花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

この春 出会いや別れはありますか?

2007-03-29 | TBの練習
             【ドンベヤ・ワリチー 於:大船フラワーセンター】

タイトルは今週のTBのお題。久々ですが・・・
この季節こその話題でしょうか。郷里から友人が上京してきます。
10年前に出会って以来だけど 解るかなぁ~ (お互いに変わっているでしょうネ) 待ち合わせ場所さえハッキリしていれば大丈夫!
  
あの時は上野の美術館だったけど リクエストがあれば、今度は六本木に誘いたい。サントリー美術館は彼女に相応しいもの・・・・ 

国立新美術館 

2007-03-23 | 美術館

新しく出来たばかりの「国立新美術館」は大いに興味がありました。あのうねった建物も見たいし、パリでもポンピドーは素通りしましたので作品への楽しみもありました。
正門を入ると少し斜向かいから眺める形になりますが、薄緑色の正体は近付くにつれて解ってきました。このガラス張りの壁面は素人目にも建築の難解さが伝わってきます。
          

多くの人々が途切れる事無く入場してきます。エントランスは3階までの吹き抜けになっていて一階はオープンカフェ。2~3階は空中に突き出した円形のカフェとレストラン。地階1階にもミュージアムショップがあります。

【エントランスへの入場口】
     

【オープンカフェ】
     

【空中レストラン】
     
     
それではいよいよ展示室へ。
「1900年からの40年 フランスの絵画を形造ったのは外国の芸術家たちでした」とメッセージに掲げられていました。
その後も2005年までの200点の作品が出品されていたのでした。
20世紀の芸術家の作品は難解なものが多く、素通りしてしまったものも多く有りましたが、ファッションや映画・彫刻や家具などもあり、映画は興味深く長く見続けてしまいました。

芸術家にとってパリは憧れの地。渡仏したフジタは独特の乳白色で裸婦を描き高い評価を得ます。パリに集い才能を開花させた「異邦人芸術家たち」の中 私の知ってる数少ない画家、好きな絵画を転載してみることに致しましょう。

【レオナール・フジタ(藤田嗣治 日本):『画家の肖像』】
     

【ワシリー・カンディンスキー(ロシア):『相互和音』】
     

【パブロ・ピカソ(スペイン):『トルコ帽の裸婦』】
     

【アメデオ・モディリアーニ(イタリア):『テディの肖像』】
     

【マルク・シャガール(ロシア):『エッフェル塔の新郎新婦』】
     



NHK 「ターシャからの贈り物」

2007-03-16 | Weblog
                      【コーギー・コテージ の全景】

以前NHKがターシャ・テューダーを放送していて「あヽ いいなぁ~」と、思ったことがありました。ところが今週はじめに再びターシャの名前に出会って録画してみることにしました。
どうやら昨年のXmasをテーマにした再放送でしたが・・・

TV画面に カメラを向けながら 巻き戻ししながら 楽しみながらの一ページです。

アメリカで最も愛されている絵本作家の一人。68年間の創作活動は100冊を超えました。現在91歳に。
自然と寄り添って暮らし、その季節を楽しむ術を知り尽くして、91歳の今をカントリー風の家の中や、広大な花畑を裸足で感触を楽しみ、コーギー犬や鶏 真白の孔雀鳩と話をしながら一人暮らしをしています。
しかし91歳には廻りからの優しい手がいつも差しのべられています。

アメリカ北東部のバーモント州の山合に、東京ドームの20倍の荒れ野と森を見付けた時、四葉のクローバーを7枚見つけて「此処で暮らせば幸せになれると思ったの」と「絶対にやり遂げる」を貫いたから・・・57歳の時本の印税の全てを当てて初志を貫きました。

