犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

西野喜一著 『裁判員制度の正体』

2007-09-27 18:32:31 | 読書感想文
裁判員制度反対論の立場から述べられたものであり、推進論である丸田隆著『裁判員制度』への対抗心にあふれている。裏表紙には、「推進論者の学者のなかには、驚くべきことに、日本人は働き過ぎだから、自営業者が裁判員の仕事で何日か仕事を休むこともよいことではないかと言う人がいます。・・・開いた口がふさがらないでしょう」(p.172)との部分が引用されているが、これは明らかに丸田氏のことである。ここまで露骨に子どものような喧嘩を見せつけられると、裁判員制度が始まる前からウンザリする。少なくとも、両者の本とも読んでいない大多数の人にとっては、どちらでもいい話である。

西野氏は東大法学部卒で元裁判官、現在は法科大学院教授の超エリートである。エリートの著作らしく論旨明快であり、文章も読み易く、実証的なデータの収集もぬかりない。しかし、最後に引っかかってしまうのは、どうしてそんなに熱くなっているのか、そこがわからないという点である。なぜ丸田氏が推進論でなければならず、西野氏が反対論でなければならないのか、その点である。丸田氏はアメリカ留学体験から真実を得たと述べていたが、それならば西野氏がそのような経験をしていたら、立場は同じだったのではないか。西野氏はすべてを自らの刑事部の裁判官としての経験から語っているが、もし丸田氏がその立場にあれば、両者の主張は逆転していたのではないか。要するに、立場が変われば意見が変わるというだけの話であり、何も推進論が丸田氏でなくても構わないし、反対論が西野氏でなくても構わないということである。

丸田氏の本と西野氏の本は、その内容は正反対であるが、その構造だけは非常に似ている。まずは動かぬ主張があって、自説の根拠づけが沢山並べられ、データやソースで権威づけがなされ、その後に反対説に立った場合の不都合性が述べられる。西野氏は法曹界の超エリートらしく、あらん限りの理由を列挙して説得力を上げる。犯罪の内容とは関係ない被告人の印象で有罪・無罪や刑の重さが決まってしまい、口の上手い被告人が得をしてしまい、裁判がゲーム化するのではないか。会社員は裁判員を断らずに仕事を休んだことにより、窓際に回されたり、エリートコースから外されたり、リストラの要員になったりするのではないか。このようなことが延々と述べられているが、別にこの程度のことならば東大法学部卒でなくても元裁判官でなくても誰でも言える。もちろん、丸田氏のように、「だからこそ国民全体で裁判員制度を理解して育てなければならない」と主張することも誰でもできる。

西野氏も丸田氏も、相手をやりこめるためのロジカルシンキングに長けているがゆえ、この勝負は決着がつかない。西野氏の本には、何と内閣直属の審議会である司法制度改革審議会において委員が興奮して罵声を浴びせたというやり取りまで書かれているが(p.54)、新書で全国に向けて語るほどの話ではない。ソクラテスがソフィストを嗤った時代と何も変わっていないことがわかる。この勝負は、国民の75パーセントが裁判員制度に反対していることからすれば、理屈の上では西野氏が勝っている。しかし、多くの国民がそう述べた理由は、単に興味がなく面倒なことに関わりたくないからにすぎず、西野氏の言うように「憲法改正につながる国民総動員の思想に警戒感を抱いている」というわけではない。

丸田隆著『裁判員制度』については、http://blog.goo.ne.jp/higaishablog/e/52addbf02c219306b0c2455ea41d7faf