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超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

歴史を学ぶということ

2012-06-29 15:35:51 | 書籍
先般、紹介した「もういちど読む山川日本史」を一通り読み終えた。さすがに寝る前に寝転びながら読み進めてもあっという間に睡魔に襲われてしまい、電車の中だけで一気に読み進めただけなのでずいぶん時間がかかってしまった。記憶力が優れているわけではないが、学校で日本史が必須教科だったから、一度習ったことは何となく甦るものだ。「おーっ、こういうのあったなー!」「ちょうどこれを習っていたとき関東大会予選でPK負けしたよなー」「ちょうどこのあたりはつまらなくて、内職で磁束密度『テスラ』とか覚えてたなー」・・・どうでもいいエピソードばかり甦るものだ。

今にして思うと、中学高校で履修した教科はいくつかのジャンルに分類されるような気がする。
●その先、実用性が一番実用性が高くともすると知的成長よりは実利が優先される・・・・・・国語、英語
●一部の人の特定の分野には高い意義があるが、それ以外は忘れても全然問題ない・・・・数学、物理、化学
●身体の動きを通してセンスを磨き、あわよくば開花させてその道に進む・・・・・・・・・・・・・・・体育、音楽、美術
その中で「史学」というのは、どんな意味合いを持っているのだろうか?考えてみれば不思議な学問である。何せ過去に「終わってしまったこと」なので、タイムマシンでもない限り真実は確認しようがないからだ。
ぱっと思いつくのは
・日常の仕事などの中でさりげなく、歴史上の単語をちらつかせると知性的に見えてかっこいい。
・歴史的名所やアイテムなどに触れ、由縁たる過去の人物に想いを馳せると心が豊かになる気がする。

もうちょっとちゃんと言うと「そこそこ住みやすい『今』に至るまでの愚劣かつ血塗られたプロセスを学び、これからを『より良く』する糧とする」
個人的には人類学に近い「かくも人間とは愚かなものか」というのを学ぶ学問に見える。律令国家に武家社会、幕藩体制に大日本帝国・・・ごくごく近い過去を「古き良き時代」と言う人もいるが、歴史に虐げられ犠牲になった数え切れない人達の今からは想像もできない苦悩を思うと、過去に帰りたいなどとは絶対に思わない。そして国史の学び方も「ちょっと違うんじゃないか?!」というところがある。

以前、テレビで「スーパー小学生vs芸能人クイズ対抗戦」みたいな番組があった。小学生は有名私立校で既に難関大学を志望としている秀才揃いで恐ろしく賢そうな顔つきで皆眼鏡をしている。(芸能人の出演者は忘れてしまった)
どこかで書いて記憶もあるのだが、その中でこういう問題があったのである。「自由民権運動の板垣退助が暴漢に襲われた後に語ったとされる名言は何か?」
タッチの差で芸能人チームが回答した。「板垣死すとも自由は死なず」しばらくして正解のピンポーンが鳴り響いた。その直後、眼鏡のスーパー小学生から自信たっぷりの「物言い」がつくのである。「違うよ。『板垣死すとも自由は死せず』だよ」
私もそう記憶していたし教科書にもそう書いてあった。正解は覆らなかったが、ものすごい違和感(というより正直背筋が寒く)を感じたものだ。この子はこんなに幼い頃から「歴史」を学ぶことの意味を履き違えているような気がする。。。

私は歴史そのものを読み解いたりずるのは大好きなのだが、科目としてお勉強する気にはならなくなったトラウマ的エピソードがある。中学生のときに第2次世界大戦あたりの歴史がテスト範囲になっていて、その辺の著書も元々読み漁っていたから絶対の自信をもって臨んだことがあった。答え合わせなど必要なく満点以外はありえないと思っていたのだが、信じられないほど無残な結果だった。むろん小さな見落としもあったのだが、最もショックだったのが「ナチス党」と「ソビエト」と書いた回答が×だったこと。。。
ナチスとは「国家社会主義ドイツ労働者党」のことだと教科書には書いてあった。つまり「ナチス党」と記述すると「党」がダブってしまうので正しくないと言うのである。
ソビエト社会主義共和国連邦、又はソ連が正解なのだが、「ソビエト」というのは本来はロシア革命のときに作られた労働者・農民などによる評議会を言い、国家は表していないと言うのである。

その後、読んだ書物などにもナチス党という記述はあったし、国家として「ソビエト」とニュースでアナウンスするのも聞いた。まるで上記のスーパー小学生と言っていることは同じではないか・・・
そんな歴史の勉強に当時反抗期にいた私は思い切り「くだらなさ」を感じてしまい、以後真面目に勉学に励むフリだけして入試に出る事項だけを覚え、後はきれいさっぱり記憶から捨て去ってしまったのである。
「責任者出てこぉーい!」の世界である。今からでも遅くないから、あの時のテストの回答を○として欲しいマジで思う。(これはプライドの問題だー)

つい熱くなってしまったが「もういちど読む山川日本史」の続きは鎌倉幕府以降である。

蒙古襲来の後に鎌倉幕府が傾いてやがて滅亡、その時に活躍して室町幕府初代将軍となったお笑い芸能人の○○みたいな足利尊氏の像画は近年、ただの騎馬武者像と呼ばれ尊氏ではないとされているようだ。画像の上に尊氏の子、義詮の花押があったかららしい・・・長い間「足利尊氏」と思っていた、背中に矢が刺さっている像である。(誰もが見た記憶があろう・・・)
護良親王も(もりなが)と読んでいたのだが、今は「もりよし」と呼ぶ根拠資料があるらしく但し書きになっていた。

建武の新政から南北朝の騒乱、室町幕府あたりはややこしくて、あまりじっくり読む気がしないのだが、誰もが一度は足を運ぶ鹿苑寺金閣の北山文化・・・「侘び寂び」の好きな日本人には賛否あるようだが、「外国人の友達が来日したら見せてあげたいもの」といったら金閣寺が筆頭だと思う。修学旅行でも何でも何だかんだ言ったってあのインパクトは忘れられないものだ。(他にすごいのを見てないからかもしれないが)
ただどういう訳か仲間内では慈照寺銀閣の方が人気があったような気がする。(両方とももう一度見に行きたいなー)

戦国時代、安土桃山時代などは物語としては飽きるほど読み尽くしているから語らないが、その豪華絢爛な文化はぜひあらためて触れてみたい。安土城がないのが残念だが、初めて南蛮文化(言い方が変だけど)と融合した様々なモノにはすごく興味をそそられる。教科書の構成ではこのあたりから「近世」という分類になる。息子甘辛が先日行った修学旅行で撮ってきた二条城の写真と全く同じものが本に載っていた。(あの角度が定番なのね)
TBSで3夜連続で放映された「関ヶ原」は今でも日本の歴史テレビ番組史上の最高傑作だと思っている。

徳川幕府の政権が安定し農民生活の細部まで規定した「慶安の御触書」は1637年制定と習った記憶があるが、近年の研究ではもっと後になっての法令らしい。ちなみに社会の授業でこの法令について指され、大真面目に「慶安のお『さわり』書き」(何ていかがわしい響きだ!)と答えてしまいクラス中を笑いの渦に巻き込んでしまった苦い思い出がある。江戸時代そのものにはあまり興味が沸かないのだが、「江戸」という都市の風水上の設計思想や霊的な位置づけには予てから造詣を深めたいと思っている。

幕末・維新にかけては日本史上最もエキサイティングな歴史として語るに尽きないが、「坂の上の雲」にあるように実はその後が最も将来に関して参考になるような気がしている。冒頭のくだりが実に印象的で不滅の名作だと思う。(NHKドラマとしても放映されていた)
「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。小さな、といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。・・・・・彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。」

むろん当時の列強欧米の事情に左右されてはいたと思うが、個人的には「日英同盟」というのは、外交のヘタなこの島国の唯一とも言ってよい成功例ではないかと思う。年齢的には「明治の人」とはもうほとんどいらっしゃらいないだろう。はるか昔話として忘れないうちにその「気質」を受け継がなければならないと感じる。。。。なんてことを書いていたら「坂の上の雲」を再び見たくなったのでDVDを借りてこよう。。。

もういちど読む山川日本史

2012-06-18 14:33:29 | 書籍
高校の時、「入試に日本史を選択するなら『山川』で勉強すべし!」という定説があった。我が校は山川出版社の教科書を使用していなかったが、誰かがどこかから入手(書店で買えたんだっけ?)してきて、その独特な古臭いワインレッドの教科書を見せてもらったことがある。私は歴史が好きで色々な本を読み漁っていたが、それはいわゆる歴史小説という「好きな人物と物語」であって、史学という「時の流れを政治、社会、文化など色々なジャンルからシステマティックに学ぶ」ほど正直暇が無かったから(何せ理系なので)世界史だけを選択した。日本史は馴染みが深い分、教科書にも中々書いていない奥深い社会の文脈や政治的背景を語らなければならず、片手間でできるような記憶量ではなかったのに対し、世界史は範囲は広いが断片的でもわーっと丸覚えすればよかったからである。(担任が世界史担当だったということもある)

