超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

再び斜め上をゆく

2015-12-18 13:00:59 | 出来事
ご当人は「オレの実力が『神』だったからだ!」と言い張っているが、どう考えても「作戦勝ち」(百歩譲って「戦略勝ち」)である。高校受験は内申点他、日頃の積み重ね分のウエイトがあるから、ある程度ギャンブル性が低く進む道が「はっきり見える」ものだが、大学進学はいわゆる「一発勝負」で博打の要素も多い。自分の持論からすれば「結果の振れ幅」は結構大きく、知力(はもちろんだが)、体力、時の運のバイオリズムが合うとかなり奇跡的なことも起こる(何せ自分がそうだったような気がするから)。ただ(何度か書いた私の持論だが)この強運を手にするには後で振り返った時「あれ以上は無理だった」という「いっぱいいっぱいの詰込み」が前提だ。この詰込み感を持っておれば結果はどうあれ自分で自分を納得させることができるのである。私の場合、この感覚には完全に自己満足していたので合格発表を見に行ったのは1校だけで他は旅行に出かけていた。

今はあういうガチガチの詰込みというスタイルは流行らないようだが、息子甘辛も春先のSちゃん合格報にも刺激され、誕生日を迎え、部活帰りにも塾に通ってそれなりに少しずつ受験を意識し始めてはいるようだった。ところが、一学期を終えて夏休み最後の大会を控え、最新の人工芝グランドで遅くまで部活に勤しみ、昔なら後輩に押し付けるような片付けなどもちゃんと協力していると、塾の開始時間にどうしても遅刻する日が多くなってしまい「受験生なのにそんなに自覚がないなら、もう来なくてよい」と、あろうことか塾側にクビを宣告されてしまったのである。私もこれには少し忍びなく思ったが「きっと見返してやるからな」と甘辛は言うことだけは立派だった。でもさすがにこの時期には「まずいんじゃないか?」と息子はいくつか他の現役予備校を探し回り、私も一緒に説明を聞きに行った。前のところもそうだったが、今の進学塾のエントランスというのは思わず仰け反ってしまうほどすごいことになっている。四方の壁(ところによっては天井にさえも)に「○○大学合格おめでとう!」のお札が敷き詰めてあるのだ。下手すりゃ名前の上に花までついてるぞ。まるで衆議院解散総選挙に圧勝した政党の候補者一覧である。

夏休み終わりに部活を引退し9月からはいよいよ受験生らしく新しい進学塾の講義を結構詰め込んで受けるようになった。その塾のカリキュラムは教室に集合して講義形式で行うスタイルと、ある単元に対して自習した結果を見極めてもらう自動車教習所のようなスタイルを併用し、過去の出題対象分野を分析してきめ細かくつぶしていき、最後は志望校別のリハーサルを繰り返すというような念のいったものだった。どの塾でも「最初に門を叩いた」際には最高の営業マンをぶつける鉄則があるようで、説明を受けた時は当人の甘辛ならぬ私自身が何となくその気にさせられてしまった。クルマのセールスさせたら間違いなくナンバーワンと思えるその担当者は、満面の笑みで受験生の成功を請け負うかのような言い方をするのだ。「(今の受験サポートシステムというのは実によくできたものだ。信じる力さえありゃ大抵のところにゃ行けるんじゃないか?)」自分が我流でいかに無駄なこともやっていたか苦笑いするしかない・・・必要なのは「入試問題を解く」能力ではなく、「これさえやっておれば大丈夫」と自分を説得し続ける能力に思えてきた。何せ室内全てが「耳なし芳一」のような「おめでとう札」の洗脳である。

むろん講義の開始時間までやその合間には集中して「自習」できるような環境が整備されている。私は図書館や自習室などやたら静まり返っているところでは勉強できないタチだったが、彼も何やら息が詰まるようで、学校が終わってから実験室に残って追い出されるまで自習しているという(ホントかな)。志望校などもまだあやふやでどこで何をしたいかを決めるまでは、とりあえず数学や物理・化学など理系なら必ずついて回る教科について、日曜日は私と一緒に塾の教材を使って高校受験の時のようにまた親子で勉強するようになった。ただ前回の切迫感とはだいぶ異なり、これは本人にとってあくまで助走のためで、私にとっては限りなく「趣味」に近いもので、久しぶりの「数�」は新鮮で実に興味深く当人そっちのけで演習問題に食い入ってしまうこともあった・・・微分、積分、極限・・・Σ、lim、∫など「数学的な気分になる」記号のオンパレードにワクワクした。(後にまたまたこれらは全て無駄となってしまうが・・・)
甘辛当人は数時間も集中して続けることができないようで、何かにつけて休憩したがり、しまいには「ボール蹴り行かね?」と言い出す始末である。確かに部活を引退してから身体を動かすこともなくだいぶなまっているらしかった。部活引退後サーフィンデビューしたものの私のウェットスーツが小さくて着られない甘辛は寒くなってくると数回ですぐにめげた・・・・

