花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

東京タワー

2008-05-27 | Weblog
                        【増上寺 子育て招福地蔵】

暫く振りにお食事会でもと言うことになって、東京タワー直下の料亭に問い合わせると、一週間前なのに一杯とのこと。
それでは泉岳寺傍の魚の美味しい処に変更です。魚介類は富山県魚津港より日本海の天然物を取り揃えていて、彩りもよくお味も器も大変結構でした。
(お会席風に一品ずつゆっくりお出しいただきました)
          

東京には二度にわたって住み替えて、30年余経ちましたが我が家で一人 東京タワーに登ったことが無くて、最近話題になりましたし、新タワーが出来る前に行ってみたくなっていましたのでいい機会でした。
大展望台のみでしたが、標的を見つけるまでに時間がかかりました。
360度大ビルディングの海原でした。富士は雲隠れし ディズニーランドも筑波山も芥子粒ほどでしたし あの皇居の森も見え隠れでした。 
私の撮ったものはズームしたもの、そうでないものと様々なので幾つお解りいただけるでしょうか?

【北: テレビ東京 JTビル 皇居(?)・・・】 
  

【東: 佃リバーシティ 浜離宮 世界貿易センタービル・・・】 
 

【南: レインボーブリッジ フジテレビ・・・】 
 

【西:六本木ヒルズ NHK テレビ朝日・・・】


帰りは歩く事にしました。東京プリンスや増上寺の辺りは樹木が繁っていて散歩がてらに格好の場所でした。垣根越しに鮮やかなお地蔵さまが長大に並んでいて珍しい光景でした。

南天山 へ

2008-05-24 | 登山
                               【落葉松林】

関東の大河荒川の上流部の支流中津川の、その更に源流地帯の枝沢 鎌倉沢の源頭に岩蜂をもたげる山、それが南天山である。奥深く訪れる人も少ない、どちらかと言えば玄人好みの山で、その北面に急峻なルンゼや刃のような岩稜をもっている。
変化に富んだ美しい清流の鎌倉沢を遡り山頂を目指します。登山道は近年良く整備されたので安心だ。
山頂からは両神山をはじめ、秩父周辺の山並や膨大な山容の和名倉山など、素晴らしい展望が開ける。一年で最も新緑の輝くこの季節、自然度の高いこの山のハイクを存分に楽しみたい。
《会長:羽田氏の計画書の冒頭の言葉です》

昨日までの嵐が収まって今回も幸運でした。
4時前起床 始発(4:54)の乗車は始めてでしたが戸外は既に明るい。
JR川越駅7:30集合 13名の笑顔に出会えていざ!

関越自動車道を川越IC→花園IC→国道140号線を中津川沿いに鎌倉橋までをチャーターバスで行きます。
鎌倉沢は水量も豊富でその岸辺は時に深く、時には水しぶきが掛かるほどに近付き
沢スレスレの丸太橋を、幾度渡ったことでしょう。
【方円の滝】の表示に出会って休息でした。
          

陽射しが差込み森全体が若々しい緑に輝いています。しかし何時もながらの花が見当たりません。もしかしたらほんの少し前まで雪を被っていたのかも。キットこれからなのでしょう・・・事前に少し調べると沢山の樹木の名前に出会っていました。
ミズナラ・ホオノキ・オオカメノキ・イタヤカエデ・ハウチワカエデ・シナノキ・トチノキ・ブナ・シデ・ハンノキ・ウツギ・ミツバツツジ・ハリギリ・ヤシャブシ・オオバアサガラ etc

尚も進んでいくと沢コースと尾根コースの分岐点に到着です。此処で20分の休憩にお弁当を半分食べてエネルギーの補給でした。
尾根コースが選択され沢の流れと決別してジグザグの山道を幾曲がりしたでしょうか・・腐葉土の優しい道から落葉松のフンワリと足ざわりの良い道に変わりながらも延々と続くうちに、体力が限界に達したと思ったその時休憩になり息を吹き返す事ができました。
しかしまだ先があったのです。右手に岩っぽい痩せ尾根が立ちはだかり、高度は益々鋭角になって遂に会長の手助けを受けてしまったのですが、そここそがピークだったのです。北東真近に100名山の両神山と対峙したのでした! 南天山1483m、両神山1723m。
【両神山】


