でした。謝々。





磐梯山と蔵王山 へ

2008-10-26 | 登山
                   
                      【山波最奥の磐梯山へ いざ!】


紅葉の季節には必ず東北が候補に上がり、今年は深田百名山の2山に決まりました。
南浦和7:10集合 チャーターバスで東北道から磐越道と乗り継ぎ、磐梯山ゴールドラインの猫魔八方台から歩き始めました。目指すは会津を象徴する《磐梯山(1819m)》です。広葉樹海が目の届く限り秋色に染まり、上空は青く澄み渡っています。

【ブナの林】
     

山裾から垣間見た磐梯山は、余りにも遠く歩くほどに岩石の急坂で中々の手強さです。山頂下400mの弘法清水小屋からの磐梯は荒々しい牙を剥いています。
1888年(明治21年)水蒸気爆発により、大規模な山体崩壊と岩屑雪崩(がんせつなだれ)で現在の二つの峰になりました。
頂上は雲が流れていて猪苗代湖の眺望が利かず残念でしたが・・・

【磐梯山々頂裏面の荒々しさ (M・M氏撮影)】
     

【下山の風景】
     

下るにつれて周囲は華やかな色に変り、幼い頃に夕陽と戯れた事が思い出されてしばし郷愁を憶えていました。
今宵の宿はは磐梯表山麓の扇島温泉「玉の湯旅館」です。お風呂も料理も差し入れのワインも大変結構でした。明日早朝の出立もあることとて一時間を「山の歌」で締めくくりでした。


翌日は6:00 出發 磐梯高原IC~白石ICを出て蔵王エコーラインから刈田岳山頂で下車。
《蔵王は宮城と山形県境に約40kmにわたって貫かれた蔵王連峰の総称です。》「地球の中心で・・」と言う言葉がありますが、まさに刈田岳の中心から広大な雲海の彼方に 朝日連峰、飯豊連峰、吾妻連峰が浮かび上がっていたのです。
歩き出すと間もなく「お釜」が見下ろせました。火口湖で気象に依っては青・緑・赤褐色等に変わるそうですが、今日はエメラルドグリーンに見えました。

【お釜】


馬の背と言われる広い道を過ぎると、最高峰の熊野岳(1841m)に向かいます。赤く小さな祠がありその先に又雲海が見渡せる絶好の場所で記念撮影でした。

【熊野岳山頂での記念撮影 (M・M氏撮影)】
    

【遠く月山を望む】


ここからは下り道でしたが、大きな岩をかなりのスピードだったのでチョト大変でした。

【祓川コースから熊野岳を振り返る】


垂直に近い崖の中腹を非常に狭い道幅の所があり、要細心の注意でした。
そこを過ぎれば平坦で明るい湿原が広がり、やがて降雪にはゲレンデになるであろう草原を下ってロープウエイ駅に到着です。
昨日より大分北になる為山上の紅葉は終わっていたのですが、ロープウエイが動き出すと車窓は紅葉・黄葉で美しく彩られていました。

【蔵王山麓駅着での風景】


近くの蔵王温泉で身支度を整えると、東北道をひた走って予定より早く南浦和駅に到着でした。
何時も何時も予定を計画し計画書を戴き、説明会やメールも頂いてリーダーをされる方々には本当に頭が下がります。
運転手さんも安全運転をされつつも、予定時刻にも配慮戴き心から有難うございます。



  

浅間隠山 へ

2008-09-25 | 登山
                      【噴煙たなびく活火山 浅間山】

台風の余韻後の 稀に見る好天に恵まれて「浅間隠山」(1756m)に登頂する事が出来ました。
山の名前は読んでの通り上州側から見ると浅間山を隠してしまうからと言い、山容は美しく山頂からの眺望は一級だと聞いていました。
JR南浦和駅7:20集合 チャーターバス使用 参加15名 関越、上信越自動車道 二度上峠から登山開始です。

