超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

王城鎮護の地を走り回る

2016-11-23 06:05:10 | ホビー
「走り回るようなところじゃないよな・・・」王城鎮護の古都である。主に西日本に拠点を多く展開する、我が社とは所縁のある企業グループの年1回のフォーラムに参加した。毎年会場は点々と西日本を移動し、我々も特別参加したりするので、実際普段はめったに行くことのない地域に足を運ぶのが楽しみだった。ちなみに昨年は百万石の街、一昨年は「坊ちゃん」の街、そしてその前年は原爆ドームの近くだった。そして今年は世界遺産の宝庫、新しく始めた「御朱印集め詣で」ができると楽しみにしていた。初日の集合は午後だったから、場合によっては朝暗いうちから「のぞみ号」に乗車し、朝日に輝く霊峰を眺めて、オープニングイベントまでにいくつか有名な神社仏閣を見物して回ることを考えていた。ところがこの手のことは周到に計画するとあっさり崩れ、行き当たりばったりにすると割とうまくいくもので、初日は午前中に脱出不能な会議が入ってしまい、スタッフの作った日程を見るとかなりびっしりで、何となくウロウロ見学すればいいものではなかった。「開会式に来賓参加?何のことだ?」

どんなに急いで向かっても会場に到着するのは午後になってしまい、翌日は我が方のスタッフも参加するイベントがあるから朝から会場につきっきりとなる。初日は同僚達と合流できそうもないから、単独で展示会見学を済ませ、翌日直接参加する人たちを激励する懇親会に夕方から合流することになった。幸いに午前の会議が思ったよりも早めに終わったので、ダッシュで東京駅に向かい久々の「のぞみ号」に飛び乗った。平日の昼間ということもあったが、発車5分前に自由席に駆け込んでも車内はガラガラ・・・大動脈がこれで「大丈夫か?」とも思える乗車率だった。家から持参したおにぎりを頬張り、2時間余りの旅だったがあいにく曇っていて霊峰富士の姿は拝めなかった。会場までの案内とGoogleマップを睨み付け、展示会見学を済ませてからのわずかな時間で行けそうなところはどこか?またその場所の御朱印は何時までに頂けるか?スマホを見ながら作戦を練ったものだ。どうやら会場からダッシュで行けそうなのは祇園の「八坂神社」とその隣の「知恩院」、そして会場のすぐ横に「平安神宮」がある。前二者は16時までだから間に合うかどうか微妙だ。平安神宮は17時までやっているのでまず安パイと思ってよいだろう。

同僚達の集合時間には間に合わなかったが、受付で入場登録して関連するワークショップを2つほど聴講し、展示物をひと通り見学し終わって15時を少し回ったところだった。翌日に向けて当時者だけの全体懇親会が予定さっれており、説明員もまばらとなって片付けを始める展示もあちこちに見られた。「詳しくは明日聞けばよし!」私は意を決して会場を飛び出し、一路八坂神社に向かった。西楼門から入り、本殿でお参りした後、社務所に走った。明治初期までは「祇園社」と呼ばれていたそうで、御朱印にもそう書かれ、上から押印されている。舞殿では女性が「君の名は。」で出てきたような神の使いのようなスタイルで舞の練習をしているようだった。重要文化財のオンパレードにもっとゆっくり見るべきだが、16時が迫ってきている。私は丸山公園を走り抜け、法然上人の知恩院に向かったのである。巨大な三門が聳え、圧巻の建築物が並んでいたが残念ながら国宝の「御影堂」は平成30年までの大修理のために中には入れない。時間ぎりぎりだったがここでも2枚目の御朱印を頂くことができた。そして最後の平安神宮に到着した時はかなり薄暗くなっていた。

            

