超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

去る者へのメッセージ

2016-03-06 21:48:05 | 職場
グンマ勤務時代は毎年10人以上のルーキーズが配属されてきた。言葉が合っているか分からないが、大学で言えば理系と文系、採用時の区分で言えば技術系と事務系ということになる。入社した直後はどちらの分野も一通りの部署をローテーションで巡り現場を経験する。その後各職場に配属され、先輩らに指導されながら仕事を覚えて行くプロセスはどの会社も似たようなものだろう。この時期のルーキーズはレポート報告会や何やら発表会で集められることがやたら多く、社会人としてスタートを共にした同期として結束が固い。また数は少ないが毎年刻みで年齢の近い先輩もおり、「若手くくり」としてもいい雰囲気のコミュニティを作っている。ルーキーズ向けの公式イベント以外に私は直接仕事を共にする機会は無かったが、仕事以外に一緒にフットサルをやったりレクリエーションしたり、結構若者と触れ合うことはあった。いつものお出かけ衆に言って、思い出したかのように外に連れ出すこともあった。

傾向的にグンマ近隣出身の人はやはり慣れた土地で経験を積む、それ以外はぽーんとどこかに転勤してしまう者が多い。懐かしのスティーブや八兵衛のセクションにも何人かこうした若手がおり、「若者が珍しい」土地のようにベテランたちが厳しく手厚く指導していた。スティーブや八兵衛の見極め力は大したもので「イケそうな若者」は絶妙なタイミングでどんどん本社など上位組織に送り込んでいた。今となって、彼ら自身が職場を去ってしまったが、私がいる間に見知った若者は多くが、本社等で忙しそうに走り回っている。時々仕事で立寄ることなどがあると、連絡を取ってプチグンマ会をする時もある。先日も「本の友」のあまちゃんやグンマで共に高所経験したはなちゃん、ホエールズ命のガノさん達とも席をともにしたばかりである。

そして先日、同じ本社勤務であるグンマのマッチーから久々に連絡が来た。コバッティが今年度をもって退職するというのである。コバッティは確かスティーブがその高い能力を見出し、自らのお膝元で鍛え上げた青年だったはずである。コバッティのすぐ隣の担当で先輩にあたるマッチーのメールには「縁のある方々へ」というタイトルで「グンマで勤務して現在は本社●○部で活躍されている○◆さんが一身上の都合で今年度をもって退職されることになった。非常に残念だ。ついてはこれまでの労をねぎらい今後の健勝、発展を祈る気持ちを込めて送別会を行うので参加lください」という内容だった。年の近い若手や当時の上司、先輩にも広く声をかけているようだった。直属だったミヤさんや責任者のスティーブもいち早く参加を表明していた。どれだけ集まるのかは分からなかったが、OBも結構いてさながら「グンマ同窓会」のような気がして、私も早速出席連絡しようとキーボードを叩きながらふっとその手が止まったのである。

自分で言うのも何だが、私はグンマの職場では割とシンボリックなポジションにいたから、行けばむろん歓迎してくれるだろう。ホントのグンマ同窓会ならいいのだが、特定の「彼」のために駆け付けるのがよいことかどうか・・・ちょっと考えあぐねた。私はグンマに3年ほどいたから、付き合いは1年の人から3年の人がいる。その中にはかなり密接に仕事を共にした人は少なくないが、もうすでにお辞めになった人もいる。スティーブや八兵衛のように完走ゴールテープを切るのではなく、道半ばで去った人もいるがそれらの人全ての送別会に顔を出したわけではない。誰かに咎められるものでもないが、何か自分が公明正大でないようで気持ち悪いのである。ましては立場上は「引き留めるよう説得すべき」ところで、爽やかに新天地に送り出してやりたいのは確かなのだが、能力の流失を被る会社側の代表(ってほどでもないが)嬉嬉として参上するのはちょっと違うと正直思った。

当日は別の爽やかな人達と席を囲む約束があったが、無理すればハシゴすることもできた。スティーブやミヤさんの残念そうな顔が目に浮かぶ。若手の育成指導責任者だったグッチーも今は本社勤務だから参加するだろう。八兵衛も来るかな。久しぶりに3Bトリオにも会いたいし、入社したてて初々しく頼りなかったが、3年ほどたって本社でバリバリ夜遅くまで仕事している元ルーキーズの顔も見たい。幹事に一旦は断りの返信をしてあるが、その後も「人数の変更はできます」とお誘いのようなものがあった。ところでコバッティはどうして辞める決断に至ったんだろう。確かグンマにいた時に既に結婚しており、パートナーの実家が事業化でいずれ婿養子として承継するような噂も聞いていたが、それのことなのかな。あまり細かく聞き取るわけにもいかない。まあ、あまり気に留めることもなく、その時の気分で決めようと思っていたら、前日まで忘れてしまっていた。

