お寺さんぽ Ver.03

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鎌倉大仏 (鎌倉市・高徳院)

2006年04月29日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
えっと、今週の当ブログにて大好評(?)に開催してきました「阿弥陀祭り」は残念ながら今回で最終回です。
…あ、このブログ自体が終わっちゃう訳でないので、そこはお間違えのないように。
ぜひ、またいらして下さい。

さて、阿弥陀祭りの最後はやっぱり巨大建造物が楽しかろうということで、鎌倉大仏でお馴染み「阿弥陀如来坐像」です。
約七百年前に造立されました、鎌倉で唯一の国宝。
正式名称は「銅造阿弥陀如来坐像」
坐像ながら、なんと十一メートルの巨大さを誇るモビル…でなくて仏像です。
こちらは東大寺の大仏、富山県高岡の大仏とともに三大大仏といわれているそうですね。
(※ちなみに、大きさが分かるように人も写った写真としました。どうですか?)


ここ「高徳院」本当は「大異山高徳院清浄泉寺(だいいざんこうとくいんせいじょうせんじ」という、浄土宗のお寺です。
舌かみそうですね。
開山など細かなことは意外にも不明でして、また大仏にしても”なぜこんなの造ろうとしたのか”というのは当時の資料などが乏しく、はっきり分かっていないそうです。

とりあえず、鎌倉幕府第三代執権「北条泰時(※)」の晩年に沙門浄光(しゃもんじょうこう)という方が諸国を歩き、方々より寄付を募って造ったそうです。これには泰時が協力したという話もあるようですが…こちらは詳細不明。

当初は木造三階建て、でなくて木造の仏像でして、暦仁元年(1238)に着工して、五年後の寛元元年(1243)に完成。
それは鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にも記述があります。
しかし、この木造阿弥陀さまはわずか四年後の宝治元年(1247) に台風で崩壊。
また元年ですよ。…なんだか元年が好きなんですかね。

でね、今度はぶっ壊れないようにと建長四年(1252)には「青銅の大仏」製作に着工しました。
大仏魂ですよ。(※ちなみに、木造のときよりもまた大きく造ったそうです)
これも数年で完成に至りました。
完成当初は全身金箔な神々しいお姿で、大仏殿という専用のお部屋もちゃんとあったんですが、室町時代の津波でどうにか阿弥陀様は無事でしたが建物は崩壊してしまいます。
とりあえず、青銅にしたのは正解だったようですね。
しかし、これが元で大仏様のお部屋はなくなり、以後より雨ざらしとなってしまうのでした。

ちなみに、そんな訳で外にむき出しのままですが、皆さまお忘れなきように。
この方は「国宝」です。
しかも、補修もあまり大掛かりにされておらず、お姿はほぼ鎌倉期のままであるという、大変貴重なものなんです。
すごいでしょ?
もし、見に行ってなんらかの不注意で破壊したりしたら……大変なことになりますよ… (※本当は怖い家庭の医学調)
うふふふ…。


(※)北条泰時(ほうじょうやすとき)
二代執権北条義時(北条政子の弟)の嫡男で三代執権。
武家の法令「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」を制定した人。


[住所] 高徳院 鎌倉市長谷4-2-28

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      仏像講座「如来編」


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