花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

私流 木村拓哉

2005-05-30 | Weblog
又々「エンジン」で魅せてくれていますね。
かなり前からのファン 息子よりずっと年下なのに・・・
12年間ずっと人気NO1の座にあるとか!

韓流ブームでペ・ヨンジュンが持て囃されていますがどうぞどうぞと言う感じ。
スマップのファンをスマニストと言うらしいのですが、皆んな個性があって
皆んな素敵だとは思うけど・・・私はスマニストではありません。

出版した「解放区」の中で演じる快感を書いています。
ーー今私は「映画」と言うもので幸せを感じていますーーと。
彼の役どころは所謂エリートとかお金持ちではなく、アウトロー的な中から
強烈な個性を発揮してゆく人 と言うのが多いいと思います。これは脚本だけ
ではない 演出だけでもない、彼の演技力なのかなぁ~と感じ入っているのです。

きっかけは「ロングバケーション」でした。
録画していてたまに見ることもあります。
これはある意味エリートの部類に入るかもしれませんが、ピアノコンテストで
入賞してアメリカの楽団の一員になる成功物語なのです。そこに至るプロセスが
非常に面白く楽しいものだったから、そしてそれを凌ぐものにまだ出会っていない
から。

江ノ島

2005-05-18 | 鎌倉の四季

何時でも行けそうで行けなかった 江ノ島へ誘われて行ってくることが出来ま
した。
江ノ島は絵ノ嶋とも言われた美しい島でした。

基岩は新生代3紀(7千万年~2百万年前)のもので、フナムシの侵食跡があり
島の海底時代を物語っているそうです。
そして隆起・沈降を繰り返して漸く「日本書紀・神代上」に登場するのですが、
歴史上では「吾妻鏡」に記されて鎌倉時代の信仰の対象に成っていったのです。

海抜60メートルの山頂まで巨大な樹木とそこを縫うように縦横に階段や傾斜の
ある道を登るには、喘ぎながらのところも何箇所かありました。
神社や楼閣が次々と現れその隙間を埋めるように、おみやげ物屋や飲食店、 
旅館も大小あり 由緒ある「岩本楼」は別格で、お寺とお旅所を持ちやがて全山
を管理するまでになっていったのでした。

何時もは鎌倉側から眺めていますが、逆に茅ヶ崎・藤沢・鎌倉・逗子・葉山を
一望出来てとても嬉しい一日でした!

   (写真:江ノ島神社)

電気自動車

2005-05-12 | Weblog
今朝の新聞に 「経営再建中の三菱自動車は11日、次世代の環境対応として軽乗用車の電気自動車を5年以内に売り出す計画を発表した」 とありました。

2年位前でしたでしょうか、慶応義塾大学環境情報学部の清水浩教授による「電気自動車」の文化講演会を勤務先で聴講したと言って、息子からメール を 貰ってい たのを思いだして読み返したところです。

《 教授の開発したクルマは時速311KMを達成し、ガソリン車よりもエネルギー 効 率が2倍以上高く低燃費が実現しています。車両コストは大量生産が実現すれば、現在の 自動車とほぼ同じだそうです。二酸化炭素や窒素酸化物も排出せず環境にも優しいの です。
自動車会社は彼らの命綱であるエンジンが、作られなくなるため消極的なのです。
日立や東芝が自動車の開発を始めました。従来の自動車会社が無くなり電機メーカー がクルマを作る日が来るかもしれません。
電気自動車がコスト的にここまで進歩しているのには驚きました。》


その時が来たようです。三菱はあれだけの不祥事に起死回生の幸運が残されていたのでしょうか!

     (写真:清水教授製作の8輪電気自動車)

望郷のバラード

2005-05-10 | Weblog

NHKスペシャル「望郷」を観ました。
新聞欄には「日本人とルーマニア人との交流をテーマに、極限下での友情と勇気、そして半世紀にわたる”思いを”ドキュメンタリーとドラマを交えて描く」
「捕虜の一人が演奏する”望郷のバラード”と言うバイオリン曲が重なるシーンに心がふるえた」とあり、感情移入しての一時間半でした。

平成元年日本兵だった渡辺氏の下に、ルーマニア兵だったアールヒップからの手紙が届くのです(粗末な紙に住所を書いて手渡していた)。しかし再会したのはその十数年後になっていたのです。二人は90歳を越えアールヒップは言葉も交わせない病床にありました。

あの過酷な時を共有して生き延びた二人に、奇跡が生まれたのでした。

この番組を観るキッカケは「望郷のバラード」でした。
高樹のぶ子著「百年の預言」を読んでいたからです。
1989年のルーマニア革命の導入部も執筆されていて、歴史書と言っても過言では無いと思うほどでした。
ウィーン在留の外交官とピアニストの恋愛を軸に、抑圧されたルーマニアの音楽家の亡命を絡め、百年前の楽曲の謎解きがラジオ放送され、暗号を含んだ音楽放送によって革命は成功するのです。

この亡命中の音楽家が肌身離さず持ち続けた楽譜こそが「百年後の愛しい羊たちへ」と書かれた「望郷のバラード」だったのです。

東欧在留の外交官 岡田真樹氏はポルンベスクの名作「BALADA」を
亡命者ベェレシュから「見ること叶わぬ貴方の祖国日本に何時の日か紹介してください」と懇願されました。
ルーマニアの首都ブカレストで、バイオリニスト天満敦子の演奏を聴いていた岡田氏は、アンコールでモンティの「チャルダッシュ」に総立ちで熱狂する聴衆を見て「この人にバラーダを初演してもらおう」と心に決めたのだと言います。

私は小説を読んだ直後にタケミツメモリアルホールに行く事ができました。アンコールはやはりチャルダッシュでした。

「千の風になって」

2005-05-04 | Weblog

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風 千の風になって

あの大空を吹きわたっています


 新井満氏が日本語訳にした 作者不詳の英語詩が出版されて話題になりました。


ある日 訃報が届きました。
夫の転勤に伴って社宅で出会った方でしたが、あれから何年も経ち今では年賀状だけの
お付き合いになっていました。
何時も表書きは何方かしら?・・・と、その筆跡の方からでした。

「妻 ○○子は 風となってとわの国へ旅たちました。・・・・・

折々 ○○子のことを思い出していただければ幸いに存じます。」