秋になって私は「(こんなことでいいのかな)」と思いながらも夕方までグランドでボール蹴りに付き合った。昔、日の出前の真っ暗なうちから、色んな道具を使ってトレーニングしたことを思い出しながら。中学校を卒業するまではまだ高度成長期が見られず体力も蹴るボールもそこそこでしかなかった甘辛だが、今度は二人で練習すると言っても私よりも10cmも身長のある現役高校生が蹴るボールである。しかも部活では意図的にかなり固めのボールで練習していたようで、地を這うようなグラウンダーをやっとの思いでトラップすると、足首にまるでボーリングの球を受けたような衝撃が走った。もはや私も1対1では抜かれ役に徹するばかりだったし、ロングボールを蹴ってもふらふらと相手まで届かないことも多い。「(父はこんなにへろかったかな)」と思われるようだが、こちらは「(コイツもこんなボールを蹴るようになったか)」と思う、そんなものだろう。コートの真ん中に置いたネット代わりの自転車を片付けながら「(次からはサッカーバレー主体にしよう)」と密かに決めたのだった。そうこうしているうちに志望校調査や親も含めた3者面談などもあり生徒も親も徐々に受験モードに突入していく。今は普通の一般入試の他に指定校・一般推薦、AO入試など様々なチャネルがあり、受験生にとってチャンスは多いようだが、早い者は夏休み明けから学力試験や自己PRレポート提出、面接試験などの準備に追われることになる。

高校進学の際も我々両親や同年代の子を持つお友達家族がもつ想像の「斜め上」を歩んで見せた息子甘辛だが、今回も前から薄々聞いてはいたものの何やら作戦を練っているようだった。その考え方自体は「それぞれの受験」編でも書いたように我々も認めるところで、最初に第一志望だと言ったところのキャンパス見学を兼ねて出願要項一式を一緒にもらいに行ったが、そこは首都圏ではあっても我が家から通学圏としてはちょっと厳しいところにある学校だった。オリンピック選考大会のように「ここを○位通過すれば出場内定」みたいな選抜方式があるのだが、最初の出願書提出期間の数日前の日曜日に担任から電話がかかってきて、あろうことか学校の都合(後から聞くと手違い?)で受験できないことが分かったそうなのだ。「えーっ、なんでそんなアホな話になっちゃったんですか?」ちょっと前の「塾退去事件」同様、のっけから彼にとっては忍びない結果となってしまった。ほぼ同等の志望校があるのは知っていたが、ネット申請で出願応募用紙を取り寄せていては間に合わない。休み明けの平日に入試課に直接赴いて用紙一式を受け取り甘辛の学校まで自分で持っていく綱渡り方式でもぎりぎりだ。そこで私の母校がそうだったが休日であっても意外と守衛で対応してくれることはあるので、試しにダメ元で祝日に妻とドライブも兼ねて赤いライオン号を学校正門につけ係員を訪ねてみたら、うまい具合に出願書一式をもらうことができた。

「いっぱいっぱい詰込み法」しか知らない私自身のターゲットはあくまで2、3月のノーマルな一般入試の正面突破であり、こういうチャネルは横道のような気がしてあまり期待もしていなかったのだが、実は第一志望校を受けられなったことに責任を感じたクラス担任と塾の担任がダブルつきっきりで提出文書や小論文の添削、面接試験のリハーサルなど短期間ではあったが徹底的に面倒を見てくれ、前夜にとどめの私との親子面接リハーサルを行って、受験シーズン最初の本番を迎えるに至ったのである。甘辛の学校は制服がないが私服で面接に行かせるわけにもいかぬ。前々日に妻が買ってきたパンツに私のジャケットを着せワイシャツにネクタイを締めさせたら中々堂々たる風体になってきた。ネクタイなどもっていないから私のを貸したが、迷ったあげく黒地に水玉模様、そして所々に「ウルトラセブンの顔」がデザインされているヤツにした。むろん「オレがついてるぞ」という意味を込めてある。主な選抜材料は彼が何度も書き直しを言い渡されて閉口していた志望理由書、自己推薦書、そして小論文、面接のようである。「全身が震えた」というほど緊張したそうだが、その割にはあっけらかんとしたもので、彼に言わせると「イマイチ」の面接官もいたそうだ。合否の発表は約2週間後、実はこの期間が実に悩ましく、受験勉強にも身が入らず何か「そわそわ」する空白期間になってしまう。

