湖南三山の一つである「善水寺」の参道には巨石に彫られた「不動明王磨崖仏」があり、周辺にも磨崖仏が多い一帯となっている。
善水寺境内にある磨崖仏は過去に拝見しているため、善水寺へ続く林道にある「不動寺の磨崖不動明王尊」へと向かった。
「不動寺」は現在、舞台造りの御堂が残されているのみで磨崖不動明王尊を御本尊として祀る無住の寺院となっています。
不動寺は延暦年間(782~805年)に弘法大師が創立したとの伝説が残り、その後「清涼山」と号した天台宗寺院であったのが1734年に火災で焼失。
1749年の再興後は山号が「岩根山」へと変わり、黄檗宗の寺院となったという経緯があるようです。
善水寺へと続く対向車を避けるのもままならないような狭い林道を走行していると、突如として寺院(御堂)が現れる。
まさに人里離れた山の中にある御堂、聖域の山の結界を示す場所といった印象を受けます。
舞台造りの御堂までの石段を登っていくと、手水の前で道は2ヶ所に分かれる。
右の石段へ先に進んでみると斜面にひっそりと建てられた御堂と磨崖仏を見渡せる場所に着き、見下ろすと周辺を取り囲む緑の木々の豊かさと美しさに和まされる。
御堂の裏(須弥壇側)には何百㌧もありそうな巨石が微妙なバランスで置かれており、巨石に寄りかかるような形で御堂が建てられている。
順番的には巨石があり、磨崖仏が彫られ、御堂が建てられたと考えられ、遥か千年以上も前にはこの位置に巨石があったということになる。
御堂と巨石の隙間から確認すると、不動明王の磨崖仏は御堂の須弥壇の本尊の位置にあることが分かる。
不動寺はこの不動明王磨崖仏を御本尊、あるいは御神体としてお祀りされている寺院ということになります。
御堂の中に入れるかどうかこの時は分かりませんでしたので、二股の石段の所まで戻り、御堂の入口に通じる石段を登ります。
御堂の入口には“火の始末と戸締りをするように”との注意書きがあったのみで、掛け金には鍵がかかっていなかったため、中へと入らせてもらう。
堂内は狭いながらも、外陣と内陣に相当する場所があり、線香も準備はされていたが、火の用心のため手を合わせるだけとする。
内陣の障子にも施錠はされていないため内陣まで入って拝観させていただくと、須弥壇の正面になる所に設けられた花頭窓から不動明王の上半身が拝めるようになっている。
御堂からでは磨崖仏がよく見えないため、一旦外に出て舞台造りの下へ入って不動明王を拝観する。
おそらく磨崖仏が彫られた当初は山の斜面で道行く人からよく見えたと思われ、聖域の山へ入山する人を出迎えたのでしょう。
「不動明王磨崖仏」は鎌倉期の作とされており、尊像には1334年の銘があるといいます。
また銘には「ト部左衛門入道充乗造え」とあるそうで、ト部氏とは代々受けつがれている当寺の住職の姓であるともいわれます。
不動明王は像高が150cm・最大幅(肘の部分)が77cmあり、顔の長さは28cm・顔の幅は30cmの大きさだという。
岩全体を御神体と考えれば巨大な磨崖仏ということになり、彫られてから700年近くの年月を経ているものの姿ははっきりと確認出来る。
巨石の下の場所にはたくさんの石仏や石塔があり、世話をされている方がおられるようです。
おそらくは山中に点在していたものや埋もれていたものが集められてお守りされているのかと思います。
湖南市の磨崖仏を3躰巡ってみましたが、それぞれの磨崖仏には歴史的な背景もあり、興味深い結果となりました。
湖南市に隣接する栗東市の金勝山には幾つかの磨崖仏があるといい、この地域に独特の宗教文化が繁栄したことが伺われますが、まだほんの一部しか見ていない。
善水寺境内にある磨崖仏は過去に拝見しているため、善水寺へ続く林道にある「不動寺の磨崖不動明王尊」へと向かった。
「不動寺」は現在、舞台造りの御堂が残されているのみで磨崖不動明王尊を御本尊として祀る無住の寺院となっています。
不動寺は延暦年間(782~805年)に弘法大師が創立したとの伝説が残り、その後「清涼山」と号した天台宗寺院であったのが1734年に火災で焼失。
1749年の再興後は山号が「岩根山」へと変わり、黄檗宗の寺院となったという経緯があるようです。
善水寺へと続く対向車を避けるのもままならないような狭い林道を走行していると、突如として寺院(御堂)が現れる。
まさに人里離れた山の中にある御堂、聖域の山の結界を示す場所といった印象を受けます。
舞台造りの御堂までの石段を登っていくと、手水の前で道は2ヶ所に分かれる。
右の石段へ先に進んでみると斜面にひっそりと建てられた御堂と磨崖仏を見渡せる場所に着き、見下ろすと周辺を取り囲む緑の木々の豊かさと美しさに和まされる。
御堂の裏(須弥壇側)には何百㌧もありそうな巨石が微妙なバランスで置かれており、巨石に寄りかかるような形で御堂が建てられている。
順番的には巨石があり、磨崖仏が彫られ、御堂が建てられたと考えられ、遥か千年以上も前にはこの位置に巨石があったということになる。
御堂と巨石の隙間から確認すると、不動明王の磨崖仏は御堂の須弥壇の本尊の位置にあることが分かる。
不動寺はこの不動明王磨崖仏を御本尊、あるいは御神体としてお祀りされている寺院ということになります。
御堂の中に入れるかどうかこの時は分かりませんでしたので、二股の石段の所まで戻り、御堂の入口に通じる石段を登ります。
御堂の入口には“火の始末と戸締りをするように”との注意書きがあったのみで、掛け金には鍵がかかっていなかったため、中へと入らせてもらう。
堂内は狭いながらも、外陣と内陣に相当する場所があり、線香も準備はされていたが、火の用心のため手を合わせるだけとする。
内陣の障子にも施錠はされていないため内陣まで入って拝観させていただくと、須弥壇の正面になる所に設けられた花頭窓から不動明王の上半身が拝めるようになっている。
御堂からでは磨崖仏がよく見えないため、一旦外に出て舞台造りの下へ入って不動明王を拝観する。
おそらく磨崖仏が彫られた当初は山の斜面で道行く人からよく見えたと思われ、聖域の山へ入山する人を出迎えたのでしょう。
「不動明王磨崖仏」は鎌倉期の作とされており、尊像には1334年の銘があるといいます。
また銘には「ト部左衛門入道充乗造え」とあるそうで、ト部氏とは代々受けつがれている当寺の住職の姓であるともいわれます。
不動明王は像高が150cm・最大幅(肘の部分)が77cmあり、顔の長さは28cm・顔の幅は30cmの大きさだという。
岩全体を御神体と考えれば巨大な磨崖仏ということになり、彫られてから700年近くの年月を経ているものの姿ははっきりと確認出来る。
巨石の下の場所にはたくさんの石仏や石塔があり、世話をされている方がおられるようです。
おそらくは山中に点在していたものや埋もれていたものが集められてお守りされているのかと思います。
湖南市の磨崖仏を3躰巡ってみましたが、それぞれの磨崖仏には歴史的な背景もあり、興味深い結果となりました。
湖南市に隣接する栗東市の金勝山には幾つかの磨崖仏があるといい、この地域に独特の宗教文化が繁栄したことが伺われますが、まだほんの一部しか見ていない。