犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある手紙(6)

2012-10-28 00:03:39 | 国家・政治・刑罰

(5)から続きます。

 あなたの仕事ぶりは、生き地獄にいる私から見ても誠実だったと思います。頭の良い裁判官だけでは裁判所のシステムは成り立たず、人情味のある書記官がいて、そのバランスが裁判所を支えていることがわかります。でも、本当に裁判所を支えているのは被害者遺族だという自負が私にはあります。私は、もしあなたが人の命よりも儀式の形式を大事にし、娘の死を正義であるという態度を採っていたならば、私は裁判所にガソリンを撒いて火をつけたいという衝動を抑える反動として、裁判所の前でそのガソリンを自分でかぶっていたかも知れません。

 被害者遺族というのも、今や私にとって職業のような肩書きになってしまいましたが、この肩書きは死ぬまで取れません。職業のように辞めることができません。無理であることがわかっていながら辞めたいと思うこと、これは無意味であり、自傷行為ですが、私は自分を苦しめることが止められません。表向きと本音を分けることができる書記官の方々が羨ましく、嫉妬し、目を背けます。

 人はある日突然理不尽に命を落とすことがあるのだという現実の前では、地位も名誉も収入も意味がありません。出世しなくてもいいです。競争する必要はありません。人は、ただ生きているだけで十分です。でも、世間でこれを大声で言うと嫌われるのですね。わかっています。経済の発展を阻害するのですね。ですから、陰で祈るだけです。

 もし、あなたのご両親がご健在でしたら、まずは親よりも先に死なないことです。生きているだけで十分です。ご健康で仕事を続けられることを陰ながらお祈りします。


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フィクションです。

ある手紙(5)

2012-10-27 00:13:22 | 国家・政治・刑罰

(4)から続きます。

 多くの被害者遺族が世の中に対して声を上げないで黙っているならば、それは裁判所の判断に満足したからではなくて、裁判所に何も期待していないからです。法律に期待しないというより、この世の中の諸々に期待していないからです。それでも人は死なない限りこの世に生きているしかないのであり、私は世の中の片隅で生きています。何を見ても灰色に見えます。色が付いていた昔が思い出せません。

 私が妻との離婚に至った直接の原因は、無罪判決の日の夜の会話でした。妻の両親が自宅に来たのですが、そこで修復不可能な争いが起きたのです。検察官に控訴を求めるかどうか、という話がこじれました。妻の両親は、無罪判決の責任は私の力不足にあると言いました。私が法制度の説明をすればするほど、娘への愛情が感じられないという反論に遭いました。こうなると、裁判所も被告人もそっちのけです。単なる醜い身内の争いです。

 妻は、裁判所で意見陳述をした私の言葉に力がなかったのだと言って泣きました。妻の両親もそれに同調して私を責め立てました。私はまさにその時、良識ある社会人として妻とその両親を説得にかかりました。刑事裁判の本質からすれば、遺族にできることは限界があるということです。その説明が妻との別居の引き金になり、ついには離婚となりました。無罪判決によって正義が守られた被告人に比べて、哀れで惨めな夫婦です。

 裁判所の無罪判決によって私達が離婚した、という因果関係はあると思いますが、これを法律家に言うと馬鹿にされるので、言わないようにしています。ただ、あなたをはじめとする裁判所の方々には、多くの裁判において、裁判所の判断のあとで、それを巡った長く苦しい修羅場が続くということは知られていないと思います。少なくとも私は、刑事訴訟法のために人生の敗者となりました。そして、その立場でいいと思っています。娘のいない世界で勝っても無意味です。

 娘に死なれ、妻に逃げられ、友達も失い、孤独な嫌われ者に転落した私ですが、あなたをはじめとする裁判所の方々に望むことは、裁判所が法的な紛争を解決するための場所に過ぎないのならば、そのように認めたうえで制度を運営して欲しいということです。裁判所は大した機関ではなく、法的な紛争を解決する程度の仕事に過ぎず、裁判官も書記官も立派な仕事をしているわけではなく、誇りを持たないで欲しい、ということです。でも、これは無理でしょうね。精神衛生上悪いことを続けていると、人間は本当に死んでしまうでしょう。色のついた世界と、灰色だけの世界が断絶している残酷さに身を焼き尽くされます。