「試験にでる英単語」を初めとする英語はもちろん、数学、物理にも「受験に際してこれだけはやっておくべし!」という伝説の参考書は存在した。(正直、当時はさっぱり分からなかったが、皆がやっているので自分も持ってはいた)文科系科目についてはあまり知らないが「山川」だけは知っていた。どこかからそれを入手され、クラスメイトに見せてもらったその教科書はボロボロになるほど「読み込まれ」「線引きされ」使い込んであった。まるで一語一句覚えているようで「すげーっ」と感心したものだ。しかし教科書はやはり「教科書」で分かりやすくするための「参考書」とは異なるから、学校で使っていたモノと同じに見えてしまい「違いが分かる」までには至らなかった。だから「山川出版の日本史」などというのはただの「都市伝説」だと思っていたのである。

ところが最近になって、「社会人のための高校教科書、ブームだけではわからない、本物の歴史が読める本」というカバータイトルで「もういちど読む、山川日本史」という著書があるのを教えてもらって思わず購入してしまった。今頃にこういう本が出ているということは、あの伝説は本当だったのか?!
大学入試などという悪夢のような目的もなく、歴史検定などというぬるいモチベーションもないまま、パラパラと読み始めたが、社会人用にディティールを端折っているらしく、あっと言う間に「近世」まで読み進んでしまった。そりゃそうだよな、何せ「おーっ、こういうの習った!」と懐かしむだけで「覚える」必要がないからなー。日本史が必須教科だった高校を卒業して約30年・・・興味の的は「あれからどのように教科書の記述・解釈が変遷してきたか」である。(冥王星が惑星でなくなっていまったように)

章立ては全然変わっておらず、第1章は昔から「日本のあけぼの」である。人類の誕生からナウマン象の化石、縄文の竪穴式住居、そして土偶というパターンだ。北関東の県でも有名な石器を発掘した遺跡があるから今度見学に行ってみよう。弥生時代に農耕が進み、小さな「国」がたくさんできてやがて統一に向かうようになった。その過程で現れる有名な卑弥呼の「邪馬台国」は九州説と大和説がまだ決着していないらしい。時代的には「三国志」の後だと思うが、中国史があれだけ絵画やアイテム、物語が明確なのに(後付かもしれないが)日本はまだぼやーっとしていて当時のマイナーさがうかがえる。
やがて現れた中央政府は以前は「大和朝廷」と表記され習ったが、国名として「大和」という文字が使われだしたのが、もっと遅かったことから、最近では「ヤマト政権」と表記されるらしい。(初代の長は「沖田十三」か?!)実は勤務県には古墳が多いらしく以前八兵衛が連れて行ってくれた古墳があった。近所に別の古墳も見えたからやはりかなり盛んな土地だったようだ。

第3章古代国家になると蘇我馬子、聖徳太子などが登場する飛鳥時代である。これまた以前習った事柄とは少し変化が見られた。「聖徳太子」というのは生前には使われず、ずっと後になってから現れるようである。また厩戸王という名称が使われているようだし、あの1万円、5千円の旧紙幣の象はモデルが太子という確証がないことから「伝聖徳太子画像」と言われているそうだ。(伝何とか、というのは後にも登場する)聖徳太子が建立したとされている法隆寺はその目的、意味合い、伝えられる伝説など実に謎が多く、古文の教師から梅原猛という作家の「隠された十字架」という書物を紹介され、夢中になって読んだことがある。ご他聞に漏れず修学旅行で訪れたが、ギリシア神殿に通じるエンタシス柱など世界最古の本格木造建造物としてそのど迫力は圧巻だった。

東大寺大仏などを初めとする仏教色の強い奈良時代を経て第4章律令国家となる。平安時代はだらーんと長い貴族の時代という印象があるが、政争に明け暮れた歴史(400年近くあればねー)ばかりで個人的にはあまり好みでない。しかし文化は優雅で平等院鳳凰堂などもう一度訪れたい名所のベスト5に入る。これも古文だったが「清少納言」と「紫式部」は同時代の女性で実は仲が悪く、お互いに内緒で相手の悪口を書いていた、というエピソードを記憶しているが、同様のことがこの本にも記述されていた。京都・奈良などは修学旅行で訪れる神社仏閣のオンパレードだが、歴史的な「予習」をしていくとこれほど魅力的なところはないのだろう。息子が先般行ってきたばかりだから、忘れないうちにもう一度おさらいするのも「あり」だろう。

第2部中世第5章は武家社会の形成で、以前は「源平の争乱」から始まっていたが近年では院政あたりからこの始まりとしているようだ。実はこの「院政」という言葉、もちろん我が社とは限らないが会社では結構使うのである。例えば一代で事業を起こしたワンマン社長、創業でなくても事業に大躍進をもたらした雇われ社長が、その職を去った後も「会長」や「顧問」などという意味不明の役員として権勢を欲しいままにするときなどだ。「平清盛」は初めて政権を手にした武家として大河ドラマでも注目されていたようだが、その視聴率の低迷は危機的らしい。。。清盛に元々歴史上はヒーローというイメージが少なかったのに加え、登場する宮中の公家が「気持ち悪すぎる」というのが番組を少し見た私の印象である。(視聴率の再起を期待するが)

源平の争乱を経て鎌倉幕府の登場だ。「イイクニつくろう鎌倉幕府」は実は「イイハコ作ろう」に変わりつつある、と聞いていたが山川日本史では1192年だった。(社会人向けだからか?!)別に説として対立しているわけではない。1185年に源頼朝が朝廷に全国へ守護・地頭を設置することを認めさせたのが実質上の支配と考えられるからのようだ。征夷大将軍任命は1192年で山川日本史は鎌倉幕府が「名実ともに」成立した、と記述している(うーむ。うまいかわし方をするものだ)
ちなみに先程も出てきたが、源頼朝像としてよく知られているあの「カクカクした」肖像画はえがかれた冠の様式、絹地の図面作例などから「時代が違う?!」という説と、モデルが足利直義だという説などがあり、通説が揺らいだ結果今では「伝源頼朝像」と表記されているそうだ。

ざっと読み進んだのはこのあたりまでだが、地理的に見ると日本を支配してきた政権は大体上方(京都・奈良・大阪を一緒にしてはダメか?!)、乱暴だがその後江戸になって今に至っている。江戸という土地は平坦性、水脈、交通の便もさらに風水上?も政権の拠点としては申し分に見える。しかし「鎌倉」というのは三方を山に囲まれ海を臨む地とは言え、他に比べて政権の拠点としてはどうも違和感があるのだ。街そのものは小さいし大きな港があるわけでもなく交通の便も悪い。鎌倉山などにあるのは古くからの豪邸が多く庶民と異なる雰囲気があるのだが、言い方を変えると山と坂ばかりで一人一台の乗用車(又は運転手)がないと不便で「住めない」のである。我が家を建てるときに鎌倉エリアも一応候補にはあったが、450坪の土地の90%が急斜面とかそんなのばっかりで、とても検討範囲に入らなかった。

京都大学を出たある著名人が若者の将来向けの対話本の中で「近所に金閣寺があったって行きゃぁしませんって」と言ったように、身近にあるとあらためてディープに予習して歴史を堪能してみようとは思わぬものだ。鎌倉というのはそういう意味と古都としての学習対象と流行が共存する実に興味深い場所だと感じる。なぜあのような土地が一定期間この国の政権の中心となったのか?その風水上の意味合いは?手始めに鎌倉五山でも研究してみるとするか・・・・(今は紫陽花の季節だしねー)

占いと診断

2012-02-01 20:07:23 | 書籍
私はサンタクロースや霊、宇宙人や怪獣ネッシーなどの存在を信じている。下手すりゃゴジラもいそうな気がする。ウルトラマンはほぼ確実に存在すると思っている。「理系のくせに科学的ではないね」と冷やかされてしまうかもしれないが、「科学で『存在しない』ことを証明するのはまずもって不可能だ」から存在するのだ」という極めて科学的な答えである。(ややこしいな)
むろん赤い服に真っ白な髭のおじさんではないかもしれない。白い着物の髪の長い女性でもないだろう。プレシオサウルスよりはるかに小さいに違いない。
人が考えた想像上の産物と笑われるかもしれないが、「その姿が脳裏に浮かんだ」ということは、はるか以前に同様のものを見たという記憶が遺伝されているのかもしれない。つまり可能性を考えれば「いる」としたほうが合理的というわけだ。

