犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

下関駅殺傷事件など3人の死刑執行

2012-03-30 23:53:26 | 国家・政治・刑罰

 3月29日、3人の死刑が執行されました。報道を聞いても、この3件の殺人事件はどのようなものだったか一瞬思い出せず、世の中で無数の出来事がぶつかり合って相互に風化を促進していることへの虚無感に苛まれます。また、思い出したように語られる「死刑に関する国民的な議論を盛り上げていくべきだ」との意見に対しては、死刑の議論によって「死」への洞察を遠ざけ、「死刑は人の命を奪う点において他の刑罰と質が異なる」という問題の出発点において矛盾を犯しているとの感を覚えます。

 「何年ぶり何人の死刑が執行され、どの法務大臣では何人目だ」という捉え方は、事実の報道としてはそうとしか語れないとしても、死を論じる場合の入口は逆だと思います。「死刑」はその中に「死」を含みますが、人の通常の日常生活はその場から死を遠ざける営みです。ゆえに、死を遠ざけることが不可能であり、あるいは死を遠ざけることが望まれない状況で、死にながら生きている者の言葉は、政治的な死刑の存廃論の言葉とは次元を異にしているように感じます。

 平成11年9月の下関駅通り魔事件で犠牲となった被害者の家族の方々は、「これまでの苦しかった日々が思い出され涙がこみあげた」「人の命の重さを考えると死刑が執行されてうれしいという気持ちはない」「事件のことは決して忘れられず死刑囚のことは決して許せない」「すぐには心の整理がつかないが特別な思いはない」といった言葉を述べておられました。当事者ではない私には、行間を読むに読めない苦しさと自己嫌悪だけが残ります。ただ、これらの言葉を差し置いて、政治的な死刑の存廃論に熱中できる人々の良識を疑うのみです。

 事件の日から13年にわたり、そして今後も犠牲者よりも長く生きている限り、自己の内部に支離滅裂さを抱えざるを得ない者の言葉は、死刑制度の論じる際の原点であると思います。これに対し、日常生活から死を遠ざけている世間的な常識論が、急に真面目に「死刑に関する国民的な議論を深めるべきだ」と言われたところで、ろくな結果にはならないはずです。「長年の目標が実現するのは喜びではない」「夢は叶わない」といった絶望からスタートする最初の時点で、ほとんどの議論は振り落とされるものと思います。

 死刑論議に関しては、すでに古今東西の識者及び庶民によってあらゆる論点は出尽くしており、水掛け論しか起きないと聞いたことがありますが、私もその通りだと思います。ここにおいて、国民的な議論を盛り上げるべきだとの主張を行うことは、これ以上議論は深まり得ないことを前提としており、単に現状を変えるための政治的な主張に過ぎないとの感を強くします。すなわち、「死」を遠ざけながら「刑」を問題にし、死刑は「刑」の中でも「死」が問題なのであるという問題を語りながら、その問題を見落とすという誤謬に無自覚であるということです。

 「被害者の家族は死刑執行にも喜びはない」という部分を捉えて、死刑は被害者遺族のためにもならないと述べる廃止論の主張を聞くことがありますが、死刑の存廃論を超越して、このような理屈には全身から力が抜ける気がします。「死刑が執行されても犯人が憎い」と言えば心が醜いと言われ、「犯人にも命があったこと考えれば喜べない」と言えば行動が矛盾していると言われ、何をどうすればよいのかという感じです。自我が膨張し、欲望がぶつかり合うのが常である人間社会において、よりによって最も辛い思いをしている立場の者がなぜ聖人君子にならなければならないのかと思います。

田中慎弥著 『共喰い』

2012-03-28 23:08:50 | 読書感想文

 この小説の中の登場人物は、それぞれ暴行罪(刑法208条)、傷害罪(204条)、強姦罪(177条)、殺人罪(199条)を犯しています。どの犯行も顔見知りの間でなされたものであり、日常の生活の延長のように描かれています。そして、その描写は非常に生々しいです。

 私はこれまで、刑事裁判の仕事で無数の生々しい供述調書(司法警察員面前調書・検察官面前調書)を読んできましたが、小説家の捉える生々しさは、刑事裁判実務のそれとは意味が全く違っています。人間の心の中の屈折、あるいは人間の業を法律で扱うには限界があり、その先は純文学の守備範囲であると改めて感じます。

