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ぽかぽか春庭「岡崎乾二郎展&開館30周年記念 in 現代美術館」

2025-06-22 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250622
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩緑陰(6)岡崎乾二郎展&開館30周年記念  in 現代美術館
 
 5月の第3水曜日シルバーデーは、現代美術館へ。館内には3つの展示があり、すべて65歳以上は無料です。

 企画展。「岡崎乾二郎 而今而後」は、現代美術館の真ん中部分の1F2F3Fをエスカレータでのぼっていって観覧。2020年までの仕事、2022年からの仕事、さまざまなプロジェクトなどのテーマ別に展示されていました。

 

 脳手術後(而後)の作品
 

 

 

 岡崎乾二郎は、絵画、立体作品、建築、論評、絵本、ロボット制作。アートにかかわるあらゆるジャンルを手掛け、自分の世界を作り出してきました。凡人にはつかみかねる広大な世界。
 岡崎によれば「造形とは私たちが世界を捉えるその認識の枠組み自体を作り変える力です。すなわち、認識を作り変えることで、世界の可塑性を開放し、世界との具体的なかかわりを通して、認識の可塑性を取り戻すことです。造形とは、この二つの可塑性を実践的に繋ぎなおすこと、而今而後これから先、ずっと先も。なんどでも世界は再生しつづける。

 6月22日の日曜美術館が岡崎乾二郎特集だったので、これから現代美術館は混むかもしれません。5月中に見ておいてよかった。
 日美では、脳手術の後遺症で手が動かなくなって以後、動かない手に「鉛筆が持てない人のためのエンピツ」を握って絵を一日一枚描き始めたというエピソードが語られました。あらためて絵を描くことの楽しさに目覚めたと言います。而今而後の意味もようやく腑に落ちました。

 1F と3Fに展示されているコレクション展。「開館30周年記念 MOTコレクション9つのプロフィール 1935→2025」。テーマや年代別に日本の現代美術を俯瞰する展示です。


 現代美術館の口上
 東京都現代美術館は、今年開館30周年を迎えました。東京都美術館から引き継いだ作品を含む約3,500点で開館した当初の常設展示では、コレクションの中から「精選された代表作」によって第二次世界大戦後の日本の前衛美術を始点に、国際的な視野から「現代美術の流れをわかりやすく示す」ことを主眼としていました。
 その後、作品の収蔵を続けることで新たな視点が加わり、この「流れ」は様々に枝分かれし、変化します。2005年以降は、「MOTコレクション」展として、会期ごとに個々の作家に焦点をあてたり、横断的なテーマでメディアや制作年代の異なる作品を対比したりするなど、多角的な切り口を設けて所蔵作品を紹介しています。

 1935年から90年間の「現代美術」について、「視点」を鑑賞の中心にして9つの部屋に分けて展示してあります。私は例によって、順番にではなく、人の数が少ない部屋を選んで歩き回ったので、年代はごちゃごちゃになっていますが、もとより現代美術は新旧の区別など私にはわからない作品が多いのですから、「現代美術の流れ」についてはわからないまま、気ままに見て回りました。ずらりと並ぶ現代美術。作品タイトルと作者名はプレートに出ていますが、ひとつひとつ照らし合わせることもしなかったので、どれがどれやら。

 

 色と形で現代美術を見ているので、1935年の鶴岡政男《リズム》と、2011年の淺井裕介「泥絵・素足の大地」の作者やタイトルを入れ替えてキャプチャーがついていても、現代美術に弱い私には、どっちがどっちか区別できませんが。

 鶴岡政男「リズム」1935 (1954) 

 淺井裕介「泥絵・素足の大地」2011  


 たまに、私でも作者名を知っている画家もいます。

 草間彌生「戦争の津波」1977  「戦争」1977 もうひとつ「無名戦士の墓」の3作品が並んでいました。色鮮やかな水玉の印象が強い草間作品ですが、戦争というタイトルだと、暗い色調になるのですね。

