庭から見た駒井家
20181209
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記京都ほんのり秋色(7)駒井家住宅
ヴォーリス設計の東華菜館でご飯を食べた翌日は、ヴォーリズの住宅を見学しました。
1927(昭和2)年に建てられた、京都市左京区北白川伊織町の駒井家住宅。京都大学教授だった駒井卓(1886-1972)と静江夫妻の住宅として、大正の終わりから昭和のはじめにかけて建設されました。1927年夫妻が入居。
現在は、財団法人日本ナショナルトラストが、管理運営保護を行っています。
<きょうの建物>
道路から見た駒井家
個人住宅ですから、静かな住宅街の中にあり、とてもわかりにくい場所でした。
琵琶湖疏水分線(白川疎水)に沿った住宅街、なんとかたどり着き、本館、庭、温室、住宅の外観などを見て回りました。
家は木造2階建て。30坪の母屋に、離れ、温室などがあります。アメリカンスパニッシュ様式を基調とし、切妻屋根は赤色桟煉瓦葺。
外壁面はモルタルスタッコ仕上げ。
モルタルスタッコとは。モルタルは、セメント(主原料は石灰=漆喰)と細かい砂と水を混ぜて練ったものをです。大きな砂を混ぜればコンクリート。建築についてわかっていない私は、モルタルとコンクリートがどちらもセメントを基本としたものとは知りませんでした。スタッコは、セメントに塗料を混ぜ、さらに大理石など骨材を混ぜたもの。
駒井家平面図(駒井家見学配布資料より)
駒井家南面(暖炉の煙突のように見えるのは、通気口。駒井家には暖炉は設置されていませんでした)
1階サンルーム外側
26日に見学した大山崎山荘を建てた加賀正太郎は、ニッカウヰスキーにも出資していました。ウヰスキー醸造に生涯をかけた竹鶴政孝(1894-1979)をモデルにした朝ドラ「マッサン」。妻エリーの、スコットランドの実家としてロケ地になったのが、北白川伊織町にある駒井家住宅でした。
駒井静江とヴォーリス夫人一柳満喜子(1884-1969)は、神戸女学院の学友。満喜子の兄は、朝ドラ「あさがきた」のモデル広岡浅子の娘婿です。子爵家(元播磨小野藩主)令嬢の満喜子がヴォーリスと国際結婚しようとしたとき、周囲の強い反対があったのですが、浅子だけは賛成してくれたそうです。朝ドラつながりも、いろんな縁があるんですね。
玄関外側
玄関
食事室
邸内のピアノは、エリーが実家で弾いているシーンに使われたのだとか
リビング
リビングからサンルームを見る
和室
階段
階段てすりのカーブ具合、いいですね。
キッチン(設備は現代のものですが、当初の大正末期の台所として最新の設備だったとか。夫妻にはお子さんはいませんでしたが、女中さんは3人くらいいたそうです)
二階和室
二階 博士愛用というロッキングチェア
遺伝学実験のための温室(温室は文化財指定にはなっていませんが、博士にとっては大事な建物でした)
温室内部(現在は観覧者の休憩用にもなっています)
ベランダ
<きょうの庭>
ベランダから庭を見る
レストラン東華菜館の装飾は、客向けなのか、さまざまな意匠がこれでもかとくっついていましたが、駒井家はすっきりとした飾り気のなさ。学者が研究に没頭できるような雰囲気です。
<きょうの工芸>
レストラン東華菜館の装飾の派手なのに比べると、駒井家はすっきりとした飾り気のなさ。学者が研究に没頭できるような雰囲気です。
家の装飾もスッキリしたもの
1階から2階に物を上げ下げするときに使われた機械なのかもしれませんが、こうして残されていると、現代工芸のオブジェのような
遺伝学と言われても、赤い花と白い花がどの割合で子孫を残すかの図といっしょに出ていたメンデルの顔、二重らせんのDNA写真といっしょのワトソン&クリックの顔しか浮かばない。駒井博士と言われても、京都大学の遺伝学学徒ならいざ知らず、ヴォーリズ住宅に興味を持つまで、私はまったく知りませんでした。
遺族が、駒井博士の事績を後世に伝えたいと、土地家屋敷をナショナルトラストに寄付した甲斐あって、浅学春庭も、駒井卓博士は、動物遺伝学の研究をした人だということを覚えました。きっと世のため人のために役立った一生だったのだろうと思います。
夫妻には子供がいなかったということなので、1972年に博士が、1973年に夫人が亡くなるまで、ふたりの静かな暮らしを支えた家、とても穏やかな気持ちになれるすてきな住まいでした。
<きょうの京わたし>
駒井家の絵葉書1セットを買ったら、おまけとしてヴォーリズが設計を担当した駒井静江夫人の母校平安女学院のスケッチ絵葉書をもらいました。
待ち合わせをしていた大阪のアントニオ兄は「ヴォーリズ住宅は近江八幡でたくさん見た」と、駒井家にはあまり心惹かれないようす。ちゃっちゃっと一回りしただけでしたので、先に来てゆっくり見ておいてよかったです。
つぎは、兄のご案内に従って、同志社大学へ。
<つづく>