花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

文集 「山翠」の発行

2008-02-27 | 登山
                【シダンゴ山麓のクロッカス ’08 2 20】

我が登山クラブ「山水会」が2冊目の文集を発行する事になりました。
現会員とOBの投稿によるものですが、この会の発足が 2001年4月でしたから6年目に初版で 翌年と立て続けになりました。これは副会長のM氏のご尽力に依るところが大なのです。
しかし会員もこぞって多数の枚数を投稿して、成功したことが今年に繋がったものでしょう。
本当に素晴らしい文才の持ち主や 名カメラマン そして絵筆にも長けた方達の登山クラブであることが実証されました。

     【文集 山翠】
     

【文集作成の約束事】
①タイトルを書いて 右下に名前を書く。
②ページは打たない。
③文章間や適当な場所に写真を貼る場合 写真を両面テープで止める。(パソコンによる写真はボケてよく出ません)
④左端の糊代を3cm B5用紙 片面書きで。 
⑤手を加えなくても良いように 完全原稿にして郵送してください。

私は馴れない事ゆえ、四苦八苦でしたが 昨年の登山が皆勤だったので嬉しさもあって20枚を書き上げました。
     

春一番の日に

2008-02-24 | Weblog
            【横浜みなとみらいホール小ホールの チケット】

一昨年のこの季節 リコーダーの珠玉の演奏を聴いてより 早2年を経ていました。
其の時もblogに書きましたので、今回は省略いたしますがリーダーの呼吸に合わせた演奏が、實に素晴らしかった事を申しあげずには居られません。
そして余りにも早く終了してしまったと感じるほど名残惜しいものでした。

演奏をカメラに収めることは出来ませんが、地階入り口のアプローチの両壁に薄絹を纏った女性が多く描かれています。リコーダーを持つ女性を貼ってみることに致しましよう。


入場する時には穏やかな日差しがあったのに、退出で窓外に目をやるとなにやら異変が・・・風が砂を舞い上げて灰色一色なのです。
クイーンズスクエアを出たところからの日本丸と辺りの様子を撮って見ました。


「春一番」のお出ましとは帰るまで解りませんでした。


シダンゴ山へ

2008-02-22 | 登山
                         【シダンゴ山からの富士】

 『シダンゴ山 由来』の標識には・・・
シダンゴは古来 震旦郷と書く。震旦とは中国の旧異称である。一説に欽明天皇の代、丹沢の寄(ヤドリキorヤドロギ)に仙人が住み同様の仙人が周囲の山にも居て往来を重ねた形跡があったと言う。この仙人を「シダゴン」と呼んだ事から地名が起こったといわれ、シダゴンとは梵語で羅漢を意味し、転じてシダンゴと言うようになったとも言う・・・と。

そんな言い伝えを探りに冬の日を楽しみましょう。との呼びかけで我「山水会」は久々に丹沢の山を目指したのでした。
頂上には丹沢の山波はもちろんのこと、富士山をはじめ、湘南の海も見渡せる絶好の見晴台がありました。そしてもう一つ 青空が一日中広がって暖かい太陽が降り注いでいたのでした。

【頂上から北側を眺める】


【南側を眺める】


シダンゴ山は標高758mの植林された杉が、比較的手入れをされてスギ花粉の飛翔もなく木漏れ日の中を快適に歩いて、真っ直ぐな道が頂上まで続いています。
山上には祠や山の謂われや標柱など・・そしてぐるりとアセビが植えられて公園の趣を呈しています。
北西に手前の山に隠れるように、真っ白い富士山が存在感を示しています。晴天なればこその富士山を眺めながらお弁当を頂きました。
帰りは西側の道を寄(ヤドロギ)に向けて歩き始めました。
【浅い雪を楽しみながら】
     

いつの間にか広葉樹林の中を歩いていました。ピークが2~3度あって宮地山で最後の休憩でした。
【おもいおもいに休んでいます】


スタート地点の新松田駅に帰り着いても、名残尽きなくていつもは温泉かお風呂に行くのですが、鶴巻温泉は途中下車になるため(入った人もいらっしゃったようですが・・)チョットイッパイ組に入れていただきました。

梅香る鎌倉山

2008-02-14 | 鎌倉の四季
                     【青蓮寺の梅 氷雨にも凛と咲く】

 日本で最初に開発された丘陵式住宅地のある鎌倉山を歩いてきました。
JR大船駅から湘南モノレールを西鎌倉駅で下車。まず青蓮寺を拝観しました。

【青蓮寺(しょうれんじ)】 開山:空海 本尊:弘法大師像 創建:819年
昔は江ノ島・鎌倉の多くの寺が青蓮寺の末寺だった古刹です。
本堂背後の「飯盛山」一帯には21体の弘法大師の石仏が安置されています。


弘法大師が修業中に天女から仏舎利を託され、翌朝目を覚ますと青い蓮華(ハスの花)が一面に咲いていたと言う【池】 寺の名前にも由来しています。


まだお花が少ない中、雨に濡れて鮮やかなお地蔵様に目を奪われました。


この付近一帯は、元弘3年(1333)に挙兵した新田義貞と、赤橋守時率いる鎌倉幕府軍が戦った場所付近で戦道峰(たたかいどうみね)と呼ばれています。

高さ4mの『鎌倉山の碑』があり「この地は平安時代に平氏が荘園をもっていた。源頼義が相模守となり、頼朝が幕府を開いた所である。新田義貞が鎌倉を破壊して600年経た昭和3年に菅原通斉が山を開いた。この野に家が建ち 自動車が走り 美しい女性の姿を見られる事になった。富士山、伊豆や大島を望むことの出来るこの土地、鎌倉山の形勢は100年後どうなっているのだろうか」