【四葉のクローバーは30余年経っていても・・・】
     

ターシャ91歳のバースデーの様子です。子や孫やひ孫に依って用意されます。デコレーションは全てお庭から。
【バースデーケーキ】
     

【バースデーパーティー】
     

庭には花が咲き乱れています。広大な荒れ野を耕し配色を考えて種を蒔き手入れを施して、理想の花園が広がったのです。
【夏の庭】
     

やがて短い秋が訪れます。広葉樹の錦織り成す紅葉に雪が降り始めると部屋には暖炉の火が燃えて長い冬が始まります。
【冬の庭】
     

11月から4月まで雪に閉ざされる時こその楽しみ その第一にXmasがあります。テューダーファミリーはその仕度に精を出します。
【Xmas オーナメント造り】
     

ジンジャーブレッドを型抜きしてオーブンで焼きシュガーで縁取りをします。このオーナメントはホワイトハウスのXmas treeも飾っているのだそうです。
【ジンジャーブレッド】
     

【Xmas tree のある部屋】
     

ターシャ・テューダーは、飛行機やヨット設計技師の父と、肖像画家の母の間に生まれました。都会育ちの生活に馴染めず休暇で過ごした田舎の暮らしに憧れを持つようになりました。
天賦に恵まれていると言うよりも、焦らず 諦めずの努力の人でした。
23歳で結婚 夫に先立たれて絵本作家を志しますが、原稿を抱えてニューヨークの出版社をいくつも回る苦労もあったのです。
四人の子供たちに手ずくりの人形を贈り、一緒に遊んだことを絵本に描いていったのが始まりでした。
【100冊を越える本の一部】
     
【本の内容の一部】
     
【本の内容の一部】
     
 
     

鎌倉幕府興亡の跡

2007-03-08 | 鎌倉の四季

鎌倉歴史散策「桔梗の会」には 二年前に入会いたしましたが、色々な角度から何度お聞ききしても魅力的です。今回は《タイトルを辿る》でした。

【中世鎌倉の幕開け】
頼朝は鎌倉の街造りの第一歩として、鶴岡八幡宮の社頭から由比ノ浦へ一直線に延びる大路を造り、平安京の朱雀大路を模して若宮大路と名付けました。

【段葛と鳥居】
同時に妻政子が懐妊した慶事は、頼朝の歓びも大きく安産を祈願しての特別の参詣道「段葛」が造られました。
「吾妻鏡」に治承4年(1180)12月16日、鶴岡若宮に鳥居立てられるとあります。
由比ガ浜に近いところに一の鳥居 段葛の南端に二の鳥居 八幡宮入り口が三の鳥居と称されています。
     

境内入口近くに、源平池という瓢箪型の蓮池が有りますが、北条政子が造らせたもので、東側には白い蓮を植えて源氏池とし、西側は赤い蓮で平氏池。
そこに朱塗りの橋が架けられました。
【源平池と赤橋】
     

文治2年(1186)4月頼朝と政子達が見物した静御前の舞は、現在の舞殿ではなく若宮の回廊だったと言われています。
「吾妻鏡」に依れば 当日工藤祐経が鼓を、畠山重忠が銅拍子を打ち「それはまことにこの神社での壮観であり、身分の上下を問わず皆全てが感嘆を催した」とその感動振りを描写しています。
舞殿左奥の大銀杏は樹齢千年といわれ 県の天然記念物ですが、承久元年(1219)正月 この樹に隠れた公暁(頼家の子)は三代将軍源実朝を襲い殺したとあります。
【舞殿と大銀杏】
     

舞殿の後方の石段を上り詰めた所に本宮がありますが、1063年頼朝の5代前の先祖 源頼義が奥州鎮圧をして鎌倉由比郷の鶴ヶ岡に、石清水八幡宮を勧請して鶴岡若宮としてより約100年後、治承4年(1180)12月頼朝は鎌倉入場2ヶ月後に鶴岡の名前を冠したまま若宮の地に遷宮しています。
建久2年(1191)大火で類焼したため、新社殿を現在地に建て改めて石清水八幡宮を勧請し、頼朝自身の鶴岡八幡宮を創建しました。
現在境内には、流鏑馬馬場・舞殿・大銀杏・丸山稲荷社・白旗神社の外に、県立美術館・市立国宝館等があります。
【鶴岡八幡宮寺式内社:延喜式神名帳に記載された神社であり、朝廷から認識されていました】
          

