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“男のためのガーデニング”改め

竜王町の勧請縄(トリクグラズ)1~岡屋・小口・薬師~

2022-02-20 18:22:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は集落の出入口や村の神社の参道に大繩を吊るして、災厄が村内に入るのを防いだり、五穀豊穣や村内安全を祈願する民俗行事で、滋賀県では湖東・湖南地域に集中しています。
“村境の魔よけ”とも称される勧請縄は、集落により独特の個性があり、地域によっても影響を受けあった傾向も見られます。

竜王町は「東の竜王山・雪野山」・「西の竜王山・鏡山」と呼ばれるように東西を山に挟まれた地にあり、「龍王」の名の由来する地域になります。
万葉のロマンや古墳群の多い竜王町にはどんな勧請縄が吊られているかと楽しみにして竜王町を巡ってみました。

<岡屋「勝手神社」>

岡屋にある「勝手神社」の御祭神は、大和国吉野山の勝手神社の御祭神の「受鬘命(ウケノリノミコト)」を勧請したといい、配祀神の「若宮神」「八王子神」と共に勝手大明神と称したとされます。
一之鳥居と二之鳥居から参道を進むと勧請縄はあるが、興味深いのはそれぞれの鳥居に注連縄があり、勧請縄は参道の木に吊るされている事。



神聖な神の領域を示す注連縄と集落を守る勧請縄は別のものということがはっきりと分かる祀り方です。
竜王町には「道切り」はありませんでしたので、神社の鳥居や参道に注連縄がありつつも勧請縄が別に吊るされるという信仰の違いがみえてきます。



岡屋の勝手神社の勧請縄には小縄が3本。それぞれ七本・五本・三本に束ねて下げられています。
小幣は刺されておらず、祈祷札も見られませんが、トリクグラズは見たことのない珍しいものが付けられています。



トリクグラズは弓矢を模したものが付けられいて、「魔」が入ってこないように矢を向けて魔よけとしていると考えられます。
まさに岡屋集落の個性。地域によって傾向はあるとはいえ、集落ごとの特徴があるのが勧請縄の面白さです。



勝手神社の創立は奈良時代の天平年間と伝えられ、現在の本殿は1400年に上棟されていると伝わり、本殿は重要文化財に指定をされています。
参道や境内は掃き清められていましたので、足跡を付けてしまうのが申し訳なく思いつつも、拝所で手を合わせて背筋を伸ばして気持ちを引き締める。



<小口「眞氣神社」>

竜王町は新興住宅地と昔ながらの農村部が同じ集落内にあるように感じましたが、神社は集落の中というより集落から外れた山麓にあることが多いようです。
小口の「眞氣神社」は集落の居住地から離れて、溜池の横の細い道を進んだ先にありました。



眞氣神社は御祭神に第11代天皇の垂仁天皇を祀り、創建は社伝によると鎌倉時代の1218年とされ、牛を神使として農耕の守護神としているという。
石段を登った先に拝殿・本殿があり、勧請縄は石段の終点辺りにある2本の木に竹竿を渡して吊るされており、石段から見上げる位置にある。



小縄はトリグラズを中心にして右に5本、左に5本、さらに左のもう1本の木との間に2本の計12本が下げられ、トリクグラズの上に小幣が刺されている。
竹の上には細い縄が渡されており、竹は勧請縄を吊るすためのものには見えないので結界の役割を果たしているのかもしれません。



スギの枝葉で造られたトリクグラズには小幣が12本刺されており、この小幣は矢を模したものだとされ、勝手神社の弓矢のトリクグラズと近い発想のように思える。
また、このトリクグラズの矢は昔の流鏑馬の名残りだともされており、その時代には神社の境内も今とは随分異なったものだったと想像してみます。



本殿に参拝すると、本殿横には結界の中に御神木と書かれた若木がありました。
かつてあった御神木が無くなり、新しい御神木を植樹されたようですが、聳えるような御神木に育つのは遥か先の事。
しかし、こういう尽力が続けられることで何世代も先の人々に信仰が伝わっていく、あるいは過去からつながってきたのでしょう。



<薬師「勝手神社」>

岡屋から小口、さらに薬師に向かうと、もう目と鼻の先に三井アウトレットがあるエリアに入ってきます。
にぎわいのあるショッピングモールのすぐ近くには不動明王石仏が前方後円墳の横穴式石室に刻まれている薬師山岩屋不動明王が祀られ、聖俗混じり合った地域です。



蒲生郡竜王町には先述の岡屋の勝手神社と、薬師の勝手神社の2つがあり、両方の勝手神社に勧請縄が吊られています。
岡屋の勧請縄は2つの鳥居を抜けた先の参道に吊られていましたが、薬師の勧請縄は鳥居の前の松の木に渡されている。



勧請縄は中央にトリクグラズが下げられ、小幣はなく、小縄はサカキの枝で造られた縄束となっている。
縄束は家の数だけ下げるとされますが、過去の画像ではもっと縄束が多かったので、だんだんと家の数が減ってきているのかと感じてしまいます。
トリクグラズは丸十の形をしていて、風が強い日でしたので風に吹かれてユラユラと揺らめいている。



御祭神は岡屋の勝手神社と同じく受鬘尾命を祀り、創祀年代は不詳ながらも江戸時代の宝永6年に再興された記録があるといいます。
本殿の前には石塔が祀られていて雰囲気があるが、詳細は不明。



拝殿から本堂へつながる廊下を進み、参拝を済ませる。
気になったのは竜王町の神社には“撫で牛”が奉納されている神社が多い事。
菅原道真信仰があるのもあると思いますが、農村の多い地だったゆえに農耕の守護神として牛を神の使いとしてきた信仰が強かったのではないかと勝手に想像します。



参道には前に倒れ掛かった姿のまま祀られている地蔵石仏。
通り過ぎようとしたけど気になって立ち止まる。なぜか魅かれてしまう石仏でした。



竜王町の勧請縄には弓矢や矢が刺さった様子を模したトリクグラズが複数見られるのが特徴で、祈祷札などは見られない様式となっていました。
また、鳥居の前ないしは参道に吊るされており、鳥居に吊るされた注連縄と勧請縄が別の信仰に基づいていることも確認できました。
もう少し竜王町の勧請縄を巡ってみたいと思います。...続く。



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