犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

北海道小樽市 ひき逃げ死亡事故 その2

2014-07-21 22:08:16 | 国家・政治・刑罰

平成26年7月20日 毎日新聞ニュースより

 北海道小樽市で女性4人が飲酒運転のレジャー用多目的車(RV)にひき逃げされ、3人が死亡、1人が重傷を負った事件から20日で1週間がたった。繰り返された飲酒ひき逃げ事故の悲劇。2003年に次男を亡くし、事故撲滅と厳罰化を求める運動に取り組んできた北海道江別市の主婦、高石洋子さん(52)は「またしても尊い命が失われた。海水浴場では運転前にアルコール検査するなどの対策を図るべきだ」と訴えている。

 高校1年だった高石さんの次男拓那(たくな)さん(当時16歳)は03年2月12日午前4時50分ごろ、新聞配達中にRVにひき逃げされ死亡した。道警の捜査で、運転していた男は飲酒していたことが判明したが、逃走後の逮捕だったためアルコールが検知されず、飲酒運転が立証されなかった。道交法違反(ひき逃げ)罪などで起訴された男の判決は、懲役4年の求刑に対し懲役2年10月だった。「人を車で殺害してなぜこんなに罪が軽いのか」。高石さんは絶望感に襲われた。

 法体系に疑問を抱いた高石さんは「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」の共同代表に就任し、署名運動や講演に取り組んできた。運動が実を結び、客に酒を提供する行為も処罰対象となり、今年5月には悪質な運転の罰則を強化した「自動車運転処罰法」が施行された。危険運転致死傷罪の適用範囲も拡大。飲酒などの発覚を妨げる行為への罰則も盛り込まれた。しかし、悲劇は再び起きてしまった。

 「自分たちが活動を続け新法も施行されたのに、いまだに飲酒事故がなくならない。悲しくてしょうがない」と高石さんは肩を落とす。だが「軽い気持ちで飲酒運転をするドライバーは、突然、理不尽に家族を失うつらさを考えてほしい。今回の事故で失われた命と未来のために、飲酒事故の悲惨さを決して風化させてはならない」と力を込めた。


***************************************************

(その1からの続きです。) 

 人の命の重さには右も左もありません。しかし、国家刑罰権を積極的に発動し、罰を重くする考え方は、リベラルな思想の対局に置かれます。そして、保守派による権力に対抗する単語は、「命を守れ」に決まっています。かくして、「命」という単語はリベラルな有識者の側に置かれ、これに対抗する者は「命」という単語を構造的に奪われ、厳罰派として右側に誘導されます。

 「厳罰化という言葉ではなく適正化と言ってほしい」との被害者からの真摯な訴えは、私もこれまで何十回も耳にしました。私も昔からそう思っています。しかし、この声がマスコミに届くことはなく、被害者遺族はあくまで厳罰を求め、冷静な有識者がこれを諌めるという構造は変わりません。ここでは、単語の印象を含めた一種の印象操作が行われているとの感を強くします。

 保守とリベラルの対立構造、国家権力と国民の人権との対立構造において、犯罪被害者は構造的な谷間に落ちています。リベラルな思想からすれば、厳罰の要求は右寄りですので、「命を守れ」と言われてもこれに与することができません。ゆえに、マイナスイメージのある「厳罰化」という単語をあえて使わなければならなくなります。これは、裏返しのステマのようなものです。

 遵法意識とは、正確に言えば「法律を守る意識」ではなく、「法律があろうとなかろうと自らの行為の結果を想像でき、結果的に法律を守っている意識」だと思います。そして、この逆の意識は逆の結果を生みます。マスコミには、「適正化」という単語が無理なのであれば、せめて「重罪化」に改めてほしいと思います。罰の厳しさではなく、命を奪う罪の重さが問題だからです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。