本宮を降りて東側へ向かうと静かな雰囲気の中に、本宮とは対照的な黒漆の美しい神社が佇んでいます。
二代将軍頼家が父頼朝を祭神として建立しました。
木立の中に石柱があります。
  「歌あわれ その人あわれ 実朝忌」
後に実朝もこの神社に祀られました。
踵をかえして南に向かうと、左手に校倉風の国宝館がありその庭に実朝の歌碑が建っています。
  「山はさけ 海はあせなん世なりとも 君にふた心 わがあらめやも」
【白旗神社】
     
 
【鎌倉幕府の成立】
鎌倉幕府の成立については諸説ありますが、主な説として
①智承4年(1180)鎌倉に入り武家政権を樹立した時。
②壽永2年(1183)「十月宣旨」を獲得し東国諸国の支配権を確立した時。
③元暦元年(1184)公文所・門柱所を設置した時。
④文治元年(1185)「守護・地頭」の設置権限を獲得した時。
⑤建久元年(1190)右近衛大将となった時。
⑥建久3年(1192)征夷大将軍に任命された時。
等々で⑥説が従来の定説になっています。

現在の宝戒寺は、鎌倉時代北条得宗家一族の居住した「小町亭」跡で元弘3年(1333)鎌倉幕府滅亡後、一族慰霊の為建武2年(1365)足利尊氏が創建した寺院です。
萩の寺で知られていますが 銘木「ムクロジ」の大木が聳えていました。
【無患子】
     

元弘3年(1333)5月22日新田義貞の鎌倉攻めで、北条得宗家最後の執権北条高時は菩提寺である東勝寺に遁れて、寺に火を放ち自害して鎌倉幕府は滅亡しました。その時高時と一緒に死んだ人々は総勢870余人だったそうです。その後寺は再建されましたが戦国期に完全に廃絶しました。
その跡地に佇んで・・・広大な敷地は金網で隔離され鎌倉市の管轄になっていました。最奥に腹きりやぐらが・・・卒塔婆も新しく花が手向けられていました。
【東勝寺跡 腹きりやぐら】
     
     







足利 行道山へ

2007-03-01 | 登山
                             【行道山 山門】

二月最後の日、関東の高野山とも言われている臨済宗の古刹 行道山浄因寺から登山は始まりました。
標高442mは今までで一番の低山かもしれない・・しかし侮ってはいけないことに間もなく気付くことになるのです。
359段の石段沿い(随所にある階段の合計)には、33,000体の石仏が置かれていると言う仏の領域でした。

【寝釈迦像】 【石仏:お顔は個性的。累々の石仏を拝見していてフト兵馬俑を連想しました】
     
     

今回のハイキングコースは関東ふれあいの道にもなっていて、幾つかの山が連なっていて、最終は足利市の織姫神社までの3時間を歩くと言うものでした。
尾根道を歩きつつ、アップダウンの繰り返しが何度あったことでしょう。これで終わりかなと思う間もなく次のピークが控えているのです。
しかし苦しみの後の楽しみは必ず待っています。頂上からの眺望 カメラ撮り そして爽やかな風が汗ばんだ体には何よりのご馳走になります。

【平坦な山道を行く一行】
     

深山の趣の中に美しい神社が現れました。
【大岩山毘沙門天:日本三大毘沙門の一つ。奈良の「信貴山」「京都の鞍馬山」 】   
     

遠く右手に連なる山がつい先程歩いた所だと聞くと「あの尾根を歩いたのねぇ~」と感慨を覚えるのでした。
【踏破した峰 その1】
     
【踏破した峰 その2】
     

山が終わりになったことは、美しい公園に出会って初めて気付きました。そして左手下方に足利の町並が広がっていました。
【渡良瀬川が市の中央を貫いています】
    

足利市は観光の町でした。特に足利氏ゆかりの名所旧跡を現代に融合させて、始めての人にもさりげなく しかし虜にさせる魅力を持っていると感じました。
時間が限られていたので「足利学校」のみの入場でしたが、古さの中にも新しさを取り入れて(例えば藁葺き屋根なども新しい藁を使うとか)清潔感があって私は好感を持ちました。石畳の道なども本当に美しいと思いました。
【足利学校の正門】
    
【足利学校の庭】