(6)へ続きます。

ある手紙(4)

2012-10-26 23:51:56 | 国家・政治・刑罰

(3)から続きます。

 私は娘と会えなくなった日以降、自殺への衝動と同居しています。別に死ねば娘に会えると考えているわけではありません。単に、現に死への誘惑と隣り合わせに生きており、何の希望もなく、裁判制度の破綻に対しても何も声を出せずにひっそりと生きて、いずれ来るべき死を待っているだけです。

 自力救済こそが正義であるという心の底からの確信があり、しかも裁判所は何の解答も出さずに逃げているにもかかわらず、現に自力救済が起こらずに世の中の法秩序が守られているならば、それを裏から支えているのは、この遺族の自殺への願望です。少なくとも私は、そのように自負しています。現に、死を選んだ人の数を数えてみれば、戦慄が走る結果が出てくるだろうと思います。しかしながら、法制度の側にしてみれば、死んでくれたほうが有難いかも知れません。

 刑事裁判のあり方を決める法律は、司法権の問題ではなく、立法権の問題です。すなわり、我々主権者の投票によって変わります。しかし、私はあの日以来完全に世の中のことに興味をなくました。娘の命の前には国家も民主主義もどうでもよくなり、政治にも興味なくしました。選挙も行っていません。有権者としては失格です。別に失格でも構いません。自分は、民主主義世界とは違う世界に入り込んでしまった感じです。

 あの日を境に私は社会人ではなくなり、世の中に適合できなくなりました。民事を依頼した弁護士との打ち合わせも、ほとんど時間が守れませんでした。娘が存在しない世の中であれば、そんな世の中の決まりごとに意味がないからです。スケジュールで動いている弁護士にとっては、困った人間ですよね。遺族だから大目に見てくれというのは社会では通用しないことは承知の上で、私はやはりどうしても足が法律事務所に向かないことがありました。娘がもうこの世にいないと十分わかっていながら、私が事務所に行ってしまうと、娘がいないことを認めることになるからです。矛盾しています。こんな理屈はやはり社会人として通用しません。

 このようなことが続いて、最初の弁護士は辞任してしまいました。お金だけは取られましたが、反論する気もありませんでした。社会の決まりである法律の議論をする場では、社会人不適合者はスタートラインにも立てなかったわけです。あなたにこんなことを言っても仕方ないですね。

(5)へ続きます。

ある手紙(3)

2012-10-25 00:00:18 | 国家・政治・刑罰

(2)から続きます。

 現在の制度に至るまでの刑事訴訟法の歴史については、自分でもかなり詳しく勉強し、裁判の過程ではそのことが何回も身に染みました。犯罪被害や裁判所とは無縁の一般の方よりは、何百倍も詳しくなりました。被害者遺族は法律を理解しないで感情論に走る、と決め付けられがちですが、私の周りで同じような立場にあった人の一部は、しっかり法律を理解していました。遺族といっても千差万別で、もともとの教養の高低や論理的思考力に左右されます。

 私は、娘の死によって、それまで信じていたすべての価値観が崩壊しました。足元もおぼつかない中で、崩壊した欠片を拾い集め、その中の1つが法律でした。それは、法律の壁が人間を苦しめる現実であり、価値観の崩壊を裏付けるものでした。私にとって、法律はもともと希望ではなかったため、さらなる絶望は免れました。

 刑事訴訟法は、まさに連綿と続く歴史の中で払われた、多大な犠牲の上に成り立っていること、法律の本に書いてある通りです。私は、そのことを理解すればするほど、娘の人生を踏みつける刃の強さを感じました。娘という人間がこの世に生まれて生きて短い生涯を閉じたこと、その人生をこの連綿と続く歴史にどう位置づけるのか、解決不能の問題に陥りました。ここのところは、あなたには上手く伝わらないかも知れません。

