犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

井上薫著 『司法は腐り人権滅ぶ』

2007-09-21 18:11:04 | 読書感想文
井上氏は元横浜地方裁判所の裁判官であり、「判決文では結論を導くのに必要のない部分は蛇足で不要なもの」という信念から、驚異的に短い判決文を言い渡すことで有名であった。被害者からの必死の民事訴訟に対しても、あっさりした2~3行の判決文しか書かず、その読み上げも1分足らずで終了してしまい、被害者からの抗議が起きて物議をかもしたことがある。

そのような多大な犠牲を払っている以上、何か立派な思想があるのではないか。この本にはそれを期待したが、最初から最後まで何が言いたいのかよくわからない。現役の裁判官や退職した裁判官が積極的に著述、発言をすることが悪いわけではないが、問題はその内容である。中身がないのに、裁判官という肩書だけで語られる理屈は空疎である。そこから裁判官という肩書を除けば、後には何も残らないからである。

井上氏はあまりの判決文の短さに横浜地方裁判所の所長から注意を受け、最高裁判所の下級裁判所裁判官指名諮問委員会は同氏について再任不適当と答申したことがある。これに対して井上氏は、このような注意は不当な裁判干渉であるとして、逆に横浜地裁所長の罷免を求めて応戦した。全くもって醜い泥沼であり、外から見てみればどちらでもいい話である。しかし、この間に井上氏の裁判を受けていた当事者はたまらない。特に、人生をかけて勝ち目の薄い裁判に必死で挑んでいた人はたまらない。

井上氏は裁判官の退官の際に、「立場上これまで抑えてきたが、今後は司法の現場の真相を全部暴く」と怪気炎を上げたそうである。そして、昨年7月に『でたらめ判決が日本をつぶす』、今年3月に『狂った裁判官』を発表し、さらに今年5月に本書を発表した。ルサンチマンのエネルギーとは恐ろしい。司法の越権行為から国民の人権を取り戻すという井上氏の主義主張はわからないこともないが、それがどうして極端な司法消極主義に直結するのか、人権を取り戻すと言いながら人権問題・憲法問題に論が及ぶことを最大限に回避しようとするのか、何だかさっぱりわからない。

それでも井上氏の筆致は勇ましく、とどまるところを知らない。「本書の公刊によって、誰も判例と信じて疑わない強固な城が、完膚なきまでに破壊しつくされる一部始終を読者の前に明らかにしてしまいました。判例の威信は、いよいよ傷つきもはや解決はありえないまでにいたりました。裁判の世界では、これ自体、驚天動地の出来事です」、とのことである。多くの国民にとってはどっちでもいい話であり、裁判の世界で勝手に驚天動地していても、別に誰が困るというわけでもない。ただ、被害者に対しては、せめて政治的な争いのとばっちりが及ぶことだけは避けてほしいものである。