犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

のり・たまみ著 『へんなほうりつ』

2007-09-02 11:40:33 | 読書感想文
変な法律が作られるのには理由がある。端的に、哲学的思考の不足である。法律は言語による構築物であるから、哲学不足とは、すなわち言語の不思議を忘れていることである。ある言葉がその意味を意味しているのはなぜか。その言葉はその意味以外のものを意味しないのはなぜか。この素朴な疑問を常に持っているような人が多数を占める社会では、変な法律など作られるはずもない。条文が際限なく細かくはずもない。ところが、哲学なき現実の法治国家は、どんどん変な法律を増やす一方である。

訴訟社会アメリカでは、「電子レンジに猫を入れてはいけない」と説明書に書いていなかったとしてメーカーを訴えた女性が裁判に勝ってしまったという逸話がある。このような訴訟社会が動き出してしまうと、国民はとにかく「法律に書かれていないことは許される」と考え、立法者は「とにかく広く網をかけておく」と考えるようになる。こうしてアメリカには、変な法律が大量に存在するようになった。ビジネス上の契約においても、とにかく想定外の事態をしらみ潰しに解消しようとして、ますますキリがなくなっている。契約書のコンテンツの利用区域として、「火星、地球を含む太陽系の惑星」と書かれたものまで存在している。穴を完璧にふさごうとすれば新たな穴を発見してしまう、これはソシュールやウィトゲンシュタインから見れば当たり前のことである。「法律の抜け穴」など単なるメタファーであり、実際に穴が開いているわけもない。

日本でも立法技術が向上するに従って、同じような現象が起きているようである。完璧な条文を作って事後のトラブルを防止しようとすると、穴が気になってしまい、結果的に変な条文になってしまう。例えば、「別荘所有者には税金を課す。ただし、生活保護を受けている所有者は減免する」という某市の条例がある。常識的に、生活保護を受けながら、何千万円もする別荘を持っているような人は考えにくい。しかし、ゼロとは言い切れないといえば、確かに言い切れない。この「存在する可能性がある」という所が気になってしまうと、法治国家はこの穴をふさいでおかないと気が済まなくなる。かくして、論理的に穴のない完璧な条文の完成である。完璧な法律であるが、変な法律である。これが笑えなくなったら危ない。しかし、このような条例を運用するお役所の書類がどんどん厚くなって、公務員は給料が上がらないのに仕事だけは忙しく、市民はお役所の仕事が遅いと言って怒るのでは、笑ってばかりもいられない。

法律家は、このような変な法律を批判することができない。これを批判するとは、哲学的思考に直面し、言語の不思議を思い出すことだからである。どんな高名な法律家であっても、自分自身が子どもの頃に言葉を覚えた瞬間は覚えていない。自分はいつ「法律」という単語を覚えたのか、「法律」という言葉が「法律」という意味であると知ったのはいつのことか、これは法律学者に聞いても誰も答えられない。このような問いは、法律学にとってはタブーである。聞いてはならない禁句である。この言葉の不思議に気付いてしまうと、法治国家における法的安定性も、法律単語の厳密な定義による一義的明確性の確保も、すべてが崩れてしまうからである。そして、これを知ってしまえば、それまで積み上げた研究が無意味になり、論文がゴミになってしまうからである。従って法律家も、変な法律の増加を防ぐことができず、むしろその推進に回ることになる。