緩やかな登り道からの始まりは嬉しい。おしゃべりをしても息苦しくないのが何よりいいですし、細い道ながら足に優しい腐葉土で、樹木も適度の木漏れ日を注ぎつつ適当な明るさもありました。くま笹が丈高く藪漕ぎの様相になる所もあり7・8分目頃に来ると所々眺望が効きだしてワクワクの始まりでした。
標高千7百云々メートルはぐるり周囲の山の中央から360度の眺望を我が物に出来る醍醐味を味わう事ができます。先ず西南の噴煙たなびく浅間山は今日もおだやかです。そして東方の榛名山系は南北に行儀良く連なって全容を見ることが出来ました。そして一昨年の記憶を蘇らせてくれる鼻曲山が南方からグイとこちらに向かって大きく姿を見せてくれました。登っている時は決して己の姿を見せようとはしなかったのに・・あぁ このようにも見えるのですね。
【鼻曲山】
     

そして日本の山にしては、不思議な形をした妙義山が南方遠く見えているのに気付きました。上信越自動車道を通る時妙義山を大きく迂回するために、妙義が見え隠れするのを目で追い続ける事を何時もしてしまいます。
【妙義の見える遠望】
     

【立ち休憩をしている一行】
     

山頂で飽かず山波を眺め、撮って お弁当を広げました。
そして同じ道を下山です。登山口からは朝とは反対の西方に向かい、連休明けの温泉は休日が多くて、今日は特別にホテルを利用です。そしてお好みの飲み物で一時を過ごして、バスからは大きな妙義山を眺め 帰り着いたのは9:30頃でした。

高尾山 へ

2008-09-10 | 登山
                             【大都市の眺望】

この山行きでヒグラシの初鳴きを聞き、待たれる秋の訪れを共感した気分でした。
夏季は登山がないので今月末の山行きには、鈍った体を解きほぐす準備も大切です。今高尾山は大変な人気らしい・・しかも外国からもとか、そういえば何人かにお会いしました。

登山のベテランと二人連れで、「沢登り」を計画して貰い 始めての体験でワクワクしていました。ところが先日来の大雨で土砂崩れがあり通行禁止になっているではありませんか。
標高599mを海抜201mの清滝駅からスタートとすれば、ケーブルカー&リフト&歩いて3コース。途中分岐していて7コースと言う数え方も出来ます。
仕方が無いので稲荷コースを登ることになりました。大木が繁りながらも時折木漏れ日もあり涼風に吹かて、花撮りをしながら登るので、後からの人に追い越されっぱなしでした。 そうしていてもガッシリしたアズマヤ風の休憩所で追い越された人達にも再び逢ったりして、何時しか頂上に到達でした。
平日なのに程よい人・人で皆楽しそうです。ここでお弁当を広げました。

昭和42年に、明治100年を記念して『明治の森・高尾国定公園』となり、大阪の『箕面・国定公園』と結ぶ東海道自然歩道の東京側起点となりました。

ここより下りコースになり暫く進むと、朱塗りの立派な建築群に出会い圧倒されます。

【奥の院不動堂】
江戸初期 寛永年間の建造にて、当時の風格をよく今日に伝えています。S.28年東京都重宝に指定されました。
     

【薬王院飯縄(いずな)権現堂】
木造炭層、入母屋造り、銅版葺き。堂の周りに縁をつけ、組物・彫刻は彩色塗りを施し享保14年(1729)の建立。S・20年重要美術品に認定されました。
     

【四天王門】
門内には増頂天、持国天、多聞天、広目天の四天王が安置されています。

【仁王門】
本堂の前にある紅殼彩色の門。門の両側に阿形と吽形の仁王像。裏側に大天狗、小天狗の像が安置されいます。

【本堂】
薬王院の中心となる建物。薬師如来と飯縄(いずな)大権現が安置されています。

【大師堂】
お堂の周りに、八十八大師が祀られています。

【浄心門】
薬王院の表参道を登って最初に潜る門。
私達は山頂から下って最後に門を潜って退出しました。
     

稲荷山コースの登山道で高尾山ならではの植物を撮りました。茸が目立ちました。

【コウヤボウキ】
     

         【茸 蜘蛛に占領される】
          

               【蔓リンドウ】
                

     【ガンクビソウ】
     

          【ヤマホトトギス】
          

               【シラヤマギク】
               

今まで「リフト」が有るのを知らずに居ましたので乗って見ることに。他にも発見があり又行くことになりそうです。

奥白根山 へ

2008-08-01 | 登山
                         【戦場ヶ原の滝】

深田百名山は何時も奥深く高く、畏敬の念を持って迎える事になります。
標高2578mは関東以北にその上を行く山は無く 姿美しくその頂を目指すことになりました。
今では「日光白根山ロープウエー」で一気に上って2000mを稼ぎ、山頂駅からが登山の始まりとなります。東方を仰げば三つ並んだピークは霧に包まれて、いやが上にも不安と期待が入り混じるのでした。

