犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

日垣隆著 『刺さる言葉』 その1

2007-09-30 18:01:57 | 読書感想文
「定義」と言えば、辞書によって客観的に与えられているものであり、それに逆らうことはできないものと思われている。例えば、「選挙」の定義は何かと問えば、大辞泉からは「選挙権を有する者が全国または一定区域において一定数の議員・都道府県知事・市町村長など公職に就く者を投票によって選出すること」といった面白くも何ともない答えが返ってくる。「選挙運動」の定義を問えば、「選挙で特定の候補者の当選を目的として選挙人に働きかける行為」との無難な答えが返ってくる。しかしながら、定義は意味ではない。定義された単語は、それぞれ別の単語によってさらに定義されねばならず、相互依存的である。

辞書的な定義によって、わかったと感じるのか、わからないと感じるのか。これは個人によって異なる。少なくとも日垣隆氏にとっては、全くわからなかった。何しろ日垣氏は小学校3年生のとき、組合活動に熱心であった父親に対して、「革新が政権をとれば保守にならないのか」と尋ねている(p.200)。これは、思考の固まった大人にとっては虚を突かれる問いである。辞書的定義からすれば、「変える」「新しくする」「保つ」「守る」といった動詞は単にそれだけのことであり、それを自民党や共産党と切り離せないものとして捉えているのは、実は単なる思い込みにすぎない。このような問いは、通常は大人になれば消えるものであるが、それは納得して答えを出したからではなく、忙しさに紛れて忘れてしまったからである。


日垣氏による定義(憲法学者が聞いたら激怒するもの)

● 選挙(p.14)・・・・ 権力(立法権力と行政権力)争奪戦のこと。勝つためには、逮捕される行為以外、何でもアリと考えられている。

● 投票(p.17)・・・・ なぜ投票に行ったほうがいいのか。現代日本では理由は1つしか見あたらない。開票速報が楽しくなるからである。馬券を買わないと、競馬が楽しめないのと同じ理由だ。

● 法治(p.20)・・・・ 法治とは、強いて言えば“悪法も法”という点にその本質がある。“良”や“悪”が万人にとって法に冠されるわけではない。刑法199条(殺人罪)は復讐を望む人にとっては悪法だろうし、憲法9条もある人たちにとっては悪法だ。

● 人権・自由・平等・博愛・権利(p.118)・・・・ 辞書や新聞をいくら読んでもよくわからないのは、これらの概念を「絶対に正しい」ものと前提にして使われているからにすぎない。次のように正しく定義すると、その本質がよく見えてくる。人権=声の大きい者による既得権の拡大、自由=わがまま、平等=抜け駆け禁止、博愛=敵は殺せ、権利=ゴネ得。    

(続く)