犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

光市母子殺害事件・最高裁判決 その6

2012-02-28 23:45:47 | 国家・政治・刑罰

本村洋氏の会見より

 「裁判が終わっても、ずっと事件のことは考えていくと思っている。死刑判決が下ったからといっても、ふとした瞬間に思い出して、考えながら生きていく。多くの犯罪被害者の遺族は(犯人の判決が)無期懲役、懲役が当たり前で、気づけば犯人が社会復帰していることに比べれば、穏やかな生活ができる。その点は感謝している。」

 「自分の子供が13歳になっていたなんて、そういうことすら考えなくて、いつまでたっても妻は23歳、娘は11カ月のままです。」

 「判決が述べられた後、(死亡した妻の弥生さんの)お母さんに『長い間お疲れさまでした』と声をかけ、お母さんから『ありがとうございました』と言われた。自分の父親からは『よくがんばった』と背中をたたかれた。また裁判が始まる前、(弥生さんの)お父さんから手紙をもらった。普段あまりしゃべらない方だが、『今まで何も言わなかったけど、よくがんばってきたね』という直筆の手紙をいただき、それがすごくうれしかった。いつも会見の場に私しかでないが、後ろから親族、家族に支えられていたということを改めて痛感した。」

 「私自身、2009(平成21)年にある女性と籍を入れて、細々と家庭を持っている。それには色々な理由があるが、私自身、1人で生きていくことがとてもつらくなり、精神的にまいっていた。そしてとてもすばらしい方と出会えたこともあった。いろいろ悩んだし、相手も考えたと思うが、私を支えてくれるということで、今、細々とだが、2人で生活している。その彼女は命日には一緒にお墓に行って、手を合わせてくれている。その人のおかげで、こういった場に立てる。感謝している。」


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 本村氏の具体的な言葉の1つ1つを聞いて改めて感じることは、修復的司法の理論がいかに机上の空論であるかということです。修復的司法は、「事件によるダメージの修復」及び「コミュニティの関係性の修復」を図り、事件を終結させて行くことを目指しています。しかし、死者が戻ることはなく、一度狂った人生の歯車が戻ることもない以上、修復や終結は常識的にあり得ません。修復が語られる場面では、被害者や家族は特殊な地位に祭り上げられ、平面化されるのが通常です。しかしながら、不幸の形は不幸な人間の数だけ存在しており、一般化を拒むものです。

 若くして配偶者を殺されれば、当然ながら再婚が問題となります。ここでは、自分の両親や兄妹、亡くなった配偶者の両親や兄妹、さらには再婚相手の両親や兄妹、加えてそれぞれの祖父母・親戚・友人の人生が相互に関係せざるを得なくなります。人間であれば、各自の立場があり、思惑があるものと思います。そして、一般的な家庭での様々な問題、例えば進学・就職・転職・借金・別居・離婚・病気といった出来事から推測しても、本村氏が遭ったような犯罪の後のそれぞれの思惑の違い方は、時間的・内容的に桁外れにドロドロです。ここでの意見の対立による精神の消耗は、容易に死に至るものと思います。

 修復的司法が主眼とする「恨みの克服と赦し」の理念は、被害者遺族側を一括りにしているように思われます。しかしながら、加害者によって派生的に人生の歯車が狂わされた人間の数は膨大であり、相互間の裁判に対する考え方の違いも厳しく、不幸の加速度が緩むことはないと思います。また、配偶者が殺されて再婚する場合には、亡くなった配偶者の子供と新しい配偶者の子供と微妙な関係(異母兄弟・異父兄弟)が生じ、これは一生続きますが、修復的司法がこのような点まで考慮しているようには見えません。一定の時期を設定して事件の終結のラインを引くのは、かなり強引な手法だと思います。

 被害者や家族が平面化されれば、その集まりは心のケアを行う自助団体と評価され、あるいは組織的に厳罰を叫ぶ集団と評価されます。しかしながら、不幸の形は人それぞれです。本村氏が述べるとおり、殺人事件の被害者遺族の立場はそれぞれ異なります。すなわち、(1)犯人が不明で迷宮入り、(2)指名手配で逃亡中、(3)責任能力がなく不起訴、(4)冤罪で無罪判決、(5)死刑を求めたが無期懲役、(6)死刑判決といった格差が生じざるを得ません。ここで生じる差異は、極めて繊細かつ内向的であり、歩み寄りの余地がない種類のものです。すべてに当てはまる一般論が存在するとすれば、それは眉唾物だと思います。

光市母子殺害事件・最高裁判決 その5

2012-02-27 23:12:44 | 国家・政治・刑罰

本村洋氏の会見より

 「今までのような被害者の数を基準に、3人以上だったら死刑、2人だったら無期懲役というように機械的な判例主義ではなくて、一つの事件、一つの被告をしっかり見て、反省しているか、社会に出て再犯しないかをしっかり見極めた上での判決だったということで、非常に良かったと思う。」

 「今回の事件については年齢よりも、反省の情(があるか)を13年間、裁判所は見てきた。反省して社会復帰できると裁判官が認めれば、死刑は回避できたはず。年齢だけではなく、情状面をしっかり見ることが大事だと思う。」