「戦争の津波」         「戦争」
  

 りんごを描いた三作品が並んでいます。えっ、セザンヌ?。セザンヌのりんごとオレンジなら、よく知っている。福田美蘭のパロディ(パロディじゃなくて、オマージュだと画家は言う)も、展覧会で見た気がします。(2013年東京都美術館)。

 でも、3つも並んでいるセザンヌ。よく見ると。
 森村泰昌「批評とその愛人B」  「批評とその愛人C」
 

 制作過程は。 
 ①セザンヌの《リンゴとオレンジの静物》(1895-1900)を撮影したものをもとにして三次元模型を作る。(白いテーブルクロスの上のりんごは、三次元にするとテーブルからころがり落ちるので、とめておかねばならないが)
 ②三次元の「セザンヌのりんごとオレンジ」を写真に撮る。この写真をもとに『批評とその愛人 A」を制作する。
 ③立体「セザンヌのりんごとオレンジ」写真にコンピュータやイメージスキャナによりりんごの数を変えた『批評とその愛人B』を制作。
 ④「セザンヌのりんごとオレンジ」写真のりんごにコンピュータ合成により、森村泰昌の顔を加える。『批評とその愛人C』

 森村泰昌「批評とその愛人 C」のりんごの顔は自画像。森村の「美術史の娘」や「ゴッホ」に扮した一連の作品のひとつです。
 自画顔りんごを見ていると、こんな顔がついていたら、とても包丁で皮剝く気はなくなる、と思う。
 
 現代美術は、抽象画の流れ、シュールレアリズムの流れ、福田美蘭や森村泰昌のような批評性を加えたパロディ(じゃなくて、オマージュ)などがあります。私はこのパロディ(じゃなくてオマージュ)が好き。次はシュールレアリズム。純粋な抽象画は、色と形が自分に合うかどうかの問題。
 3つ目の地下の展示。映像展示「シャハナ・ラジャニによる回復のための四つの行為」は、もはや体力尽き、「死と生。聖廟と聖人。失われつつある世界」というようなことを表現しているらしいのだけれど、受け止める感性がひからびてしまっていました。シャハナさん、ちゃんと見ることができなくてごめんなさい。

 ということで、現代美術館前から新橋行のバスに乗り、銀座の中をバスで通過する。都会の眺めをぼうっと見ながらかえりました。和光はじめ、銀座の町と行きかう人々を見て、インダスデルタの水と川と海のごちゃまぜの世界も銀座の店と人のごちゃまぜと、岡崎乾二郎の色彩の氾濫と、もうごった煮になった世界の中を帰りました。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「戦後西ドイツのグラフィックデザイン モダニズム再発見 in 庭園美術館」

2025-06-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250621
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩緑陰(5)戦後西ドイツのグラフィックデザイン モダニズム再発見  in 庭園美術館

 ドイツデザインときくと、バウハウス以外には知らないのだけれど、今回の展示では、戦前のバウハウスから戦後のモダニズム継承まで、デザインの歴史を、すなわち東西ドイツの分裂と統一の流れをデザインを通じて俯瞰できました。 