占いなども(結果は信じないが)その有効性、関連性は信じている。星の配列は一見これから起きることとは関係なさそうだが、光速を超える素粒子が何か特別に作用しているかもしれないし、姓名の画数だってその文字を何百回と目にし続けることで何かの心理的作用があるのかもしれない。明らかに今の科学では根拠を結びつけることはできないが、数千年前の古来から「占い」を大事に思い、今でもやったことのない人はいない、ところを見ると人類の動物的本能で占いの有効性を感じ取っているとも思えてくる。結果をあまり信じないのは経験的にあまり「当たったこと」がないからである。

私は人間の「うまく言えないけど何となく感じる」予感・予知、(長嶋さんのような)動物的カンを100%認めている。60兆もの細胞が活動しているのだ。何百万年の経験の積み重ねで例えば「危険を予知」することも未来を予見することもありだと思う。確実に古代よりも弱くなっているとは思うが。これは想定外の「事故」で危害を被ることがなくなってしまった代償なんだろう。
麻雀の達人は「ツモの流れ」が分かると言う。。。私も麻雀に限らず何となく「モノの流れ」を感じるとき・・・例えば「どうも流れがよくない」「今、追い風になっている」「何とも言えない違和感」・・・はなるべく尊重するようにしている。

また、少し趣きが違うがマーフィの法則というのも私は当たっていると思う。
・出先の仕事がスムーズに片付いて、早く家に帰れると駅に向かうと湘南新宿ラインが運転を見送っている。
・今日のスローヨガクラスで数息観呼吸法を試してみると意気込んでいくと、運動着を忘れている。
・使ったこともない会議資料をざーっとシュレッダーにかけた直後に見る必要が出てくる。
・お得な割引券や無料券を運よく手に入れてもらえたのに、親戚に不幸があって家族がマンションに来られなくなった。
・「今週の仮面ライダーは佳境だよな」と録画の予約もしてテレビを点けるとゴルフをやっている。
この法則は要するに物事は「裏目に出ることの方が多いものだ」と私は理解している。かなりな不滅の法則だと思う。だから、時々これを逆手に取る策をとることがある。名付けて天邪鬼作戦という。
・発車時間よりもかなり早く駅に着けそうでもそのまま直行する。
・雨が降ってほしくないときには傘を持っていく。
・寒さで凍えたくないときは信じられないほどたくさん着込んでミシュラン状態になり体中にホカロンを貼り付ける。(それでも基地は寒かった~)
・「今日のバイキングでは腹いっぱい食べよう」と思った日の朝食はガッツリ食べる。
・絶対風邪を引きたくないときには、インフル上がりのヤツと面接する

さらに私はちまたにあふれる「何とか診断」というのは何をやってもろくでもない結果しかでないが結構信じる。これにはちゃんとした根拠がありそうだからだ。
最近行ったのは「生き様診断」というもので、いくつかの質問に選択形式で答えていくと、日本を動かした100人の人物タイプを割り出してくれる。「日本の100人」という雑誌の創刊を記念して行っているようだ。(当然誰でも知っている100人である)
こういう時は飾ってもしょうがないので、いつも正直に答えるのだが「直江兼続」のようなカッコいいのは決して出てこないことは分かっていた。。。
4者択一形式で問題は6問、一つだけ思い出すと「動物に生まれ変わるとしたらどれ?」(猿・熊・犬・鷹)ちなみに私は迷わず「鷹」である。

そんなことを答えて言って、出てきた生き様診断はなんと「東条英機」・・・・おいおい、それはねえだろ?日本の歴史を動かした、というより「破滅に導いた戦争犯罪人」ということになっちゃってるけど・・・(たぶん、世間で言われているほどの悪人ではないと思う)
せめて山本五十六にしてくれよ。。。中に手塚治虫なんていうのもあって異彩を放っていた・・・
4者択一が6問だから回答パターンは4096通り、100人の診断結果ではダブることはまずあるまい、と思ったが念のためもう一度だけ全く同じ回答でやってみると・・・・「菅原道真」
ふーむ。。。どういうアルゴリズムなのか分からぬが、結構幅狭いのね。東条英機と菅原道真が同じ生き様かなー。。。。?!
タイトルは「我慢強く、忠誠心旺盛なタイプ(我慢の人)」
「我慢強く、相手に尽くすことを信条とするタイプ。行動の基本が、他人のためという場合が多い。忠誠心旺盛なためかお人好しな面もあり、時代や環境によってはだまされて失敗することもある。リーダー型のパートナーと組めば、世の中を渡っていくのは簡単だが、天才肌のパートナーと組むと、振り回されて苦労するので注意が必要。しかしなぜかピンチには、必ず助けてくれる人物が現れるという「愛されキャラ」で一生を終わることが多い。」分かったような分からないような・・・

次に試してみたのが、犬占い・・・これもいくつかの質問に答えると自分がどの類の犬なのかを診断してくれる。
最初に行ったらプードルだったが、一番最初の血液型を間違えていたのでもう一度行ったら「ミニチュアダックスフント」やはりリメンバーパールハーバー(もとい!ゴールデンレトリバー)のようなカッコいい犬は出てこない・・・
タイトルは「たとえ火の中水の中・・・どこにだって飛び込むぞ!」
「勇敢で、前向きなあなたはミニチュアダックスフントタイプ。どんな困難でも、ポジティブ思考であっという間に乗り越えてしまいます。しかしあまり張り切りすぎると、興奮して前が見えなくなってしまうことも・・・。」うーむ。これはいかがなものか・・・・?!分かったような分からないような・・・

学生のときにゲームセンターで職業診断というゲームがあった。やはりいくつかの質問に答えていくと単純に「向いている職業」というのを解説付きではじき出してくれる。これはすごく精密にできていて、仲間内10人くらいで行っても一つとして同じ答えは出てこなかった。さすがに質問の内容までは忘れてしまったが確か私に向いている職業は・・・
「危険を顧みず常に変化を好み、欲しいモノは必ず手に入れようとするあなたにピッタリの職業は・・・『海賊』です!」
なめてんのか、このゲームは!ハーロックか、オレは!そもそも「海賊」って職業か?!ゲームマシンにギャラクティカマグナムを炸裂させようかと思った。(向こう見ずということか・・・)

今、インターネットやフェイスブックには様々な面白い診断アプリケーションがあるようだ。どれも何らかの根拠はあるだろうから、遠からず当たっていると思う。
片っ端から答えを出していくと、Sの共通項があまりよく見えない「自分像」ということになりはしないか?
皆さんも何か面白い診断サイトがあったら教えてください。

スピリットベアにふれた島

2011-09-28 12:14:47 | 書籍
中学生の読書感想文課題図書を読んだ。課題図書は先般、少し記事にした「聖夜」、「夢をつなぐ 山崎直子の4088日」、そして「スピリットベアにふれた島」である。
息子甘辛とともに全部読んでみた。 彼が感想文にしたのは「聖夜」(たぶん最初に読んだ本だから?!)。私も最初に「聖夜」を読んで中々深いものを感じ、このサイトでも少し紹介した。
山崎直子さんの自伝?!からは正直言って「宇宙飛行士などなるものではないな」と感じてしまった。「自分の夢をつなぐ」ためには「他者に犠牲が必須」という印象を受けたのである。
学生時代に「毛利さん」「向井さん」「土井さん」らが研究室に遊びに来たこともあり、宇宙飛行士を結構身近に感じていたが、改めて本人だけにとどまらない過酷な試練を垣間見た。

最後に読んだのが「スピリットベアにふれた島」である。何となくとっつきにくい感じがして後回しにしてしまったが、私はこの本から最もたくさん色んなことを感じた。
まず、(本の紹介をしてもしょうがないから)さわりだけ書くと
「主人公のコール・マシューズ(15歳)は裕福な家庭だが両親とのぎくしゃくした関係からか、怒りをコントロールできなくなり、同級生に重傷を負わせる。本来なら裁判の後、刑に服するところだが、『サークル・ジャスティス』という独特の制度を使って一人無人島で「自分を見つめなおす」機会を与えられる。コールは厳しい自然の中で孤独と闘いながら『自分を変える』とはどういうことかを学んでいく」

という、ところか。。。
凶暴でクラスメイトにも手に負えない少年、資産家だが世間体だけを重んじ息子(コール)には暴力を振るってきた父親、その父親に何もできない母親・・・周囲の支えと大自然とのふれ合いから少年が変わっていく様は「はっきり言ってベタ」(中学生向けだからね)ではある。「積木くずし」を思い出した。
物語の内容そのものの感想には全然ならないが、人類学?的なカルチャーの違いと共通点のようなものを感じ、一番たくさん「語れる」本であった。