 「殺意の否認は非常に残念だが、逆風の中で熱心に弁護されたことは立派なことだと思う。被告にとっても、最後まで自分の命を助けようと足を運ぶ弁護士と接することで感謝の気持ちが芽生え、反省の一歩になる。弁護のテクニックなどでいかがかと思うことはあったが、弁護士の役割を果たされたと思う。」

 「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う。社会から人が減るし、多くの人が悩むし、血税を使って裁判が行われる。結局得られるものはマイナスのものが多い。そういった中から、マイナスのものを社会から排除することが大事で、結果として、妻と娘の命が今後の役に立てればと思う。そのためにできることをやってきたということを(亡くなった2人に)伝えたい。」


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 判決の後、私の周りの弁護士が何人か感想を語っているのを聞きましたが、その内容はだいたい一致していました。大月被告が死刑判決を受けたのは完全に弁護団の作戦ミスであり、自滅の黒星であり、本来死刑になる必要のない者が死刑になったというものです。これは、専門家の職業的判断としては、実に真っ当だと思います。しかしながら、「判決をしっかり受け止め、罪を見つめ、堂々と刑を受け入れてもらいたい」という本村氏の言葉と比較すると、殺人や死刑を扱う刑事裁判の峻厳さを語るに際し、1人の人間の言葉としての格の低さが目立つように思います。

 私が何人かの弁護士の感想を聞いたところでは、今回の弁護団の最大の過ちは、大月被告が友人に宛てた手紙がマスコミに漏れてしまった点だとのことです。「被害者さんのことですやろ? ありゃー調子づいてると思うとりました」、「犬がある日かわいい犬と出合った。そのままやっちゃった。これは罪でしょうか」、「無期はほぼキマリで、7年そこそこで地上にひょっこり芽を出す」といった内容の手紙です。弁護士の職業倫理からすれば、何よりも問題なのは手紙の流出を防げなかった脇の甘さであって、大月被告が自分の犯した罪を受け止めていなかったということではありません。この点も、本村氏が中心を射抜いている罪と罰の論理と比べると、かなり格が落ちると思います。

 本村氏は、「この判決に勝者なんていない」と述べていますが、勝訴と敗訴の土俵の中で戦っている弁護士において、この言葉の意味を受け止めることは非常に困難と思います。民事と刑事とを問わず、弁護士は事件の筋を読み、落としどころを探ります。そして、勝ち筋の事件を失ったり、負け筋の事件の傷を深くすることは、弁護過誤の誹りを免れないばかりか、職業人としての誇りを傷つけられることになります。その意味では、刑事弁護の論理に従う限り、本村氏が何を述べようとも、弁護団は敗者を自認し、巨大な黒星を自ら背負うことになるものと思います。

 本村氏が会見で述べた言葉は、被害者と被告人の双方の人命を扱う刑事裁判に対する哲学的洞察を示しており、刑事弁護の方法論を真摯に探究するならば、これを知った上で見逃すことはできないはずだと思います。しかしながら、刑事弁護の業界の議論では、本村氏の言葉はまともに取り上げられることがなく、「遺族の処罰感情は峻烈である」とのステレオタイプの評価がなされるのみです。本村氏は、死刑判決の結論は大月被告自身の中にあるという当たり前の論理を述べているに過ぎませんが、刑事弁護の理論はこの論理を認めず、本村氏を勝者の地位に置くものと思います。

光市母子殺害事件・最高裁判決 その4

2012-02-26 00:12:44 | 国家・政治・刑罰

本村洋氏の会見より

 「ずっと私を支えてきた言葉がある。事件発生当初から私の取り調べをして、その後も死えてくれた刑事さんが言ってくれた言葉で『天網恢恢、疎にして漏らさず』。『いくら裁判で君の望む判決がでなくても、天はきちっと見ていて、悪い人をその網からもらさず、必ず罰をあてる』という言葉を与えてくれた。その言葉を胸に抱いて、これまできた。」

 「判決は被告のものだけでなく、被害者遺族、何よりも社会に対して裁判所が言っていること。少年であっても身勝手な理由で人を殺害したら死刑を科すという強い価値規範を社会に示したことを社会全体で受け止めてもらいたい。私も極刑を求めてきたものとして厳粛に受け止める。」

 「妻と娘のように、無残にも人生をたたれてしまうような犯罪の被害者が生まれなくなることを切に願う。一番いいことは犯罪がなくなることで、そのことを社会には知っていただくことができたと思っている。」

 「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う。社会から人が減るし、多くの人が悩むし、血税を使って裁判が行われる。結局得られるものはマイナスのものが多い。そういった中から、マイナスのものを社会から排除することが大事で、結果として、妻と娘の命が今後の役に立てればと思う。そのためにできることをやってきたということを(亡くなった2人に)伝えたい。」


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 法律実務家の中で「世の中から犯罪をなくしたい」と心底から願い、かつそうではない現状に真摯に苦しんでいる者は、恐らく皆無と思います。世の中のトラブルは、法律実務家のメシの種であり、犯罪者と実務家とは持ちつ持たれつの依存関係です。さらには、犯罪は社会に存在する矛盾への抵抗として、積極的な意味を付与されることもあります。「犯罪が起こった時点でみんな敗者だと思う」という本村氏の言葉を受け止める構えは、法律実務家には存在し得ないと思います。