 庭園美術館の口上
 ドイツでは1919年にバウハウスが創設され、モダンデザインの思想と新たな造形教育によって世界に多大な影響を与えるも、1933年に廃校となります。その後勃発した第二次世界大戦での敗戦により、1945年にドイツは東西に分断されます。1990年に再び統一されるまで、ドイツ民主共和国(東ドイツ)とドイツ連邦共和国(西ドイツ)の二つの国が誕生しました。
1953年、西ドイツにはバウハウスの理念の継承を目指したウルム造形大学が開設されました。同校は、1968年に15年間という短い期間で閉校することになりますが、デザインの理論と実践を発展させ、デザイン教育の分野でも大きな足跡を残しました。1950年代末には、GNP(国民総生産)が世界2位となり、「経済の奇跡」と称されるほど、西ドイツは経済的躍進を果たしましたが、その背景には、商業と密接な関係にあるグラフィックデザインの存在が挙げられます。また、1972年のミュンヘンオリンピックや国際的セーリング・フェスティバルの「キール ウィーク」、4‐5年ごとにカッセルで開催される現代美術展「ドクメンタ」など、国家的イベントのイメージ形成にもグラフィックデザインは大きな役割を果たしました。
 本展は、デュッセルドルフ在住のグラフィックデザイナーであるイェンス・ミュラー氏とカタリーナ・ズセック氏によって収集された「A5コレクション デュッセルドルフ」が所有する戦後西ドイツのグラフィックデザイン資料の中から、幾何学的抽象、イラストレーション、写真、タイポグラフィの観点から選ばれたポスターを中心に、冊子や雑誌など多彩な作品を展示します。バウハウスやウルム造形大学が提唱したデザイン教育を基盤としたモダニズムを継承しながらも、戦後の新しい時代の表現を追求した西ドイツにおけるグラフィックデザインの世界をお楽しみください。

 

ハインツ・エーデルマン「イブ・モンタンシャンソンレコードジャケット」1963
ハインツ・エーデルマン「イエローサブマリン映画ポスター」1968
 

 ディーター・フォン・アンドリアーン「ドイツ交通展」1958
                  ヴァルター・ブレーカー「」1967 
  

新館展示室
 

玄関で            正門横の看板
 
  

 身の回りを、あらゆるデザインが取り巻いています。私たちの生活を豊かにするデザインもあるし、居心地悪く感じさせるデザインもある。
 デザインの歴史を俯瞰することによって、さまざまなデザインの可能性が広がっていることが実感できました。
(20250312に観覧)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「エマーユ梶光夫コレクション展 in 西洋美術館」

2025-06-19 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250622
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩緑陰(4)エマーユ梶光夫コレクション展 in 西洋美術館

 梶光夫という名前をご記憶の方、団塊世代にどれくらいいらっしゃるでしょうか。彼の最大のヒット「青春の城下町」がHALにとって中学生らしい懐かしい思い出とともに残っていますので、耳に響く曲のひとつになっています。(中学校では音楽部に所属し、田舎町の音楽室の中で歌謡曲など歌ったら叱られるという時代でした。私自身、小学校のころから音楽部で「モルダウ」とか「アルルの女」などを練習するのが楽しくて、演歌や歌謡曲など目じゃないと思っていた生意気盛りの中学生でした。今では演歌も歌うし、青春歌謡も「昔なつかしい曲」と思ってくちずさみます)。

 梶光夫さんは、青春の城下町大ヒットのあとも活躍を続けましたが、父親との「芸能生活は5年間限り」という約束どおり、1970年には芸能界を引退し、家業の「スイス時計店」で宝飾品や時計を扱う仕事に就きました。宝飾デザインコンクールで入賞したことをきっかけに、デザイン修行にアメリカ留学。ジュエリーアーティストとしてエマーユ作品で評価されます。エマーユとは英語ではエナメル。日本語では七宝です。

 梶さんは米国宝石学会(G.I.A. )グラジュエート・ジェモロジスト(G.G.)の称号を取得。ジュエリーデザイナー、宝石鑑定家、またエマーユコレクターとなり、アールヌーボー時代などのアンティーク蒐集・研究家としても知られています。膨大なコレクションのうち、よりすぐりの250点を東京西洋美術館に寄贈し、このたびその全品が「梶コレクション展・色彩の宝石エマーユの美」として公開されました。

 西洋美術館の2階へ行ったところ、目の前に梶光夫さんがファンに囲まれていました。ミーハーお婆HAL、ミーハー魂を発揮せずになんとしよう。ファンのおマダムたちが少しとりまきの輪をゆるめたところにさっと入り込み「青春の城下町のころからのファンです」と近づき、握手してもらいました。わぁーい。梶さんを取り巻いていたおマダムたちは、指輪ブローチブレスレットペンダント、それぞれが全身にエマーユを身につけています。あとでマダ~ムのおひとりに話を聞いたところ、広尾にある梶さんのミュージアム 「エマーユ七宝美術館」のショップや、梶さんの息子さんがジュエリーデザイナーとなっている店などでお買い求めになったお得意さんらしい。 