主人公コールが住んでいるのはアメリカミネソタ州ミネアポリス、1年間孤独な追放生活を送ることになるのがアラスカ州ケチカンから水上飛行機で行くドレイクという村からさらに船で向かう無人島である。ドレイクはトリンギット族というアラスカからカナダ北西部を居住区よしていたインディアンの村で、コールを支えるガーヴィという保護観察官と、無人島生活の手配を手伝ったエドウィンという古老の故郷である。

「文化」を感じたその1:サークルジャスティス制度
北アメリカ先住民のあいだで何世紀にもわたって行われてきた慣習だそうだ。傷害事件などの加害者、被害者、関係者が「環」(サークル)をつくり、どうやったらお互いに魂を救済し、和解しあえるかを話し合う集いである。どちらかというと加害者を立ち直らせるためのもので、参加者が創造力をもって解決案をひねり出すのが特徴だ。ここでコールは「無人島で一人生活し、自分を見つめ直す」という実に創造的な裁きを受ける。(正式な司法制度とは別)
この制度はいくつかの州や市で実際に採用され、その有効性を発揮しているらしい。日本には全くない制度だが、コールへの「裁き」は日本で昔あった「島流し」の発想に見えその共通性が面白い。

もともと「変わる」気などなかったコールは無人島生活用にエドウィンがせっかく用意してくれた小屋や物資を盛大に燃やし、島からの脱出を目論むが失敗する。
さらにコールは一頭のアメリカクロクマと遭遇するが、自分を怖がらずに見つめるクマに怒り心頭に達しこれを殺そうとして、逆にその後の生活にも不自由するほどの重症を追って生死をさまようことになる。そのクマはスピリットベアと言われる誇り高きクマだった。
ガーヴィとエドウィンに奇跡的に助けられたがその後数ヶ月は入院生活を余儀なくされたコールはその経験を通して少しだけ「生」というものを考えるようになった。自分の行為でせっかくのチャンスをふいにしてしまったコールだが、ガーヴィとエドウィンの計らいでサークル・ジャスティスを説得し、再び同じ島での追放生活を送ることになる。

「文化」を感じたその2:池での修行と石運び
古老エドウィンは無人島にしばしば訪れ、コールにインディアンに伝わる色々な修行を教える。氷のように冷たい池に全身浸かり座る行、「先祖」と称した石を小高い丘の上に持ち上げ、頂上からはこれを「自らの怒り」と見立てて転がり落とす行。。。いかにも奇行のように見えるが「禊」をするという意味では滝行に通じるものがある。何か「気」を落ち着かせるときに「水に触れる」というのが人類共通な習性のようで面白い。「石を運ぶ」という行為は意味は異なるがやはり「シシフォスの岩」に通じるものがある。

再び無人島で生活を始めたコールはエドウィンから教わった様々な「修行」により、「怒り」、「癒す」、「赦す」とは何かを少しずつ考え始める。「誰にも見られていない時に何をするか」と言われたら「自然を見る」というのが自然なのだろう。
「怒りは決して忘れることのできない記憶」としてこれと向き合い、自らの行動を振り返ったコールは、重症に悩み「うつ」になって自殺を繰り返す被害者ピーターを島に呼び寄せることにするのである。

「文化」を感じたその3:ダンス
「わしらのまわりにはいろいろな力がある。たとえばクジラ、クマ、オオカミ、ワシといった動物がいる。太陽や月や季節の力もある。幸せや怒りのように人の心の中にある力もある。わしらはそれをすべて感じとり、ダンスで表せる。こうした力にはみな、教わるところが多い・・・・」
このあたりはいかにもインディアン的だが、実に面白かったのは「動物を見て学んだことを踊る」のではなく、「動物を踊ったこと自体から学ぶ」ということだ。
ふてくされた態度をとってガーヴィとエドウィンから無人島生活の終焉を宣言され、一人残ったコールはたき火を見つめながら自然と自分一人だけが見たオオカミを踊りだす。
起きてきたガーヴィから「何を学んだ?」と聞かれ「オオカミの群れのように、まわりの助けが必要だとわかった」

「見えない存在になるには、心を無にしなければならない」どうもその時にスピリットベアは現れるらしい。。。洋の東西を問わず修行というのは「心を無にする」という要素が必ずあるようだ。禅にも通じるものがある。
やがて両親の苦渋の決断としていやいやながらも無人島にやってきた被害者ピーターに散々に仕返しされながらも、一緒にダンスを踊りトーテムポールを彫ることになるのである。
「踊りながら何かになりきり心を同化させることによって何かを学ぶ」というのは実に興味深い。ヨーガなどはそういう境地があるんじゃないだろか・・・

この本のテーマのひとつは「怒り」だと思う。10代の少年が誰でも持っている怒りとか不安が題材のようだ。私もこの本から「怒り」について一つ学んだ。
私は中年の域にどっぷり浸かった年齢でさすがに「怒りを露わ」にすることはほとんどないが、恥ずかしながら剥き出しにしてしまうときが度々ある。
「赤信号」が大嫌いなのである。走行中に正面の信号が黄色を経て「赤」になると必ずと言っていいほど「呪い」の言葉を出してしまう。。。元々「赤」ならかまわない。目の前で変わられるのが、「行く手を故意に遮られる」ようで堪らなくいやなのだ。

「信号が目の前で『赤』に変わったときに『怒り』を露わにするのはどうもよくないらしい、ということを学んだ」
妻に話したら、「そんなこと学ぶのに40年もかかってんのかよ・・・」

祝と呪

2011-09-09 17:52:14 | 書籍
先日、息子が録画しておいてくれた「やりすぎ都市伝説」(8/31)2時間スペシャルを見て凍りついた。。。
関暁夫の「フリーメーソン都市伝説」以外は愚にもつかないモノ(ごめんなさい!)ばかりだったが、「猛暑に捧げる恐怖」というコーナーで心霊ビデオが放映されたのである。お化けの大嫌いな単身生活者が絶対に見てはいけない映像だった。
最近は、ともすると「修正」も窺える写真ではなく、VTRに直接映りこんでいるから、恐怖が倍増するんだよなー。

とあるカップルが神社でお参りしている映像、お参りしているのは彼氏、撮っているのが彼女だった。そのうち映像はたくさん並んでいる「絵馬」の列を映し始めた。願いが書かれた絵馬がぎっしりと並んでいたが、向こう側は見えていて、確かに誰もいなかった・・・・
しばらくして彼氏の「何だこれ?」という声に画面が絵馬に近寄っていくと「●●●死ね」という文字が。。。
その瞬間に絵馬の向こう側に灰色の顔が「ぞわーっ」と映りこむのである。私はうちわの柄の部分の骨で半分覆って見ていたが、世にも恐ろしい映像だった。

絵馬はいわゆる「願掛け」だから、こういう呪いの言葉もあるんだなー。。。見たことはないが。
先週読んだ有川浩さん(この人の本は面白い)の「阪急電車」という物語に「婚約者を色仕掛けでまんまと寝取った同僚の結婚式に『白いドレス』で最高級に着飾って登場する」女性が登場する。この女性は明らかにその同僚よりも「綺麗」だった。訴えずに別れる条件として招待させたものだが、明らかに「呪い」をかけている。。。

以前ものの本で祝と呪について書かれていたのを読んだことがある。著者の独特な解釈とも受け取れるが「祝」と「呪」は元は同じ「神事」ということだった。「しめす偏」は確かに神や祭りに関わる字のようだ。
呪:人や対象物に災禍などが起こることを祈念する。(丑の刻参りのような・・・)
祝:人や対象物に災禍などが起きないことを祈念する(無病息災のような・・・)
確かに字の構成は似ている。なぜ「兄」なのかはわからないが、そのような解釈も結構「あり」だと思う。これが正しいとすると絵馬に「あのようなこと」を書くのも適用としては合っていることになる。

日本人だけではないと思うが、人智を超える力を持っている恐ろしいモノ(自然、霊、そして神など)に対してはこれを崇め・祀り・祈ることが多い。大魔神然り(例えが変か?)、歴史上の「祟られるとやばい人」(平将門、菅原道真、崇徳天皇など・・・)、そして暴れられると手に負えない厄災をもたらすモノ(山神、水神、天など)は必ず祀られている。
「神様に自分の『ご利益』を願うものではない・・・」以前からそんな気分をぼんやり持ってはいたが、最近になって特にそう考えるようになってきた。自分のために神頼みした記憶はあまりないが、したとしても「叶えられた」記憶もない。
恐らく「何事もなく過ごすことを願う」のが正しい祈り方なのかもしれない。(初詣ではつまらないかもしれないが)

