神社のことを呼ぶ時に『日本三社』や『三社参り』と呼ばれる神社があります。その三社とは「伊勢神宮」「賀茂神社(上賀茂・下鴨)と「石清水八幡宮」とされています。
岩清水八幡宮は、京都府八幡市・男山(標高143m)の山上にある神社で、創建は平安時代の860年、八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたのが始まりとされています。
男山は、京の都の裏鬼門にあたり、表鬼門にあたる比叡山とともに都の守護・国家鎮護の神社であったと伝わります。
御祭神は「応神天皇(誉田別命)」「比咩大神(宗像三女神)」「神功皇后(息長帯姫命)」を祀り、厄除開運の神として信仰を集める神社です。
石清水八幡宮には2度目の参詣となりますが、“男山”の名から受ける印象もあってか、力強さや猛々しさを感じる神社です。
かつては源義家が石清水八幡宮で元服し自ら「八幡太郎義家」と名乗ったとされる話や、織田信長が「黄金の雨樋」を造営して武運長久を祈ったという話などが伝わることからも武門隆昌の神社だったことが伺い知れます。
参詣したのは正月3日でしたが、さすがに大神社だけあって参拝者は波のように押し寄せていました。
山上までは“男山ケーブル”で上がるつもりでしたが、あまりの人の多さに結局歩いて石段を登ることにしました。
最初にある一之鳥居は元々は木造りだったようですが、1636年以降は石造りの鳥居に変えられたようです。
逆光で眩しい鳥居の扁額に書かれている「八幡宮」の「八」の字はよく見ると「双鳩」のハト姿になっていますね。
露天が並ぶ参道を少し歩くと、山麓に下院にあたる「頓宮」へ入る門が見えてきます。
ここからは「石清水八幡宮境内」として国の史跡に指定された領域になります。
門から中へ入ると頓宮があります。
この宮には年に一度、山上の御本殿より御神霊が御遷しされて重儀が斎行される社殿だということです。
本来の建物は、1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いで焼失してしまい、現在の建物は1915年に造営されたものだそうです。
朱色の回廊に囲まれた頓宮で行われる「勅祭 石清水祭」は「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始まったとされ、山上の本社から山麓の頓宮まで御鳳輦(神輿)が下る荘厳な儀式だといわれます。
また、山上へつながる南門は、もとは山上の南総門だったものを移築されたもののようです。
さて、頓宮を出て二之鳥居をくぐると表参道の始まりです。
ゆるやかな勾配の石段ですのでさほど苦にはならず、むしろ木々に囲まれた参道を登るのは気持ちが良い。
三之鳥居までくるともう先には南総門へとつながる参道に入ります。
参道の奥に見える神々しい朱門に心躍りますが、さすがに石清水八幡宮。人の多さにも驚きます。
近年は正月らしい気分で年の初めの行事を行うということもなく、スーパーやモールも元旦から営業していますから、あっさりとした正月を迎えていますが、やはり初詣だけは晴れやかな正月気分になりますね。
3日とはいえ、数多くの方が参詣してここには正月ムードが漂っています。神矢を持って帰られる方もチラホラありましたよ。
手水舎にも人が一杯です。
身を清めて神様に今年一年の祈願をしたい気持ちは皆同じですね。
南総門から入り手水舎を超えると、いよいよ石清水八幡宮の本殿への道となります。
現在の社殿は1634年徳川家光が造営したもので、国宝に指定された建造物です。
楼門に回廊がつながり、その奥に内殿・外殿があるようですが、八幡造と呼ばれる2つの殿はこの位置からは見えませんね。
正月の行事なのだと思いますが、正面には8mといわれる大きな矢が立てられていて、これが石清水八幡宮に対して当方が持っている“力強く猛々しいイメージ”につながっているのだと思います。
本社横の神楽殿では巫女さんが何度も舞われていたので何事かと不思議だったのですが、参詣を終わられた方が持っていた神矢は実はこの神楽殿で清め祓いされたものだったようです。
お神楽奉仕で神矢を持った巫女さんに清め祓いされた神矢を、巫女さんの神楽鈴で清められた方々が受け取られます。実に興味深い神事です。
にぎやかだった山上の本殿や表参道とは打って変わって、裏参道はひっそりとしています。
石清水八幡宮はかつては神仏習合の宮寺として栄えたのですが、明治の廃仏毀釈の影響を強く受けたようです。そのため、参道には堂宇跡や石垣が現在もいくつか見受けられました。
裏参道を下って一之鳥居まできましたので、ここらで精進落としとなります。
屋台の連なる参道で見つけたのはインド料理の看板!
