花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

”いざ奥州合戦” 鎌倉「中の道」を行く

2013-11-16 | 鎌倉の四季

 源頼朝は文治5年7月17日に奥州合戦のために、畠山重忠を先陣として、大軍を率いて[中の道」を使ったという記録が吾妻鏡に記されています。この時代の大船付近は湿地帯が多く人が通行できるところは限定されていたと思われます。

現在もその場所を特定するのはかなり難しいと言われていますが、「水堰橋」が「中の道」の出発点とされているそうです。

北鎌倉の駅から住宅街の細い道を北に向かい「中の道」を歩くことになりました。途中神社仏閣を色々拝観しました。「古都鎌倉史跡めぐり」は10年近くも参加していますのに、初めての行程で同行の人たちもそうらしくとても新鮮でした。そして自分の中で少し混乱したところもありました。

成福寺  「宗派」 浄土真宗  「本尊」 阿弥陀如来立像(一体のみ飾る)

       鎌倉で唯一の浄土真宗の寺院。入場しお側で拝観。

        

 厳島神社  「祭神」 橘姫命 応神天皇

       阿弥陀三尊の種子をつけた塔。 成福寺の鬼門除けの神社。 

       

  離山 この付近は沼地であったため、山の麓にそって道を通した。縄文時代には3つ  の島だったと思われます。  関白近衛房嗣の第三子の廻国雑記があります。「はなれ山といえる山あり まことにつずきたる尾の上も見え侍らねば 朝まだき 旅立つ里のおちかたに その名もしるき 離山かな」

  法安寺  「宗派」 浄土宗  「本尊」 阿弥陀三尊 

  弘法大師が一晩の間に、川原の石に爪でほったという伝説の観音像がが語り継がれ

  ている。この観音像は旧鎌倉郡三十三観音の一つでありました。 

          

  いたち川  鎌倉時代 この川は「出で立ち川」といわれ、幕府にとって交通上、軍事戦略上の重要なところであり、出発時安全を祈る儀式を実施しました。中の道の旧道は[水神橋」の位置でしたが、その後新道ができて、新しい橋をかけたので「新橋」(にいはし)に。吉田兼好法師集より

  「 いかに我が たちにし日より 塵のゐて 風だに閨を はらはざるらん」  旅先から京の庵を思いやった歌です。

 笠間中央公園遺跡  この遺跡跡は公園を作る前に発掘調査をして、弥生時代の竪穴住居が14軒、古墳時代の竪穴住居が19軒、奈良時代の竪穴住居が11軒見つかりました。 又鎌倉時代以降に造られたと思われる幅が約10Mほどの大規模な道路跡が発見されました。この道は多分「中の道」の旧道と思われる。

 

 


花束を頂く

2013-11-13 | Weblog

町内会ではボランティア活動で、高齢者に花束をくださるようです。

我が家にもその日がやってきたようです。

ある日「3丁目町内会からお花を届けに参りました」とドアホーンから聞こえてきましたが、「?お願いしていましたかしら・・・」とトンチンカンなお返事をしてしまいました。出向くとお顔見知りの方で、「順番にお贈りしているので・・・」全く知らなかったので・・・恥ずかしさと嬉しさで・・・夫が頂いたものでしたが、こんなお心遣いを頂く町内会とは!と 心暖まるものが湧き上がって参りました。

                    {{可愛い ブーケ}}