 とにかく、私は刑事訴訟法の歴史を勉強すればするほど、娘という人間をこの世に生み出した私という人間の存在が許されなくなり、娘に代わってやりたいという気持ちが強くなりました。自分が死んでいないで、なぜ娘だけが死んでいるのか、理解不能になりました。この辺も、弁護士や検察官に説明したのですが、どうしても上手く伝わらなくて、自分が哀れになって説明するのをやめました。

 私が知り合った他の遺族の方々も、偽善にまみれた世の中への破壊的衝動を抱き、裁判制度への絶望によって増幅された真っ黒なエネルギーを全身に抱えていました。秋葉原にトラックで突っ込みたいと語っていた人もいました。裁判所にガソリンを撒いて火をつけたいと言っていた人もいました。私は止めませんでした。止めないことが正義であるという確信があるからです。

 しかし、被害者遺族はそのようなことをしません。最愛の人をこのような形で失うという悲しい思いをする人が、地球上からいなくなってほしいと願うのが唯一の生きる理由であるにもかかわらず、その理由を破壊することになるからです。さらに被害者を増やしてはなりません。この矛盾はどこで処理できるのかと言えば、方法は自殺しかありません。

(4)へ続きます。

ある手紙(2)

2012-10-24 23:44:55 | 国家・政治・刑罰

(1)から続きます。

 裁判所は真相究明の場ではなく、道義的責任を追及する場ではなく、ましてや被害者救済の場ではないことは、私も痛いほど理解しました。また、裁判所はあくまでも法的な紛争を解決するための場所に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないことは、この裁判を通じて私が全身で理解させられたものです。そして、私が人生の全てを失ったのは、まさにこの論理が原因でした。娘は事故で命を失いました。私は、そこで人生の全てを失ったと思っていました。ところが実際は違いました。その後の裁判により、私はさらに人生を失いました。

 人間は自力で報復して恨みを晴らしていた時代から、理性によって問題を解決する時代へと成長してきて、それで法律が生まれて裁判所ができた、という説明をよく聞かされます。その一方で、裁判所は法的な紛争を解決するための場所に過ぎないのだ、という説明もよく聞かされます。私は、この2つの説明の間でずっと悩み続けました。

 裁判所は法的な紛争を解決するための場所に過ぎないのであれば、全ての問題を裁判所が解決できるわけではなく、多くの問題は残されます。それならば、残ったものについては何とか自力で解決してよいのかと言えば、今度はそれはだめだ、法秩序が守れないと言われます。

 一方では、今の社会制度の中で私の頼れる場所は裁判所しかないと言われ、他方では裁判所はそのような場所ではないと言われ、私は絶望しました。論理的に矛盾し、論理が破綻していると思いました。私は検察官や弁護士にこの論理矛盾を問いました。これは愚問でした。法律家の立場にある者がこの破綻を認めるわけがありません。恐らく、裁判所で働かれているあなたも同じでしょう。

 私は覚悟を決めました。この絶望と生涯闘っていくしかありません。破綻しているのは法制度ではなく、法制度に絶望した者のほうです。論理が破綻しているように見えず、自力救済禁止の秩序が守られているのは、それを法律が定めているからではありません。我々のような立場の者が血を吐きながら、家中の壁に穴を開けながら、食器を投げつけて粉々に割りながら、床をのたうち回って発狂しながら、近隣の住民からはパトカーを呼ばれながら、耐え忍んでいるからです。

 もし、裁判所の判決が不正義であると考え、自力救済のほうが正義であると確信し、私のような立場の者が一斉に行動を起こせば、恐らく法制度が内在的に抱える矛盾はあっという間に露呈するでしょう。自力救済禁止の秩序が守られているのは、法の力ではありません。私のような立場の者の力です。そしてこのような現実は、多くの人には気付かれません。嫌味ったらしい書き方をしてすみません。

(3)へ続きます。

ある手紙(1)