息子甘辛が小学4年のとき、移った先の強豪サッカーチームでレギュラーとなり、初めて迎える県選手権に際して、勝利を祈願して私は珍しく「神頼み」しまくった。駅までの通勤コースを変え、わざわざ近所の鵠沼神社までお参りしていたし、通り掛かりに鳥居があると必ず寄った。
正月明けだったので初詣の際には勝守りも買ってきた。
当日は朝早く起きて(元々朝は早いほうだが)いつもの波偵察ポイントである歩道橋に上り、東に向かってご来光にお参り、南に向かって海に祈り、西を向いて富士山に願掛けした。
結果は「0-3」の惨敗。。。このあたりから「望みを叶える願いはダメなのでは?!」という疑心がわき始めた。

小学生最後の選手権、初戦は隣接市の2位という強豪で相当厳しかったが、勝利は決して祈念せず、「結果が彼らに『何か』をもたらしますように」とだけ初詣で祈った。
結果、満身創痍となりながらも見事にブロック優勝を果たし、中央大会で優勝する横浜Fマリノスジュニアと対戦するに至るのである。
そういうことがあってから、江原啓之さんの著書の影響もあり(あちらはどちらかと言うと霊だけど)自らの利益を願うことは完全にやめた。
私は結構「神頼み」するほうだが、常に「無病息災」か「結果が成長をもたらすように」ばかりである。

ある記事で東日本大震災の原発事故にあたり、福島に向かって鎮魂の祈りを捧げているというのを見た。評論家や専門家が山ほどコメントしているが、「祈る」というのを初めてみた。原子炉は完全に人間の作りだしたモノではあるが、「暴れだすとコントロールすることができない」という意味では「人智を超えたモノ」とも言える。
原発を推進する、反対するという議論は今までたくさんあったが、「祀るべきだった」「今は供養すべきだ」という意見はものすごく私には共感できる。
別に「神頼み」で対処するということではない。「無病息災」を祈り、祝い、祀る真摯な態度を忘れていたときに諺通り天災がやってきてしまったのではないか?!

日本国の存亡のため、どうしても東京湾晴海に原発を建設しなければならないとする。専門家でないから技術的な可否は分からぬが、まず間違いなく「地下」に建設すると思う。もちろん科学の粋を極め、考えられる限りの災害に対処し万全を尽くそうとするだろう。地震、津波、台風、雷にテロ、戦争はもちろん、隕石落下、太陽ニュートリノ、数光年先の超新星爆発なども想定するかもしれない。ヘタすりゃ「ゴジラ」にも備えるかもしれない。
しかしあらん限りの物理的対処をした後は、これまた間違いなく「風水」を考えるだろう。首都の「気」の流れ、龍脈、霊的ポテンシャルなど超自然的なものまで必ず考慮するはずだ。

そしてどうだろう。地上は小高い丘にして、大きな鳥居と神社を築くような気がするのは私だけだろうか?祀り崇めることによって「正常に運用しよう」というのは非科学的でナンセンスだと笑われそうだが、そういう神聖な気持ちで緊張感をもって「事にあたる」のは結構重要だと思う。
もちろん私は「多少不便でも、電気代が高くなっても『無い方』がいいよねえ」派である。
あんまりポリティカルなことを書くつもりはないし、その能力もないのだが、福島原発は残念ながら何らかの「呪い」の結果になってしまったようだ。他のヤツはできれば無くなって欲しいが、その日がくるまではせめて「祝」=「何事も起きないことを祈る」行いがあってもいいように感じた。

夏休みの宿題

2011-08-26 12:00:12 | 書籍
何度かここでも書いた記憶があるが、私は夏休みの宿題など大半は「夏休み前」に終わらせていた。「ご立派」と褒められそうに聞こえるかもしれないが、そう感心されるものでもない。海や山、プール、虫捕り、田舎へ旅行・・・「帰ったらあの『宿題』をやらなければ」という「邪念」があって遊びに集中できないのが「嫌い」だったのである。
夏休み前にテスト勉強さながらに詰め込んで「宿題」を消化して終業式を迎え、心ゆくまで夏休みを遊び過ごす、という信条だった。登校日もほとんど出たことがない・・・

さすがに宿題全部ではない。絵日記的なものは先に書いておくわけにもいかないし、ラジオ体操も「やり貯め」はできない。(実はこういう毎日のコツコツとしたヤツがそもそも性に合わない?!)
「ラジオ体操第一と第二を6回連続でやるからシールください」と言って怒られたこともある。
一番苦手だったのが、「自由研究・自由工作」である。工学部だからと言って「何かを作ることが得意」ということは決してない。
むしろ私は「言われた問題は解くが、自分で何かクリエイティブなものを生み出す力は乏しい」少年だった。
休み明け、皆の作品が自由工作展に並ぶとき、「マッチ箱でカニを作る」幼稚園レベルの私に対し、どうしたらこんなにスゴイヤツを作れるんだろう?と不思議に思っていた。
そのうちに「やるもやらぬも自由研究」とか勝手に解釈して提出もあまりしなくなった。。。

次に苦手だったのが、読書感想文である。当時私の読書は恐ろしく偏っていた。簡単に言うと「宇宙モノ」と「歴史モノ」と「刑事コロンボ」である。
それ以外の読み物には何の興味も持てなかった。だいたい教育委員会推薦の「課題図書」を読むなど苦痛以外の何物でもなかったのだ。
こればかりは8月の終わりくらいになると白紙の原稿用紙を前に頭を抱えていたものだ。
電車で1時間以上通学、通勤をするようになって私の読書力はだいぶ変わったと思う。特に最初は偏っていたものが、「勧められた本を無邪気に読む」ことができるようになってから、各段に広がった。
特に「読んだ本について語り合うと楽しい」という中学生でも知っている事実を体感するのに40年近くも回り道してきたのは恥ずかしいことだが、それなりに色々語れるようになってきたのは大きな進歩だと思う。

さて、夏休みの宿題と奮闘しているのは息子甘辛だが、どうやら私と同様「自由研究」と「読書感想文」を残してしまっているらしい。彼も「他の宿題などいつでも片付けられる派」のようだが、夏休みに入っても何も始めようとしなかった。。。妻にうるさく言われてしぶしぶやっていたが、さーっと終わらせたようだ。
やりかけでも「邪念」として残らず、全然気にならないところが私より「大らか」ということか?というよりズボラという感じだが。
自由研究について、奇抜なアイディアで何かを探求したり、毎日コツコツと観察したりするのが私と同様苦手で「何も考えていない」ような甘辛に「掟破り」なんだが、一瞬で解決する「神の言葉」を提供した。(ホントはいけないんだけど甘いねー)
「納豆作ればいいじゃんか」
そう、我が家には秘密兵器があったのである。震災直後に小夏さんサイトで知って即決で購入した納豆キットである。
1回やってみて見事に成功した。まだまだ気温の低い時期なので発酵処理期間の温度維持に苦労したが、今は夏なので40度くらいは軽く保持できる。(実は作製時は急に涼しくなって苦労したらしい)
私の作品を食した妻が「どうも圧力釜での『蒸し』が足りなかったようだ」と分析していたので長めに時間をとっていた。

自由研究テーマの選択にあたってのコメントはこんな感じを想定した。。。
「今年大震災発生後、スーパーの売り場から我が家の朝食には欠かせない納豆が消えていた。納豆は大豆から作製するので、納豆菌を入手し、インターネットで製造方法を調べて自分で作ってみようと考えた・・・・」
ホントは全部キットになって揃っているんだが、「虚偽」にならない範囲で道具も自分で調達すればよい。「これで今年の自由研究大賞(そんなのあるか?)はいただきだー!」と吠える私に妻は「あざといねー・・・」
そうです。その通りです。「一発勝負に弱い」私はこうやって地道に点数を稼ぎ重ね、今に至ったわけであります。。。

次の難関が読書感想文だ。中学生の課題図書は「聖夜」「スピリットベアにふれた島」「夢をつなぐ 山崎直子の4088日」別にこれ以外でもよいらしいが。。。
息子はブーブー言っていたが、「全部読め!」とランドマークプラザで買い込んで帰った。私が読む気になったのである。
当人優先とするためまだ「聖夜」しか読んでいないが、なかなか深みのある普通に読んでも楽しいものだった。

主人公一哉は高校3年生、ミッション系スクールのオルガン部部長である。父は牧師で、祖母と3人で教会に住んでいる。母はオルガン/ピアノの演奏者だったが、一哉が10歳のときにドイツ人と駆け落ちしてしまった。キリスト教、宗教音楽の環境に育ちそれなりの才能を持った彼だったが、母の「背徳」が心の大きな傷だった。
文化祭で各自楽曲を演奏することになったが、一哉が選んだのは母親がその昔弾いていた難曲「メシアン」だった。ところが同じ音楽ではあるが「ロック」を通じて近づいた友人と当日本番に失踪、深夜のバンドを見に行ってしまう。。。
父との話でこれまで目を背けてきた母の面影を少し知り、クリスマスでは同じ曲を演奏することに決める主人公・・・

