以前、「マツコの知らない世界」で取り上げられていた「卒業ソング」のことを書いた。タイミング的にはそういう季節なんだろうが、我が家の息子甘辛も先日いよいよ高校の卒業式を迎えた。私の時もそうだったが中学校と異なり高校の卒業式の時点ではまだ完全に進学先が決まっていない生徒も多く、テレビでやっているような感慨深いものではあまりないのが現実だ。たまたま国公立大学前期日程の合格発表が直前にあり、甘辛のクラスメイトやチームメイトも一喜一憂、残りの試験に最後の望みを託す者もいたようだ。仲良しのお友達は国公立の結果を確認し、その日のうちに関西圏にお母さんと飛び、住居を決めて手続きを終え、卒業式前日に電光石火でとんぼ帰りしてきたと聞いた。古都にある有名大学に進学を決めたそうで、甘辛は「旅行の宿泊先ができた」と喜んでいた。中高の卒業式など体育館で行うものと思い込んでいたが入学式同様、親会社である大学の講堂で開催されるという。
甘辛は少し前にテラスモール湘南のとあるブティックで誂えたスリーピースを身に着けて行った。制服のない学校なので学ランはとっくの昔に着られなくなっているし、卒業式のすぐ後にある入学式、アルバイトでもジャケット着用が決まりのようだったので、作っておいたのである。さすがに女子は「就活スーツ」というわけではないだろう、と思っていたらちゃんと高校生のような制服を着ていた。これはAKB48などの衣装の影響で「学校指定のようでちゃんと可愛く着こなせる」「なんちゃって制服」というそうだ。かの講堂の式典は何かと御縁のある私だったが、何か複雑な気分もあって正直あまり出席には気乗りがしなかった。あくまで大学の講堂は大学のものである。そのまま進学すれば私の後輩なので、あのキャンパスに通うことになろうが、予想通り甘辛はその道を選ばなったので、卒業式を行った場所という以外にあまり意味をもたないのである。彼が3年間通い詰めた駅からよく見える学校でやって欲しかった。
妻によると卒業式を終了後、クラスの最後のホームルームがあって敷地内の食堂で謝恩会相当の催しがあるが、甘辛はそれには出ずに移動して高校のサッカーグランドでOB戦を行うという。甘辛達の先輩もやってきて毎年卒業式に行っているそうだ。私は休暇を取り妻だけでなく実家の母親も伴ってやけに寒い空の中、東海道線に乗り込んだ。普通は両親だけなのだろうが、母親を誘ったのは「さすがに今回で最後だろう」と思ったからである。実は通学を別にすると私以上にあのキャンパスと御縁があるのが母親なのだ。最初にかの地に足を踏み入れたのは何と50年以上前!一番下の弟(つまり私の叔父)の卒業式に参列したというのである。入学・卒業を入れると私と甘辛で5回も来ている。父が学生の時に近くに下宿があったこともあって、私が中学に入学した時も確か桜の咲くこのキャンパスを3人で散歩したこともある。先日、母親は私が卒業した時に看板の下で撮った写真をどこからか見つけ出してきた。
正門は駅の真ん前だが、地下に入ってしまったので車窓からはよく見えない。今は路線が変わってしまったが私は昔から愛し、侮られていたメカマ線で通学していた。それも「カエル」とも言われた緑色の丸っこい3両連結のマイナー度100%の車両である。東横線の赤いラインの入ったステンレスカーに対してメカマ線のカエルに乗るのは若者として恥ずかしくてしょうがなかったが、今年の2月に久々に(たぶん)その車両が元気に走っているのを見てうれしくなった。熊本鉄道である。色も当時の緑色そのもの、丸っこさもそのまんまでなぜか「青ガエル」と言われていたそうだが、再会と同時に運行終了という悲しいニュースであった。改札を抜けて正門の前まで歩くと、卒業式の看板が立ち、日の丸が掲げられていた。甘辛達は先に行ってしまったので、私は母親とツーショットで学校の看板をバックに記念写真を撮ってもらった。(30年前と比較すると劣化を思い知るだろうな・・・)
