犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

シリア 日本人 ジャーナリスト殺害事件

2012-08-28 23:45:46 | 時間・生死・人生

8月22日 日本テレビニュースより
「シリア:日本人記者死亡 ジャーナリスト・山本美香さん」

 シリアで取材中に死亡した山本美香さん(45)の遺族が、遺体の安置されているトルコへ向け、22日正午の便で出発した。出発を前に、山本さんの姉・品川留美さんは、声を詰まらせながら山本さんへの思いを語った。

 「しっかり現実を受け止めて、しっかり妹を引き取って、早く両親の元に帰して、ゆっくり眠らせてあげたいです。本人も言っていましたけれど、『誰かが実際の目で見て、誰かが伝えていかないと、本当の現実が知らせられない』。それは私たちもそう思っていますので、妹ながら、ジャーナリスト魂に長けた、素晴らしい人間だったと思っています。『よく頑張ったね。もうそんなに気を張らなくていいから、一緒に帰ろう』と言ってあげたいです」。


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 この事件については、他のニュースとの比較でみても、かなり詳細に報じられていると思います。そして、私はこの自己言及的な「報道現場での殉職に関する報道」につき、上手く言えませんが、何とも言えない違和感を覚え続けています。戦場カメラマンによる取材は、現場のその瞬間だけの声なき声を唯一掬い上げるものであり、人類社会に必要不可欠な究極の尊敬に値する職業だと思います。それだけに、世界中から寄せられた哀悼の声は、あまりに解りやすいストーリーであると感じます。

 シリアでは内戦が泥沼化しており、25日にはシリア全土で370人が死亡し、26日の死者数は少なくとも180人と報じられています。シリアの100人の死は統計であり、日本で生きている私には何の実感も湧きません。そして、私の感じている違和感は、この統計である死の中に、悲劇である死が1人だけ持ち込まれた点にあるのかも知れないと思います。1つしかない命の重さや儚さを語るのであれば、100人以上のシリア国民の死を統計と捉えるのは欺瞞であり、ここには人の死を美化する余地が残されているからです。

 私がこれまで仕事で接してきた多くの死は、日本国内で普通に歩道を歩いていて、あるいは横断歩道で信号待ちしていたというだけで、暴走車に轢かれて亡くなったというものでした。戦地で自らの命を危険にさらした山本さんの功績や偉業という価値観を出されてしまうと、私が接してきた死はあまりに惨めであり、無意味であると位置づけられているようで、亡くなった人も残された人も救われないと感じます。この直観が、「ジャーナリスト魂」「名誉の死」といった単語に対する私の何とも言えない違和感に結びついています。

 命の重さと軽さ、あるいは死の重さと軽さは、残された者の切羽詰まった自責の念において表われるものと思います。「何があっても生きていて欲しかった」「あと一度でいいから会いたい」という願いは、人類が持ち得る極限の願いだと思います。そして、その願いを持つ者であれば、敢えて戦場に乗り込んだ者の死に直面して、「仕事などいいから何が何でも危険な場所から連れ戻しておけばよかった」と自らを責めるのではないかと思います。私が「ジャーナリスト魂」との解釈や意味づけが可能な死に嫉妬のようなものを感じるのは、このような理由からです。

山形大生死亡 損害賠償訴訟

2012-08-27 00:04:06 | 言語・論理・構造

8月24日 毎日新聞より
「山形大生死亡: 母『救急車来ていれば』」

 昨年11月、山形大理学部2年の大久保祐映さん(当時19歳)が山形市の自宅アパートで遺体で見つかった。祐映さんは発見の9日前、体調不良で自ら119番していたが、市消防本部はタクシーを勧め、救急車は来なかった。全国的に救急出動が激増する中で、救急の現場は患者の緊急度の判定という重い役割を担わされ、市に損害賠償を求め提訴した母親は「なぜ来てくれなかったのか」という問いを繰り返す。