    

「ダメ元でいた方がいいんじゃね?結果NGで慌てて始めても間に合わんぜ」と言ってはあったものの、結果が出るまでは何か気を入れて勉強をする気がしないらしく(そら、そうだわな)、おまけに最後の定期試験期間が間近になっていた。また先般紹介した「課題研究」のために費やした授業のために所定の教科単位に達するためにやたら厳しくレポートが課せられ、受験勉強どころではないようだった。甘辛はバタバタそわそわ、私はイライラどきどき過ごした2週間だったがインターネットでの発表当日、甘辛からのそっけないメールですべてが一瞬にして氷解してしまった。高校進学の時と同じように私も妻も「そうなっては後々によくないような気が少しする」が「そうなるように一応願い」つつ「何となくそうなるような気がした」「期待の斜め上」をまたまたあっさりちゃっかり行く結果となった。生涯に「食う寝る入る(風呂)以外は全て詰め込む」期間があってもよい(なくてはならない)と思っていたのだが、振り返ればその後そういう期間がやってくることはなく、経験が役に立った記憶もほとんどない。。。彼の通う高校は、学校生活もまだ丸々四半期あるので、暇を持て余して遊び呆けた末に「ポンコツ」にならないように、そういう「あっさりちゃっかり」生徒向けの「先駆け学習」プログラムも用意されているようだ(さすが!)。あまりに「いっぱいいっぱい詰め込み過ぎて、「通過」したら燃え尽き症候群で遊び始めるよりは、行ってからの方が大事なのだから甘辛のスタイルの方がこれからはよいのかもしれない。

「それぞれの受験編」でも書いたが、約30年余り前のこの時期、私は息子甘辛よりは勤勉にセンター(昔の共通一次)試験の準備をしていた。しかし周囲は焦って自ら納得性の低い進学先に行くよりは清々しく「浪人」していた時代である。クラスメイトの半分近くは1年余分な受験スケジュールをたて、今のうちから予備校選びをして人気の高い講座の優先権を得ようとしていた者もいた。私もその緩やかな波に乗ってしまい、大らかに残り1年計画でいたのだが、クリスマスを前後して気分が一転した。今もそうだが街にはイルミネーションが煌めき、「ジングルベル」が鳴り響き、「歌謡大賞」「今年の重大ニュース」が流れる季節である。1年で最も華麗なこの数週間を部屋に閉じ籠って「オスマン=トルコによる東ローマ帝国の滅亡年表」を覚えながら「こんな年末はもういやだ!」と一念発起したのだから、私の「いっぱいいっぱい詰込み」密度はやたらに高い。私の両親は私と違って子のすることに何一つ口出ししなかったし、かまいもしなかったが受験シーズンというのは周囲にも少なからずイライラ・どきどき焦燥感をもたらすものなのがよく分かった。もはや我が家のシェッドで一緒に「理想気体の状態方程式」を解くことがなかろうことは少し寂しいが、3年前よりもさらに早くこれを解き放ち、親にのんびり温泉気分で年末年始を過ごさせることとなった息子の作戦勝ち(もとい!戦略勝ち)には感謝すること大である。

高校入試、その先の受験にあたって息子甘辛は少なからず父のとった進路、方法、経験の影響は受けたのだろう。しかし結果的どちらも全く違うコースを進んだ。言いようによっては自分が成しえなかった(選ばなかったんだけど)道でもある。
アニメのような美しく壮絶な話では全然ないが、それでも私は「巨人の星」のとあるシーンを思い出した。私は最終回よりもこのシーンの方が印象が強いのだが・・・もはや中日で飛雄馬の敵となった星一徹が大リーグボール3号を初めて目にして伴宙太に語るところである。
大リーグボール1号は一徹に仕込まれた壁の穴も通す神業コントロールの賜物だった。大リーグボール2号の原型は父が授けた「魔送球」だ。しかしアンダースロー、ノーコン、超スローボールの大リーグボール3号は星一徹の野球を根底から覆し、その理論から完全に独立したものだった。これに対し一徹は「父親の喜び、これにまさるものなし」と涙するのである。
そりゃーちょっと違うんじゃねえの?と言われそうな無茶振りで、正直もうちょっと劇的に掲げたいところだったのだが「まあ、こんなものかな」と息子の快挙?に笑うのだった。