 ある種の犯罪は非常に内向的なものであり、長年かけて溜まったものが一瞬で爆発する瞬間を言語化するためには、その直後から非常に繊細な手続きを要するものと思います。取り調べが可視化され、録画されない人の心の内を除いた部分が中心論点となっている法制度の下では、これは望むべくもない手続きです。

映画 『はやぶさ 遥かなる帰還』

2012-03-25 00:03:44 | その他

 人間は「希望」「夢」という言葉に弱いものですが、宇宙旅行が見知らぬ世界への憧れであるというのは、多分に作られた固定観念であると思います。全人生を賭けて宇宙の謎を知りたいと問う者は、自分の寿命が尽きる前に何とか科学技術が追い付いてくれなければ死ぬに死ねないわけで、小惑星探査機はやぶさが小惑星表面の岩石質微粒子を採集できたか否かは、自分の人生の意義を決する問題であったものと思います。その切羽詰まった心境は、希望や夢とは無縁であったものと想像します。

 哲学的に宇宙を問うならば、「ビッグバンの前は何があったのか」、「宇宙の果ての外側はどうなっているのか」との問いによって科学の問いを凌駕できますし、「そもそも何故こんなところに(別に無いなら無いで済んでいたのに)宇宙などという空間があるのか」という身も蓋もない問いも問えるものと思います。いずれにしても、宇宙に希望や夢を求め、同時に地球上の表面に貼り付いて現実の世界で生活するという芸当の欺瞞性には敏感であるはずです。

 映画のモチーフが、はやぶさを開発した科学者・技術者たちの誇りというところであれば、人間の内的宇宙の精緻な描写は、一般的に考えられている科学よりも科学的なものになるはずだと思います。この無限の宇宙空間の中の豆粒よりも小さい星の上で生きているはずの人間の頭の中に、宇宙がすっぽりと入るからです。「絶対にあきらめない」、「日本の技術力・人間力が世界を変える」との宣伝文句は、作られた固定観念をさらに増幅する作用しか持たないとの印象を受けます。

イプセン著 『人形の家』より

2012-03-21 00:25:56 | 読書感想文

p.53~

クログスタット(法律代理人): 法律は動機のいかんを問いません。

ノラ(主人公・弁護士の妻): そうすると、その法律はよっぽど悪い法律にちがいありませんわ。

クログスタット: 悪かろうと、悪くなかろうと、わたしがこの書類を裁判所に持ちだせば、あなたは法律によって処分されるんですよ。

ノラ: そんなこと、信じるものですか。娘たるものに、年取って死にかけている父親の心配や苦労を省いてやる権利はないものでしょうか? 夫の命を救う権利が、妻たるものにはないのでしょうか? あたし、法律のことはよく存じません。でも、そういうことを許す個条がどこかにあるにちがいないと思います。あなた、それをご存じないんですの、法律代理人のくせに? クログスタットさん、あなたはきっとろくでもない法律家なのね。


p.143~

ノラ: 法律というものが今まであたしの考えていたのとはまるで違ったものであるということも、こんど初めて知りました。でもその法律が正しいとは、あたしにはどうしてもうなずくことができません。女には、死にかけている年とった父親をいたわったり、夫の命を救ったりする権利がないというではありませんか! そんなこと、あたしには信じられません。

ヘルメル(ノラの夫・弁護士): お前はまるで子供のような事を言う。お前には自分の住んでいる社会というものがまるでわかっていないんだ。

ノラ: はい、わかってはおりません。でもこれからはよくわかるように、社会の中へはいって行ってみたいと思います。その上で、いったいどちらが正しいのか、社会が正しいのか、あたしが正しいのかをはっきり知りたいと思います。

ヘルメル: お前は病気だよ、ノラ。熱があるんだ。気が変になったにちがいない。

ノラ: あたしは今夜ほど意識がはっきりして確かなことはございません。


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 「法律家が有り難がられる社会はあまり望ましいものではない」という感覚を持つことが大人なのか、あるいはこれを失うことが大人なのかという対立軸で考えるとき、そこで語られる「大人」と「子供」に託している意味は異なります。前者の「大人」とは内的倫理に従って善悪を判断する自律的な人間のことであり、後者の「大人」とは世間擦れして世故に長けた人間のことです。