 祐映さんは埼玉県熊谷市で生まれた長男。両親は幼い頃に離婚し、母親が女手一つで育てた。弱音を吐かず、優しい子供だった。生物学に興味を持ち、中学3年の頃には「将来は研究者か理科の教員に」と夢を語った。医師の所見では「病死の疑い」としか分からなかった。死亡したのは119番の翌日ごろという。「なぜ救急車は来てくれなかったの」。翌10日、119番の音声記録を山形市に開示請求した。

 「運が悪かった」と納得しようと努力もした。だが「もし救急車が来ていれば」との思いが消えない。今年6月、「死んだのは救急車が来なかったから」と市に1000万円の賠償を求め提訴した。母親は新盆を終え、訴訟に臨む。「祐映のような思いをする人が二度と現れないよう救急体制のあり方を見直してほしい」。


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 このような裁判の記事を読む際に私が必ず感じることは、政治経済その他のニュースに比して、あるフィルターが掛かっているということです。それは、語りたいことの核心が言語にならず、それゆえに記者及び読者と被害者の家族は対等ではなく、語った言葉に騙されているような感じを受けるということです。人は、起きた出来事を理解して整理するため、必ず理由をつけようとします。しかしながら、語れないことは語れません。

 言葉が語ることは嘘であり、沈黙が語らずに示すところを見ようとしない限り、その報道を聞く者は単に「都合の良い理屈に飛びつく」状態になるものと思います。こうなってしまうと、物事はそのようにしか見えなくなります。言語によって構成される法律、そして言語によって運営される裁判も同様です。現在の社会が用意する裁判という制度を利用するしかないことによる二次的被害は、このような部分から発生しているものと思います。

 このような事故や裁判の報道では、次の4つの要素がテンプレート化しており、もはや語れないことは強引に語り得る形にするよう決まっているものと思います。
 (1) 亡くなった人を褒める。生前の人柄や将来の夢。事件の悲劇性。
 (2) 起こった事実を隠さずに明らかにして欲しいという家族の願い。
 (3) 二度と同じことが起きないよう、死を無駄にしないことの意義。
 (4) 社会問題としての原因の探求。構造の分析。裁判の勝敗の予測。

 そして、このような形に変形された家族の思いは、匿名のネットにおいて、「裁判に訴えること」が嫌いな人々から以下のような罵詈雑言を浴びるのが実情だと思います。
 (1) 死んだ人の夢に何の意味があるのか。聞かされるだけ不愉快である。
 (2) 何でも他人のせいにして訴えるのはモラルの低下、クレーマーである。
 (3) 起きたことは変えられない。逆恨みせず、前向きに生きたほうがいい。
 (4) 金が目的としか考えられない。命を金に替えるな。恐らく敗訴である。

 また、被告側の現場の実情を知る者からは、裁判に訴えられたことに対する以下のような非難の声が上がり、それが表に出てしまうのも匿名のネットの弊害だと思います。
 (1) 事件と無関係の感情論は誤りを誘発する。こちらを悪者扱いするな。
 (2) 訴えられる危険があれば、現場は萎縮する。それで困るのは国民だ。
 (3) 二度と起きないということはあり得ない。リスク管理の問題である。
 (4) 個人的な恨みのために裁判を使うな。弁護士が煽っているはずだ。

 これらの(1)~(4)の非難を受ける二次的被害は、もともとのテンプレートである(1)~(4)が苦し紛れの整理ないし理由付けのため、的を外しています。そして、的外れであるがゆえに、このような言葉をぶつけられる二次的被害の不条理は破壊的だと思います。

岩手 被災地派遣の男性職員が自殺

2012-08-26 23:36:35 | 時間・生死・人生

8月24日 NHKニュースより
「岩手 被災地派遣の男性職員が自殺」

 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市に派遣された盛岡市の男性職員が7月下旬、自殺していたことがわかりました。男性は「被災地で役に立てず申し訳ない」という内容の遺書を残していて、岩手県は派遣職員の心や体の健康管理を徹底するよう自治体に通知しました。