南浦和を7:30マイクロバスでスタート その2時間前に自宅を出ます。
外環道→東北自動車道→佐野藤岡IC→足尾銅山観光坑道見学→日光中善寺湖畔→
戦場ヶ原→日光湯元温泉「実之屋」(宿泊)


【足尾銅山観光】
足尾銅山は慶長15年(1610)足尾村の二人の農民に依って発見されました。
江戸幕府直営の銅山として役割分担をして採掘 鍛錬は全て手作業で行われました。

《堀り大工の一例》
          
        
明治10年(1877)民官の古河市兵衛に払い下げられて民営化され、近代化が進められて急速な発展を遂げ日本一の鉱山になりますが「公害問題」が起きて、周辺に多大な被害を及ぼすことになりました。

昭和時代に入ると、機械化・合理化は更に進み労働環境も少しずつ改善されてゆきました。
1973年までに足尾の銅は掘りつくされて閉山し公害は減少しました。
そして足尾銅山観光が1980年にオープンします。
坑道入り口までトロッコ電車に乗って、構内の見学をする趣向でした。

     

【戦場ヶ原ハイキング】
勢いのある湯滝に佇み写真など撮り、平坦なハイキングを思いっきり楽しみました。
 《集合写真》
     

 《戦場ヶ原の花たち》
 「ホトトギス」「コバイケイソウ」「ハクサンフウロ」「ホサキシモツケ」「トモエソウ」  
   
       
            
                 
                       

【今宵一夜のお宿 「実之屋」】
日光湯元温泉で湯に浸かり散策などしてご馳走を戴き、一室に集って一頻り話に花を咲かせた後は山の夢でも見ましょうか・・・ 

【奥白根山】
冒頭に書いた如く身支度整えて、未だ一度もお姿を見ぬまま貴方に向かって歩き始めました。
朱塗りの二荒山神社に無事を祈り緩やかな森林の道は、涼しく爽やかで初対面の印象が三重丸でした!

森林限界を過ぎるとお花畑のお出ましでした。
「ニッコウキスゲ」「ミヤマオダマキ」
     
          

 《青空に映えるピークの一つ》
束の間の青空でした。頂上が見えて来ても比較的足場も良くて・・しかし写真で見ていた三瘤山容の一片も想像できなくて情けない思いでいました。
もう一度急降下してその倍くらい急登したところが最高峰らしい。よし!
大きな岩又岩のその上から会長の姿が見えています。手を差しのべられても一旦は自力を申し出たのですが、矢張りその手にすがる事になってしまいました。



  《五色沼 最高峰から見た色数はいくつでしょうか?》


  《五色沼を背にシラネニンジン》
               

  《崖っぷちでのお弁当》


  《心残りの花たち》
 「ゴゼンタチバナ」「ヨツバヒヨドリ」「ノコギリソウ」「コマクサ」
     
          
               
                    

【丸沼】
山麓駅から再びロープウエイに乗って「あぁ~ 登頂できた~」という感慨に耽る時でもありました。周りの景色が思い出されます。
温泉で汗を流し関越道から川越IC→JR川越駅で解散でした。謝謝。



田代山 帝釈山へ

2008-06-27 | 登山
                          【姫小百合の丘】

尾瀬国立公園の北東に位置する田代山(タシロヤマ1926m)・帝釈山(タイシャクザン2060m)は栃木県と福島県の県境に位置し、山頂一帯は広大な湿原が広がって無数の高山植物は木道で守られています。

一泊の山行なので余裕があって観光の付録がありました。
東北自動車を西那須野塩原ICから大内宿→塔の岪(ヘツリ)を巡り高清水自然公園の姫小百合の群落地を訪れました。
そして今宵の宿泊 舘岩村の湯ノ花温泉・和風ペンション「山の音」に到着でした。

【大内宿】
大内宿の本陣は会津と奥州街道を結ぶ拠点として江戸時代の初期に建てられ、会津藩主初代保科正之、二代正経の足跡の記録が残されています。
殿様専用の乗り込み(玄関)、上段の間、風呂、雪隠があり 茅葺屋根のどっしりとした風格が当時の面影を色濃く残しています。


