犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

北海道小樽市 ひき逃げ死亡事故 その1

2014-07-16 23:03:00 | 国家・政治・刑罰

平成26年7月14日 朝日新聞デジタルニュースより

 北海道小樽市銭函3丁目の市道で、女性4人がひき逃げされ死傷した事件で、小樽署は7月14日、札幌市西区発寒11条4丁目、飲食店従業員海津雅英容疑者(31)を道交法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)と自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の疑いで逮捕し、発表した。「酒を飲んで運転し、人をはねて逃走した」と容疑を認めているという。

 「朝からビーチにいた。ビーチで酒を飲んだ」。札幌近郊にある人気のビーチ近くで女性4人がひき逃げされ、3人が死亡し、1人が重傷を負った。北海道警小樽署が道交法違反(ひき逃げ)などの疑いで逮捕状を請求した札幌市の30代の男は、調べに対し、そう話しているという。現場は、最寄り駅や国道からビーチへ向かう狭い通り道だった。


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 「飲酒運転をしてはならない」ということは、法律の規定がいかなるものであろうと、人間ならば当然理解できるはずのことです。飲酒運転をしてはならないのは、当たり前ですが、法律で禁止されているからではなくて、事故を起こして人の命が奪われてしまうからです。この基本の部分は、法制度や社会政策を論じるうえで、いかに強調してもし過ぎることはないと思います。

 言葉は抽象的な概念を実体化し、構造を作ります。特に、マスコミで繰り返し述べられている言葉は、特定の意志を帯びて一人歩きせざるを得ません。「厳罰化」という単語がどのように一般化したかは定かではありませんが、この単語は「罪と罰」「法律要件と法律効果」のうちの後者にのみ言及されています。罪の軽重の話はそのままに、罰を重くするという意味を与えられます。

 罪の重さを語らずに罰の重さを語ることは、自らの行為そのものの善悪ではなく、行為の結果としての損得の論理に流れます。事故で人の命を奪う危険が高まるからではなく、法律で罰せられるから飲酒運転を控えるということです。この論理は、「ばれなければいい」「事故を起こさなければいい」という方向に必ず流れます。こうなると、何のための法律なのか論旨不明になります。

 そして、「厳罰化を求める被害者遺族」という報道のされ方は、すでに善悪ではなく損得の論理に覆われている場所では、特定の政治的主張であるとの解釈を受けざるを得なくなります。すなわち、事態は元に戻らないにもかかわらず、報復感情の充足としての復讐の欲求が語られているという解釈のされ方です。ここでは、「厳罰化」という用語の印象が非常に大きいと思います。

(続きます。)

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