早めに席を確保し、妻はクラスメイトのお母さんたちから盛んに声を掛けられていた。開式時間が近くなると司会が前説を始め、まず来賓の方々が入場してくる。「ねえ、学長って誰?」妻が聞いてきた。「前から2番目だよ」会社のOB会に列席頂いた時に懇親会で「学長のおチカラでぜひ息子を本学に・・・」と裏口交渉したとのを覚えていたのだ。やがて卒業生が入場してきたが、学ランでないだけにどの生徒も似たようなスーツを着込み、女子に多かった「なんちゃって制服」を除けばさながら入社式のように見えた。(結構おっさんぽいのが多かった)
始まるといきなりの国歌斉唱である。何か卒業式の時の「君が代」って色々議論があったような気がするが・・・国立法人だからかな。校歌はいかにも最近作られたっぽい、分かりやすい歌詞だった。品格から言ったら私の母校の方が上だろうな。ゴールデンコンビだし・・・3年前の入学式では大学の校歌もあったような気がするが。かの学長の来賓祝辞もあり、割と淡々と式次第は進んで行き、めった歌わない「蛍の光」2番まで斉唱して閉式となった。退場の際に合唱・演奏されたのは「友よ」「威風堂々」というものだった。これがこの学校の卒業ソングか・・・
卒業生が退場すると、保護者も退場し一緒に最後のホームルームへ案内される。大学の教室を借りているようで、クラスごとに行く方向が違うのである。甘辛達のクラスは本館1階の端っこにあるあまり大きくない教室へ向かっていった。荷物を置いてあるらしい。卒業式では証書はまとめて総代が受け取っていたが、教室で担任から一人ひとり名前を呼ばれて手渡しされていた。副担任や教科の教員も駆けつけて一言ずつ、そして生徒たちも前に出て一言ずつこの3年間を語って行った。「卒業がむろん終わりではない。大学入学も就職もこれで終わり、というのは人生にはない。ずーっと勉強してほしい」有名国立大を卒業後、超大手企業に就職したがまさかの退職、教員免許を元手に本校の門を叩いたという担任の言には説得力がある。最後の起立・礼をまだ桜には早いが、めいめいクラスメイトたちと記念写真を撮りまくった後、本館をバックにたぶん最初で最後の親子3代写真を収めた。周囲は気のいい友達ばかりだが、再びこのキャンパスに通う者が誰もいないというのも中々面白いオチだ。甘辛は早々と進学を決めてしまってから、入学すらしていないのにいそいそとサッカー部の練習に通う毎日だ。先日は本学と練習試合があると言っていた。まさか甘辛が出ることはないだろうが、もしそうなったらどちらを応援するか微妙で面白い話だと思っていた。(結局は雨で流れてしまったが)何となく学校同士のつながりがあるようだから、この先練習試合などを見に来ることはあるかもしれないな。
昼食はさすがに「2食(第2学生食堂)のチキンガーリック」というわけにも言いづらかったので、駅周辺のラーメン屋で済ませた。(特に名物などないのである)東急大井町線で高校キャンパスに向かう。甘辛から2代前くらいの先輩もやってきていて、現役生とのOB戦が始まった。1年生の夏休みに全面改装され、オール人工芝となったサッカー専用グラウンドである。ここで2年半以上、思う存分サッカーができただけでも相当恵まれていると思う。中央にベンチを持ってこようと入口に近くと顧問の先生が走り寄ってきて「磯辺さん!甘辛君、おめでとうございます!」とほとんど最敬礼してみせた。きょとんとして慌ててお礼を言って頭を下げた。サッカー部の活動はこの学校の部活では一番厳しく、3年生になって受験に専念するために退部する生徒も少なくない。彼らの進学状況が必ずしも順調ではないようで、引退まで続けてあっさり決めてしまった甘辛の印象が強かったらしい。
OB戦で中盤を縦横無尽に走り回りながら、甘辛はホントに楽しそうだった。練習や試合ではグラウンドで笑い転げることはないのだが、その日だけは「ファン感謝デー」みたいなものだ。終盤に差し掛かるまで成長期が遅れ、身体の弱さに悩まされ続けてきた中高生期だったが、ようやく堂々たる体格に近づき、目を見張るようなプレーも見せつけてくれた。後ろから後輩が「すげー、現役の時もみたことねえ・・・・」引退してからも休みの時は昔のように私を練習台にしてボールを蹴っていたし、ブランクそのものがあまりなく、すでに今は別の「現役生」とサッカーしているのだ。後半にグランドで歩き始めてしまう選手もいる中で一人走り回っていた。卒業式そのものよりも、いきいきとグランドを走る息子の姿が一番感慨深いものだった。この後、先輩後輩と食事を食いに行って帰りは遅くなるそうだが「(酒だけは飲むなよ)」と心中つぶやいて、ボチボチ寒くなってきたグランドをあとにし、母と妻3人で祝杯をあげに行ったのだった。
