ぽかぽか春庭@アート散歩>明治の館、大正のお屋敷、昭和の邸宅(17)和敬塾本館(旧細川護立邸)
東京近辺「おやしきめぐり」のつづきです。以前に紹介した洋館和館、写真を掲載したお屋敷もあるけれど、2012年以前のカフェ日記へには写真をUPしていなかったので、改めて写真を載せたいと思って、古いファイルを引っ張り出しています。
今回は、2011年の東京文化財公開のおりに、ウェブ友yokoちゃんといっしょに訪問した和敬塾本館の写真をUPします。
このときの訪問記は、以下ををご参照ください。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/11/post_8890.html
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/11/post_1e5c.html
旧細川邸であった和敬塾本館

和敬塾は、東京文京区に建つ男子学生寮です。地方の由緒正しき良家の子弟を預かり、東京大学早稲田大学などに進学した坊ちゃまたちを卒業まで寄宿させます。
村上春樹(芦屋の坊ちゃまだった)のように、自ら「合わない」と感じて出て行く学生もいますが、おおむね共同生活のなかで生涯の友を得たり、年に一度の大運動会に熱を入れたり、楽しい学生生活を送るようです。
文京区の元細川侯爵邸跡地の7000坪に東西南北と乾(いぬい北西)巽(たつみ南東)の6寮が建ち、600名の男子が学生生活を送っています。
6畳か7畳の部屋に2食つき光熱費込み1ヶ月10万の寮費は、東京の物価では良心的な寮費ですが、我が家が応募しても決して息子を預かってはもらえないでしょう。我が家の息子くん、良家の子弟ではないんで。(ひがみ全開)

春庭が数年前に和敬塾のなかを部外者としてうろうろしたときも、寮生たちは寮の決まりをきちんと守って、「こんにちは」と気持ちのいい挨拶をしてくれました。みな、育ちのよさそうな賢そうな坊ちゃまたちでした。
本館は、1936 (昭和11)年に竣工した細川家第16代当主細川護立侯爵(1883-1970)の邸宅。現在は、寮生の教養講座や結婚式が行われています。
設計は、大森茂・臼井弥枝(ひろし)。地上3階・地下1階、建坪は約300坪。
食堂
階段室1階から
階段室2階

芸術家のパトロンとして画家や作家との付き合いが深かった細川護立侯爵。その孫が、細川護煕です。芸術好きな遺伝があったとみえて、政界引退後は陶芸三昧なんぞの趣味に生きていました。なのに元ライオン宰相に背中押されて木に登ろうとして、あえなく落下。
う~ん、意気込みはよかったと思うけれど、なにせ殿が首相をやめたときの原因が、年末にやめた知事と同じく「金をもらったのもらわなかったの」ということだったから、それについてはっきりした経緯を示さないままでは、なんだかすっきりしなかった。また、わけわからないお金もらって「やめる」となっても、困るし。
話がそれました。どうも、品性のない育ちだもんで。
おやしきは品格たかい、立派な邸宅です。
玄関ホール
居間(暖炉の上には「和敬」の額が。どなたか、立派な御仁の書でしたが、誰のだったか忘れました)(*ご一緒していただいたyokochannからのご指摘がありました。満州国ラストエンペラー溥儀の書だそうです2014/02/13)

一番気に入ったのは、3階の天井木組み。トラス構造が美しい。

そう、美しいものは万人がタダで楽しめるようにしていただかないと。
ちなみに和敬塾本館見学料は、お茶つきで千円でした。日頃は結婚式などに利用されている大食堂でのおちゃ、、、招待客の気分でいただきました。
<つづく>
東京近辺「おやしきめぐり」のつづきです。以前に紹介した洋館和館、写真を掲載したお屋敷もあるけれど、2012年以前のカフェ日記へには写真をUPしていなかったので、改めて写真を載せたいと思って、古いファイルを引っ張り出しています。
今回は、2011年の東京文化財公開のおりに、ウェブ友yokoちゃんといっしょに訪問した和敬塾本館の写真をUPします。
このときの訪問記は、以下ををご参照ください。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/11/post_8890.html
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/11/post_1e5c.html
旧細川邸であった和敬塾本館

和敬塾は、東京文京区に建つ男子学生寮です。地方の由緒正しき良家の子弟を預かり、東京大学早稲田大学などに進学した坊ちゃまたちを卒業まで寄宿させます。
村上春樹(芦屋の坊ちゃまだった)のように、自ら「合わない」と感じて出て行く学生もいますが、おおむね共同生活のなかで生涯の友を得たり、年に一度の大運動会に熱を入れたり、楽しい学生生活を送るようです。
文京区の元細川侯爵邸跡地の7000坪に東西南北と乾(いぬい北西)巽(たつみ南東)の6寮が建ち、600名の男子が学生生活を送っています。
6畳か7畳の部屋に2食つき光熱費込み1ヶ月10万の寮費は、東京の物価では良心的な寮費ですが、我が家が応募しても決して息子を預かってはもらえないでしょう。我が家の息子くん、良家の子弟ではないんで。(ひがみ全開)

春庭が数年前に和敬塾のなかを部外者としてうろうろしたときも、寮生たちは寮の決まりをきちんと守って、「こんにちは」と気持ちのいい挨拶をしてくれました。みな、育ちのよさそうな賢そうな坊ちゃまたちでした。
本館は、1936 (昭和11)年に竣工した細川家第16代当主細川護立侯爵(1883-1970)の邸宅。現在は、寮生の教養講座や結婚式が行われています。
設計は、大森茂・臼井弥枝(ひろし)。地上3階・地下1階、建坪は約300坪。
食堂

階段室1階から

階段室2階


芸術家のパトロンとして画家や作家との付き合いが深かった細川護立侯爵。その孫が、細川護煕です。芸術好きな遺伝があったとみえて、政界引退後は陶芸三昧なんぞの趣味に生きていました。なのに元ライオン宰相に背中押されて木に登ろうとして、あえなく落下。
う~ん、意気込みはよかったと思うけれど、なにせ殿が首相をやめたときの原因が、年末にやめた知事と同じく「金をもらったのもらわなかったの」ということだったから、それについてはっきりした経緯を示さないままでは、なんだかすっきりしなかった。また、わけわからないお金もらって「やめる」となっても、困るし。
話がそれました。どうも、品性のない育ちだもんで。
おやしきは品格たかい、立派な邸宅です。
玄関ホール

居間(暖炉の上には「和敬」の額が。どなたか、立派な御仁の書でしたが、誰のだったか忘れました)(*ご一緒していただいたyokochannからのご指摘がありました。満州国ラストエンペラー溥儀の書だそうです2014/02/13)

一番気に入ったのは、3階の天井木組み。トラス構造が美しい。

そう、美しいものは万人がタダで楽しめるようにしていただかないと。
ちなみに和敬塾本館見学料は、お茶つきで千円でした。日頃は結婚式などに利用されている大食堂でのおちゃ、、、招待客の気分でいただきました。
<つづく>
ご教示ありがとう。
ガイドさんの説明をきちんと聞いていなかったり、聞いても忘れてしまうHALなので、たいていのことは忘れてしまいます。
写真をUPするにつけても、自分がうすぼんやりとしか建物を見てこなかったことを残念に思いますが、こんなふうにテキトーな見学者も楽しめるのが建物散歩のいいところ。
これからも、建物散歩、おつきあいくださいね。