時代設定は私達よりも少し前のようだから面白い。
母親への微妙な思いや恋愛、音楽への鬱屈した姿勢などに加え結構パイプオルガンやらバロック音楽やら専門的な話も多く興味を持てる。
演奏曲は「メシアン」の「主の降誕」から「神はわれらのうちに」というものだった。すぐに聞いてみようとレンタル屋CD屋に走ったがマイナー過ぎる?のか全然見当たらなかった。。。
今はよいが、私が中2の頃読んだらどんな感想文を書いただろうかなー。たぶん恐ろしく貧しいことしか書けなかったろう。少なくともメシアンを聞いてみよう、とい気にはならなかった。興味分野も人間の幅も狭かったからな。
息子甘辛は読んでみて「なぜタイトルが『聖夜』なのか分かった」と言っていた。結構いいことを書くかもしれない。30数年前にタイムスリップしたとして。。。

「聖夜」を読んで        
2年6組 磯辺太郎

一哉は文化祭で「メシアン」という専門家のコーチでも感心するような難曲に挑戦します。メシアンは自分が小さい頃母親が弾いていて、その難しさが自分を置いて出て行った母親への思いがそうさせたのだと思います。でも当日彼は逃げました。うまく弾く自信が無かったのか、弾けるけど納得ができなかったのか、母に対する気持ちの整理ができなかったのか、理由はよくわかりません。
恐らく全部だったのだろうと思います。
下級生の青木瑛子は一哉を好きになり告白しますが、彼は全然興味を持ちません。正直もったいないです。また1年生の天野真弓に対しては当人自身よりも「演奏」を好きになっています。
「音」や「演奏」を通じて人を見るというところに自分達にはない「才能」という分野を感じます。
私はクリスマスの演奏までに一哉は母親が自分宛てに出して父に保管されていたたくさんの手紙を読むべきだと思います。またそれがどんな内容だったのかを憶測するのもこの物語の面白いところだと思います。(終わり)

箱庭図書館

2011-06-27 14:48:56 | 書籍
今年、入社3年目になるAKBちゃんは7月から本社勤務となる。主に設計関連を司るセンターでバリバリ実務をこなしていたが、初めての本社勤務に向け「そもそも我が社にはどんな仕事があるのか」全般的に知ってもらおうと、この1ヶ月だけO次郎の元に来てもらった。
O次郎は先般紹介したように、このセクション群の大番頭、何があっても大抵顔を出す「何でも屋」、サンダーバードで言うと最も出番の多い「2号」である。
今更1ヶ月くらいで「教えられる」ことも少ないので、私も「付いて回って」とお出かけ3人衆と色々なところに連れ回した。若い人はこれから何で活躍しようが多種多様な仕事を経験することになり、この職場に戻る可能性も少なかろうから「思い出」作りという意味もある。
「seniority」と言う言葉をいつも思わせる職場で一人の若い女性がこれほどまでに雰囲気を変えるものか、と思うと寂しい気はするものだ。

そのAKBちゃんが出かける途中、乙一氏?の「箱庭図書館」という本を話題にした。彼女も色々な本を読んでいるらしい。
実は「共通に呼んだ本について語り合うとすごく楽しい」というごく単純な事象を私に知らしめたのは以前の職場の女性の同僚である。それ以来、他人が「読んだ」という本はとにかく一度読むことにしている。
そんな風に「読んだ本を語り合う」知人は少ないながら何人かいるが、どういうわけかほぼ全てが女性。。。
どうも彼女らに私に不足しているかもしれない「知性」を感じるのである。女性のほうがたくさん本を読むんだろか・・・?!

早速、市内の図書館で検索すると貸出し中で何と「67人待ち」、最近出たものなのかずいぶん人気があるんだな。話をしたら持ってきて貸してくれた。
図書館で同じ著者の別の本を手に取って見たら、ものすごいグロい話だったので少しビビッていたんぼだが、「箱庭図書館」は今まで読んだことがない「ほっこり不思議な空間を持つ本」だった。
短編のように一話完結型なのだが、小さな街で主人公と思われる人とそのお姉さんはどれにも登場し、少しずつそれぞれの話題に「絡み」を持っている。
どうやら主人公にはかなりの部分、著者そのものが映し出されているらしい・・・
活字中毒で四六時中本を読んでおり、何回も車に跳ねられたり、凍死しそうになった姉と自分(主人公)が小説家になるまでのいきさつなど、まるで本人そのもののようにも書いている。この著者はずいぶん悪戯っぽく読者を独特のワールドに引き込んでしまう。

閉店間近のコンビニの店員二人、入って来た強盗にカッターナイフを突付けられ、たまたま後から来た警官に悟られないように演技するのだが、実は・・・「コンビニ日和」
クラスでいじめられているわけではないが、自意識が過剰で仲間の輪に入ることがどうしてもできない男子生徒、一人しかいない文芸部の女子部長とだけは普通に会話することができた・・・「青春絶縁体」
拾った鍵の合う扉を探し回る小学生、殺人事件に巻き込まれて不思議な体験をする(エンドはちょっと怖い)・・・「ワンダーランド」
トランクで昼寝をしていたら、その車が動き出してしまい、真夜中に不思議な子供だけの王国と遭遇した女子高生・・・「王国の旗」降り積もった雪の上に不可思議な足跡を見つけた暇な大学生、どうもその足跡は「平行世界」の人のものらしい・・・「ホワイトステップ」

内容を詳しく書いてしまうとまだ読んでいない(けど読もうかと考えてる)人に怒られてしまうから、「見出し」みたいになってしまったが、私は「青春絶縁体」が一番ほっこりしていて好きだ。どの短編にも「独特な不思議世界」があるが、最後の「ホワイトステップ」はものすごく切ない。。。(これはやばい)
またどの話にも「何となく言いたいことがわかる」ようになっている。乙一氏?というのはネームくらいしか知らなかったが「箱庭図書館」(と言うタイトルの中にも?)にはたくさんの仕掛けがあり、かなり「持ってる」ような気がする。
「人が読んだ本を読む」という無責任極まりないポリシーで色々なジャンルを乱読してきた。「語り合うと楽しい」以外にも「映画化されたものを見ると比較できて面白い」「『あとがき』を読むとさらに著者の思いが伝わりやすい」・・・などなど色々と教えられた。
子供の読んだ本、というのも侮れない。「西の魔女が死んだ」「震度0」「告白」「ブレイブストーリー」「犯人に告ぐ」「もしドラ」などなど語り合うには十分な中身を持っているし、他の人に勧められるほどよくできている。
どちらかと言うとじっと家にいることがまずないから、帰宅や遠距離通勤時くらいしか読む機会が減ってしまったが、本について感想を言い合える本トモは増やしていきたいものだ。

歴史の勉強

2011-05-24 17:12:45 | 書籍
「成績を気にするなら問題になるのは『実技4教科(音楽、保険体育、技術家庭、美術)』である。サボらずにやっていれば主要5教科など全部100点でも不思議ではない」
別に驚くことを言っているわけではない。それほど今の中学課程は易しくなってしまったのだ。
「ゆとり教育」の弊害でグローバルにも学生のレベルが下がってしまい問題視されて久しい。
子供らも何となくそれを感じているらしく、その気になった者はどんどん先へ進んだり、お受験したりと「格差」が広がっている。

今更思うが私は「勉強すること」「学ぶ」ことがかなり好きだ。学業が現役のときは「受験」などという邪念があったからそれほど楽しんではいなかったが、子供の授業参観などに行くと「こんな面白いことは他には少ない」と思えるほど夢中になれる。手を挙げたことも2度や3度ではない。もしも「たまには、保護者の方を・・・」と指差されたら、どんな知的で面白い応えを披露しようか、といつもシミュレーションしている。

もう少しすると中間テストの時期になるというのに、息子甘辛は全く「社会」を勉強しようとしない。。。「退屈でつまらん」と言うのが単純ないいわけである。
2年生になって社会は「歴史」という分野になっている。歴史小説を読み漁ってきた私にとって、「小説より奇なる」はずの歴史が退屈というのはなかなか理解しにくいのだが、実は自分にとっても経験はあるのだ。
学校の教科書や授業そのものがはっきりって「つまらない」のである。

先日の授業参観でもそうだった。。。うちの学校は昔に比べて保護者に気を使っているのか、授業参観は土曜日にあり、しかも5時限ある教科のどれを参観してもよい。
保護者が教室の後ろにずらりと並ぶスタイルではなく、中には数人いて他の親は別の教室に行ったり、とかなりオープンだ。
午前中、太極拳の入門教室があったからその後駆け付けるとちょうど「国語」の授業だった。
「類義語」「対義語」の勉強だったようだが、プリントをもらい損ねた甘辛は退屈そうに外を眺めていた。
午後からの授業が「歴史」だった。徳川幕府が成立直後の大名の種類やその領国の配置、石高、などを表す「ぬり絵」をやっていた。
後で教師になったばかりと聞いた先生には申し訳ないけれど、後ろで見ていてあの絢爛豪華で激動の戦国末、安土桃山時代をどうやったらあんな退屈な話にできるのか不思議でしょうがなかった。。。
そう言えば私たちの頃も「授業での歴史」というのはホントに面白くなかった。共通一次でも選択しなかったし・・・

