花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

四字熟語

2006-01-28 | TBの練習

今週のTBの練習は「お気に入りの四字熟語を教えてください」です。
私には楽しいお尋ねになりました。

【頭脳明晰】【冷静沈着】賢く上品にはなれず、憧れのまま終わりそうですが。
人生の後半を【花鳥風月】で優雅に暮らすほうが、可能性としてはあるかも・・・

鎌倉七福神の社寺参詣

2006-01-20 | 鎌倉の四季

第32代祟峻天皇の頃、厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討伐する際「四天王」の像を作って戦勝祈願をしました。
「弁才天」は唐からの経典で仏法を守護する神とされ、「大黒天」は最澄が中国から持ち帰った「国史大辞典」に厨房を守る善神としての記載があります。

従って平安期には既にこれらの神は信仰の対象にされていました。種々変遷はあったようですが、江戸中期には七福神の現態勢が定まったようです。

更には、七福神と金銀財宝を満載した「宝船図」が登場し『永き世の遠の眠りの皆目覚め、波乗り船の音の良きかな』と言う回文(上から読んでも下から読んでも同音の文)が出来て、七福神詣の風習が今に続いています。

鎌倉七福神詣は、昭和56年頃から江ノ電ツーリストが勧誘して始まったと言われています。
其の風習に私も参加させて頂きました。

【布袋】
鎌倉五山 第四位の浄智寺の境内奥のやぐらの中に弥勒菩薩の化身と言われる等身大の柔和なお姿がありました。
     

【弁才天】
鶴岡八幡宮・源平池の中之島にある朱の小祠に祀られていましたが、現在は鎌倉国
宝館に移されています。
膝に琵琶を抱えて奏楽する神躰は運慶の作です。
     

【毘沙門天】
鎌倉で毘沙門天を祀る社寺は、杉本寺・多門院本尊・白山神社の毘沙門堂、そして写真の宝戒寺などにありますが、全てが鎌倉の北側にあり 北方の守護神・仏法の守護神で四天王最強の神です。
写真撮影不可。お堂一杯に灯明や供物・煌く装飾の中に以外に小さなお姿を拝しました。
     

【寿老人】
妙隆寺は本堂を新築中で、銅版葺きの屋根が眩いばかりに輝いていました。
対象的に小さな祠の中の寿老人を、反射するガラス窓から何とか写した一枚です。
     

【夷】
本覚寺のご神体は「夷」(えびす)と書き、東方のエビス(異民族)の事。
「字」も弓に矢を番えた人から成り、弓矢を持って東国を守る神を意味すると言われています。
寺伝では 源頼朝が鎌倉幕府の裏鬼門の守護神として、夷神を祀った事に始まるとしています。
     

【大黒天】
長谷寺の観音堂の左手に大黒天は安置されています。
インドの神様(梵語でマハーカーラ)。 暗黒破壊神の化身で忿怒の魔神であり多くの記述が有ります。
一方財福神としては糧食の守護神として、何時も油で拭うために黒色を呈していると記載され、金の袋を持った厨房の神様となっています。
     

【福禄寿】
御霊神社の例祭は毎年9月18日に面掛け行列が行われますが、オカメ・ヒョットコ・爺・鼻長等・伎楽・舞楽の10の仮面が使われます。その仮面中の福禄寿面が鎌倉七福神の札所となりました。
中国道教の神様 福(幸福)・禄(福貴)・寿(長寿)を司る長頭の福神です。
         

入院

2006-01-16 | Weblog

12月からの寒波が1ヶ月以上も続き、日本中が凍り付いてしまったような日々の中 我が家は其の冷気を満身に浴びて、祈りの中で過ごす事になってしまいました。
暮れの早朝 体調の異変に気付き入院してしまった夫。

《お見舞いのお花に、夫も私も慰められたのでした》


適切な治療を施していただき、其のお陰で1ヶ月弱で退院させていただく事が出来ました。

《お嫁さんは沖縄での演奏会の合間に自筆の絵ハガキに慶びを書き送ってくれました》 


今は普段に近い生活を取り戻しつつあって、我が家にも漸く生気が漂うようになりました。
お世話になった全ての方々に感謝の念で一杯です。

起床時間

2006-01-15 | Weblog
今週のTBは「何時に起きますか?」です。

普段は目覚時計を掛けないので・・・希望は6時台後半ですがマチマチです(此処で起きればPCを開きます) 
勤務時間も有りませんし全く自由です。いいものですよ~! 

可愛い拓哉くん

2006-01-06 | Weblog

大晦日のNHKの紅白歌合戦では、SMAPだけは聞きたいと思っていて 最終回だし時間も計算出来るのでVTRに入れて、漸く静かになった今頃楽しんでいます。

「triangle」は 重いテーマを唄い込んでいるようです。
衣装もそれに相応しく初めて聴いた歌だったので感動してしまいました。

これをカセットテープに入れて暫くはクルマで聞くことにしましょうか。

お正月

2006-01-02 | Weblog

元旦には 息子夫婦が二組やってまいりました。
この日を迎えるための準備は12月に入った頃から気になりだし、少しずつ気が付いた事から始めていましたが、ヤッパリ押し迫ってもやり足りないものが目に付いて・・・来年こそはもっと手際よくしたいと、毎年毎年思いつつ人生後半に入っても反省は続いています。

今年は門松は控えめに 床の間飾りも簡素にして、祝い酒も日帰りの長男達はクルマだし、泊まりの次男達は飲まないので形だけの一杯で。
それでも久しぶりの顔合わせは、何やかやと喋り合ってアット言う間にお正月の一日は終焉を迎えたのでした。