 人は幼稚っぽいと言われるとプライドが傷つくものであり、世間知らずと言われれば敗北感を感じるものであり、この心の動きに抗うことは困難であると思います。しかしながら、このようにして世間を知った者が「いい年をした大人」であるならば、そのような人間が集まった社会はあまり品の良いものではない気がします。『人形の家』は女性の権利と自立の物語である、との解釈で括るのは勿体ないと思います。

映画 『ALWAYS 三丁目の夕日’64』

2012-03-18 00:10:13 | その他
 
 今となっては、パソコンや携帯電話がない日本社会は想像できませんが、1960年代への憧憬が単なる懐古趣味に止まらないとすれば、それは情報通信機器なしで生活できていた過去の我々への畏敬の念を含むものと思います。これは、不便な世の中に耐えてきた者に対する同情ではなく、情報通信機器によって奪われた人間の思考力の再認識です。

 何かが便利になるということは、人間が何かの能力を使わずに済むようになるということですので、その分だけ何かの能力は衰えているものと思います。そして、その何かが何なのかは良くわからないはずです。1960年代に生きていた日本人は、他者の言葉や気配に対する感度が鋭く、物事を抽象的ではなく具体的に考えていたとの感を強くします。

 「人は昔に戻ることはできない」とはあまりに当たり前の事実であり、これを改めて言わなければならないのは、何かを恐れていることの証拠ではないかと思います。60年代に目指していた夢の未来であるところの現在が、「60年代は良かった」であることを認めるのは苦しいからです。

群ようこ著 『財布のつぶやき』より

2012-03-15 23:57:40 | 読書感想文


p.176~ 「地震対策」より

 みんなの頭の片隅にはあるが、明日起こるとは考えていないものの筆頭は、地震ではないだろうか。だいたい、家にいたら非常持ち出し用リュックを持ち出せるが、外出していたら全く役に立たなくなる。そんなことを考えたら面倒くさくなってきて、いつもの悩みの解決法である、「そうなったら、そのときはそのとき」で考えないことにした。

 非常持ち出し品が家にあっても、確実に助かる保証はないが安心材料は増える。もしかしたら家にいるよりも、外出先にいたほうが場所によっては助かる可能性が増える場合もある。そんなことを考えると、すべてのケースに対応できないので、どこかで線引きするしかないのだ。

 その後、2回、大きな地震があったとき、私は家にいた。多少の不備はあるが、とりあえず非常持ち出し品が入ったリュックもある。しかし私はそれを持ち出せない状態にあった。その2回とも、私は尻を出していたからであった。1回目はトイレに入っていた。2回目は朝風呂に入っていて、実は私はシャンプーをしていたので、地震には気づいていなかった。

 大地震が来るのは、残念ながら防ぎようがないけれど、私が願っているのは、とにかく尻を出していないときに揺れてほしい、ただそれだけなのである。


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 震災で亡くなった人の命を無駄にしないために、次に来る震災への対策を行うことが何よりも大切なのだという考えは、非常に真面目であると思います。そして、話がどんどん実利的になり、技術的に細かくなり、亡くなった人の命の話から離れていくのが通常の流れです。赤の他人が何万人死んでも自分と家族だけは生き延びたいという話ですから、この流れは当然だと思います。

 震災対策の真面目な話が長く続かないのは、多くの人は「5年後の自分」「10年後の自分」を想定して人生設計を行い、それに基づいて自己実現を図ることが快感であり、震災などに邪魔をされるのは不愉快なことだからだと思います。これは、地震でなくても死は明日にあるかも知れないことを忘れたがる人間の心情と同種のものです。来るべき地震については、「そうなったら、そのときはそのとき」以上の正解はないと思います。

東日本大震災から1年

2012-03-11 23:31:55 | 時間・生死・人生
 
 3月11日が近づくにつれ、弁護士会や弁護士の周辺では、「被害者」の文字が書かれた書類のやり取りが増えてきました。これはもちろん、すべて原発被害者支援に関する書類であり、「原発いらない! 3・11大集会」などの抗議活動やデモに関するものです。3月11日は、福島・東京・大阪・札幌・福岡で抗議集会があり、多くの弁護士も奔走していようです。

 私が見る限り、昨年の3月12日から徐々に活発になってきた反原発活動は、当初の頃は地震・津波と原発問題を切り離してはいませんでした。型通りながらも、「亡くなられた方々のご冥福をお祈りします」という言葉は忘れられていなかったように思います。それが、半年も経たないうちから、福島原発事故は震災によらない単独事故であったかのような言葉ばかりになっていました。「私は原発事故の危険性を何年も前から指摘していた」としたり顔で語る弁護士において、震災や津波そのものは意識の隅に追いやられていたようです。