「あの辺の物語なんか、『花の慶次』読めば全部わかるだろ?戦国武将も『戦国バサラ』でほとんど知ってるぜ」

うーむ。甘辛が言うこともわかるが。。。どうもこれは一時期流行った「歴女」のノリだなー。
彼も(マンガでない)本は結構読んでおり、「平成教育学院」などでは私の歴史話についてこれるし、今や知らない人はいなくなった「直江兼続」も「天地人」のはるか前からファンだった。
確かに「歴史物語」と「史実」は違う。授業で教えたいのは時代考証や文化・政治であろうことはわかる。
しかし私が今でも覚えている歴史のバイブルは「まんが日本の歴史」だった。。。テスト前に教科書をノートにまとめてポイントを覚えるなんて「作業」は苦痛以外の何物でもない。

同級生どおし、よくやったのが「問題ごっこ」だ。教科書や副読本から「クイズ形式で問題を出し回答させる」というたわいないゲームのようなことを交互に繰り返す。
基本の問題は時間勝負となるが、教科書の隅に「保険契約の免責事項」のように小さく載っているマニアックなクイズに答えられると周囲から「へえー、すげえ」という羨望の眼差しを受ける。
女子も交じっていたりすると、この眼差しがまた気分のよいものなので、かなり気を入れて覚えるようになる。
まさしく「邪念」を原動力にした勉強法だが、おかげで中学時代の定期試験で2回だけとれた100点満点は「社会」だった。
見ていると息子甘辛もノートと鉛筆で勉強しようなんて気はさらさらなさそうだ。教科書なんて重いから学校に置きっぱなしなんだって。うーむ。けしからん・・・仕方がないから「教科書ワーク」という問題集を買ってきて、夕飯時に息子に持ちかけた。

「オレが問題を出すから、答えを言え。その次はキミが問題を出してオレが答える。これを繰り返すがオレへの問題は30年以上たったハンデとして年号系はなし」

甘辛は面白がってノッてきた。正解すると先日惜しくもお亡くなりになったアタック25の児玉清さん風に「その通り!」。不正解のときはベルトクイズQ&Qで間違えたときの音。
鎌倉時代から室町時代、戦国期を経て江戸時代前期あたりが範囲かなー。やっぱり「花の慶次」だけでは「勉強」としては全然足りないが、かの「トリビア」っぽい話に「かこつける」と簡単に覚えられる。何せマンガは覚えようとしなくても頭に入ってくるのだから。。。
家族3人で食事の後の時間、私はチーズをつまみに飲みながらだし、テレビ付けっ放しだし、およそ「机で勉強」とはほど遠い。親は二人とも飲みながらやっているのでだんだん話が脱線してくる。

「基本問題です。1637年『島原の乱』を起こしたのだは誰か?」

「父ちゃん、そんなのかーんたんだよ。天草四郎時貞だろ」

「の、生まれ変わりは?」
「美輪明宏!」答えたのは当然、妻だった。。。

「教科書にはない問題です。徳川2代将軍と3代将軍の名に含まれ、謎の僧『天海』として・・・」

「ぎゃーはっはっは。父ちゃん、それ都市伝説だろ?ズバリ『明智光秀』!」今回の中間テストも歴史はあまり期待できなそうだ。。。

私が甘辛達くらいのとき、最初に出会った本格歴史小説は山岡荘八の「織田信長」だった。やはり戦国時代を代表する武将が入口だったが、亡き父親が大ファンだったのである。
その後、同氏の著作で秀吉も家康も読んだが、どれも信長ほどの輝きはなかった。
今読み返すと、あの著書の信長はかなり英雄として「美化」されていると感じるが、秀吉は先の都市伝説が少し入ってしまうし、家康は何と言っても長すぎる。。。

その後、戦国時代での座右の名著(そんな言葉ないよ)は司馬遼太郎の「国盗物語」となり、幕末の「竜馬がゆく」を経て彼の著書はすべて読み漁るに至ったのである。
戦国と幕末・維新にかけては、様々な文庫で様々な著者が描いた様々な人物・事象を「物語」として読んだ。
歴史考証や史家が語る○○時代などという、教科書チックなものには興味を示さなかった。そのうち(まだまだいっぱいあると思うが)図書館でネタを探すのも苦労するようになり、興味は「中国古代史」に移っていった。(我ながらえらい飛躍だが、日本史の他分野にはあまり興味を持てなかった)

「物語は史実とは異なり、読み手の興味を引くようなフィクションが多数ある」当たり前のことだ。だからこそ小説家たちが残存物、語り継がれ、などからあれほど鮮やかに登場人物像を蘇らせるのが「すごい」と思うのである。
何せVTRや写真がなかった数百年も前のことは何が「正しい史実」などは誰もわからないし、わかってもあまり意味がない。
何せ「1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府」が「1185(イイハコ)作ろう・・・」にもなろうとしているらしいのだ。

私は「歴史」は立体的に理解しようとすると楽しいと思っている。その時代に登場したとされる人物の本を広く読んでいくと、何となく自分なりの「時代像」ができてくるのである。もちろんフィクションや著者の『思い』がふんだんに入っているのは承知の上だ。
それは自分の「好み」と「思い込み」に満ちているかもしれないが、真実が何だったのかがわからない以上、ちゃんとしたものを持っているかどうか、何かについて語れるかがどうかが大事だ。
どうせなら昔、その人が活躍したであろう場に立ったとき、「想いを馳せる」ことができるほうがよい。
これから日本だけでなく世界のそういう場所をたくさん訪ねてみたいものだ。

ザッツ・はいすくーる

2010-10-12 04:33:43 | 書籍
息子甘辛が中学生になって通いだした塾で面白い高校ガイドブックをもらってきた。
「実際に通ってみなけりゃわからない各高校の『学校事情』を現役高校生が一挙公開!!」というヤツだ。
まだまだ高校受験には早いのだが、なかなか熱心な塾で卒塾生に寄稿を頼んで編集したらしい。
県内や東京の国公立・市立134校がずらりと並ぶ分厚い冊子だ。「制服イラスト付き」というのが面白い。女子の制服イラストはその学校の生徒が描くそうだ。

こりゃあ面白そうだ。オレの母校はどこかなーとパラパラめくっていたら、なんとトップバッターに出ていた。。。(もちろん別に優秀な順番ではない・・・)
むろん自分が通う高校生の寄稿だから悪く書くはずがない。例えばイントロは
「・・・とにかく『自由』で、自分の好きなことに全力で取り組んでいる人が多く、高校生活を満喫できます。でもやる時はやる!切り替え上手な生徒たちが集まっています。生徒同士の仲が良く、上下のつながりがすごい。先輩は何でも教えてくれる!」

▼環境
住宅地の中なので静か。だけど小学校が近くにあって、たまにかくれんぼの声が・・・。住宅地の裏道を通って通学するのがお気に入り(笑)。天気のよい日の4階からは絶景がっ。地域の美しい自然を一望できる。
(おーっ。オレも隠れチャリで30分かけて裏道から通ったぜ。年に何回か取り締まりがあり、ながーい鎖でチャリが繋がれてしまうんだ。。。)

▼自慢の設備
校舎がきれい。「海」「船」をモチーフにした建物です!丸窓があったり、まさしく地域にふさわしい感じ。広くてきれいな多目的ホール、合宿ができるセミナーハウス、4万冊以上の本と自習スペースがある図書館・・・・・
(私が卒業してから、きれいな校舎に立て替えてしまったんだ。。。実は図書館で借りた「微積分」と「行列」の参考書、返しそびれてまだ持ってるんだ。あそこの無愛想な館長、『らいぶら爺』と呼んでいたがまだいるのかな)

▼学生食堂
購買は早く行ったほうがいい。でもちょっと高い。駅前のYAMAKAのほうが安いという声も・・・でもパンがおいしいです。みんな休み時間に食べている。学食は月曜日限定のカツ丼、金曜日限定のからあげ丼がおいしい!
(我々の時はランチとカレーライス、さらにランチのライスにカレーをかけたランチカレーだけだった。正面入り口の横にあるハ●ピンというラーメン屋のとろみ付き「もやしそば」が伝説だったが、この前行ったときにまだあった!しかも当時チビだった子供が店主・・・)