当日は出掛ける予定が重なっていてオフィスに戻ってきたのが夕方近くになっていた。こういう場合、私は大抵「足を運ぶ」ほうに倒れていた。ただ今回は珍しく参加を「見送る」ことにしたのである。何か筋が通らないような気がするのを禁じ得なかった。コバッティの事情や送別会の様子は後から「グンマ同窓会」があればその時に聞けばよい。一方、私は彼ら若手が、わずかな日数だけ研修をともにし、研究所系に配属されていった同期への送別会で作成した「思い出映像」に感動したことを思い出した。その時の感激を覚えていたから、自分が去る時に妻に頼んで3年間の集大成を編集してもらったのである。このままにしてしまうのは、どうにも冷たく寂しい気がしたので、本人にだけメッセージを送ることにした。

「○○●●様

ご無沙汰しています。グンマの◇◆部にいた磯辺です。
▲▽さんから案内を頂きましたが、一身上のご都合で今年度限り会社をお辞めになるとか。
昨日は送別会に駆け付けられなくてすみませんでした。
短い間でしたが、同じグンマで仕事をした者として、○○さんが迷っていたり悩んでいたりしている時期であれば、立場上色々と相談にも乗れたのですが、決断してしまった後では出番がないので、メッセージだけ送りますね。

新しいステージではどうぞ、思う存分頑張ってください。
「どちらか二つに一つ」という大きな選択をした場合、どちらを選んでも間違いなくいずれ後悔することはあります。採らなかった方の選択がよかったように思えることは必ずあるんです。また同様の人を何人も見てきた経験から言うと、恐らく当社にいる選択よりも試練が多いと思います。
昨晩はたくさんの先輩、同僚が集まったことでしょう。ぶっちゃけその年齢では会社に貢献するのはこれからなのに、元の同僚が気持ちよく前途を祝してくれるとは、よい会社仲間ですね。後悔しそうになったら、彼らの顔を思い出して、言い訳せずに突き進んでください。
いつかまた集える日を楽しみにしています。ご身体に気を付けて。活躍を祈念しています。
(もしメールを既に見られないようであれば、このメッセージを伝えてもらいたくBCCで送別会幹事にも送ります)」

会社員ライフを全うし勇退するわけではなく、かと言って不幸を背負って袂を分かつわけでもない。どんな決断があったのか知らないが、新天地を目指す若者を気持ちよく送り出してやりたいが、会社員としては手放しで喜ぶわけにはいかず万歳三唱はできない。こういう「去る者へのメッセージ」とは難しいものだ。しばらくしてBCCで送ったマッチーから返信がきた。「想いを伝えたら今後の糧になると思う。明日(本人が)読めなかった場合は自分より必ず伝えるようにする」という内容だった。
本人はその日は休み、翌日は出張予定であり、退職までの休暇を消化するために事実上もう出勤しないという。「やっぱり、もっと早くに送っておけばよかったか?いや、顔だけでも出しておけばよかった」自分でメッセージの中に入れておきながら、自分が「後悔」する羽目になってしまった・・・

中に書いた「当社にいる(残留する)選択よりも試練が多い」というのはホントの実感としてある。従兄妹に聞かれて答えたことがあるが、私は振り替えると10数回も転勤を繰り返してきたが同僚には恵まれ、どこに行っても「退屈しないネタ」を見出し、「楽しむ」ことができたのでお気楽にも「現状への不満」や「将来への野望」などを持つことがなかった。これまで何人ものバイタリティ溢れる同僚が新天地へ去って行ったが、傾向的にはどうも辛苦が多いようなのだ。大体スカウトされるようなスタイルが多いのだが、行った先の企業が潰れてしまったり、長期の単身海外勤務となったり、ありがたいことに連絡をくれるごとに会社が変わっていたり・・・欧米のように「会社は自分のキャリアアップのため腰掛」と割り切れればよいが、「いつかある今でない状況」や「この会社でないどこかの会社」、「今の私よりも私らしい私」みたいな幻想めいたことを考えるとスパイラルダウンに陥るケースがあるようだ。幸い、コバッティはそういう心境で今に至ったのではないらしい。

最近、時代錯誤ともいえる大学の応援団を描いた本を読んだ。応援する者とされるものは決して同じフィールドに立つことはない。応援する者は応援される者が「応援されている」と意識しないくらい集中して戦えるようにひたすらに応援すべきで、(何か禅問答のようだが)応援される者は応援の声が聞こえないくらいに戦いに没頭すべきだという。応援は「相手に勝て」とは言わない、「負けるな」とも少し違う、「(お前は一人じゃないぞ)」とただひたすらに「がんばれ」と言い続けるのだともいう。「去る者」に対しての応援は「去る時」の一瞬だけである。この応援歌が彼の中に留まり、いずれかたった時に効果を発揮してもらいたいと思う。