 原発について、私の考えは平凡です。無いに越したことはないですが、実際に原発を前提として回っている人々の人生設計に隅々まで目を配り、派生的に起きる無数の問題と現場の悲鳴と大混乱にどう対処するのかを想像すれば、急進的な施策は現実的ではないと思います。また、人の心の奥底の苦しみや哀しみに目を配れない者が、原発周辺の自宅に戻れない方々を支援すると言っても、それは被害者の複雑な苦しみを利用し、単に善の側から悪を糾弾しているだけではないかとの恐れを感じます。

 3月11日を何の象徴の日として位置づけるのかと考えたとき、「原発いらない! 3・11大集会」を正義とする者の頭の中には、地震と津波で亡くなった人の姿は存在しないように感じます。2万人近くの死者・行方不明者の存在は原発問題とは切り離され、原発に比すれば大した問題ではなく、このデモでは震災で亡くなった人のことは少しも考えていないということです。賛成・反対の対立軸では、そもそも天災は目に入らず、波に飲まれて窒息する苦しさを想像して苦しんでも社会は変革できないということだと思います。

 3月11日を慰霊の日の象徴として位置づけるならば、鎮魂、冥福を祈る、1つの区切りといった使い古された言葉がそこから生じ、人は黙祷する以外の方策を持たないものと思います。私は、どの言葉も違うと感じており、普段は天国も来世もないと考え、非科学的なものをバカにしていますが、実際に対案を出せるわけではなく、その日のその時間は黙祷するしかありませんでした。これは、たとえ今回の震災が他人事ではあっても、人は生と死の問題に他人事であることは絶対にできないということだと思います。

 想像を絶する数の人々が亡くなったその同じ日に黙祷から転換してシュプレヒコールを上げるエネルギーは、死者の冥福を祈ることの偽善性に苦しんでいる地点から見れば、全く次元が違うところの偽善のように思われます。人の死に軸足を置かない者が「命の重さ」を語っても、どうにも心に響かない理由です。犯罪被害者支援が死刑廃止のための懐柔策であれば、原発被害者支援は原発廃止のための多数派工作であり、私はここに善悪二元論の似たような雰囲気を感じていました。「命」「いのち」と繰り返されると、それに納得できない私は、命を軽視しているようで苦しくなります。

「未来」と「明日」

2012-03-10 23:35:47 | 時間・生死・人生
 3月11日が近づき、震災発生から1年という時間の単位が意識され始めるにつれ、新聞やテレビでは「未来」「明日」という時間の捉え方が目立ってきたように思います。私のこれまでの経験からの感想ですが、「あの日から時間が止まっている」「時間が経つほど悲しみが深くなる」と語る者の声が、この震災の報道においては意図的に選ばれていないように感じます。そして、政治的に意見が対立する問題とは異なり、「未来」や「明日」については、印象操作・公平性・捏造の有無などが問題にされることはありません。

 私が「未来」や「明日」について理屈っぽく突き詰めてみたとき、出てくる解答は1つです。震災とは人生から未来や明日を奪う出来事であり、人が未来や明日を奪われる出来事が震災です。ゆえに、震災を語りつつ未来や明日を順接的に語ることは、根本的な矛盾をはらむものと思います。「未来」「明日」という言葉が目を逸らす場所といえば、それは絶望をどう解釈しても希望に転化されない場所です。70名の小学生が亡くなった石巻市立大川小学校について、「30年後の未来」を考えてみます。

 30年後の未来の世間では、恐らく今の世間と同じように、「人は30代で初めて社会の表舞台に立つ」、「30代はその後の人生の分かれ道である」、「30代の10年間の過ごし方で同年代との差が開く」といった言葉が喧伝されているものと思います。そして、30代の人生を生きる者にとって、これらの言葉から耳を塞いで生きることは難しく、そのような言葉が存在すること自体によって不安が煽り立てられるものと思います。

 30年前に小学生で人生を終えた者については、これらの言葉は真っ赤な嘘です。30代になる前に死んだ者は社会の表舞台に立てず、その後の人生の分かれ道である30代の10年を生きられず、同年代との差が開くことも縮まることもありません。そして、このような言葉が嘘であると述べる権利のある者だけが、なぜかその言葉が嘘であると述べることができません。一方的に爆弾を投げつけられるだけです。これが紛れもない「未来」と「明日」の存在形式だと思います。