2012-10-23 00:02:46 | 国家・政治・刑罰

○○地方裁判所
裁判所書記官 ○○様

 私共の最愛の娘が亡くなってから、何年の月日が過ぎたのでしょうか。そして、娘が再び殺された無罪判決の日からは何年が経ったのでしょうか。いつも書記官席から真っ直ぐに傍聴席を見ていたあなたが、あの日は判決宣告の前から顔を伏せ、傍聴席を見ないようにしていたとき、私共は判決が無罪であることを知りました。

 この度、勝手ながら、私の心の整理のためにペンを取らせて頂きます。裁判長に伝えたいことは何もございませんが、書記官室や電話で何回かお話をさせて頂いたあなたに対しては、1つの区切りとして、お伝えしておきたいことがあります。裁判所の組織を飛び越えて、書記官であるあなたにお手紙をお送りすることは、単にご迷惑なことかも知れません。受け取れない場合には、どうか返送して頂くか、破棄して下さい。

 私は元々社交的で、友達は多いほうだったと思いますが、事故のあとは交流が数えるほどに減りました。口先だけの同情に耐えられなくて、自分のほうから縁を切ったこともありました。私が娘の話ばかりするので、愛想を尽かされて仲が悪くなった人もいました。「あなたも一人娘を奪われてから言ってください」という禁句が絶縁の原因でした。とにかく、それまで普通にしていた日常的な会話が苦痛になりました。

 世間を見渡すと、十分に幸せであるにもかかわらず、欲望を際限なく追求して不満を叫んで騒いでいる人達ばかりが目に入りました。私は、自分の人生の情けなさに崩れそうになり、引きこもりました。世間に背を向けて、違う世界で生きるようになりました。世間の幸せな人々は、娘を亡くす前の自分の姿でした。私の攻撃は自分自身に向きましたが、何をする気力も湧かずに抜け殻になっていました。

 妻とは別居になり、その半年後に離婚しました。開廷のたびに一緒に傍聴席に行っていた妻です。私も妻も、あなたの目の前で証言しました。あなたはその日のことをよく覚えていないかも知れませんが、私達はその日の細かいことまでよく覚えています。あなたにとってはどうでもいい、私の個人的なことですね。

(2)へ続きます。

今西乃子著 『犬たちをおくる日』 その2

2012-10-15 00:01:14 | 読書感想文

p.4~(序文)

 2009年2月19日、午後1時20分。その日、わたし(著者)が殺したのは30頭の成犬、7匹の子犬、11匹のねこであった。その死に顔は、人間をうらんでいるようには見えなかった。彼らはきっと、最期のその瞬間まで飼い主が迎えに来ると信じて待っていたのだろう。

 あの日からずっと、ステンレスの箱の中で死んでいった彼らを思わない日はなかった。「だれかをきらいになるより、だれかを信じているほうが幸せだよ」。犬たちの声が聞こえる。この「命」、どうして裏切ることができるのだろうか……。


p.154~(あとがき)

 「今西さん、ボタンおされますか?」 愛媛県動物愛護センターで当時係長だった岩崎靖氏の言葉に、わたしは迷わず「はい」と答えた。2009年2月19日、時間は午後1時20分だった。

 「どうぞ……」。わたしは岩崎氏にうながされ、右手の人さし指を「注入」と書かれた赤いボタンの上に置いた。モニターには処分機の中の犬たちのあわてる様子がくっきりと映し出されている。わたしはこの手でボタンをおした。犬たちのその後の様子は、本書に書いたとおりである。わたしは決して目をそらすことなく、最後までその様子を見届けた。


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 この社会は矛盾だらけであり、個人の力ではどうにもならないことばかりだと思います。そして、社会は人間の集まりの別名である以上、社会の矛盾が解消されないのは、矛盾が存在しない者にとっては矛盾が存在しないことによるのだと思います。動物の命についても、動物は「ヒト・モノ・カネ」の中の「モノ」であり、それを「ヒト」が「カネ」で買うのだと考えれば、そこには何の矛盾もありません。「犬はモノではなく命なのだ」という認識は、上昇志向が支配するビジネスの現場からは、稚拙で甘ったれた考えだとして一蹴されるのが実際のところだろうと思います。