 自殺したのは、ことし4月に盛岡市の道路管理課から陸前高田市の水産課に派遣された35歳の男性職員です。陸前高田市によりますと、男性職員は主に被災した漁港の復旧工事を担当していましたが、先月22日、車の中で首をつって死亡しているのが見つかり、「希望して被災地に行ったが、役に立てず申し訳ない」という内容の遺書が残されていたということです。

 被災地への職員の派遣は岩手県が調整していて、ことし6月に県の担当者が男性職員と面談した際には、特に悩みは聞かれなかったということです。岩手県は職員の派遣を受けている沿岸の10市町村に対して派遣職員の心や体の健康管理を徹底するよう通知しました。


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 昨年3月11日を境に日本人の価値観は変わり、助け合いの精神、人との絆の大切さ、命の重さを思い出すに至ったという評論をかなり目にしました。いずれも地に足が着いていない抽象論であり、拙速な結論であるとの感を持ちます。ちなみに、大津市の中学生が毎日自殺の練習をさせられ、自宅を荒らされて財布を盗まれ、自ら命を絶つしかなくなったのは、震災から約半年後のことでした。こちらの事件の詳細な事実のほうに、震災の前後を通じた日本人の価値観が現れていると思います。

 被災地の外部においては、原発に関する認識を除き、日本人の価値観は震災の前後ではほとんど変わっていないと思います。相次ぐ児童虐待や殺傷事件も変わりませんし、現代社会があまりにも慌しすぎ、情報が多すぎる点も変わっていません。あらゆる欲望に溢れた現代社会は、個々の人間の欲望をお金に変えて存在しており、これは企業側の欲望の刺激と消費者側の欲望の放流との依存関係であると感じます。そして、この関係の強さは、震災などでは全く変わらなかったのだと思います。

 このような社会において、真に献身的かつ他人を理解し共感する力を持つ者は、非常に生きにくく苦しいと思います。利己的な欲望を追求する幸せと利他的な善を追及する幸せとを比べれば、精神的な高さの次元が違います。ところが、目の前の事態が上手く行かない場合、我欲の果ての苦しみは自業自得であるのに対し、献身の果ての苦しさは完全な破滅をもたらします。「他人の役に立ちたい」という純粋な思いが本当であればあるほど、人は心が折れ、足元が崩れるのだと感じます。

 震災の直後によく聞かれ、いつの間にか聞かれなくなった言葉も多くあります。例えば、「……は被災地の復興にならない」、「被災地に勇気を与えるために……」、「こういう時だからこそ元気を出して……」といったものです。今にしてみれば、欲望の追求を止める術を失った社会が、単に自粛期間に息を潜めていただけではないかと思います。震災が起ころうと起こるまいと、現代人はかつての規範意識を捨て、一線を越えたまま情報に追われているということです。

中島敦著 『李陵・山月記』より(2)

2012-08-24 23:15:23 | 読書感想文

「李陵」 p.113~

 従来の史書はすべて、当代の者に既往をしらしめることが主眼となっていて、未来の者に当代を知らしめるためのものとしての用意があまりに欠けすぎているようである。要するに、司馬遷の欲するものは、在来の史には求めて得られなかった。どういう点で在来の史書があきたらぬかは、彼自身でも自ら欲するところを書上げてみてはじめて判然する底のものと思われた。

 彼の胸中にあるモヤモヤと鬱積したものを書き現わすことの要求のほうが、在来の史書に対する批判より先に立った。いや、彼の批判は、自ら新しいものを創るという形でしか現われないのである。自分が長い間頭の中で画いてきた構想が、史といえるものか、彼には自信はなかった。しかし、史といえてもいえなくても、とにかくそういうものが最も書かれなければならないものだ(世人にとって、後代にとって、なかんずく己自身にとって)という点については、自信があった。