甘辛は少し前にテラスモール湘南のとあるブティックで誂えたスリーピースを身に着けて行った。制服のない学校なので学ランはとっくの昔に着られなくなっているし、卒業式のすぐ後にある入学式、アルバイトでもジャケット着用が決まりのようだったので、作っておいたのである。さすがに女子は「就活スーツ」というわけではないだろう、と思っていたらちゃんと高校生のような制服を着ていた。これはAKB48などの衣装の影響で「学校指定のようでちゃんと可愛く着こなせる」「なんちゃって制服」というそうだ。かの講堂の式典は何かと御縁のある私だったが、何か複雑な気分もあって正直あまり出席には気乗りがしなかった。あくまで大学の講堂は大学のものである。そのまま進学すれば私の後輩なので、あのキャンパスに通うことになろうが、予想通り甘辛はその道を選ばなったので、卒業式を行った場所という以外にあまり意味をもたないのである。彼が3年間通い詰めた駅からよく見える学校でやって欲しかった。
妻によると卒業式を終了後、クラスの最後のホームルームがあって敷地内の食堂で謝恩会相当の催しがあるが、甘辛はそれには出ずに移動して高校のサッカーグランドでOB戦を行うという。甘辛達の先輩もやってきて毎年卒業式に行っているそうだ。私は休暇を取り妻だけでなく実家の母親も伴ってやけに寒い空の中、東海道線に乗り込んだ。普通は両親だけなのだろうが、母親を誘ったのは「さすがに今回で最後だろう」と思ったからである。実は通学を別にすると私以上にあのキャンパスと御縁があるのが母親なのだ。最初にかの地に足を踏み入れたのは何と50年以上前!一番下の弟(つまり私の叔父)の卒業式に参列したというのである。入学・卒業を入れると私と甘辛で5回も来ている。父が学生の時に近くに下宿があったこともあって、私が中学に入学した時も確か桜の咲くこのキャンパスを3人で散歩したこともある。先日、母親は私が卒業した時に看板の下で撮った写真をどこからか見つけ出してきた。
正門は駅の真ん前だが、地下に入ってしまったので車窓からはよく見えない。今は路線が変わってしまったが私は昔から愛し、侮られていたメカマ線で通学していた。それも「カエル」とも言われた緑色の丸っこい3両連結のマイナー度100%の車両である。東横線の赤いラインの入ったステンレスカーに対してメカマ線のカエルに乗るのは若者として恥ずかしくてしょうがなかったが、今年の2月に久々に(たぶん)その車両が元気に走っているのを見てうれしくなった。熊本鉄道である。色も当時の緑色そのもの、丸っこさもそのまんまでなぜか「青ガエル」と言われていたそうだが、再会と同時に運行終了という悲しいニュースであった。改札を抜けて正門の前まで歩くと、卒業式の看板が立ち、日の丸が掲げられていた。甘辛達は先に行ってしまったので、私は母親とツーショットで学校の看板をバックに記念写真を撮ってもらった。(30年前と比較すると劣化を思い知るだろうな・・・)
早めに席を確保し、妻はクラスメイトのお母さんたちから盛んに声を掛けられていた。開式時間が近くなると司会が前説を始め、まず来賓の方々が入場してくる。「ねえ、学長って誰?」妻が聞いてきた。「前から2番目だよ」会社のOB会に列席頂いた時に懇親会で「学長のおチカラでぜひ息子を本学に・・・」と裏口交渉したとのを覚えていたのだ。やがて卒業生が入場してきたが、学ランでないだけにどの生徒も似たようなスーツを着込み、女子に多かった「なんちゃって制服」を除けばさながら入社式のように見えた。(結構おっさんぽいのが多かった)