私が駆け回ったのは観光パンフによると「洛東」と言われる区域のほんの一部だが、他にも超メジャーな清水寺、秀吉の妻ねねが夫の菩提を弔うために創建したという高台寺、風神雷神図の建仁寺、そして哲学の道の銀閣寺などがある。実は激励懇親会のお店の近くに「本能寺」というのがあったのでついでに寄ろうとしたのだが残念ながら拝観時間は終わってしまっていた。本能寺の変で、織田信長が宿営に使ったもっと大規模な寺は灰燼に帰してしまったが、その後秀吉により今の場所に移して再建されたそうだ。織田信長は当時の本能寺の住職と関わりが強く、また寺としては要塞のような設備を持っていたので、数回宿営として使っていたようだ。ただ歩いているだけで色々な史蹟や名所がこの地には溢れており、ホントにゆっくり歩き回るべきところだとは思う。この時期の京都は紅葉やライトアップ目当ての観光客が集まっているうえにイベント主催の企業グループはかなり大規模なので何千人という人が押し寄せ、かなり前から市内のホテルは全く部屋の空いていない状態にあり、多くの同行者はなんと大阪に宿泊予定で、私は隣県の大津市内のホテルだった。お隣の県庁所在地なのに京都と大津は新快速でわずか10分もかからない。

          

激励懇親会では若者達相手に大盛り上りしてしまった。翌日のイベントでは競技会形式のエキジビションのようなものがあり、我が方から代表選手として出場する者がいるのだが、彼らは主催者側の用意した全体懇親会に出席してから我々の会に駆け付けるのだが、見学者だけの会がスパークしてしまい、主役がやってきた頃はかなり怪しい状態になってしまっていた。それでも部屋にチェックインした後、私は来場者登録の際にもらった市内の観光マップを広げ翌日のプランを練り込んだ。エキジビジョンの全体開会式の開始は9時、「来賓で参列せよ」と言われていた競技別オリエンテーション&開会式が9時半。。。朝はいくらでも早く起きられるが残念ながら大抵の社寺は拝観時間は9時からになっているので朝一で詣でるのはちょっと不可能だ。開会式が終わって我が方の出場時間は13時、それまでは他のエキジビジョンや前日目を付けておいた展示物の詳しい説明を聞いて回ることになる。パンフレットを集め、精力的に説明を聞いて、以前いた職場の「電話応対」に関する演出を見学し終わった時が11時半、「午前の部は終了です。午後の開始は13時半からでそれまでは休憩時間となります」というアナウンスと同時に部屋を飛び出した。

朝、購入しておいた地下鉄フリーチケットを片手に最寄駅まで走りまず目指したのは「二条城前」駅である。午後の開始時間までに昼休みを利用して行けるのは地下鉄で乗り換えなしで到達できる場所のみだ。修学旅行で最初に訪れた二条城は同じ生徒たちや外国人観光客で賑わっていた。「徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の移り変わりを見守ったお城」お馴染み二の丸御殿から見学に入った。「遠侍」という大名控えの間、老中に挨拶や献上物を渡した「式台の間」、それぞれの間にある襖絵や障壁画は金箔をふんだんに使った「将軍の威光」を示すにふさわしいゴージャス仕立てだ。しかし最も格式の高い大広間で15代将軍が大政奉還を発表したというから「栄枯盛衰」そのものだ。むろん見学通路は全て有名な「鶯張の廊下」になっており、そこらじゅうに見学者がいるから、「ちゅんちゅん」とホントに森の中で鳥がさえずっているようだ。よく古い建物で板張りを歩くと「ミシミシ」と甲高い音がし「天然の鶯廊下じゃねえの?」と皮肉ることがあるが、あの音は(修学旅行随行説明者の話を横耳で聞くと)Vの字に取り付けられた鉄製のかすがいが上下して釘と擦れあうときに発する音だそうだ。(そうそう、そういう説明を数十年前にされたことを思い出した)

    