広い道の両側に藁葺屋根の民家が軒を連ね、趣向を凝らした手造りのお土産を並べています。お人形を買い求めて庭先の椅子でお弁当を使わせもらう。道の中央に清流があり花々が咲き乱れています・・それが現代風の花なのでチョットつまらない・・・
          
               
          
               

【塔の岪(ヘツリ)】
巨大な石の塔が建ち並んでいる奇岩怪石をヘツリと言います。ヘツリはこちらの方言で川に沿った断崖、急斜面の呼称なのです。
     

【湯野上温泉駅】
会津鉄道にこの地に相応しい駅舎が有りました。


【高清水自然公園 ヒメサユリの里】
285号線を西方にバスは移動して「日本一のヒメサユリの里」へ向かいます。
高度を上げて山道をかなり登ると、7ヘクタールの草原に100万本のヒメサユリが自生しています。この花は種からの繁殖になりますので最低でも4年は掛かり花が咲き誇るまでには7~8年の歳月が必要なのです。
     
 
 
【湯ノ花温泉 ペンション山の音】
明日登る田代山に近く今宵の宿は我ら17名の貸切でした。未だ陽も高く温泉三昧には時間が沢山あるようです。
山に囲まれた温泉宿でまず一風呂 単純泉で透明なお湯に浸かると次はお散歩へ。男性陣はお風呂の梯子をされたようで、岩風呂の混浴がお気に入りだったようです。心地よい風に吹かれて川に向かいました。
           

夕食はテーブル一杯に並んだご馳走に何種類かのお酒も頂いて、早い就寝でした。翌朝は早めに目覚めると霧が深く立ち込めていましたが、朝食もお弁当も用意していただいて予定通りの出立でした。
猿倉登山口までは車幅一杯の道を蛇行しながら高度を上げて40分。イヨイヨです。 
昨日までの雨でぬかるんでいますが前進あるのみです。高山植物が見えていますが撮れる時撮れない時の繰り返しでした。鮮やかなピンクや赤色を見過ごさなければならない時の無念さは、体力の限界をイヤと言うほど味わう時なのです。樹林から僅かに見えた山容が来月の指標「奥白根」と聞いた時は、今撮らなければ次は無いかも知れないと遅れを覚悟で実行しました。
小田代湿原を通り越し樹林が終わるや広大な湿原が・・・アァ! 暫くは水平のこの台地で過ごせる~~。 

【マイズルソウ】【ミヤマシキミ】【ゴゼンタチバナ】 
     
          
               

【奥白根 】
 

【イワカガミ】【タテヤマリンドウ】【チングルマ】
      
          
               

【池塘 雪を冠る会津駒ヶ岳】


【オオカメノキ】【ヒメシャクナゲ】【サンカヨウ】【オサバグサ】

     
          
               

上記の写真を撮影して 帝釈山ではかなりぬかるみましたが、オサバグサの群落を延々眺めてこの花の事は決して忘れる事は無いでしょう。
馬坂峠の下山口でバスに迎えられ、運転手さんに美味しいお茶を入れていただき檜枝岐の「燧の湯」でサッパリとします。そして昨日の道を逆に辿ったのでした。皆様色々有難うございました。

南天山 へ

2008-05-24 | 登山
                               【落葉松林】

関東の大河荒川の上流部の支流中津川の、その更に源流地帯の枝沢 鎌倉沢の源頭に岩蜂をもたげる山、それが南天山である。奥深く訪れる人も少ない、どちらかと言えば玄人好みの山で、その北面に急峻なルンゼや刃のような岩稜をもっている。
変化に富んだ美しい清流の鎌倉沢を遡り山頂を目指します。登山道は近年良く整備されたので安心だ。
山頂からは両神山をはじめ、秩父周辺の山並や膨大な山容の和名倉山など、素晴らしい展望が開ける。一年で最も新緑の輝くこの季節、自然度の高いこの山のハイクを存分に楽しみたい。
《会長:羽田氏の計画書の冒頭の言葉です》

昨日までの嵐が収まって今回も幸運でした。
4時前起床 始発(4:54)の乗車は始めてでしたが戸外は既に明るい。
JR川越駅7:30集合 13名の笑顔に出会えていざ!

