お寺さんぽ Ver.03

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光悦寺 (京都)

2006年04月13日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都の北。鷹峰三山を見渡す景勝の地「光悦寺」です。
ちなみに鷹峰三山ってのは鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰だそうですよ。
…そうです、このあたり↑はパンフの文そのままです。
だって詳しく知らないんだもん。
と、本音を大暴露したところで「光悦寺」です。

むかーし、むかし「本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)」という人がおったそうな。
(※まんが日本昔ばなし風に。市原悦子、あるいは常田富士男の声でどうぞ)

…すみません、本当は戦国~江戸時代です。
光悦くんは刀剣などを扱う「京都本阿弥家」の嫡男として生まれました。
本阿弥家は加賀前田家の庇護もあり、将軍家から諸大名の御用までも受けておりました。
まさに家業はうはうは状態だったんですね!

ただ、光悦くんは商売そっちのけ(うそ。未確認)で趣味の世界に没頭してしまいます。
しかも単なる趣味人でなく、書道を中心に陶芸、漆芸、出版、茶の湯…など、そりゃあもう、
芸術家かよー、ってくらいにやっていたようです。
さすがにお金持ちは違いますね。

と、それらが単なる趣味で終わらなかったから、すごいんです。
各芸術面で光悦くんはその才能を発揮。さまざまな功績を残しました。パンフによると、

「そのいずれもが前人未到の斬新的な表現方法であり、驚嘆の目を見張らぬものはない」

とのこと。
ほんとぅ~??話半分としても(笑)とにかくすごい芸術家だったようです。
マルチアーティストですよ。

元和元年(1615)その才を認められた光悦は徳川家康より鷹ヶ峰の土地を拝領しました。
すると、彼は一族や職人などの仲間を率いてそこへ移住します。
自然、この一帯は工芸集落のようになっていきました。

そして中心であった光悦の死後、本阿弥家の位牌堂であった場所を「光悦寺」としたそうです。
やっと出てきました、光悦寺。

完全に茶室・庭中心のお寺でして、それぞれ趣の異なる七つの茶室、古池や豊富な緑に囲まれた、
ひっそり静かな大変風情のあるお寺です。
特に竹の垣根は「光悦垣」として知られており、徐々に高さの違う独特なものです。

…あれ、ひでるさん垣根の写真撮ってませんでした。
何せ庭中心のお寺だったんで…。
ちなみに光悦の木像とか多くの品がありましたが、仏像はなかったんですよー。
庭とか自然好きな人にはオススメですね。



[住所] 光悦寺 京都府京都市北区鷹峯光悦町29


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