 これとは対照的に、「世の中から冤罪を完全になくしたい」と願う法律実務家は、石を投げれば当たります。論理関係としては、世の中から犯罪が完全になくなれば冤罪も消滅しますが、ここでの問題はそのようなことではありません。罪刑法定主義(法律なければ犯罪なし)によって入口を逆にした以上、法律実務家にとって犯罪は存在してもらわなければならず、しかも警察や検察が捜査を誤ってもらわなければ困ることになります。冤罪をなくすための活動は、犯罪の発生と依存関係にあり、これも持ちつ持たれつの関係だと思います。

 本村氏が述べる論理を突き詰めれば、死刑廃止論に至るものと思います。当たり前のことですが、世の中からこのような出来事がなくなれば、死刑は自然に不要となります。全ては被告人の行為から死刑を論じなければならなくなったのであって、誰も好き好んで死刑を論じているわけではありません。また、本村氏の論理の筋を追ってみれば、法制度として厳罰化を望んでいるわけでもなく、冤罪の危険性を増加させているわけでもなく、これらの問題が自動的に解消する地点からの論理が述べられているように思います。

 「無残にも人生を絶たれる被害者が生まれなくなることを切に願う」という言葉は、刑罰論における自己目的化を拒絶した悲壮な決意であり、自問自答と破壊的衝動を経た上での言行一致の論理であると感じます。私は、これまで「世の中から冤罪を完全になくしたい」と願う法律実務家の言葉を多く聞いてきましたが、本村氏のような言行一致の絶望を含んでいるものはなかったように思います。絶望の代わりに論理の中心を占めていたものは、絶対的正義を得ている自信であり、その正義を実現しようとする高揚感であったと思います。

光市母子殺害事件・最高裁判決 その3

2012-02-25 00:07:26 | 国家・政治・刑罰

本村洋氏の会見より

 「私があずかり知らないことだが、事件からずっと裁判を見てきて、やはり被告の言動を見る限り、反省に欠けているところが多々見られた。最高裁では被告が出廷しないので、どういう心境なのかは計り知れないが、いま死というものが迫ってきて、死を通じて感じる恐怖から罪の重さを悔い、かみしめる日々がくると思う。大変な日々だと思うが、そこを乗り越え、胸を張って、死刑という刑罰を受け入れてもらいたい。酷なことを言っているかもしれないが、切に願っている。」

 「肉体的な年齢で線を引いて『ここからは死刑』と決めていいものなのかは、とても悩むところ。被告が拘置所から出した手紙で『自分は18歳と少しだから死刑にならない』とか書かれていた。そういった打算をして犯行に及んだら、年齢で線を引くことは悪い例になるかもしれない。」

 「妻と娘のように、無残にも人生を断たれてしまうような犯罪の被害者が生まれなくなることを切に願う。一番いいことは犯罪がなくなることで、そのことを社会には知っていただくことができたと思っている。」

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 私が裁判所書記官になりたての時に裁判官から受けた指導の中で、特に印象に残っているのが、「少年事件に熱心に取り組んでいる弁護士には十分注意しろ」という言葉です。私はその言葉を聞き、最初はさすがに言い過ぎではないかと感じていました。しかし、数年にわたり経験を積む中で、想像もしなかった形での色々な挫折を経て、その言葉自体が指し示す事態の正確さと救われなさに気付くようになりました。

 少年事件に熱心に取り組んでいる弁護士の前では、残酷な犯行を犯した少年は基本的に善であり、国家権力は基本的に悪です。私が仕事に誇りを持ち、誠実に職務を全うしようとすればするほど、それは国家権力による人権侵害となり、絶対悪の地位が確立されることとなりました。弁護士から容赦ない批判を浴びせられ、不正義の権化のような言われ方をされても、書記官は立場上個人としては反論できません。これは、国家権力の側で働く者の袋小路であり、真面目に人生に向き合う人間ほど苦しむ問題でした。

 裁判官が、人権派弁護士の中でも特に少年事件に取り組む弁護士に焦点を当て、新人書記官への指針としたのは、長年の経験による慧眼に基づくものであったと思います。どんなに残虐な犯罪を犯した少年でも更生できるという絶対的正義を前にすれば、これを妨げる国家権力は不正義以外ではあり得ません。特に、裁判所が少年に反省を強いることは、少年の内心の自由の侵害であるとして警戒の目で見られます。そして、この論理の中で生きることは、若く真面目な書記官であった私に、独特の心の折れ方をもたらしていました。

 犯罪を犯さない善を信じて生きてきた私にとって、非行少年の更生という絶対的正義を突きつけられ続けることは、その価値を実現する余地のない自分の人生を否定され、すでに過ぎてしまった自分の少年時代の足元を崩される経験でした。少年の更生が正義であるならば、その正義を実現するための大前提として最初に犯罪が犯されていなければなりません。そして、この正義が最も強力に主張されるのは、少年が殺人を犯し、死刑が問題になる場面です。その力関係を知ってしまった時の私の敗北感は、更生不可能な犯罪者の怨念と同じ方向を示していました。