始まるといきなりの国歌斉唱である。何か卒業式の時の「君が代」って色々議論があったような気がするが・・・国立法人だからかな。校歌はいかにも最近作られたっぽい、分かりやすい歌詞だった。品格から言ったら私の母校の方が上だろうな。ゴールデンコンビだし・・・3年前の入学式では大学の校歌もあったような気がするが。かの学長の来賓祝辞もあり、割と淡々と式次第は進んで行き、めった歌わない「蛍の光」2番まで斉唱して閉式となった。退場の際に合唱・演奏されたのは「友よ」「威風堂々」というものだった。これがこの学校の卒業ソングか・・・
卒業生が退場すると、保護者も退場し一緒に最後のホームルームへ案内される。大学の教室を借りているようで、クラスごとに行く方向が違うのである。甘辛達のクラスは本館1階の端っこにあるあまり大きくない教室へ向かっていった。荷物を置いてあるらしい。卒業式では証書はまとめて総代が受け取っていたが、教室で担任から一人ひとり名前を呼ばれて手渡しされていた。副担任や教科の教員も駆けつけて一言ずつ、そして生徒たちも前に出て一言ずつこの3年間を語って行った。「卒業がむろん終わりではない。大学入学も就職もこれで終わり、というのは人生にはない。ずーっと勉強してほしい」有名国立大を卒業後、超大手企業に就職したがまさかの退職、教員免許を元手に本校の門を叩いたという担任の言には説得力がある。最後の起立・礼をまだ桜には早いが、めいめいクラスメイトたちと記念写真を撮りまくった後、本館をバックにたぶん最初で最後の親子3代写真を収めた。周囲は気のいい友達ばかりだが、再びこのキャンパスに通う者が誰もいないというのも中々面白いオチだ。甘辛は早々と進学を決めてしまってから、入学すらしていないのにいそいそとサッカー部の練習に通う毎日だ。先日は本学と練習試合があると言っていた。まさか甘辛が出ることはないだろうが、もしそうなったらどちらを応援するか微妙で面白い話だと思っていた。(結局は雨で流れてしまったが)何となく学校同士のつながりがあるようだから、この先練習試合などを見に来ることはあるかもしれないな。
昼食はさすがに「2食(第2学生食堂)のチキンガーリック」というわけにも言いづらかったので、駅周辺のラーメン屋で済ませた。(特に名物などないのである)東急大井町線で高校キャンパスに向かう。甘辛から2代前くらいの先輩もやってきていて、現役生とのOB戦が始まった。1年生の夏休みに全面改装され、オール人工芝となったサッカー専用グラウンドである。ここで2年半以上、思う存分サッカーができただけでも相当恵まれていると思う。中央にベンチを持ってこようと入口に近くと顧問の先生が走り寄ってきて「磯辺さん!甘辛君、おめでとうございます!」とほとんど最敬礼してみせた。きょとんとして慌ててお礼を言って頭を下げた。サッカー部の活動はこの学校の部活では一番厳しく、3年生になって受験に専念するために退部する生徒も少なくない。彼らの進学状況が必ずしも順調ではないようで、引退まで続けてあっさり決めてしまった甘辛の印象が強かったらしい。
OB戦で中盤を縦横無尽に走り回りながら、甘辛はホントに楽しそうだった。練習や試合ではグラウンドで笑い転げることはないのだが、その日だけは「ファン感謝デー」みたいなものだ。終盤に差し掛かるまで成長期が遅れ、身体の弱さに悩まされ続けてきた中高生期だったが、ようやく堂々たる体格に近づき、目を見張るようなプレーも見せつけてくれた。後ろから後輩が「すげー、現役の時もみたことねえ・・・・」引退してからも休みの時は昔のように私を練習台にしてボールを蹴っていたし、ブランクそのものがあまりなく、すでに今は別の「現役生」とサッカーしているのだ。後半にグランドで歩き始めてしまう選手もいる中で一人走り回っていた。卒業式そのものよりも、いきいきとグランドを走る息子の姿が一番感慨深いものだった。この後、先輩後輩と食事を食いに行って帰りは遅くなるそうだが「(酒だけは飲むなよ)」と心中つぶやいて、ボチボチ寒くなってきたグランドをあとにし、母と妻3人で祝杯をあげに行ったのだった。