 2階企画室。版画などの企画が多い展示室ですが、今回は寄贈されたエマーユが展示室いっぱいに並んでいました。
 アンティークのエマーユ、芸術性の高いデザインのエマーユ、梶さん自身のデザインなどが展示されています。おマダ~ムの解説だと、梶デザイン作品、↓の真ん中が2千万円、右が1千万円なんですって。ネットオークションサイトで見ると梶作品の指輪やペンダントヘッドの小さなエマーユひとつ10~90万の値段で取引されていましたから、最高品と梶さんが感じた作品に1千万でも2千万でも自分で値段がつけられる。売値ですから。おマダ~ム3人連れとは違い、「見てるだけ~」の私には、1万でも2千万でも買えないのだから同じ。

 梶光夫デザインのエマーユアクセサリー。真ん中2千万、右1千万。

 「アールヌーボー期女性像の小箱」(1900年頃)は、梶コレクション第1号コレクションのきっかけとなった作品。LDというモノグラムがあり、L.Delrive工房の作品ではないかと。


ポール・ボノー「ルネサンス期ファッションの若い女性像」1907                
        
シャルル・ルペック「ヴィーナスがえがかれた脚付盆」 1863
    

家具の一部にもエマーユがはめ込まれる。  
 
 棚の左上              棚の下
  
家具の一部       
 

ジャンⅠ世リモザン「マグダラのマリア」
                  小さなピルケースにも精緻なエマーユ  
    

 ル・ブラン「パンジーと女性が描かれた飾り皿」


ジュールとロベール・サランディ「春 若い女性」
                    ポール・ボノ―「サランボー」 
           
     

L・マルシャン「アイリスと女性」


 エマーユコレクションの中で、目をひいたのが、「世界の名画エマーユコピー」シリーズ。徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に世界の名画が陶板で再現されているのを、一度は見てみたいと思っているので、七宝で再現された名画シリーズも興味深かったです。

 ニコラス・パルドノー「ラファエロ小椅子の聖母子にもとづくエマーユ」

カミーユ・フォーレ&アレクサンドル・マルティ「黒い読書家にもとづくエマーユ」
  

 マダムのひとりが進言してくれたらしく、梶さんが近づいてきて「パンフレットにサインしてあげますよ」とおっしゃる。「はい、お願いします」
 展示室入口に「ひとり一冊ずつ」という注意書きで配布されていたミニパンフにサインをいれてくださいました。私は、さらにずうずうしく「いっしょに写真をとっていただけますか」と頼んだらOKとなり、いっしょに会場に来ていた息子さんがシャッターを押してくれました。私の次はマダ~ム3人組も梶さんを囲んでフォーショットを撮っていました。ブログに写真を載せることもOKしてくださり、「エマーユ展を宣伝してください」とおっしゃる。あまり宣伝になるサイトではないので悪いと思ったけれど、ツーショット、うれしミーハー日和。

 スマホ写真を撮ってくれた息子の梶武史さんは、光夫さんとともにジュエリーデザイナーとしてMaison de NADIA(マゾン・ド・ナディア) を運営しています。コレクションを美術館に寄付すること、遺産を引き継ぐよりエマーユの未来を考えて息子さんもOKしたのだと思います。

 もっと多くの人々にエマーユの美しさを知ってほしいとおっしゃっていた梶光夫さん。80歳をすぎてもダンディです。隣に立つのは気恥ずかしかったですが、青春の城下町が中学生の思い出なら、ツーショットは後期高齢者の思い出。