 彼は「作る」ことを極度に警戒した。自分の仕事は「述べる」ことに尽きる。事実、彼は述べただけであった。しかしなんと生気溌剌たる述べ方であったか? 異常な想像的視覚を有った者でなければとうてい不能な記述であった。彼は、ときに「作る」ことを恐れるのあまり、すでに書いた部分を読み返してみて、それあるがために史上の人物が現実の人物のごとくに躍動すると思われる字句を削る。すると確かにその人物はハツラツたる呼吸を止める。これで、「作る」ことになる心配はないわけである。

 しかし、これでは項羽が項羽でなくなるではないか。項羽も始皇帝も楚の荘王もみな同じ人間になってしまう。違った人間を同じ人間として記述することが、何が「述べる」だ? 「述べる」とは、違った人間は違った人間として述べることではないか。そう考えてくると、やはり彼は削った字句をふたたび生かさないわけにはいかない。元どおりに直して、さて一読してみて、彼はやっと落ちつく。いや、彼ばかりではない。 そこにかかれた史上の人物が、項羽や樊會や范増が、みんなようやく安心してそれぞれの場所に落ちつくように思われる。


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 歴史を「作る」ことを警戒しつつ、「述べる」ことのみに心を砕き、なおかつ「述べる」ことだけで終わらないという歴史への向き合い方は、非常に繊細かつ厳格であると感じます。過去に起きてしまった歴史は客観的には唯一絶対のはずであり、ゆえに後世の人々によって歴史の真実が探求されます。ところが、この種の真実が真実であったためしがなく、それが歴史というものに対する双極的な固定観念を生んでいるように思います。

 歴史を「作る」方向を貫徹すれば、自由主義史観と自虐史観の論争にみられるように、歴史認識を巡る妥協の余地がない対立が生じ、容易に収束し得なくなるものと思います。ここでは歴史の真実を探求する形が採られていますが、実際には真実が探求されているとは思えません。他方で、歴史を「述べる」方向に終始すれば、歴史の謎がミステリーとして楽しまれることとなり、やはり真実など探求されなくなるものと思います。後世の新発見によってその都度変わる歴史など、歴史の名で呼ばれるに値しないと感じます。

中島敦著 『李陵・山月記』より(1)

2012-08-23 23:37:18 | 読書感想文

「弟子」 p.55~

 大きな疑問が一つある。子供の時からの疑問なのだが、成人になっても老人になりかかっても未だに納得できないことに変りはない。それは、誰もが一向に怪しもうとしない事柄だ。邪が栄えて正が虐げられるという、ありきたりの事実についてである。此の事実にぶつかる毎に、子路は心からの悲憤を発しないではいられない。何故だ? 何故そうなのだ?

 悪は一時栄えても結局はその報いを受けると人は云う。成程そういう例もあるかも知れぬ。しかし、それも人間というものが結局は破滅に終るという一般的な場合の一例なのではないか。善人が究極の勝利を得たなどという例は、遠い昔は知らず、今の世では殆ど聞いたことさえ無い。何故だ? 何故だ? 大きな子供・子路にとって、こればかりは幾ら憤慨しても憤慨し足りないのだ。

 彼は地団駄を踏む思いで、天とは何だと考える。天は何を見ているのだ。其の様な運命を作り上げるのが天なら、自分は天に反抗しないではいられない。天は人間と獣との間に区別を設けないと同じく、善と悪との間にも差別を立てないのか。正とか邪とかは畢竟人間の間だけの仮の取決に過ぎないのか? 子路が此の問題で孔子の所へ聞きに行くと、何時も決まって人間の幸福というものの真の在り方に就いて説き聞かせられるだけだ。

 善をなすことの報いは、では結局、善をなしたという満足の外には無いのか? 師の前では一応納得したような気になるのだが、さて退いて独りなって考えて見ると、矢張どうしても釈然としない所が残る。そんな無理に解釈してみた揚句の幸福なんかでは承知できない。誰が見ても文句の無い、はっきりした形の善報が義人の上に来るのでなくては、どうしても面白くないのである。


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 この小説は、孔門十哲(孔子の10人の弟子)の1人である子路(BC543年~BC481年)をモデルとしたものです。後世の者が歴史から何かを学ぶという場合、時代や地域が全く違うのであれば、その違いを前提として学ぶ材料を探すのが通例だと思います。そして、その中から類似性が見出されれば、何か新しい発見でもしたように驚かれますが、これは入口が逆だと思います。

