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なぜ、病院に広報(コミュニケーション)が必要でしょうか?
これは、マスコミをはじめ多くの立場から発せられる言葉です。
つまり、医療というほぼ技術の自己完結型の世界に、
コミュニケーションなどという、
人間的かつ感覚的な様相は必要ないのではないかというのです。
この言い方も、実はヘンですが、
要は、持続的で安定した経営を行い、患者さんに安心して受診してもらうには、
すべてお任せいただいた方がいいし、そこに情報提供という面倒な仕組みはいらないが、
「多様な経営環境にうまく適応していく」には、利用者や関係者の理解・応援が欠かせない。
そのためには、経営環境といえる、
さまざまな社会(公衆)と日々「広く対話する」ことが必要になるということです。
自らが「どのように社会に役立つか」の言明と、
組織(地域を共にする市民)としての社会的責任を果たし、
その「姿勢」を示すこと(情報)が大切だというわけです。
つまり、医療の成立基盤は社会の善であり、
常に公平で真実の情報提供が求められる。
だから、なるべく情報を提供し、理解と信頼の環境のなかで、
いい医療を提供していきたいという”思い”がここにあると思います。
それは、全くそのとおり、どの病院にもある理念のとおりなのです。
しかし、やっぱり何か物足りない気分にさせます。
コミュニケーション、それは「伝達」、伝えることでしょうか。
多くの情報があれば、病気が改善するでしょうか。
そこには、情報そのものの質、
ただ、あるからいいというのではなく、
その人なりの、その人の状況に対応した、たった一つに集約できるだけ情報がほしい。
この続きは、次回に。
写真は、昨年の平等寺に咲いた桜満開です。
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