立枯れているのは火事の後遺症です。全方向が見渡せる岩峰に両足でシッカと立っている実感を味わい、残りの弁当も味わってあの苦しさを洗い流せた思いでした。

【アセビ】が下山では目にとまりました。
          

今回の参加は13名でした。下りはみんなにこやかです。


沢下りの道では皆飛ぶように進んで、ふもとの温泉ではゆっくりと寛いで疲れを洗い流し、今日の良き日を心行くまで楽しむ事が出来たのでした。

一生に一度は訪れてみたい”海外の世界遺産”は??

2008-05-20 | トラバ意見版
                        【バラの木にバラの花咲く】

gooから《タイトルの提案》が目に入ったので遊んでみる事にしました。
2007年で登録された世界遺産は851件ですが、増え続けることでしょう。
文化・自然遺産を合わせた数ですが、地球の広さ、素晴らしさを思わずにはいられません。
一生に一度と言われれば「ウーン」と考えてしまいますが、海外で10箇所くらい行っているかもしれないけれど・・見ていながら側まで行けなかった処にすることにいたしましょう。

それはウィーンのシェーンブルグ宮殿から丘の上を眺めながら、往復に一時間以上掛かると告げられて断念した【グロリエッテ】を真近に見て、シェーンブルグ宮殿を見下すと言うのにいたします。

自然遺産も素晴らしい。 しかし人の叡智で作り出したものの方に、私はより感銘を深くするのです。

今年の春の旅行で、もう海外は無理かなと思いつつも もう一箇所いけるものならば、ウィーンだけに限って行くというのはどうかしら・・・

大柳川渓谷の滝巡り

2008-05-17 | 里山 森林行
                     《FinePix S7000 S:1/25 F:5.6 》

雨が続いた後の晴天、デジカメ撮影ツアーには最高のお天気でした。
カメラは登山用の小型 OLYMPUS C-770 UltraZoomと、少し大きい一眼レフタイプのFinePix S7000を持っているだけです。知人を記念に撮るかblogを念頭に写すくらいなので、これで充分だと思っているのですが・・・

滝は水量も豊かで新緑も太陽を受けて輝いています。バスの中で撮影のポイントを聞き、その心構えはあるはずながら イメージ通りに行く・行かないはカメラそのものの負うところが大きいと思うのです。

《天淵の激流 S:1/1600 F:8 》
 トップの滝と同じ所でですが、上記はシャッター優先。此処ではautoで撮りまし た。


さて横浜発7:30分。中央自動車道を甲府南で降りると富士川沿いに南下して、十谷入口を右折すると目的の『鰍沢町(カジカサワ)』に11:00過ぎには到着でした。

 鰍・・・魚偏に秋と書いてカジカ ハゼのようでウロコが無く体調は15C位。
 河鹿・・カエル
【鰍】【河鹿】どちらもカジカと読みます。実際は町名のカジカには前の漢字の二説があるらしいのです。歩いていると美しい音色が聞こえてきてこれは【河鹿】に違いないと話あったのでした。

大柳川は山梨県の100名山である「源氏山」を源流として数々の滝を配し、新緑の春 清涼の夏 紅葉の秋 そして銀白の冬と、四季折々に自然の息吹を感じさせてくれる渓谷です。

遊歩道の整備も充実しており、大小10本の吊り橋は周囲の景観と調和して渓谷を一層引き立てています。
一般道に出るまでの滝道は全て登り坂で石畳もあり、腐葉土の道あり、丸太を埋め込んだ所、岩を乗り越えたり、石ころを踏み固めたり、大きく左右にカーブして柵をつかんで歩くところ、観音滝のように50mはあろうかと思われるところでは対岸に観瀑台の東屋ありといった具合でした。