 時代や地域や言語の違いを超えて、人間の内心は必ず言葉で構成されています。そして、確かに人間の内心がこのようなものである以上、後世の者が過去の人物に近づこうとすると、どうしても言葉によって拒まれます。人間の内心の言葉そのものは言語化できず、その外に出てきた言葉はすべて嘘を語っているからです。2500年前の人物の言葉から教訓を得ようとすれば、その嘘によって騙される以上、こちらも堂々と嘘をつくしかないと思います。

姜尚中著 『続・悩む力』より その2

2012-08-20 00:05:42 | 読書感想文

p.185~

 思えば、60数年前まで、日本の社会は戦争によって死と隣りあわせだったのです。なのに、ふと気づいてみれば、死からはるかに遠ざかって、世界有数の長寿社会になってしまいました。そして、死から遠ざかったために、同時に生の尊さもわからなくなってしまいました。

 私たちは普通、人生においていちばん重要なのは「未来」を考えることであり、「過去」を懐かしんだり過去にとらわれたりするのは後ろ向きだと考えがちです。そのため先のほうばかり目を向けてしまうのですが、人間にとって本当に尊いのは、実は未来ではなく過去ではないでしょうか。

 過去の蓄積だけがその人の人生であり、これに対して未来というのはまだ何もなされていない、ゼロの状態です。あくまでも、未来はまだないものであり、無にほかなりません。ですから、過去を大事にするということは、人生を大事にすることにほかならず、逆に、「可能性」だとか「夢」だとかいう言葉ばかり発して未来しか見ようとしないのは、人生に対して無責任な、あるいはただ不安を先送りしているだけの態度といえるかもしれません。

 「未来」へ、「未来」へ、私たちが先のほうばかりに目を向けたくなるのは、これもまた市場経済の特性ととてもマッチしています。市場経済においては、消費の新陳代謝を加速させるために、徹底的に未来だけが問題とされるからです。そこで、市場のなかにどっぷりと浸かっている私たちのほうも、思わぬうちにそのような市場の価値観に引っ張られてしまわざるをえないのです。


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 東日本大震災で児童108名中70名が死亡した石巻市立大川小学校では、子供を亡くした親と、難を逃れた子供の親との救いがたい距離が顕在化しているとの報道を聞きました。当たり前のことと思います。大川小学校に限らず被災地全般、そして被災地に限らず連日の事件や事故が起きている全国各地に共通する現実であると思います。そして、このような解決不能の問題は、いつも国民的議論の盛り上がりとは無縁です。

 「未来」を論理的に突き詰めれば、未来のその先は死です。これは、過去の生に比べて不安定で不確実であり、得体の知れない概念です。しかし、震災後から連呼されていた「未来」は、そのような厳密な検討を経ておらず、単にその場しのぎの未来であったものと思います。多数派に属する者が通常の社会生活を営む際には、昔の出来事はどこかで区切りをつけて「終わったこと」「過去のこと」にしてくれないと、行動しにくいからです。そして、誰もが未来に希望を持って立ち直れば、その目的は表面上は達成されるものと思います。

 子供を失った親における唯一の望み、すなわち「生きてさえいてくれればいい」という願いは、「何をしても帰らない」という絶望と表裏一体であり、名誉・幸福・成功・出世といった観念と対立せざるを得ないものと思います。他方、現に生きている子供の人生は、幸福・成功といった観念からの絶え間ない挑発を受け、死者が不在となった世界で強制的に前に進まされることとなります。紙一重の差で反対方向の人生に向かってしまった両者が、わかり合える道理がないと思います。