庭園から観られる紅葉も見事なもので、ゆったりのんびり歩きたかったが、どうにも時間が無かったので掟破りだが観光客群の間をサイドステップで走り抜け二条城を後にした。修学旅行の定番なんていかにも「ベタな観光じゃん」と以前は思ったものだが、やはり素晴らしいものは素直に素晴らしいものだ。ネットで見ると「二条城でも御朱印が頂ける」とあったので「寺社でもないのに御朱印ってありなの?」と多少訝しみなから事務所に行くと、来場記念証という御朱印「のようなもの」でしかも貼り付ける紙だった。ちょっとやられたような気もしたがせっかくなので購入しておいた。(これは御朱印帳の最後のページに貼ろう)私は再び小走りで地下鉄駅に向かい、来た方向の列車に飛び乗って最寄駅を過ぎ去った「蹴上」という駅に降り立ち、「南禅寺」に向かった。残念ながら時間切れで建物内などをじっくり見物する時間がなく御朱印を頂くだけの参拝となったが、とにかくここの紅葉はものすごい。私は完全な真紅の海よりも青葉から黄色、オレンジになりかけの紅葉が好きなのだが、まさしく王城鎮護の地恐るべしの圧巻だった。しかしやはり今人気が高まりつつあるという御朱印は観光客が大勢いくると「いちいち書いていられない」のか、こちらも「貼る紙」になっていた。(これはあまり有難くないなー)

          

午後の部開始10分前に会場に駆け戻り、用意されていた弁当をかきこんでエキジビジョン会場に向けった。我が方は特別ゲストのような扱いだが、1月に予定されている我が社主催のイベントの宣伝もきっちり行っていた。応援団が目の前で騒いでいたのがプレッシャーになってしまったのか、出場の男女はいつもの調子をあまりだせずに苦戦していたが、無事にミッションを全うした。「ちょっと問題キツかったけどお疲れ様でしたねー」一同はそこで解散となった。他にもいくつかエキジビジョン会場があるのでさーっとひと通り様子を見て回ると午後2時半になっていた。「よしっ、イケる!」私は周辺にいた知人と労いの挨拶を交わしてネームストラップを受付に返し、再び一路地下鉄駅に走り出した。最後の目的地は京都のシンボル、教王護国寺「東寺」である。ちょうど今、秋期特別公開期間中で国宝五重塔の初層と講堂を拝観することができる。新幹線の時間までそうあるわけでもなく、再び京都駅から走って向かうことにしたが、紅葉の中に圧巻の五重塔が聳えたっていた。まず食堂(じきどう)内納経所で弘法大師のありがたい御朱印を頂けた。

      

東寺は創建から約1200年、平安遷都と共に建立された官立のお寺で唯一残る平安京からの遺構ということだ。弘法大師は桓武天皇の後の嵯峨天皇にこの寺院を託された。その弘法大師空海がお住まいだったという御影堂は大修理中で中に上がることはできなかった。木造建築日本一の高さを誇る五重塔は新大阪へ向かう新幹線からいつも眺められるランドマークで圧巻を誇っていたが、その初層内部はもっとすごい驚きの構造だった。各層を貫いている心柱は四方を如来?や菩薩?に囲まれている。それを取り囲む四方の柱や壁面にも密教の各大師?が描かれちょっと息を飲むような不思議な空間となっていた。薬師如来とその左右に日光、月光菩薩、台座を支えるむ十二神将の金堂、大日如来を安置された講堂、どれも何度も焼失と再建を繰り返されたようだが、密教の中心という威厳を感じるものだった。日はだいぶ傾きかけていたが、何とか上り新幹線のぞみ号の時間までには京都駅に戻ることができた。いやー、全くせわしない古都めぐりだった。仕事の「ついで」だから仕方がないが、いつかもう少しゆっくりと1000年を超す歴史を噛みしめながら優雅に巡りたいものだ。このシーズンはあちこちの名所で夜間ライトアップされており「東寺」や「清水寺」「知恩院」など人気のようだったが、夜は夜でノーベル賞話題で盛り上がりそうな会合があったのでそのまま東京に向かったのだった。