菅原通斉のアイデアとドイツ人・マイスナーの助言により売り出され、当時の有名人や富裕階級層が多く移り住みました。平成16年には別荘+常住で600世帯。

この住宅地を尚も散策して【檑亭(らいてい)】に至りました。
檑亭は鎌倉山が住宅地として開発された当時の歴史を今に伝える重要な建物。
【山門】          
          

【回遊式庭園図:庭の広さは3万余坪。高低差は20m。各地から蒐集した石仏や石塔、五重塔や法隆寺の夢殿を模した八角堂などを配し梅林・竹林・季節の花々が植えられています。


本館(檑亭)は江戸時代の建物で横浜の豪農の旧宅を移築したもの。玄関は青蓮寺から、山門は西御門にあった高松寺から。
そば処を開店したのは昭和44年 個人の別荘を解放して開店しました。
メニューを見ると50種類はあるかと・・私はおろしそばを頂きました。

それではお庭を拝見させていただきましょう。
【八角堂】


【五重塔】


【十王像】閻魔様が左右に5名ずつの王を従えています。
          

雨の一日でしたが「檑亭」に行けて大満足でした。
帰りは近くにバス停があって鎌倉駅まで一本で行く事ができました。
 

宮廷のみやび

2008-02-04 | 美術館
                    【東京国立博物館 平成館 入場券】

宮廷貴族による王朝文化から生み出された作品を通して、『みやび』の世界を堪能してまいりました。

副題は『近衛家1000年の名宝』です。

近衛家は藤原鎌足以来の藤原北家の嫡流宗家の家柄であります。
平安中期に藤原道長に依ってその全盛を見ますが、5代下る忠通の頃 公家による政治も衰えをみせ實権は武士の手に及び、何代かに渡って分家するに至りました。『近衛家』『九条家』『鷹司家』『二条家』『一条家』。この五家に限って摂政関白の職を継承する事となりました。これを五摂家と称します。

近衛家は以来その家系は絶えることなく、近衛家と称してより30代、鎌足より数えれば1300年の歴史を経て今日に至っています。

鎌倉時代以降は実権は伴はなかったとはいえ、常に朝廷の儀式を中心とした政治の場に関与していました。これら儀式典礼に関する記録をしたため伝承する事で摂関家としての権威と面目を保って行く事が出来たのです。この間に蓄積された記録・文書は膨大で20万点にも及びます。この大量の古文書や古美術工芸品を一括保存管理しているのが、京の洛西宇田野にある『陽明文庫』です。

陽明文庫はこうした文化財を後世に保存継承するために、昭和13年(1938)29代当主近衛文麿に依って設立されました。

今回の展覧会は文庫創立70年を記念して企画されたものです。


★陽明文庫長の名和修氏の講演や NHKの新日曜美術館を拝聴したものを参考にblogを書きました。
出品目録を見ますと214点の膨大さ。私の注目度の幾つかを写真を交えて述べてみたいとおもいます。

【藤原鎌足像】


【藤原道長像】


【国宝 「御堂関白記」】

自筆にかかる日記14巻をはじめとして、幕末の近衛忠煕に至る20人の歴代が関白日記を残しています。これらを紐解けば我が国の歴史の流れを目のあたりにすることが出来るでしょう。

非常に多くの『書』が展示されています。
文化の発達は文字に依って発展しました。文字は中国からもたらされましたが、日本独自の文字『仮名』が生まれました。
これにより朝廷文化が生まれ『源氏物語』や『万葉集』などでの流麗な文字からあまたの日本独自の文学や和歌の世界が広がって行きました。

とりわけ『家煕の世界』としてスペースを広く使って紹介されている方が有ります。「万能の天才」と言うべきでしょう! 
【近衛家煕像 21代(~1736)】


【春日権現霊験記絵巻 詞書:近衛家煕筆 絵:渡辺始興筆】       



平家都落ちの細密画を描かせて、書を家煕が書いたコラボレーションの巻物の一部です。

【花木真写1 植物の精密画(正確に描いて正に植物図鑑です)】


【花木真写2】


【花木真写3】


【十数枚の真写を貼交(はりまぜ)た金屏風の中の一枚】


人形が多くありました。指人形 賀茂人形 芥子人形 御所人形 内裏雛 有職雛等々。

拝観している時 英会話が聞こえてきたのでそれとなく振り返ると、外人に流暢に説明をしている方に目が行きました。近衛家の方たちには似通ったお顔立ちが有って「もしや・・」と思いましたが、帰り際監視の方に聞いてみると「今日お見えになると聞いています」と。
御当主忠輝様だったのでしょう。自家のものであってそうでないこの名宝は、美術館でご覧になることになるのですね。

★『みやび』とは華やかさと伝統にもとずいた品の良さ・・・とは「名和修」氏の言葉。