 子供を亡くした親の側が採り得る姿勢は、話し相手を不快にさせないために殻を作り、演技をし、理解されないことは語らず、自身が絶望の底に突き落とされるのを防ぐことだと思います。これに対して、子供が難を逃れた親の側の罪悪感は長続きせず、これを不快感に転化させる途が保障されています。生き残った苦しみに比して、亡くした苦しみの質、期間及び規模は異次元であると思います。そして、震災後に叫ばれた「未来」は、それによって「終わったこと」との区別を明確にし、人々の間の距離を広げてきたのだと感じます。

姜尚中著 『続・悩む力』より その1

2012-08-19 23:46:04 | 読書感想文

p.148~

 海外、とくにキリスト教圏では、大きな災害などが起こったとき、各宗派が競ってそれについてのメッセージを出します。この災害は信仰の面から見て人間にとってこんな意味がある、といった意味づけを盛んに行うのです。

 ところが、東日本大震災についていうと、日本の宗教界では、その類の発言はほとんど行われませんでした。もちろん、キリスト教系や仏教系、神道やその他、さまざまな宗派、信仰者の集団が、復興に向けたボランティア活動などに目覚ましい働きをしました。しかし、大災害と多大な人命の喪失をどう宗教的に意味づけるのかという議論が、意図的に回避されたように思えます。

 一般的に、日本は無宗教な国民だといわれます。戦前・戦中に政治的イデオロギーを一種の宗教のように信仰した結果、手痛い敗北を喫したトラウマはとても大きいものでした。そのため、政治と宗教に対しては色をもたぬのがよいという教訓になり、ひいては何ごとに対しても無色透明であることが習い性のようになってしまったと思われます。

 だが、当然ながら、無色透明でないほうがよいときがあります。そのあたりの問題が、今回、「3・11」で露呈したのではないでしょうか。大震災や原発事故によってもたらされた夥しい数の人びとの死や自然の荒廃について、宗教的な立場からの何らかの意味づけがもっと語られるべきだったのではないでしょうか。


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 「神も仏も存在しない」「もし神や仏が存在するのであればこんな出来事は起きない」という現場を前にして退散する宗教は、偽物だと思います。また、「これは神があなたに与えた試練である」と地獄の真ん中で叫んで袋叩きに遭わない宗教は、やはり偽物だと思います。人は絶句や沈黙によってしか真実を語れないのであれば、平時は能弁であったものが危機的な状況に陥ると口を噤むというのは、話が全く逆だと感じます。

 無宗教の国の宗教にできるはずだったことは、「希望」「未来」「立ち直り」「乗り越え」という言葉が一神教のような力を持ち始めたとき、「絶望」「過去」「立ち直れるはずがない」「乗り越えられるはずがない」という言葉を語ることであったと思います。日本の無宗教性は、多くの場合、無神論の裏返しとしての科学信仰、イデオロギー信仰、あるいは似非宗教の信仰による安住という形に収まっており、無宗教による虚無の狂気を生きている者は圧倒的少数であると感じます。

黒鉄ヒロシ著 『千思万考・天之巻』

2012-08-16 00:03:56 | 読書感想文

p.80~
 源頼朝の性格は総じて陰険ということで一致する。才能や功績はさて措き、異常とも言える頼朝の人格形成に、興味の専らは集まる。家族構成、家庭環境、幼児体験などが人格形成に影響することは常識だが、頼朝の経歴は全てに於いて異常の範疇にある。
 父母なし、家なし、財産なし、更に家来の一人だに持たぬ没落の身に、源氏の嫡流の血筋など逆に大弱点となりかねない。危険を察知する極限の観察力は磨きに磨かれただろうが、同時に猜疑心もヒトの百に倍する程にも暗く黒く育ったであろう。

p.94~
 敗戦後の昭和、そして平成と平和に呆けた時代を生きる我々は戦国武将をイメージする輪郭を随分と暖かく設定する嫌いがあるのではないか。当時を描く小説やドラマの中で、武将の口を借りて「我等、戦国の世を生きる者……」なんて科白を喋らせてくれるが、武将の一人として「戦国」などという言葉を書き遺してはいない。
 後の世の我々が振り返り過去完了として「嗚呼、戦国の世でありしかや」と字句を当てるのであって当時の彼等にしてみれば全体がどうであろうが知ったことではなく、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの現在進行形の瀬戸際に肩で息をしながら血刀を持って立っていたのだ。

