花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

blog の機能を使いこなしていると思いますか?

2008-08-28 | TBの練習

                        【梅花藻  T・M氏撮影】


タイトルは今週のgooからのお尋ねです。
blog を始めた時『できるブログ』と言うgooブログ対応の本を買って、確かに出来るようになったものは有りますが、でもこの本に無いものがあって・・しかもお上手に使いこなしている方が沢山いらっしゃいます。
ここで質問したら何時か教えていただけるでしょうか?

【質問】
写真を小さく並べてそれをクリックして大きくする方法は?

フラワーセンター 大船植物園

2008-08-24 | 撮影を楽しむ
                  【庭園 サルビア・ビクトリアホワイト】

新しい事へ踏み出す情熱を失いつつある時、馴染んでいたカメラFinePix S7000の液晶モニターが作動しなくなったのです。修理と言う手もありましたが、一眼レフへの思いが突然芽生えてきて「あ まだ私を奮い立たせるものがあった!」と。

今までの3台のデジタルカメラは全て完璧にマスターはしていなくて、困った時にその都度説明書や友人 時にメーカーに問い合わせたりと・・・しかしこの度は一眼レフのabcから始めるべくカメラ教室に通い始めました。先生と他にアシストが5~6名で、大写しの映像やプリントでの説明、カメラも全員同じものを使用です。

生徒は10名。カメラが始めてという人は居ないようです。
メーカーも違いますし一通りの説明では、もう解からないことが出てきています。
カメラを買い換えたい人が何名かいて、先生にも相談できて色々な情報も聞けて
my comera を早く手にしたい気持ちと、チョット決めかねるところも有って もう少し待ちましょうの状態でいます。

昨日は撮影会ということになりました。大船植物園はこんな時最適の場所だなぁ~と思います。少し雨もありましたが、暑くなくしかし青空が欲しいときもありました。実践で理解出来 繰り返し教わって解かったようでもまだまだでしょう。
来週は撮影作品の講評があります。メディアカードはその時DVDにしていただけるそうです。

解散後もう一度撮影会を反芻し、全てを歩いて私のデジタルカメラOLYMPUS C-770 UltraZoom に納めてみました。
撮影中にマクロレンズの交換をさせてもらった作品を見てみたい思いがあります。
一眼レフを手に入れたらマクロレンズを入手したいと切望しているからなのです。

庭園の花と温室での数点を張って見ましょう。
《庭園の花》
【コスモス】【カノコユリ】【ヘクソカズラ】【オモチャカボチャ】【ゴーヤ】【コットン】【コットンの実(コットンボール)】


     
          
               

     
          

《温室の花》
【ブーゲンビリア】【オンシジュウム】【ヤハズカズラ】【睡蓮 まるで灯りを燈したよう】【睡蓮2】【ネムの花】【トーチジンジャー】【風鈴仏桑華(フウリンブッソウゲ)】
 

     
          
               
                    
     
               
                        

名刹建長寺の三門楼上拝観  座禅体験 

2008-08-15 | 鎌倉の四季
                          【蓮華 方丈前庭に咲く】

建長寺は 鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。建長五年(1253)に
鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立した 我が国最初の禅寺です。

【総門】
巨福門ともいい、京都の槃舟三昧院より昭和15年に移築されました。額の字『コフクサン』は建長寺第十代住職によるもので、巨の字に筆勢による一点を加えて、百貫の価をそなえたものと言い、世に百貫点と言われています。

     

【三門】
三解脱門の略で、『空・無想・無作』を表しこの三門を潜る事によって、あらゆる執着から解き放たれることを意味しています。それが禅宗の『悟り』の入り口でありましょう。
屋根は唐破風造りで、楼上は今回特別に私たちに開放していただいたものでした。
銅製の五百羅漢(以前はいつも開放されていたため300羅漢に減ってしまいました)と木製多色の美しい十六羅漢が安置されていて、特別の語り部に解説していただきました。


【方丈】
伽藍配置は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈と主要な建物が直線に並んでいます。
最奥の庭園の手前に方丈があり、ここで座禅体験を致しました。
本来の座布団の倍以上の大きさを半折にして膝を床に着くくらいに浅く胡坐をかきます(結跏趺座・・ケッカフザ)。呼吸は自然に。住職のお話を聞きながら形が自然に出来上がってゆきます。まず全員で「般若心経」を唱えます。