 動物の命が人間の勝手によって失われている現状に正面から向き合うならば、人間が採り得る態度は、大きく分けて2つだと思います。すなわち、繊細と鈍感です。繊細に考えれば、人間はその考えの途方もなさに潰されます。そして、潰れた後には、潰れていない者がその仕事をしなければなりません。他方、鈍感に考えれば、あるべき理想の世界への希望を持つことができます。しかし、その理想が現実化しなくても、その検証は行われないばかりか、過去の決意すら記憶の彼方に消えます。ここでも、欲望の放流によって倫理的な人間が翻弄されているように思います。

 愛媛県動物愛護センターの現場の最前線において、全身全霊で言葉の話せない犬と向き合っている方々からは、繊細と鈍感の中間ではなく止揚としか言いようのない矜持を感じます。「犬の人気ランキングが下がったから捨てる」という無責任な飼い主の正当化の理屈に唖然とする場面では、鈍感であれば身が持たず、繊細にならざるを得ないものと思います。他方、「あなたが実際に犬の命を奪っている殺し屋だ」という言われのない嫌がらせや非難に向かう場面では、繊細であれば身が持たず、鈍感にならざるを得ないものと思います。

 この本の著者の今西乃子氏は、高い志と誇りを持って動物たちに誠心誠意接している職員の方々に少しでも寄り添い、自身が感じたことを読者に伝えたいとの意志で、ボタンを押したと述べています。以下は私自身の仕事に引き付けた強引な推論ですが、死刑存廃論議に関する「ボタンを押す刑務官の苦しみを国民全体で想像して苦しまなければならない」という主張を思い出し、言葉が有する力の差を認識しました。「ボタンを押す苦しみを想像する」などという行為は生易しいものではなく、人生を破壊する要素を有しており、政治的な主張に結びつける筋立ては安直に過ぎると感じます。

今西乃子著 『犬たちをおくる日』 その1

2012-10-14 00:05:52 | 読書感想文

愛媛県動物愛護センター(犬の殺処分を行っている機関)のノンフィクションです。

p.17~

 ここに来る犬たちの多くは、ただただ不要で望まれない命として、何の役にも立たないやっかいなものとして、自分の手を通し、殺され灰になっていくのだった。それは、小さいころから犬を飼っていた瀧本伸生(センター作業員)にとって、大きな心の痛手をともなう作業だった。もし、犬たちをただの「不要ゴミ」として殺すことができたら、ただの壊れた役に立たないオモチャとして、その死体を焼却炉に放りこむことができたら、どれほど楽だったろう。

 しかし、どんな思いをしても、伸生はその作業を続けるつもりでいた。自分がこの場所からいなくなっても、犬たちの命が救えるわけではない。他のだれかがまた、自分がやっているように犬を捕まえ、処分する作業を引き継ぐだけだ。そして、もし、自分の代わりのだれかが犬という動物を、「命」ではなく「モノ」として扱ったらどうなるのか。「どうせ、殺す犬なんだから」。「ゴミといっしょなんから」。そんな気持ちで犬たちの最期を見届けてほしくはなかった。


p.25~

 伸生の勤める保健所では、次々と飼い主によって犬が持ち込まれた。人をかんだ、世話ができない、しつけができない、飽きた、バカな犬だからいらない……。あきれるほど身勝手な理由で、次々と犬を置き去りにしていく。一度は飼い主から愛情を受けた犬が、最も信頼していた飼い主の手によって捨てられていくのである。ひとり、またひとり、人間としての責任を放棄し、罪を重ねる者が増えるごとに、犬たちはその命のさけびを伸生たちに託し、この世を去っていくのだった。


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 私は、かつて消費者金融のアイフルがやっていたチワワのCMが嫌いでした。ソフトバンク携帯の「お父さん犬」など、タレント犬が人気を集めることも好ましいとは思えません。先日は、兄弟犬ジッペイが熱中症で死んだという出来事もありました。広告は巨大な洗脳装置であり、そこに登場する人間は人格が商品化される以上、擬人化された犬は、そのような人格として商品化されることになります。そこでは、犬が言葉を話せない犬としてではなく、あくまでの人間の側の都合によって、人間と同レベルのキャラクターを演じさせられているように思います。