 国家公務員の中でも裁判所で働こうという人は、基本的に真面目で地味な人間が多いですから、私の同僚も似たような環境で独特のストレスを抱えていたように思います。1人の少年を更生させるという目的のために、そもそも更生など必要のない人間がどれだけ深夜残業を強いられたか、弁護士への対応の巧拙を巡ってどれだけ書記官同士が喧嘩してきたのか、どれだけ酒量が増えて肝臓を壊したのか、やけ食いして体重が増えたか、睡眠導入剤や精神安定剤が必要となったか、ここには気が遠くなるほどの犠牲が払われているのが現実だと思います。

 少年の欲望によって自分の身が削られる虚しさを納得させるために、私の周りでも色々な理論が考えられていました。「我々は罪と罰に関する重い職責を背負っているのだ」という優等生の解答や、「ストレスの多い現代社会と上手く付き合う工夫をすべきだ」と言う功利的な解決法や、「公務員は身分保障があって安定している」という最強の逃げ道などがありましたが、私はこのような理屈に与したくはありませんでした。この世に人間として生まれたからには、誰が何と言おうと自分の頭で考え、自分自身に恥じない仕事をしたいと考えたとき、私にとって殺人を犯した少年の更生は希望ではなく、絶望でした。

 このような絶望で苦しんでいた私において、本村氏の存在は一貫して驚異でした。裁判所書記官の仕事はいつでも辞められますが、犯罪被害者の遺族であることは辞められません。私にとって、真面目に仕事に取り組んでいる自分の立場が、欲望の限りを尽くした犯罪少年よりも遥か下に置かれて弁護士からの非難を浴びることは、精神を病むほどに心を折られる経験でした。それだけに、私とは比較にならないほどの本村氏の精神力の強靭さは、想像を絶する次元の話でした。

 国家権力を悪とし、その悪と闘うことは、精神的には非常に楽だと思います。少年事件に熱心に取り組んでいる弁護士は、検察や裁判所に対して激怒ばかりしている印象がありますが、実のところは好きな仕事に楽しく取り組んでいたように思います。少なくとも私には、国家権力と闘う弁護士は、心がズタズタに引き裂かれる種類の苦悩とは無縁であったように見えました。これに対し、ある日突然すべての出口が塞がれた本村氏の苦悩の言葉は、どこか別の場所から降ってくるように私には感じられていました。

光市母子殺害事件・最高裁判決 その2

2012-02-23 23:18:06 | 国家・政治・刑罰

本村洋氏の会見より

 「今回、死刑という判決が下され、遺族として大変満足している。ただ決してうれしいとか喜びとかは一切ない。厳粛な気持ちで受け止めないといけないと思っている。」

 「日本は法治国家で、この国には死刑という刑罰を存置していることを踏まえると、18歳の少年であっても、身勝手な理由で人をあやめ、反省しないと死刑が科される。日本という国はそのくらい、人の命について重く考えているということを示すことが死刑だと思うので、死刑判決で日本の社会正義が示されたことは大変良かったと思っている。」

 「これが絶対的な回答ではないと思うし、判決を受けて議論があると思う。死刑を存置すべきだとか、廃止すべきだとか色々な考えが出ると思うが、これをきっかけにこの国が死刑を存置していることを今一度考えていただきたい。裁判員裁判も適用されていることですし、身近に起こる事件、犯罪について考える契機になれば、妻と娘の命も、今回、死刑が科されるであろう被告の命も無駄にならないと思っている。」

 「彼のしたことは許されない。きっちりと罪を償わないといけない。判決をしっかり受け止め、罪を見つめ、反省した状態で刑を堂々と受け入れ、全うしてもらいたい。これが私の伝えたいことです。」


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 大月孝行被告が実名で報道されるようになっても付く「元少年」という肩書きは、このような場面だけに用いられる妙なネーミングだと思います。元少年が成人して10年も経てば、元少年が成人ではなかったことに基づく特有の問題は、解決するまでもなく解消しています。事件発生後からテレビで理路整然と語り、報道陣の質問を受けて立っていた本村氏は、当時20代前半でした。現在の大月被告(30歳)よりもかなり年下です。

 大月被告が何歳になっても「元少年」である限り、その少年期の人格形成の問題が深く追究されることに終わりはありません。殺した方・殺された方という力関係がひとたび成立し、それが法律論・刑罰問題として論じ始められると、世の中では当たり前のことが当たり前ではなくなります。しかも、犯罪が凶悪であればあるほど、法律論・刑罰問題においては、殺した方の優位性が際立ってくるように思います。

 刑事裁判において弁護団から死刑の違憲性が主張されるとき、そこでは具体的な犯罪に対する刑罰が扱われつつも、殺人や死刑が抽象化されることになります。これは無差別殺人の裏返しのようなもので、どのような被告人がどのような殺人事件を犯したかという問題は、実のところ後から付いてくるように思います。「殺されないなら誰でもいい」、「死刑にならないなら誰でもいい」ということです。

 このような抽象化の過程において、1人1人の殺人者の具体的な犯行を死者である被害者の側から問題にされることは、非常に具合が悪いこととなります。例えば、生きたままドラム缶に入れられガソリンを掛けられた、あるいは首を生きたまま電動のこぎりで切断させられたといった犯行の詳細を前にすれば、「死刑は国家が国民の生命を奪うものである」という抽象化は上手く行かなくなります。「国民全体で死刑存廃の議論を深めるべきだ」と述べつつ、死刑執行の絞首の瞬間の部分に焦点を当てるのは、この抽象性を保持するための対抗論であると感じます。

