お寺さんぽ Ver.03

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六波羅蜜寺 (京都)

2006年04月28日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
えっと、今週の当ブログは「阿弥陀祭り」開催中です。
次の記事も乞うご期待! (なにそれ)

本日は先に紹介しました「空也上人」ゆかりのお寺にして源平両氏の中心的史跡、京都は東山区の「六波羅蜜寺」です。
これでより詳しく知れるでしょう、ということで。

時は平安時代。
天暦五年(951)京都に病が流行しました。
常に市民の中にあって仏教を広め、市の聖(いちのひじり)と呼ばれていた空也上人はその惨状にたいへん心を痛めました。そして、自ら「十一面観音」や「四天王」を刻むと台車に安置し、それを引きながら病人のためにお茶(※)を念仏を唱えながら配り歩いたそうです。
はー…。
前も書きましたが、いちいちスゴイ人ですねぇ。
そりゃ、人気ある訳ですよ。

現存する上人の起願文によると、応和三年(963)あちこちから呼んだ名僧六百名と共に諸堂の大供養会を営みますが、それがこのお寺の起こりだそうです。
本尊は空也上人の刻んだ国宝「十一面観音立像」

空也上人の没後はその高弟「中信上人」によって規模を拡大。
特に平安後期にはこの付近に「六波羅殿」と呼ばれた「平清盛」ら権勢を誇る平家一門の屋敷が営まれました。
六波羅蜜寺の名称になったのもこの頃のようです。

そんなこんなで荘厳華麗な天台寺院として大いに栄えますが、後の平家没落と共に兵火を受け、わずかに本堂を残して諸堂は焼失。
その後も源平や北条・足利氏などの争いでたびたび戦火にみまわれますが、その度に再興・修復を繰り返しました。
豊臣・徳川両家にも守られた六波羅蜜寺ですが、明治頃になると荒廃。
昭和四十四年頃にようやく解体修理され、現在に至ったということです。

今では規模はすっかり縮小されていますが、修復により色鮮やかとなった本堂(※こちらは南北朝時代の重文)と国宝・重文など重要文化財がひしめく宝物館でいつも賑わうお寺です。配っておられるパンフレットは以前紹介した「知恩院」に負けない、綺麗な、映画のようなパンフレットですよ。
(正直、分かりやすさは知恩院のが上ですけどねー)

空也上人は無論のこと、リアルな「平清盛坐像」もありますので、歴史好きな方も是非お立ち寄り下さい。
ちなみに、鎌倉時代の京都守護の役職「六波羅探題」の役所が置かれたのもこの付近(六原小学校)だそうですよ。


(※)現在も「皇服茶」として伝わっていて、正月から三日間振舞っているそうです。
   青竹からのお茶で、梅干と昆布いり。
   ちなみに、今回写真は六波羅蜜寺の秘仏紹介の案内板です。
   他にあんまりいい写真がなかったんですよねー。


[住所] 六波羅蜜寺 京都市東山区五条通大和大路上ル東

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※紹介しました「六波羅蜜寺」も登場する、マニア御用達の一品。

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