p.178~
 強力なリーダーシップは、同量のパワーの後押しを必要とする。歴史上に出現した名君(明君)と暗君の数を比較してみると、パワーがマイナス側に作用したケースの方が圧倒的に多いことに気付かされる。
 独裁者の特質を簡単に言ってしまえば、トップ・ダウンの命令系統にある。何事を成すにもスピーディで歯切れも良いが、善良さを維持し続ける独裁は世界史にも見つからない。すべからく欲望にからめ取られ、エンディングは悲惨である。
 合議制が何を成すにも遅々として進まずまどろっこしいのは特質がボトム・アップであるからだ。待ち望む名君、今の時代のリーダーがコトを成さんと立ち上る際に、対立する意見や、摩擦を生じる集団が立ちはだからなければ、「改革」と呼ばなくて済む。

p.222~
 引き算やら足し算、掛け算、割り算を主観的に施されるところの、面白くて遊びの領域となる歴史がある。一方、学問的と言うのか、客観的な記述としての歴史がある。後者は認知され、確立する迄に時間がかかるようである。時の経過を味方にしなければ手に入らない。
 「国家」を、ひとつの人体に譬えてみると、「戦争」とは精神に異常を来したパニックの状態と言える。巨人に於ける、貴方と私と君と僕は、細胞のひとつになる。ヘンテコな指令を脳に出されても、細胞の単位では、如何ともし難い。多くの細胞は自己保身に汲々とする弱虫だ。


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 歴史の年表を見れば一目瞭然ですが、人類の歴史は戦争の歴史です。平和な世が望ましいのであれば、何があっても黙って寝ていれば戦争は起こりませんが、そうなると正義が不正義に取って代わられてしまうわけで、「権利のための闘争」をせざるを得なくなるものと思います。正義は戦って勝ち取られなければならないことと、正しい平和をもたらすための戦争は同義です。ここで愚かなのは戦争ではなく、正義のほうだと思います。

 平和な世で比喩的に用いられる「○○戦争」の語は、歴史の年表に載る公式な戦争よりも、むしろ人が争いに巻き込まれざるを得ない状況を表わしているように思います。世の中には「戦争が大好きだ」という者が必ず一定数おり、それは不正義を打ち倒すという信念の裏付けを獲得することになります。他方で「戦争は嫌いだ」という者は争いを好まないか、あるいは反戦平和を価値として闘争する矛盾に陥るものと思います。

 平清盛は、今や源氏との覇権争いに負けた武将というよりも、視聴率戦争に負けた武将というイメージが強くなってしまったと思います。私自身、平清盛が命を懸けて戦っている心情には上手く入り込めませんが、視聴率の数字によって右往左往する関係者の心情には簡単に入り込めます。直接の利害関係のない者が、他人のランキングという争いの結果を見て楽しむのは、あまり品の良いものではないと思います。

ヘルマン・ヘッセ著 『デミアン』

2012-08-13 23:45:14 | 読書感想文

p.162~
 私はそのころ18歳くらいの並はずれた青年で、いろいろな点で早熟であったが、また別ないろいろな点ではきわめて遅れており、たよりなかった。ときどき自分をほかのものに比較すると、私はよく得意になり思いあがったが、卑屈にもしょげてしまうことも同様に珍しくなかった。私は自分をしばしば天才だと見なしたが、同時にしばしば半分きちがいだと見なすことがあった。私には同年輩の友だちの喜びや生活を共にすることができなかった。

p.169~
 われわれの見る事物は、われわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独得の世界をぜんぜん発言させないから、きわめて非現実的に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。

p.215~
 しるしを持っている私たちが世間から奇妙だ、狂っている、危険だ、と思われたのも、もっともかもしれない。ほかの人々の努力や幸福探求が、その意見や理想や義務や生活や幸福を衆愚のそれにますます密接に結びつけることを目ざしていたのに反し、私たちの努力はいっそう完全な覚醒を目ざしていた。われわれ、しるしのあるものが、新しいもの、孤立したもの、来たるべきものへの自然の意志を表わしていたのに反し、ほかのものたちは固執の意志の中に生きていた。


