僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~大津市 海門山 満月寺 浮御堂~

2016-12-06 18:28:28 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 『近江八景』は、室町時代に中国湖南省の洞庭湖の八景にちなんで、琵琶湖の湖南地方(大津市・草津市)の優れた景観を八景として選んだことが始まりだそうです。
その八景とは「石山の秋月」(石山寺)・「瀬田の夕照」(瀬田の唐橋)・「粟津の晴嵐」(粟津原)・「矢橋の帰帆」(矢橋)・「三井の晩鐘」(三井寺)・「唐崎の夜雨」(唐崎神社)・「堅田の落雁」(浮御堂)・「比良の暮雪」(比良山系)ですが、実際の景色よりも歌川広重の浮世絵の方が有名かもしれませんね。

八景の一つの「堅田の落雁」を歌川広重が描いた浮世絵には、舞い降りる雁の群れや浮御堂、帆船が描かれていて、琵琶湖の黄昏時の味わい深い情景が見られます。
広重が活躍した江戸時代の末期には琵琶湖の南部に雁が生息していたのか?と別の興味も湧いてきますね。



「堅田の落雁」の絵にある浮御堂は、正式には「海門山 満月寺 浮御堂」という名称で臨済宗大徳寺派の寺院になります。
平安時代中期(995年頃)に比叡山・天台宗の恵心僧都源信によって、湖上安全と衆生救済を願って建立されたと伝えられているそうです。



満月寺の楼門をくぐると、まず観音堂に参拝することになります。
観音堂には本尊の「聖観音座像(重要文化財)」・「十一面観音像」・「薬師如来像」が安置されていました。

ただし「聖観音座像」は秘仏のため公開されておらず、厨子の前に写真が添えらているだけです。
本などで聖観音座像の写真を見ると、高さは64.5cmとやや小ぶりではありますが、慈悲深い気品のある仏像で、平安時代の作と考えられている仏像だそうです。



観音堂の堂内には色鮮やかな草花の天井画が描かれていて、堂内を彩っていました。



浮御堂は平安時代建立されたものの、その後荒廃していったようですが、江戸時代の桜町天皇(第115代天皇)の時代に復興され、昭和9年(1934年)までその姿があったようです。
しかし昭和9年の室戸台風によって倒壊してしまい、現在の堂は昭和12年(1937年)に再建されたものだそうです。



浮御堂の堂内には「千体仏」と称された1000体の阿弥陀仏が安置されているとされておりました。
これは平安時代の「多数功徳作善信仰」という信仰で“1体より2体、3体と数多く仏像をつくる事に功徳あり”と考えた様子を伝えていると寺伝にありました。
琵琶湖は湖ですので海の激しさはないにせよ、風雪に耐えかつては信仰を支えていたものと思われます。



浮御堂の正面は琵琶湖側になりますので廻り廊下を歩いて琵琶湖側から参拝することになります。
「阿弥陀仏一千体」は千体あったかどうかは分かりませんが、確かに堂内には無数の阿弥陀仏が安置されていました。



ところで、浮御堂の廊下を歩いていると琵琶湖に石碑のようなものがありました。
湖中に建てられているのは「高浜虚子(俳人・小説家)の句碑」で、「湖も この辺にして 鳥渡る」と刻まれているそうです。



満月寺の境内は、樹齢の永い松が見受けられます。
軒に沿って延々と伸びている松もありましたが、樹齢500年と伝えられている松はこの松なのでしょうか。



「堅田の落雁」の名称で呼ばれ、雁の群れが飛んでいる絵があるということは、江戸時代には湖南地方に雁が飛来していたということになりそうです。
今の琵琶湖ではマガンやヒシクイなどの雁は湖北地方では見られますが、湖南に飛来することはないと思いますので興味深い話です。
訪れた日は浮御堂の近くをカモメの仲間のアジサシが1羽、琵琶湖の上を旋回していたのが印象的で、“平成の浮御堂はアジサシが舞う”中での参拝となりました。



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