 本村氏の問題意識は、徹頭徹尾人間としての具体的な体験に根ざしており、地に足が付いたところからの抽象性の構築です。私は今回、本村氏の言葉と専門家の解説を比較してみて、専門家の中には権益とは無関係に単に本村氏の言葉の意味が耳に入らない人が多くいることを知りました。犯罪や刑罰の問題に人生を賭けて取り組まざるを得ない立場を強いられた者の言葉は、先にある普遍的な真実が、人間の口を借りて生じたようなものです。この単純な事実を見落とせば、本村氏の言葉が偽善性の告発であることにも気が付かないはずだと思います。

 刑事法の有識者にしてみれば、本村氏の言葉が議論に値しないと考えるのは、この「自分の体験から語っている」点に尽きると思います。社会科学的な事実認定の客観性は、自分自身を除いた客観性であり、知的遊戯に陥りやすい所以です。学問的興味から過去の文献を研究したのでもなく、様々な学説を比較検討したのでもなく、○○学派・○○説・○○論に属しない部外者の本村氏の言葉は、その内容に関わらず、論壇の入口で拒否されます。従って、学問的な反論はなされません。

 本村氏が「常に法は未完であり完璧な判決はない」、「極刑を求めてきた者として判決を厳粛に受け止める」と述べている傍から、専門家が「司法は少年事件での厳罰化に舵を切った」、「死刑制度のあり方をきちんと議論すべきだ」と論評しているのを見ると、論理の明確性に格段の差があるように感じます。多くの刑事法の専門家の思い込みに反して、刑事裁判とは、本村氏の述べるシステムそのものです。有識者は、正解を選ぶ思考法に浸る反面として、答えのない問題には取り組めないのだと思います。

 この裁判に止まらず、刑事裁判が長期化する最大の理由を挙げるならば、まさに刑事訴訟法の要請であるところの「デュープロセス」がその原因です。13年間かかっても未だ「審理が不十分だ」と批判されるとき、それは15年や20年という具体的な数字を志向するものではなく、年数に上限はありません。そして、「デュープロセス」という単語の前には、本村氏がいかなる言葉を述べようとも、それはサンプルとして対象化され、その言葉の意味が受け止められることはないのだと思います。ここで見失われるものは、自分とは思想信条である以前に人生であり、死を含んでいるという現実です。

光市母子殺害事件・最高裁判決 その1

2012-02-21 23:57:08 | 国家・政治・刑罰

本村洋氏の会見より

 「13年の長い間、裁判を続けてきた裁判官、検察官、捜査された警察官の方々、そして最後まで熱心に弁護をしていた弁護士の方々に深く感謝する。」

 「20歳に満たない少年が人をあやめたとき、もう一度社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいことなのかとても悩んだ。きっとこの答えはないのだと思う。絶対的な正義など誰も定義できないと思う。」

 「18歳の少年に生きるチャンスを与えるべきか、最高裁も非常に悩まれたと思う。反省の情があれば死刑にならなかったと思う。残念ながら、被告には反省の情が見られないということを理由に、死刑になったことが一番重いと思っている。」

 「自分の事件だけではなく、犯罪被害者のこと、日本の刑事裁判の在り方、少年の処罰の仕方について問題提起させてもらうことが私の使命と思い、精神力、体力が続く限り対応してきた。それが本当に良かったのか、社会の役に立ったのか、むしろ不快に思われていないかなどを悩んできたのも事実だ。」

 「今回の判例は18歳の少年が2人を殺害したら死刑になるという実績をつくったことになる。この事件以降、少年への厳罰化がもし進むのであれば、それは私がマスコミの前で発言してきたことの影響が多々あると思うので、私自身も責任を感じなければいけない。」

 「常に法は未完であり、完璧な判決はないと思っている。諸行無常の中で、世論の動きを敏感に感じて、そのときの価値観に合ったもの(判決)を出していくことがあっていいと思う。」


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 筆舌に尽くし難い犯罪に直面した者のみが、裁判や刑罰について正確に知ることができる、という考えが一方にあります。他方では、そのような犯罪に巻き込まれた者は、裁判や刑罰についての真実を見失う、という考え方があります。この逆方向のベクトルは、そのまま知的エリート集団の民主主義に対する視線の違いに対応しているのではないかと感じることがよくあります。

 我が国の司法エリートの頂点は、言うまでもなく最高裁の裁判官です。私は自分自身の仕事の経験を通じて、世の中には本当に頭の良い人達がいるのだということを肌で感じ、圧倒されてきました。最難関の司法試験を突破し、優秀な成績で任官し、さらに出世コースを登り詰めた最高裁判事は、この国を背負って立つエリート中のエリートです。抽象的思考・システム的思考の能力、頭の回転の速さや記憶力、数的処理能力、どれをとっても凡人の力の及ぶところではなく、同じ人間とは思えないところがありました。