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 法学の理論においては、すべての法は憲法を頂点とした価値序列の中にあり、憲法の中にも価値序列があります。日本国憲法における頂点は、個人の尊厳と幸福追求権を定める13条であり、ここから演繹的に展開される論理は強固な体系を形成しています。そこでは、宗教については信教の自由に、哲学については学問の自由に回収されることになります。

 「世間の人々の幸福追求は、その意見や理想や義務や生活や幸福を衆愚のそれに結びつけることを目指す」といった分析は、憲法の体系からは厳しく拒絶されることと思います。「衆愚」などという物言いは個人の尊厳について正しく理解していない証拠だと批判されたうえ、その作品に対しては表現の自由・思想の自由の保障が与えられるのみだと思います。

 人の世の罪を裁いて罰を与える際に、憲法の体系の下にある刑法・刑事訴訟法による処理がなし得ることは、物事のある一面の部分のみであると思います。この一面とは、「外部の物象を現実的と考えることの非現実性」に依拠した部分です。ここでは、証拠から殺意を認定しようとして行き詰まったり、精神鑑定をしているうちに誰が何を探しているのか解らなくなる事態が避けられないものと思います。

鹿島田真希著 『冥土めぐり』

2012-08-10 00:07:37 | 読書感想文

p.48~

 物心つく頃には、すでに奈津子の希望と欲望は薄れていた。普通の女の子みたいに、アイドルになりたいとも思わなかった。母親みたいにスチュワーデスになりたいとも思わなかった。母親がそれを言っても、奈津子は自分に華々しい将来があるなどと、とても考えられなかった。

 奈津子はすっかりあきらめていた。なにもかもあきらめていた。そして自分の身に起こる、理不尽や不公平、不幸について、何故そんな目に自分が遭わなければならないのか、よく考えることもしなかった。なるべく見ないようにして生きた。それは直視しがたいことであり、もし見てしまったら、血すらも流れない、不健全な、致死の傷を負うことになると知っていたからだ。


p.52~

 彼は知らない。彼が漠然と考えている、すごい人間、すごい世界は、架空のものであるということを。確かに人生には、波があるのかもしれない。不幸があれば、幸せがあると思うのは健全な発想なのかもしれない。しかし、その波は、彼の満足いく形では訪れないだろう。その満ち潮が寄せた時の幸せというのは、彼の考える、すごい世界とやらの到来ではないのだ。彼にとっては、存在しないものに憧れる自分は正しくて、それになれないことが不正なのだ。


p.64~

 おそらくこれも美しいものなのだろうと、奈津子はその絵を見つめた。自分にとってはさほど美しい絵でもないが、きっと他の人にはそうなのだ。そう考えて、自分が感じていることは違うのだと言う当たり前のことに、いまさらながら思い至る。自分ではない、他の人が美しいというものを見て、癒されようとしていた自分は不自然だ。

 だけど周りの人がこれを美しいというのなら、それでも構わないと奈津子は思う。自分にとっていいものを今は追及する時ではない。美しいこと、正しいこと、そう言うことから少し離れて、休息してみたかった。今までは、そんな不自然な自分に、違和感を覚えながらも立ち止まることはなかった。とは言え、いつだって矛盾や理不尽について、語れる時を待ってもいたのだった。


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 芥川賞が昔に比べてどうだとか、レベルがどうだとか、その辺の話はよくわかりません。 ただ、法律事務所で弁護士を相手に懸命に話して文章にしてもらっても全く救われない人が、小説家に話してその内容を文章にしてもらえれば、ある程度までは救われるだろうという気がします。また、小説家であれば、法律事務所での会話に30分でも同席すれば、あっという間に短編小説ができ上がってしまうだろうと思います。