そして手を合わせて拝礼をしますと『警策』にて、左右の肩を打っていただきます。ピシリと堪えます。淀んでいた血がほどよく廻り清々しい気持ちになります。
もう一度両手を合わせて礼拝をして終結します。

方丈には多分100名以上は居たかと思いますが、6列くらいに並んで警策を持った
方も5~6人はおられました。
初めてでしたので良い体験でした。機会が有れば何時か又と思っています。

【方丈北側の庭園】


【禅寺から現代に通じる文化の発信】
鎌倉時代の武家は禅宗に大きな影響を受けて武家文化を形成しましたが、それが今に引き継がれています。例えば・・・

★建長汁(けんちんじる): 野菜を油でいためて、豆腐を入れた汁。

★精進料理 :精進と護戒が結びついたもの。酒や葷(くん・・匂いの強い野 
 菜)が僧に禁止されたため、これを除いたものが工夫されました。          

★玄関 : 禅寺で「悟り」の道に入る関門を言う。

★脚立 : 椅子の前において足を乗せる台。

★普請 : 労働を言う言葉で全員が一緒に行う事。

★打ち合わせ : 開山の命日の8月23日には国宝の梵鐘、西来庵の鐘、仏殿脇の
 鐘を順次打ち続け、全山の僧を集め、開山忌を始める。         
 それを打ち合わせと言い、今日 会議の前に打ち合わせるという語源になった。          
    
   その他 人事、会釈、など多数あります。          



伊吹山々頂のお花畑とその周辺を巡る 

2008-08-11 | 山陽会
                     【犬山城 ライン下りからの遠望】

山陽会は時にこんな遊びもいたします。
旅行会社のツアーに参加しての一泊旅行は、東名・名神高速と早朝から真夜中まで目一杯の2日間でした。

神奈川県から滋賀県に横たわるこの地域は日本一高い山脈を背後に持ち、何本もの大河を通して、浜名湖や太平洋を真近に見つつ、遠く近く山波を眺めての道中に国宝犬山城や醒ヶ井の清流・戦国時代の合戦の地を踏みしめる一時もありました。

伊吹山が滋賀県と聞くと琵琶湖を思います。標高1377mを深田久弥は百名山に選びました。景行天皇の皇子 日本武尊の伊吹山妖神との対決の話など歴史的背景が評価されたと有りました。

第一日目
【日本ライン川下り】
 木曽川の犬山城上流13キロから下る舟下り。
 雄大な河川美がドイツのライン川に例えられ、緩急の流れに船頭さんの舵捌き
 一本に身を委ねることになるもの・・5~60名くらいは乗っていたでしょ   うか。  水飛沫を何度か潜る事になりました。
 木曽川の10km西方に長良川があります。自由の身の鵜たちは往来しているの  でしょう。
  
      

【犬山城】
国宝犬山城の前身木下城は、天文6年織田信康が築きました。信長の美濃攻略、秀吉と家康の小牧長久手の戦いの舞台になりました。

文禄4年、石川貞清が城主となり現在の城山に築城します。
慶長5年、清洲城主松平忠吉の付家老小笠原吉次が入り、次いで名古屋城主徳川直義の付家老平岩新吉が入り没後、成瀬正成が3万石で元和3年に入りました。そして代々尾張徳川家の付家老として明治に至りました。
明治24年濃尾大震災により、城の一廓が崩壊して財団法人になりますが、成瀬家の所有に変わりはなく 現在第12代目の城主にあたります。

歴代城主たち一部の肖像画です。
       
 


夕刻 宿泊のため名古屋市内に行き夕食後はメインストリート辺りを散策し、翌朝も公園を散策して万博以来の訪問になりました。

第二日目
【梅花藻】
JR醒ヶ井駅に平行して中仙道が通っていて、側を清流が平行して流れています。
これは賀茂神社の地下から伏流水が地蔵川を満たし、梅花藻が群生して涼やかな風景を展開し多くの人々を惹きつけているのです。


  
               

【関が原】
短時間でしたが史上に残る関が原の合戦をイメージし、垣間見る事が出来ました。



【伊吹山】
雲上の花園とも言われて期待しました。しかしこの日だけが曇り空 高度を上げるほどに霧は濃くなるばかりです。琵琶湖は見えるでしょうか。
駐車場は山頂から100m下ったところです。この100mにお花畑は広がっていたのです。遊歩道は東・西と中央の3本で道の難易度やお花の種類が違っているようです。
私達は西遊歩道から登り、中央から下りる計画を立てました。
《霧の伊吹山》