どこへ行ってもインド料理に目がないもので、昼食用にテイクアウトとなりました。
“tabla indian restrant”という店のようですが、どこから来られているのでしょうね。
記念写真をお願いしてみました。
石清水八幡宮のある男山は、山上に本殿があり山全体が神宮になっているような山です。
しかし、山の奥深い霊山との印象はなく、むしろ都(京都)から参詣しやすい場所にある八幡さんの印象すら受けます。
武運長久を祈願する武士たちが訪れた神社、宗廟として皇室のご崇敬の厚い神社、厄除開運を祈願する老若男女が参詣に訪れる神社。
八幡大神御託宣によると「世は変われども神は変わらず」とあります。これは日本人の心かもしれませんね。
岩清水八幡宮は、京都府八幡市・男山(標高143m)の山上にある神社で、創建は平安時代の860年、八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたのが始まりとされています。
男山は、京の都の裏鬼門にあたり、表鬼門にあたる比叡山とともに都の守護・国家鎮護の神社であったと伝わります。
御祭神は「応神天皇(誉田別命)」「比咩大神(宗像三女神)」「神功皇后(息長帯姫命)」を祀り、厄除開運の神として信仰を集める神社です。
石清水八幡宮には2度目の参詣となりますが、“男山”の名から受ける印象もあってか、力強さや猛々しさを感じる神社です。
かつては源義家が石清水八幡宮で元服し自ら「八幡太郎義家」と名乗ったとされる話や、織田信長が「黄金の雨樋」を造営して武運長久を祈ったという話などが伝わることからも武門隆昌の神社だったことが伺い知れます。
参詣したのは正月3日でしたが、さすがに大神社だけあって参拝者は波のように押し寄せていました。
山上までは“男山ケーブル”で上がるつもりでしたが、あまりの人の多さに結局歩いて石段を登ることにしました。
最初にある一之鳥居は元々は木造りだったようですが、1636年以降は石造りの鳥居に変えられたようです。
逆光で眩しい鳥居の扁額に書かれている「八幡宮」の「八」の字はよく見ると「双鳩」のハト姿になっていますね。
露天が並ぶ参道を少し歩くと、山麓に下院にあたる「頓宮」へ入る門が見えてきます。
ここからは「石清水八幡宮境内」として国の史跡に指定された領域になります。
門から中へ入ると頓宮があります。
この宮には年に一度、山上の御本殿より御神霊が御遷しされて重儀が斎行される社殿だということです。
本来の建物は、1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いで焼失してしまい、現在の建物は1915年に造営されたものだそうです。
朱色の回廊に囲まれた頓宮で行われる「勅祭 石清水祭」は「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始まったとされ、山上の本社から山麓の頓宮まで御鳳輦(神輿)が下る荘厳な儀式だといわれます。
また、山上へつながる南門は、もとは山上の南総門だったものを移築されたもののようです。
さて、頓宮を出て二之鳥居をくぐると表参道の始まりです。
ゆるやかな勾配の石段ですのでさほど苦にはならず、むしろ木々に囲まれた参道を登るのは気持ちが良い。
三之鳥居までくるともう先には南総門へとつながる参道に入ります。
参道の奥に見える神々しい朱門に心躍りますが、さすがに石清水八幡宮。人の多さにも驚きます。
近年は正月らしい気分で年の初めの行事を行うということもなく、スーパーやモールも元旦から営業していますから、あっさりとした正月を迎えていますが、やはり初詣だけは晴れやかな正月気分になりますね。
3日とはいえ、数多くの方が参詣してここには正月ムードが漂っています。神矢を持って帰られる方もチラホラありましたよ。
手水舎にも人が一杯です。
身を清めて神様に今年一年の祈願をしたい気持ちは皆同じですね。
南総門から入り手水舎を超えると、いよいよ石清水八幡宮の本殿への道となります。
現在の社殿は1634年徳川家光が造営したもので、国宝に指定された建造物です。
楼門に回廊がつながり、その奥に内殿・外殿があるようですが、八幡造と呼ばれる2つの殿はこの位置からは見えませんね。
正月の行事なのだと思いますが、正面には8mといわれる大きな矢が立てられていて、これが石清水八幡宮に対して当方が持っている“力強く猛々しいイメージ”につながっているのだと思います。
本社横の神楽殿では巫女さんが何度も舞われていたので何事かと不思議だったのですが、参詣を終わられた方が持っていた神矢は実はこの神楽殿で清め祓いされたものだったようです。
お神楽奉仕で神矢を持った巫女さんに清め祓いされた神矢を、巫女さんの神楽鈴で清められた方々が受け取られます。実に興味深い神事です。
にぎやかだった山上の本殿や表参道とは打って変わって、裏参道はひっそりとしています。
石清水八幡宮はかつては神仏習合の宮寺として栄えたのですが、明治の廃仏毀釈の影響を強く受けたようです。そのため、参道には堂宇跡や石垣が現在もいくつか見受けられました。
裏参道を下って一之鳥居まできましたので、ここらで精進落としとなります。
屋台の連なる参道で見つけたのはインド料理の看板!
どこへ行ってもインド料理に目がないもので、昼食用にテイクアウトとなりました。
“tabla indian restrant”という店のようですが、どこから来られているのでしょうね。
記念写真をお願いしてみました。
石清水八幡宮のある男山は、山上に本殿があり山全体が神宮になっているような山です。
しかし、山の奥深い霊山との印象はなく、むしろ都(京都)から参詣しやすい場所にある八幡さんの印象すら受けます。
武運長久を祈願する武士たちが訪れた神社、宗廟として皇室のご崇敬の厚い神社、厄除開運を祈願する老若男女が参詣に訪れる神社。
八幡大神御託宣によると「世は変われども神は変わらず」とあります。これは日本人の心かもしれませんね。
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