 動物の命は人間が握っています。従って、動物の命の重さは、人間が他の命に向かい合う際の鏡であるように思います。「人の命は地球より重い」という格言がありますが、動物の命がそれよりも軽いのかという上下関係は、単なる理屈です。実際のところ、言葉が話せない動物の命を無機質な物として扱って心が痛まないのであれば、言葉を話せる人間の命を物のように扱っても心は痛まないのだろうと思います。現在の日本は、人間が犬の首輪をつけられて監禁されて死亡したというニュースに接しても、あまりショックを受けなくなったように感じます。

 ペットショップに勤めている方から、本当に動物が好きな人はこの仕事には向かないと聞いたことがあります。ペットショップの目的は、1匹でも多くの動物を仕入れて売って利益を上げることであり、これが経済社会のシステムです。責任を持って最後まで飼えると思われる人間を選別して売っていては、企業としての存続に関わってくるからです。そして、経済社会においては、このような現実を前にして繊細に心を痛める者は、組織人として考えが甘いとの評価を与えられるのが通常だと思います。そこでは、動物の命の問題が、人間の側の理想と現実のジレンマの問題に替わっています。

 愛媛県動物愛護センターで働く方々の生き様に接すると、文字と写真の上からだけでもその人柄が伝わってくるように感じます。商業主義と利己主義が動かぬ正義の位置を占め、人間の私利私欲のために犬を犠牲にしている現代社会の主流において、この覚悟と矜持は際立つように思います。いつの世も、社会的成功と名声の獲得に余念のない人々が目立つ一方で、必ずその歪みを引き受けて名誉を求めず、より高次の価値を不動のものとして追求できる高潔な人間がいるのだと感じます。

姜尚中著 『日本人はどこへ行くのか』より

2012-10-13 00:02:18 | 読書感想文

p.166~

 日本を取り囲む東北アジア地域の国際関係は、さほど遠くない将来に構造的な変容をこうむる可能性が高い。とくに戦後の日本外交に残された宿題である日朝交渉の動きもからんで、朝鮮半島の平和と統一に向けた展開は、重大な局面を迎えることになるかもしれない。「一衣帯水」の関係にあると言われながら、「近くて遠い」関係にあった隣国のドラスティックな変化は、日本の進路を左右するほどのインパクトを与えることになるのではないか。

 日本の果たすべき役割は、朝鮮半島の平和と統一に向けて積極的な多国間調整の場を提供し、南北間の自主的な対話を促進するような関係諸国との交渉の連絡役をかって出ることである。さらに朝鮮半島の安定と平和的な統一への歩みを足がかりに、そこでつちかわれる多国間の信頼関係を東北アジア地域の軍備管理と軍縮へとつなげ、そのような安全保障の枠組みの中で日本の平和と安全のあり方を構想していくことが望ましいであろう。

 おそらくそれこそが、日本にとって名実ともに冷戦からの脱却を意味しているはずである。その意味では「冷戦の孤島」と言われる朝鮮半島の脱冷戦への胎動は、日本の冷戦体制からの脱却を誘発することになろう。そのとき、日米安保も米韓相互防衛条約もその役割を終え、米国の東北アジアにおける存在はこれまでとは違った意味をもたざるをえないであろう。


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 上記は平成3年(1991年)4月の文章です。未だ拉致問題も判明せず、韓流ブームなど想像もつかない頃のものです。姜氏がこの本の前書きで述べているとおり、数ヶ月前の出来事すら凄まじい速度で忘却の彼方に消えていく現代の時間の生理からすれば、上記の文章は過去の遺物だと思います。

 竹島をめぐる問題について、なぜ朝鮮半島を論じる文化人はこれまで触れてこなかったのか、私には素朴な疑問がありました。本書の全般を通じて、「竹島」という単語は1ヶ所も登場せず、領土の問題は植民地支配による侵略の問題とイコールにされていることに気がつきました。竹島などという小さな島は、あえてそこから目が逸らされたわけではなく、純粋に存在が無視されていたのだと思います。