 30年後の未来の世界では、恐らく今の世間と同じように、「30代は人が自分を最大限に成長させる10年である」、「人は30代で理想と現実のギャップに悩む」、「人生が好転するか否かを決めるのは30代の心がけ次第である」といった言葉が雑誌の見出しに踊り、電車の中吊り広告からネットの広告まで席巻しているものと思います。そして、経済社会で生きる30代の人々は、自己啓発に余念がないものと思います。

 30年前に震災で我が子を失った親にとって、これらの言葉は嘘っぱちです。30歳まで生きられなかった者は40歳になることもなく、30代特有の悩みを悩むこともなく、その後の人生が好転するも何もあり得ません。そして、このような言葉が嘘であると正当に告発できる権利のある者は、死の冒涜から自分自身を守るため、告発を思い止まらざるを得ないものと思います。これが、刃に刺されつつ嘘で固められた世の中を生きるための方法だからです。これが「未来」と「明日」の存在形式だと思います。

 30年後の未来の世界では、恐らく今の世間と同じように、「30代は広く興味を持ち人脈を広げる10年間である」、「30代でコミュニケーション能力を磨かないと取り返しがつかない」、「30代では稼ぐ力を身につけ年収を上げる努力をすべきである」といった言葉がビジネス本を埋め尽くしているものと思います。そして、これらの言葉をその通りに実践したつもりが、言葉に踊らされて右往左往する事態も同じではないかと思います。

 30年後に30代となる人々の30年前はこの今であり、人間はどの時代も同じ時間軸の中を生きているものと思います。そして、どの時代の世間も、死者にとってはこれらの言葉が嘘であると認識することはなく、「未来」や「明日」という言葉で苦しめられる者の存在に気付くこともなく、30代の人間は40歳になることを恐れて生きるのだと思います。これが紛れもない「未来」と「明日」の存在形式であり、人前で言ってはならないことなのだと思います。

五木寛之著 『下山の思想』より その2

2012-03-08 00:07:05 | 読書感想文

p.109~

 私たちに唯一、絶対といっていい真実とは、私たちはやがて死ぬ、ということである。それは、究極の真実である。この世に絶対などというものは、なかなかないものである。人間にとってもっとも確実、かつリアルな問題こそ「死」だ。とはいうものの、「死」は目の前に迫るまで実感できないのが普通である。

 私たちは真実を実感することが難しい。できないと言っているのではない。困難だ、と思うのである。それはなぜか。人間はみずから欲するものしか見ないのだ。私たちは広角レンズよりもなお広く、世界と現実の隅々まで見渡しているかのように錯覚している。しかし、それは明きらかに錯覚である。

 人間というものは、自分が欲する現実しか見ていない。レンズの焦点のようなものだ。何か1点につよくピントを合わせる。するとその問題だけがクリアに浮かびあがる。すると、背景や周囲はおのずとボカシ効果が生まれる。そうすることによって焦点がはっきりと浮かびあがるのだ。

 「死」などということは、念頭にない。「人生は苦である」といわれても、それはそうだけれども、と首をすくめるだけだ。私たちは未来を見通すことのできない愚かな存在なのだ。ちょっと冷静に考えれば、おのずと見えてくる真実から、あえて目をそらせようとする心の働きをもっている。

 たしかに絶望は病いであり、生存には役に立たない。しかし、絶望とか、希望とか、そういう境いを超えて、真実を真実として認識することはできないものだろうか。


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 東日本大震災が起きるまで、世論を左右するマスコミにおける「希望」という単語の使われ方は、「希望がない」「希望が見えない」というものが圧倒的だったと思います。現に、若者の7割以上が「この国の将来に希望が見えない」「自分の将来に希望が持てない」と感じているとの世論調査の結果もありました。

 巨額の財政赤字、社会保障制度の破綻、少子高齢化、就職難、低賃金、増税と来れば、希望が持てないのは当然のことだと思います。何の裏付けもなく「希望を持て」と言われれば、何という甘い認識か、そのような生温い言葉で誤魔化すなと一蹴されるのが関の山です。震災前の日本の「希望」とは、私の記憶によれば確かにこのようなものでした。