《吊り橋》


《天狗の岩風呂》
 急坂を上りきったところに人気のない家があり、軒先の文字には驚いてしまいましたが、その先にダムがあって迂回して離れてみれば中々の家でした。少し奥まった所の温泉宿の岩風呂のようでした。


何時ものように沢山の写真を撮りましたが、滝が上手く撮れなくて朝からの意気込みが無くなってしまいましたが・・・ヤッパリ山はいいなぁ~。


横浜 『アトリエ・ポルト展』

2008-05-05 | 美術館


昨年に続いて今年もこの季節 登山仲間のK・Mさんの油彩展を拝見致しました。
随分長く描き続けていらっしゃいますが、先生のご不幸があって新しく「アトリエ・ポルト」としては、年月は浅いけれど少数精鋭のグループであるとお見受けしています。

関内の「ギャラリー採光」は、解かりやすく落ち着いた場所で多くの方で賑わっていました。

彼女の旅先は多方面に渡っていると思いますが、被写体の多くは中近東に向けて異彩を放っていると思われます。アラブはあの色遣い、力強いタッチに合っているのだと思われますし、何時も何時も心惹かれてしまいます。
出品作は次の二点です。

【パキスタン 巡礼者】


【イエメン】

(作者のお話から:家畜の餌の干草を頭に 夕日の中の母と子)

美しい絵に身近なお花を添えさせて戴きましょう。
     【胡蝶蘭】
     
 
               【マーガレット】
               

   
    【苧環】
     

       【小手毬】
        

               【ヤマホロシ】
               

     【サフィニア】
      


鎌倉 北条早雲の野望の跡を偲ぶ

2008-05-01 | 鎌倉の四季
                               【大船観音】

大船は鎌倉の玄関口にあたり、東海道線・横須賀線の下り電車が大船駅を出るとすぐ進行方向右手の山の上に大きな観音像が望まれます。昭和のはじめ 建立の計画から戦争を挟み、歳月を経て漸く昭和35年に現在の美しい像として完成しました。
大船駅から西へ5分 石段を上り詰めた所に巨大な胸像として安置、仰ぎ見ると厳かで慈悲に満ちた表情に圧倒される思いがします。胎内に入ることも出来ました。

この日は『戦国武将・北条早雲が築いた玉縄城(址)と、所縁の寺社を訪ねる』をテーマに、行きがけの「大船観音」帰りがけの「大船フラワーセンター」に立ち寄る事になったのでした。

玉縄城址には1963年(昭和38年)清泉女学院が移転して現在に至っています。
本丸跡と見られる場所は校舎になっていて、僅かに諏訪壇と呼ばれる玉縄城の最高地点の丘が、宅地化から免れて校庭敷地内に残っています。
大木が鬱蒼と繁り本丸平場との高低差が20mあり、城主が最後に立て篭もる処であったと考えられ、此処に信州諏訪の建御名方神(たけみなかたのかみ)を勧請したと伝えられています。

1512年北条早雲築城の以前から、扇谷上杉氏の『玉縄要害』があり 山内上杉氏が攻略したとあり、この要害をべースに早雲は修築しました。関東三大名城(江戸城・川越城)の一つでもありました。
当初は三浦道寸と雌雄を決する基地として、後には武蔵攻略への本拠地となりました。
時経て城主氏勝は 1590年豊臣秀吉の小田原城攻めの際 徳川家康の賢策に従い大応寺・大長寺の住職の説得で無血開城し降伏したのです。その後廃城となり玉縄藩となりました。

現在玉縄北条氏の菩提寺が城址から急坂を下った一帯にあります。
【龍寶寺】 綱成、氏繁、氏勝三代の墓(供養塔)があり 境内には石碑、大王松、庚申塔など由緒の数々が建ち並んでいます。
 
 
【諏訪神社】諏訪壇は御霊神社と諏訪神社に合祀されていると記録されています。

近くに【県立大船フラワーセンター】があり、昼食に格好の場所でした。