本田靖春著 『誘拐』  その3

2012-10-10 21:10:56 | 読書感想文

p.90~(誘拐事件発生から半月後の場面です。)

 17日、村越家は吉展の満5歳の誕生日を迎えた。1年前の同じ日、一家揃って後楽園に遊びに出掛けたことを、豊子(母親)は思い出さないわけには行かなかった。その帰途、すぎ(祖母)は祝いに子供用の自転車を買った。「むらこし よしのぶ」と書かれた白いエナメルもそのままに、自転車は庭の片隅に残されている。

 日がたてばたつほど、母親は、わが子に降りかかった災厄が、どうにも納得出来ない。「一億人も人がいる中で、どうして――」。誘拐などというのは、お汁粉をこしらえようとしていたあのときまで、映画か小説でのことであった。「どうして、うちの子が――」。これが説明出来る人がいるというのであろうか。


p.318~(事件発生から2年3ヶ月後、遺体が発見される場面です。)

 小原保は、吉展の殺害を自供、遺体の隠し場所を略図に書いた。捜査員が現地に飛んだ。小原保犯行自供の報道に接した人々は、物見高い群衆となって、遺体捜索が行われている寺を取囲んだ。深夜の11時、現地から平塚に電話が入った。「ホトケさんが見つかりません」。

 あわてた平塚は、留置場に通じる階段をかけ下った。根も葉もない自供にのせられて醜態をさらす自分の姿が、かけ下る平塚の脳裡をちらとかすめた。「おい、とぼけるな。ホトケさんはどこへやったんだ」。平塚は、もう一度、寺の位置を確認して、現場へ向かった。未明に近く、吉展の遺体が見つかった。

 女の人たちの泣く声が、電話の向うから爆発的に聞こえてきた。村越家に私が着いたときには、母親の豊子さんは気を失って倒れていた。言葉もないのだ。いつもは気丈で冷静なおばあちゃんが、畳に泣き伏して顔を上げようとしない。


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 「怒りや憎しみからは何も生まれない」と言われる種類の厳罰感情とは、本来はそのような解りやすい負の感情ではなく、「一億人も人がいる中で、どうして――」という哲学的な問いであったものと思います。そして、これがステレオタイプの被害感情の型にはめ込まれるのは、その哲学的問いを説明できる人がこの世に存在しないからだと思います。

 人生はその人の身体から出ることができない以上、誰も答えられない哲学的問いを有してしまった者と有していない者との間には絶望的な懸隔があり、全身で絶望的に感じていない者には、この懸隔を乗り越える資格を持たないものと思います。自分は他人の人生を生きることができず、逆も同じであり、これが「自分」の形式だからです。ところが、現場でなく研究室で事件を起こす者は、ここを簡単に乗り越えているように感じます。

 最後の遺体発見の場面については、私は組織の中で生きる者として、「見つかってほしい」という希望や、「見つからなかったらどうしよう」という焦燥感が自分のこととして理解できます。2年3ヶ月の混迷を極めた捜査の終結による虚脱感、責任の所在を巡る精神の消耗、社会的な非難や組織の体面など、本田氏の迫真の筆致によって本当に胃が痛くなるような感を覚えます。

 これに対し、2年3ヶ月にわたり吉展ちゃんの帰りを待ち続けた家族の「間違えであってほしい」「どこかで生きているはずだ」という一縷の望みが断ち切られた瞬間の心情は、経験のない私において、上手く一緒に泣くことができません。「このような感じだ」という中心点を共有することがないからです。全身で絶望的に感じていない者における想像力の限界と、罪悪感を覚えるところです。

 このような場合、社会は「遺体が発見されて事件が解決することが正しい」という常識で動いており、「発見されることの絶望」という価値基準については、論理的に対応する術を持たないものと思います。ここにおいて、常識でないものは一段下に見られ、被害者に対する上から目線が成立するように感じます。そして、その実質は、人は本当の絶望を見ないようにし、目を逸らすということだと思います。