先日、亡父の法事をした。
コロナ禍なので、事前に「主な親類縁者には家族だけで行う」旨、連絡した。我が夫婦と隣に住む長男家族だけの法事となった。
・・・浄土真宗の法事は・・・
浄土真宗は、阿弥陀仏の救いによって臨終後はすぐに極楽浄土へ迎えられるので、法要は故人の供養ではなく、故人を偲んで仏法に接するために行われると教えられる。
そのため、法事は参拝者一人ひとりが故人によって仏縁を授かる機会という考え方で、亡き人を偲びつつ仏法を聞く行事、これが法事だそうです。
・・・家族だけの法要では・・・
家族だけで法事をすると、親類・縁者が集まり亡き人を偲ぶ仏縁がなくなるし、簡素な法要でいいのかもと勝手な解釈をしてしまった。
そこで、いつも気さくに話のできるお坊さんなので、ついつい「親類・縁者の仏縁もないし、体調もすぐれないので、できれば簡略版でお願いします」と。
早い目にお経が終わったお坊さんが、笑いながら「お経を途中で飛ばすのは難しい。早く読むか、スコッと抜くかしかないので」と。
お経に、簡略版なんてあるはずもない。
非礼を詫びた。
仏法を聞く場をおろそかにしたら、法事の意味がなくなると深く反省した。