 私は裁判所書記官として勤めていた当時、この遠い雲の上の上司に対し、1人の人間としての敬意を持っていました。それは、自分には到底敵う相手ではないという敗北宣言の変形であり、卑屈な尊敬の念でした。光市母子殺害事件が発生し、本村洋氏がテレビで語り始めた当時、私はちょうど地方裁判所の刑事部に配属され、日々犯罪に接していました。私は、自分自身の本村氏に対する敬意と、裁判官に対する敬意の質的な違いを直観し、ここを掘り下げた先には身の破滅があることを知りました。

 書記官として裁判官を尊敬すべき立場に常時置かれていると、自分自身は司法エリートではなくても、いつの間にかエリート的な思考の枠組みに染まりがちになります。これは、法律の素人である一般大衆を愚民と捉える優越感と、そのような集団から疎外されている劣等感とが入り混じっているようなものです。実際のところ、狭い共同体の中で連日内輪の会話をしていれば、この構造に抗うことは非常に困難だと思います。

 私は、刑事部の裁判所書記官として、何人もの犯罪被害者遺族に接し、苛酷な運命をそのまま生きている人生に対して深い敬意を持ちました。しかし、エリート的な思考の枠組みに染まっていた私の敬意は、どこか上から目線であり、不純なものでした。書記官は、裁判官のそれとは比べ物にはならないにせよ、最高裁大法廷首席書記官を頂点とする昇進レースに巻き込まれています。私は裁判所に勤めている限り、その犯罪被害者遺族に対する敬意の内実は、「人生が狂った脱落者への同情」であることを免れませんでした。

 犯罪被害者の刑事裁判への参加、被告人の刑罰に対する被害者の意志の反映といった施策については、司法エリートであればあるほど、賛成することは難しくなるように思います。これは、自分や家族は絶対に犯罪被害には遭わないという自信があるわけでもなく、逆に犯罪被害に遭うかもしれないという恐怖を受け入れるわけでもなく、そもそも犯罪被害者を含むところの非エリート、すなわち一般大衆の流入は不正義である価値判断が先に立っているということです。

 知的集団の思考を押し進めた場合、衆愚政治への嫌悪感は必然的に避け難くなり、直接民主制的なものは当然に排除されます。実際のところ、現在の民主主義の閉塞状況の打開策を語る有識者の議論において、「選挙権は民衆が時の権力者と戦って勝ち取った歴史的な権利である」という能書きは、その本来の意味からは遠ざかっているように思います。そして、このようなポピュリズムの拒絶の視点は、もとより違憲立法審査権により国民の多数決を覆し得ることの正当性を信じる司法エリートの思考の枠組みと親和性があります。

 私は、この長い裁判の間、本村氏の1つ1つの言葉に敬意を持ち、圧倒されてきました。そして、このような敬意は、刑法学の有識者からは眉をひそめられることを感じ続けてきました。また、司法制度に携わる裁判所書記官は、その立場において本村氏の言葉への敬意を公言することが許されないことも知りました。筆舌に尽くし難い経験をした者のみが、裁判や刑罰について正確に知ることができるのであれば、本村氏と最高裁判事の地位が逆転してしまうからです。

 判決後、専門家によって示された問題意識は、いずれも司法エリート的な思考を前提としたものであり、本村氏の会見の言葉とは好対照であったと思います。例えば、「永山判決と比べると死刑へのアプローチが変わってきている」、「被害者の立場を考慮するという流れの中での判決だ」、「より客観的な基準を示す必要がある」といったコメントです。両者の言葉のいずれに究極の理性を感じ取るのか、そして自己目的でない議論の立て方ができるのか、これは民主主義の成熟度の指標でもあると思います。

ポール・オースター著 『偶然の音楽』

2012-02-17 23:54:04 | 読書感想文

p.327~ 小川洋子氏の解説より

 「私は話をでっち上げているのではなく、現実の世界に対応しようとしているだけだ」。『来たるべき作家たち』のインタビューの中で、ポール・オースターはこう語っている。にもかかわらず彼の小説はしばしば、現実のねじれから圧倒的な虚構の世界へ、読者を引きずり込む。そしてねじれの中で目眩を起こしている間に、ふと気が付いた瞬間、新たな現実の地平に取り残されている。

 オースターの小説を考える時、偶然という要素はどうしても外せないが、彼はそれを必然的な生死の対極にあるものとしてとらえている。理論や科学や法律でうまく取り繕われているようでありながら、実は人生の大半は理由のつかない偶発的な出来事によって形成されている。彼はその不可思議の奥に、真の物語を掘り起こそうとしている。虚構などという便利な言葉で、片付けてしまうわけにはいかないのだ。


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 偶然と必然の振り分けが法理論的に語られるとき、それは因果関係論の形を採ります。こうなってくると、社会通念の内容をめぐって争われることになり、その出来事は偶然なのか必然なのか、ますます混沌としてきます。偶然だと考える者は偶然であると主張し、必然であると考える者は必然であると主張し、どちらも証拠を出し合って正当性を論じ始めると、これは議論のための議論に陥ります。

 偶然という要素を必然的な生死の対極にあるものとして捉えるならば、生死という汎時的な一点を離れて、特定のある時点での生死の偶然性と必然性を論じることの不可能性に気付かされます。その死が偶然であったと結論することが絶望であるならば、必然であったと結論すれば済むものではなく、逆もまた同じです。この点については、それだけで何冊も小説が書けるほどの内容であり、それでも偶然と必然の振り分けの答えに達することはないのだと思います。