 震災後、この抽象的な「希望」という単語は、世論において絶対的な地位を獲得したように思います。希望があると言っている限り、本物の絶望からは逃げられるからです。それは、当初は「希望」という言葉に苦しむ人がいてもお構いなし、とにかく国全体として希望を語らなければならないのだとの政策論であったものが、今は「希望」という言葉に苦しむ人などいるはずがない、という常識論が確立しているように思います。

 絶望のどこがいいのか、希望が悪いわけがないと言われれば、反論は非常に難しいと思います。五木氏が述べるように、希望に強くピントを合わせれば、絶望は背景や周囲に追いやられるからです。こうなると、「時間は悲しみを解決しない」、「1年が経って悲しみは深まる一方」、「あの日から時間が止まっている」、「一歩も前に進めていない」といった言葉は全て背景に回され、その意味を受け止められる人間の数は減っていきます。

五木寛之著 『下山の思想』より その1

2012-03-07 23:54:13 | 読書感想文

p.120~

 視点を変えれば、とか、発想をチェンジすれば、とか、よくいわれる。たしかにプラス思考で、世の中の明るい面だけを見て生きていけば、良いことが沢山あるだろう。世の中というものは、古代から現代にいたるまで、明るい面と暗い面が常に同居してきたはずだ。人はどんな苦しみのなかでも、希望を失わずに生きることが大事だろう。それはわかる。しかし、一見、豊かに見える私たちのこの国にも、見方によっては深く暗い闇がある。


p.216~

 現実から目をそらし、過去を追想することは、はたして逃避だろうか。それは恥ずかしい行為だろうか。私はそうは思わない。現実とは、過去、現在、未来をまるごと抱えたものである。未来に思いをはせて希望をふるいおこすことと、過去をふり返って深い情感に身をゆだねることと、どちらも大したちがいはないのだ。人は今日を生き、明日を生きると同時に、昨日をも生きる。

 歴史とはなにか。過去を確かめて、未来への針路をさぐる、などという功利的な手段ではない。歴史は役に立たなくてもいい。事実と異なっていても一向にかまわない。私たちがそう勝手に思いこみたがっている方向へ歴史は描かれていく。百年前の歴史すら、正しくは伝わらないものである。いま、この時代の真実すら、私たちには見定めがたいのである。日々、私たちの目の前におこり、ジャーナリズムがこぞって報道する出来事は、はたして真実か?


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 1年前、震災が起きる直前に報道されていた出来事はどんなものだったか、それによって私自身も世論にどのように流されてきたか、今となっては正確には思い出せません。確か、大学受験のカンニング事件、大相撲の八百長問題、市川海老蔵の暴行事件といったものが連日報道され、世論を形成していたと思います。基本的なスタンスは、「人の不幸は楽しい」ということです。私も人の不幸を十分に楽しんでいました。

 震災からわずか数ヶ月で報道も元の状態に戻り、「人の不幸には共感して苦しむべきである」という倫理観も長続きせず、わずか1年で風化の懸念まで生じてきました。ここに来て思い出したように震災関連の報道が増えたことも、1年が過ぎれば再び潮が引いたように報道が減ることも、被災地の外側にいるほとんどの日本人にとっては想定内だろうと思います。「人の不幸は楽しい」という価値観の中で生きていたほうが楽だからです。

 テレビに映る被災者の方々は、軒並み「前向きに」「復興に向けて」といった言葉を語っていますが、取材陣が去った後にどれだけの涙が流されたことか、私は想像すると虚しくなります。メディアというものの性質上、ひとたび取材を受ければ、「大丈夫です」「頑張ります」と答えるしかないのだと思います。質問の形が期待される答えを前提としており、空気を読まされる側が大人として受け答えするならば、同調への圧力に反抗できないということです。他人に誘導された「自分の気持ち」を語っている事態だと思います。

 私は震災の後、このような自分の考えを周囲の人々に語ったことがありましたが、全く支持されませんでした。物の見方がひねくれ過ぎているという指摘や、「被災者は本当に笑顔を見せて元気になっていたではないか」、「お前はカメラが帰った後で泣いているところを自分の目で見たのか」という批判を受け、私は人間関係を壊すことを避けるため、その後は黙っていました。それは、「被災地の外に生きる者には被災者の計りきれない悲しみは想像を超える」という絶望とはまた違った種類の絶望でした。私は被災地の外にいる者として、カメラに映っていない部分の絶望を想像することの偽善性に直面しました。