▼教師
個性派ばっかり。「良い意味」でも「悪い意味」でも。でも基本的は面白い人が多い。HRとかは「まあ、勝手にやっといて」って生徒にまかせる。けど、質問すれば、ていねいに教えてくれる。授業のスピードが速すぎるので、気を抜くとまるで異世界にワープ。当てられたときにバレます。
(進学校に違いはないが、優秀な教師ばかりとは限らなかった。「その人に習った年数だけ浪人する」という「ポケ」というあだ名の伝説の数学教師は今どうしてるかな。)

▼行事
対組競技(バレー・卓球・水泳・バスケ・サッカー・駅伝・バドミントン)、陸上記録会、文化祭、合唱コンクール、体育祭、スキー教室、芸術鑑賞会
すべてに全力投球です。体育祭の盛り上がりはハンパない。1~3年の縦割りでカラーに分かれてさまざまな行事に取り組みます。3年生は倒れるんじゃないかっていうくらいがんばる。2~3年はクラス替えがないから準備から一生懸命。クオリティ高いです。
(ははは。対組は選手制だが私は卓球、バド(当時はテニス)以外は全部出たぞ。3年の体育祭の後、ホントに倒れたクラスメイトがいた)

▼その他
男女交際自由!入学1、2ヶ月で付き合い始めた人も。朝だってみんなが歩いていようが手をつないでいる。。。体育祭とその後のカラキャンでは「マジック」も。
放課後ライフの基本は部活。でも遊んだって勉強したってそれは自由。楽しい放課後ライフがおくれるはず。
(どちらかと言うと運動部の天下だったな。息子はサッカーの名門校に行きたいらしいが、とにかく「驚愕(もとい!共学)」がお勧めだ。)
▼OBの有名人
・・・・・・・・
バレバレになるからストレートに書くのはやめておこう。。。あまり好きになれない「知事」やアナウンサー、キャスターなどそこそこ有名人はいるけどイマイチパッとしなかった。
ところがである。最近恐るべき超人間がいることを知った。

なんと・・・それは「ノーベル賞」であった。

もしドラ

2010-10-06 17:51:44 | 書籍
小夏さん風に「もしもドラゴンズが日本一になったら」ではない。。。
甘辛風に「もしもし、ドラ焼き食べませんか?」でもない。。。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」である。

私は図書館や本屋が好きで、毎週のように足を運び1,2時間は平気で時間を費やす。
しかしセコいわけではないつもりだが、自分で書籍を購入することはまずもってない。。。
どういうわけか、旅先で思わず買ってしまうお土産のように、高い確率で「はずす」のである。
本屋の店頭に並ぶベストセラー本や新刊本など結構チェックし、パラパラめくってみることは多い。
わざとそうなるように作ってはいないと思うのだが、パッと開けたページは不思議に実に興味深いことが書いてあるものだ。
「こりゃあ、面白そうだな。久々に買って読んでみるか」と購入して喜び勇んで家に帰り、読み始めると「頭を抱える」ような駄作であることが多い。

もう、何度も同じような「はずし」を経験して、ほとんど自分で購入することはなくなってしまった。
その代わり(多少ズルだが)「人が薦める本、人が読みたいと思っている本」を選択するようになった。
他人と言うのは友人であることもあるし、家族であることも同僚であることもある。(上司であることはないのが臍曲がりなところだ)
この他力選択読書にはたくさんのメリットがある。

・自分で思い悩み、気に入った本に巡り合うまでの手間がないから、内容に不満が少ない
・自分とは違う他人の考え方、好み、人となりを知り、世界を広げることができる
・その他人と共通の本を語らうことによって、読書の楽しさが倍増し新たなことに気付ける

これはコミュニケーションをよくするために絶大な威力を発揮する。8割方は退屈しのぎ(つまり何でもよい)だが、息子甘辛の読む本を借りて読むと彼らの年代の考え方や流行りなどが何となくわかって会話も進む。
妻もそうだが、読んだ本について感想を聞いたりすると、結構好みやものの感じ方が全然違うことに気付くものだ。
半分マンガかもしれないが、私が息子甘辛と内容について言及するときなど、「主人公がどのシーンでなんとつぶやいたか」(子供はこういうことを実によく覚えている)なんてことを平気で口にする。
知らない人が傍からみていたら、何の会話をしているかさっぱりわからぬだろう。

さて、もしドラの話題である。本屋の店頭に長く飾ってあり、結構目を引いたので気になっていたが、いかにも「キワモノ」のようにも見え、手を出さずにいた。
それが妻が読みたいと言い出し、息子も読むというので、久しぶりに購入してきた。当初はあまりの突拍子なタイトルにあの「ドラッカー」とは思わなかったぐらいである。
ずいぶん前に図書館でドラッカーそのものではなく、「ドラッカーの語ったことについて書かれた本」を読んだことがあったので、むろんは興味はあった。

本の内容を詳しく紹介してもしょうがないが、長ーいタイトルと女子マネとドラッカーという突拍子もない取り合わせがウケたのかベストセラーになっていたようで、今朝もズームインで取り上げられていた。
私も確か以前このサイトで「女子マネというのは一体何をしたいのか」というようなことを書いた覚えがあるので、それこそあっという間に読み終えてしまった。

「ひょんなことから野球部を担当することになった主人公の「みなみ」は「マネージャー」→「マネージメント」という単純な発想から参考書としてドラッカーの著書と出会う。
企業経営のバイブルのような書籍に戸惑うが、その思想は「野球部のマネージャー」としての強力な味方となっていく。
野球部員、マネージャー、顧問、親友が「マネジメント」における各々の役割を果たし、最後に野球部は甲子園出場を決める。」

まあ、ざっとあらすじはこんな感じだが、やはり自分で書いていてもストーリーにかなり無理があるような気がする。ネットでの書評を見ても結構賛否両論あるようだ。
だが、ドラッカーという人は「経営学」というよりも「経営哲学」の祖と言ったほうがあっているような、あらゆる社会・人間の生き方に通じる知性を持っていると感じる。
ここまで分かりやすくあてはめられると入門書としては素晴らしいと思う。(現に中学生の息子でもホイホイ読んでいたから)

例えばひとつだけ紹介しよう。「みなみ」は野球部とは何か?という問いを自分に投げかける。「マネジメント」には・・・

「自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと、思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄をつくり、鉄道会社は貨物と乗客を運び・・・・・しかし・・・答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。」

「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは、輸送手段ではなくステータスだ」と言って破産寸前のキャデラックが救われた逸話をヒントに、親友「夕紀」の涙の訴えを思い出して結論づけるのである。

「野球部のするべきことは『顧客に感動を与えること』」

なかなか見事なこじつけ(もとい!適用)ではないか・・・
ほとんど数時間で読み終わってしまうが、「なるほどねー」と引き込まれるところもいっぱいあった。大昔読んだ「マンガ:相対性理論」みたいに、「真面目にモノにするには手強そうで二の足を踏むがサワリだけでも知っておきたいよねえ」という人には手頃(実は私にも・・・)な書籍だった。
珍しく休日に家でごろごろ途中まで読んでいた私は、既に読み終わっていた息子甘辛に思わず訪ねた。

「なあ甘辛よ、もしかして最後に「夕紀」ちゃんは・・・・のか?」

「そうなんだよ。」彼は少し寂しそうに答えた。妻もどうやらその部分とラストがイマイチ気に入らないらしい。。。

私は迷わずこの本の原点となったドラッカー当人の「マネジメント」(エッセンシャル版)を購入してきて読み始めた。
「もしドラ」には引用頁が書いてあるから、どんな単元で書かれているか見るのは便利だ。
そして・・・さらに原著「MANAGEMENT:TASKS,RESPONSIBITLITIES,PRACTICES」をAMAZONで注文するのである。
ふ、ふ、ふふふ。手強いだろうが、PFドラッカーの原典であれば、彼の名言は満載されているであろう。それら(英語)をさりげなく引用できるようになったらクールではないか。
セカンドハウスでのライフワーク候補がひとつできたぜ。

「もしドラに出てくる「マネジメント」(エッセンシャル版)買っといたぞ。難しいかもしれないが、読んでみな」

「おう、オレ、もしドラ5回くらい読んじゃったからな。」

甘辛はマンガでも普通書でもじっくり読むことはなく、ぱーっと読む「斜め読み」を繰り返すスタイルだ。あまりに速いのでホントに読んでんのか?と色々質問すると、要所は抑えているようだ。
(でもさすがに「マネジメント」はまだ無理だろな・・・)

「そうか。。。オレなんか本人の原典を取り寄せるんだ。英語版だぞ」

「父ちゃん、やるなあ。。。」

「オレに『やるなあ』とか言うな・・・」

実際、和訳されている「エッセンシャル版」でも結構とっつきにくいのだ。(どうも飽きる)
「P・F・ドラッカーをモノにする」のに難儀を極めるだろうが、そのうちこのサイトでも引用文が登場するだろう。