琵琶湖は全て霧の中。しかし山頂は晴れ渡って正に「雲上の花園」でした。
過去 一夜にして11mの積雪があった(世界記録)と言う話を聞きました。なんということ!!
それでは一部に過ぎませんがお花を飾る事に致しましょう。

《シモツケソウ》


          《ルリトラノオ》
          

               《キオン》
                

                    《クサフジ》
                    

《コオニユリ》


          《オタカラコウにアサギマダラ》
          

               《サラシナショウマ》
               

                    《キンミズヒキ》
                    

年間では1000種類もの植物が数えられますし、又カタツムリの宝庫でもあるということでした。
数億年前 この山は海底にあって石灰岩がいたるところにあり、カタツムリにはその甲羅に必要不可欠な栄養素なのです。
  
  



               



                  

奥白根山 へ

2008-08-01 | 登山
                         【戦場ヶ原の滝】

深田百名山は何時も奥深く高く、畏敬の念を持って迎える事になります。
標高2578mは関東以北にその上を行く山は無く 姿美しくその頂を目指すことになりました。
今では「日光白根山ロープウエー」で一気に上って2000mを稼ぎ、山頂駅からが登山の始まりとなります。東方を仰げば三つ並んだピークは霧に包まれて、いやが上にも不安と期待が入り混じるのでした。

南浦和を7:30マイクロバスでスタート その2時間前に自宅を出ます。
外環道→東北自動車道→佐野藤岡IC→足尾銅山観光坑道見学→日光中善寺湖畔→
戦場ヶ原→日光湯元温泉「実之屋」(宿泊)


【足尾銅山観光】
足尾銅山は慶長15年(1610)足尾村の二人の農民に依って発見されました。
江戸幕府直営の銅山として役割分担をして採掘 鍛錬は全て手作業で行われました。

《堀り大工の一例》
          
        
明治10年(1877)民官の古河市兵衛に払い下げられて民営化され、近代化が進められて急速な発展を遂げ日本一の鉱山になりますが「公害問題」が起きて、周辺に多大な被害を及ぼすことになりました。

昭和時代に入ると、機械化・合理化は更に進み労働環境も少しずつ改善されてゆきました。
1973年までに足尾の銅は掘りつくされて閉山し公害は減少しました。
そして足尾銅山観光が1980年にオープンします。
坑道入り口までトロッコ電車に乗って、構内の見学をする趣向でした。

     

【戦場ヶ原ハイキング】
勢いのある湯滝に佇み写真など撮り、平坦なハイキングを思いっきり楽しみました。
 《集合写真》
     

 《戦場ヶ原の花たち》
 「ホトトギス」「コバイケイソウ」「ハクサンフウロ」「ホサキシモツケ」「トモエソウ」  
   
       
            
                 
                       

【今宵一夜のお宿 「実之屋」】
日光湯元温泉で湯に浸かり散策などしてご馳走を戴き、一室に集って一頻り話に花を咲かせた後は山の夢でも見ましょうか・・・ 

【奥白根山】
冒頭に書いた如く身支度整えて、未だ一度もお姿を見ぬまま貴方に向かって歩き始めました。
朱塗りの二荒山神社に無事を祈り緩やかな森林の道は、涼しく爽やかで初対面の印象が三重丸でした!

森林限界を過ぎるとお花畑のお出ましでした。
「ニッコウキスゲ」「ミヤマオダマキ」
     
          

 《青空に映えるピークの一つ》
束の間の青空でした。頂上が見えて来ても比較的足場も良くて・・しかし写真で見ていた三瘤山容の一片も想像できなくて情けない思いでいました。
もう一度急降下してその倍くらい急登したところが最高峰らしい。よし!
大きな岩又岩のその上から会長の姿が見えています。手を差しのべられても一旦は自力を申し出たのですが、矢張りその手にすがる事になってしまいました。



  《五色沼 最高峰から見た色数はいくつでしょうか?》


  《五色沼を背にシラネニンジン》
               

  《崖っぷちでのお弁当》


  《心残りの花たち》
 「ゴゼンタチバナ」「ヨツバヒヨドリ」「ノコギリソウ」「コマクサ」
     
          
               
                    

【丸沼】
山麓駅から再びロープウエイに乗って「あぁ~ 登頂できた~」という感慨に耽る時でもありました。周りの景色が思い出されます。
温泉で汗を流し関越道から川越IC→JR川越駅で解散でした。謝謝。