関越自動車道を川越IC→花園IC→国道140号線を中津川沿いに鎌倉橋までをチャーターバスで行きます。
鎌倉沢は水量も豊富でその岸辺は時に深く、時には水しぶきが掛かるほどに近付き
沢スレスレの丸太橋を、幾度渡ったことでしょう。
【方円の滝】の表示に出会って休息でした。
          

陽射しが差込み森全体が若々しい緑に輝いています。しかし何時もながらの花が見当たりません。もしかしたらほんの少し前まで雪を被っていたのかも。キットこれからなのでしょう・・・事前に少し調べると沢山の樹木の名前に出会っていました。
ミズナラ・ホオノキ・オオカメノキ・イタヤカエデ・ハウチワカエデ・シナノキ・トチノキ・ブナ・シデ・ハンノキ・ウツギ・ミツバツツジ・ハリギリ・ヤシャブシ・オオバアサガラ etc

尚も進んでいくと沢コースと尾根コースの分岐点に到着です。此処で20分の休憩にお弁当を半分食べてエネルギーの補給でした。
尾根コースが選択され沢の流れと決別してジグザグの山道を幾曲がりしたでしょうか・・腐葉土の優しい道から落葉松のフンワリと足ざわりの良い道に変わりながらも延々と続くうちに、体力が限界に達したと思ったその時休憩になり息を吹き返す事ができました。
しかしまだ先があったのです。右手に岩っぽい痩せ尾根が立ちはだかり、高度は益々鋭角になって遂に会長の手助けを受けてしまったのですが、そここそがピークだったのです。北東真近に100名山の両神山と対峙したのでした! 南天山1483m、両神山1723m。
【両神山】


立枯れているのは火事の後遺症です。全方向が見渡せる岩峰に両足でシッカと立っている実感を味わい、残りの弁当も味わってあの苦しさを洗い流せた思いでした。

【アセビ】が下山では目にとまりました。
          

今回の参加は13名でした。下りはみんなにこやかです。


沢下りの道では皆飛ぶように進んで、ふもとの温泉ではゆっくりと寛いで疲れを洗い流し、今日の良き日を心行くまで楽しむ事が出来たのでした。

御前山 へ

2008-04-27 | 登山
                        【小河内ダムとサクラ】

久々の山行です。奥多摩三山の一つ御前山(1405m)を目指しました。
まず青梅線の奥多摩駅に集合し、青梅街道をバス15分で奥多摩湖に着きます。
一度友人の車で来ているのですが、記憶と一致しないと思いつつweb siteで検索していて漸く縺れた糸がほぐれてきました。
奥多摩湖は多摩川の渓谷を小河内ダムで堰きとめた人造湖。その突堤の側をいきなり急坂の山に踏み込んだためだったようです。ダムを隔てた後方の山はソメイヨシノやヤマザクラ・オオシマザクラ等微妙に色合いを変えて咲き競っていました。

サス沢山→大ブナ尾根→惣岳山と急登に継ぐ急登で体力を消耗して動けなくなってしまいました。少し休むと遥か下方に青く湖が見えて漸く元気が出てきました。


山合の渓谷に造られた湖故に、湖岸は屈曲して驚くほど奥深く 空を写して青く美しく『気』を一杯に貰えたらしい・・・
そしてこの辺りから可憐な【カタクリ】がポツリ、ポツリとそして延々と咲き続ける光景は、人為的なカタクリの園を見ていた者にとって 新鮮でこれこそが本当の自然の姿だと感じ入った次第です。
          

【ミツバツツジ】も盛りを過ぎたかに見えますが美しい!


1400mの御前山はそう容易くは無かったけれど、乗り越えなければ次はない・・・
この辺りでカタクリはプッツリと姿を消して他の植生に変って行きました。
下り坂で元気を取り戻すと花撮りに夢中になっていました。
     【ケマルバスミレ】
     
               【ヨゴレネコノメソウ】
               
     【ヤマエンゴサク】
     
               【ニリンソウ】
               
     【ハシリドコロ】
     
               【黄ケマン】
               

やがて花々の咲く【栃寄集落】が現れて『こんな所に桃源郷があったのか!』と。あの苦しかった登攀を優しく拭い去ってもらった思いに、暫し浸る事ができました。


境橋バス停には多勢の乗客が詰め掛けていましたので、6人乗りのタクシーでお先に・・を致しましたが、料金はバスと変わりなくリーダーは良い選択をしてくださいました。