中島義道著 『ひとを愛することができない』

2012-02-15 00:03:52 | 読書感想文

p.36~

 弱者を助けるべきであるということを原理として認めよう。観念上は完全に理解している。私にとって、弱者を助けること自体はそんなに困難なことではない。だが、私はほとんどいつも愛からではなく、そうすべきだと思っているから助けるのである。

 1秒の何分の1か知らないが、理性が介入して、生の感情はそうすべきであるからそうするという冷静な態度に変わってしまっている。あっという間に「~すべきである」という判断が、私の身体を貫いてしまう。その後になって、私の身体はじつにこまごまといま要求されている「~すべき」しぐさを実行しはじめるのだ。

 私は苦しんでいる人に遭遇することが恐ろしい。自分が試されているような気がするからである。苦しんでいる人の眼は鋭い。とっさの私の親切な態度のうちに、私の真意を見抜くのではないかと恐れる。私のまめまめしい表層的行為のすぐ裏にどうでもいいという冷たい感触を探り当てるのではないかと恐れるのである。

 私がいくら演技を熱心に続けようとも、その技巧は見抜かれる。じつはどうでもいいのだ、という私の構えを見抜かれるのである。それが私には恐ろしいとともに、私の行為の裏に潜む不自然さを見抜く鋭敏な眼を憎むようになる。


p.95~

 私が驚愕するのは、多くの人が自分を痛めつけた人に向かって謝ってほしいと要求することである。心から出た謝意でなければ虚しいはずなのに、そして要求された謝意は憎悪にくるまれたものであることは承知しているはずなのに。かたちだけの謝意はますます相手を憎むことになり、相手からますます憎まれることになるのに、なぜそれを要求するのだろうか。

 答えは簡単である。相手を屈服させたいから、相手に屈辱を味わわせたいからなのだ。本心謝りたくない相手を無理やりに謝らせるのだから、信念も誇りも捨てて相手の頭を強制的に下げさせるのだから、これは相手にとっては大いなる屈辱である。だから、それをしてもらおうじゃないか、とくと見てやろうじゃないか、というわけだ。

 黒々とした復讐である。だから、本心から反省していない者に対してこそ謝意を要求する声は激しくなる。みずからの自由意志ですでに反省してしまっている者にさらに謝意を要求しても、もはや復讐は成り立たない。謝意の要求は、反省していない人にこそ向けられるのである。


p.213~ 森岡正博氏の解説

 中島さんは私に言った。倫理学者は、「対話」が大事だとかすぐに言うが、彼らは実生活でほんとうに対話しているのか。必要なのは、「対話」について議論することではなくて、対話が必要なときに実際に「対話」することではないのか、と。中島さんの視線は、つねに、自分が実際にどうであったのかという点に注がれている。自分の人生こそが、中島さんの出発点であり、終着点である。


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 この社会における法律や規則は、人々が漠然と信じている常識や、当たり前だと思って疑わない事実の集積に存立の基礎を置くものであり、多数決の民主主義ではそれ以外にあり得ないと思います。ところが、実際に法律が問題となるトラブルの場面では、そのように信じてきた世界観や人生観が対立し、法律以前のレベルでの争いが生じ、法律が役に立たなくなります。

 このような場面において、最も威力を持つ言葉は、人々に共有されている常識を最初から信じていない言葉や、当たり前だ思われている事実を端から相手にしていない言葉です。私は最近、仕事上でのいくつかの出来事を通じて、このような言葉が過剰なまでに恐れられていることを再認識しました。常識を信じている者同士の争いの場面で、常識そのものが疑われれば、事態は一変します。

上田閑照編 『西田幾多郎随筆集』より その6

2012-02-12 00:17:54 | 読書感想文
p.135~ 「知識の客観性」より (昭和8年4月)
 明治時代は外国文化を吸収するに急にして、そのため種々なる弊害を生じたこともあるであろう。そういう点からは、我々は我々の根本に還って考えて見なければならぬのはいうまでもない。しかし徒らにその弊のみを論じて、極端な反動的思想に走ることは、恰も明治の始において逆の方向に反動的であったと同様に、真に我国の将来を思うものということはできない。
 由来、我国には何の方面にも遠大なる根本的研究というものは重ぜられない。いつもすぐ目前の効果のみが問題となるのである。何事でも何処までも深く掘り下げて根本的に考えるという如き精神と努力に乏しい。それは外国文化の研究に従事するものの受ける非難であるが、日本文化の研究に従事する人々にも同様であると思う。

p.247~ 歌と詩 (昭和9年)
 人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり

p.341~ 山本良吉あて書簡より (昭和10年5月)
 日本の法学者は法律の哲学的歴史的研究というものを怠っている。そこから深く根本的に研究せねばならぬ。軍隊では学問の解釈も権力で定めてよいように思うかも知らぬが、それでは却って学問の進歩を阻害することとなると思う。将来同じ事をくりかえすばかりだ。

