犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

池袋脱法ハーブ暴走事故

2014-07-08 21:27:10 | 国家・政治・刑罰

平成26年6月24日 MSN産経ニュースより

 6月24日午後8時前、東京都豊島区西池袋1丁目の路上で、乗用車が歩道に突っ込んで暴走し、歩行者を次々とはねた。警視庁池袋署によると、7人が負傷しそのうち20代の女性が死亡、女性2人、男性1人がそれぞれ重傷を負った。池袋署は同日、自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、埼玉県吉川市高久の飲食店経営、名倉佳司容疑者(37)を現行犯逮捕した。

 池袋署によると、「脱法ハーブを吸ってすぐ後に車を運転して人をはねけがをさせたことに間違いありません」と容疑を認めている。同署は正常な運転ができない状態だったとみて詳しい経緯を調べる。車は歩道を数十メートル走行し、ポストをなぎ倒しながら人をはね、電話ボックスに衝突して停車した。近くの交番の警察官が駆け付けると、意識がもうろうとした状態だったという。


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 刑法理論において「合法・違法・脱法」の区別は最重要であり、脱法行為はあくまで違法ではありません。近代刑法の大原則である罪刑法定主義により、あらかじめ法で規制されていない薬物を使用しただけでは犯罪にならず、国民は国家権力による刑罰権の濫用に怯えることなく、安心して脱法ハーブ等の薬物を使うことが可能となります。これが刑法の自由保障機能の帰結でもあります。

 刑法の謙抑性の要請は、ある程度の数の被害者が発生することを黙認せざるを得ません。すなわち、社会全体にとってやむを得ない犠牲だということです。権力を監視すべき国民は、刑罰によって犯罪が抑止される点に安心するのではなく、脱法行為によっては逮捕・起訴されない点に安心すべきだという理論です。ここは国民の実感とずれており、かなり目線が高いと思います。

 「脱法ドラッグ」の名称は「危険ドラッグ」に変わるとのことですが、遅きに失したとは言え、意味のある施策だと思います。そもそも最初の名称が「脱法ハーブ」に収まっていたのは、法の網を巧妙に潜り抜けていることを明確にしてしまっており、刑法の自由保障機能が裏返っています。すなわち、一般庶民ではなく、法の抜け穴を意識的に探す者が相手方になっています。

 薬物犯罪はもとより「被害者なき犯罪」と称され、個人の愚行権・堕落の自由の保障の問題とも相まって、反権力の理論が強いところだと思います。ここでは、「被害者なき」と言いながら被害者が生じる可能性について、当然予期されつつ切り捨てられています。人の命が失われる可能性が当然予期されながら、それが黙認されたことにより、被害者は法に見殺しにされたのだと思います。

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