p.373~ 書簡抄より (昭和10年11月)
 論理というものの本質をその出来上った形式からでなく、その歴史的世界における成立から掴まねばならぬと思うのです。

p.143~ 「『理想』編集者への手紙」より (昭和11年5月)
 多くの歴史哲学というものはあるが、私にはどうも満足を与えることはできないのでございます。それらの人の言う歴史的世界とは、自己というものがその中にいる世界ではないと思うのです。自己というものが何処までも外にいて、ただ、芝居か何かを見るように、眼だけで見ている世界にすぎないと思うのです。
 固より歴史哲学には種々の歴史哲学があり、すべてが単にそれだけのものというのではないが、要するに、真の自己がその中にいて、その中から見るという立場から考えられた歴史哲学ではない。私はカント哲学の立場からは、歴史的実在の世界というものは考えられないというのはこの故でございます。

p.344~ 和辻哲郎あて書簡より (昭和12年5月)
 従来の如く自然科学的対象認識という如き立場からのみ実在を見ていないで、我々は今後深く歴史的実在そのものを分析して新しい実在の範疇を以て実在を考え行かねばならない。自然を歴史において見なければならない。
 すべて従来の哲学は自分というものを歴史の外に置いて考えていた。将来自己というものがこの世界の中にあり、これと共に動くものとしてそこから認識論も倫理学も考えられねばならない。


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 政治が目指すべきものが「最大多数の最大幸福」であるとすれば、どんなに幸福を最大化したとしても、幸福が拒絶される人物の壁に当たるように思います。それが哲学者や芸術家です(実際の職業とは一致しません)。これは、幸福を破壊しなければ哲学者や芸術家であることを辞めなければならないという単純な理由に基づきます。国民の幸福を声高に演説する政治家にとっては、理解に苦しむ話だろうと思います。

 政治家が身を粉にして走り回り、ストレスに耐えて戦うとき、自身の生活は犠牲になります。他方、哲学者や芸術家が苦悩にのた打ち回るとき、自身の生活は犠牲になります。どちらも言葉の上では、同じように「生活が犠牲になる」という状況ですが、その内容は全く違うように思います。国民の幸福を目指す政治家の目から見れば、哲学者や芸術家の苦悩など、社会の役に立たない個人的な範疇に属するものです。「政治に哲学がない」と言われる所以だと思います。

上田閑照編 『西田幾多郎随筆集』より その5

2012-02-11 23:45:35 | 読書感想文

p.315~ 鈴木大拙あて書簡より (明治35年10月)

 今の西洋の倫理学という者は全く知識的研究にして、議論は精密であるが人心の深き魂の経験に着目する者一もあるなし。全く自己の脚根下を忘却し去る。パンや水の成分を分析し説明したるものあれどもパンや水の味をとく者なし。総にこれ虚偽の造物、人心に何の功能なきを覚ゆ。
 余は今の倫理学者が学問的研究を後にし先ず古来の偉人が大なる魂の経験につきてその意義を研究せんことを望む。これすなわち倫理の事実的研究なり。


p.329~ 山本良吉あて書簡より (昭和2年2月)

 人間というものは時の上にあるのだ。過去というものがあって私というものがあるのだ。過去が現存しているという事がまたその人の未来を構成しているのだ。7、8年前家内が突然倒れた時は私は実にこの感を深くした。自分の過去というものを構成していた重要な要素が一時になくなると共に、自分の未来というものもなくなったように思われた。喜ぶべきものがあっても共に喜ぶべきものもない。悲しむべきものがあっても共に悲しむものもない。


p.12~ 「或教授の退職の辞」より (昭和3年12月)

 幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よき妻、よき子と書いてある、悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。


p.334~ 和辻哲郎あて書簡より (昭和4年12月)

 私のこの10年間というのは静な学者的生活を送ったというのではなく、種々なる家庭の不幸に逢い人間として堪え難き中を学問的仕事に奮励したのです。そして正直に申上げれば今は心の底に深い孤独と一種の悲哀すら感ずるのです。


p.338~ 山内得立あて書簡より (昭和6年6月)

 本当に何も分らないで孤児となってゆかれる幼子の行末をおもえば何の慰めの語も出ませぬ。また幼き児らを残してゆかれる御令室の心中も誠にいかばかりかと思います。人間死生の際のみ、本当の真実というものが味われ平素の虚偽の生活をおもうて頭が下がるものです。


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 立場の違いを巡って争われる議論は、そもそも「どの立場からものを言っているのか」を確定しなければ始まらず、それゆえに相互の立場を否定することによって議論は噛み合い、しかも決着がつかないのが通常のことと思います。むしろ激しい議論が起きるのは、その立ち位置が他者に誤解されるときであり、これは言語を有する人間が本能的に反論しなければならない事態です。そして、立場を表明する際の言語はもともと不正確である以上、当為命題においては激しい断定が用いられざるを得ないのだと思います。

 これに対して、随筆や書簡のような表現は、心の底からそうだと思えないことをわざわざ書く意味がないため、そこでは自分自身の客体化が必然的に起こります。主観的であろうとすると、自分自身を客観的に見なければならないということです。これは客観的な証拠を用いて議論しようとするとき、そこでは必然的に主観的な意見を述べなければならなくなることと好対照です。言語はそれ自体が価値であると自覚しているのか、言語を道具として用いているのかの違いでもあると思います。