 6月15日まで西洋美術館企画展示室で。65歳以上無料!です、、、、、と宣伝するつもりが、いつも行動が遅いHAL,エマーユ宣伝にはならない会期過ぎのUP。梶さん、ごめんなさい。皆さま、今後はお買い求めの資金を貯めて、梶さんのショップ&ミュージアムへ。
「エマーユ七宝美術館」 東京都渋谷区東3-1-5  
JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿2番出口より徒歩10分
<つづく>
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ぽかぽか春庭「西洋絵画、どこから見るかその2 」

2025-06-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20050617
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩緑陰(3)西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派までサンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館展 in 西洋美術館その2

 西洋美術館所蔵作品とサンディアゴ美術館の類似の作品をセットで並べて鑑賞する「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派までサンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館展 」という長いタイトルの美術展。前回はルネサンス期バロック期の作品を鑑賞しました。
 今回は18世紀と19世紀の作品を並べて見てみましょう。

第3章18世紀
 17世紀初頭から19世紀初頭まで、イギリスの裕福な貴族の子弟が、その学業の終了時に行った大規模な国外旅行 をグランドツアーと呼び、西欧とりわけイタリアの風景画が、旅行前の予習としても、旅行のおみやげとしても好まれました。宗教画から切り離された風景画が独立して描かれるようになり、グランドツアーが時には数年に及ぶ長期間、フランスイタリアなどの洗練された文化を吸収する機会として、上層子弟に欠かせないものとなりました。

 ベルナルド・ベロット「ヴェネツィア、サン・マルコ湾から望む岸壁」1740 
 この絵を遠目で見て、「あ、カナレット」と思ったのに、近づいて作者名を見たら、知らない人ベロットでした。私が間違えたのも道理。この絵は長い間カナレット作として扱われ、最近の研究成果によって、カナレットの妹の子、ベロット作だということがわかったんですって。カナレットの甥で「ベルナルド・カナレットとも名乗ったので、カナレット作という絵の中にベロット作が何作もあるのだとか。私が間違えても仕方ないよね。

フィランチェスコ・グアルディ「南側から望むカナル・グランデとリアルト橋」1775サンディエゴ

 ジュゼッペ・デ・ゴッビス「賭博場」1760サンディエゴ
 グランドツアーで学ぶのは、西欧社会に通用するマナーや文化教養ばかりでなく、娼館での過ごし方とか、賭博場での駆け引き法とかもあったようです。
 いかさまにひっかかるのも女に騙されるのも、グランドツアー修行の一環。むろん身を持ち崩して英国紳士として帰国かなわなかった若者もいたでしょうね。

 マリー・ギュミーヌ・ブノワ「婦人の肖像」1799サンディエゴ
               マリー・ガブリエル・カペ「自画像」1783
  

 女性画家が台頭してきた時代、役人の娘マリー・ギュミーヌは1781年に12歳で女性画家、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランに学び、1786年に妹のマリー・エリザベート(Marie-Élisabeth Laville-Leroux) と共に新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房で学びました。
1791年にサロン・ド・パリに初めて出展し1793年に銀行家のブノア伯爵(Vincent Pierre-Benoist)と結婚。ナポレオン政府のもとでナポレオン家族の肖像などを描きましたが、王政復古後の政界で夫が要職につくと、家庭生活優先となりました。

 ブノワの婦人像と対照して並んでいたのは、マリー‣ギュミーヌ・カペの自画像。カペの自画像は西洋美術館所蔵ですから、毎回常設展でささっと通過しながら「自分を盛れるだけもって描いたんだろうなあ」と思いながら美女ぶりを眺めてきました。マリー=ガブリエル・カペは、1761年に使用人階級の娘として生まれました。自分の階級にあまんじていては、女中かお針子で一生は固定されます。1781年20歳の時に、アデライド・ラビーユ=ギアールの運営する「女性のための美術学校」に入港するためパリに出ます。以来ギアールを一生の師匠として側につかえました。1781年以来師匠のアデライド・ラビーユ=ギアールと同居し、1799年にギアールが彼女の師であるヴァンサンと再婚した後は3人でルーブル宮殿に、1802年からは現在のフランス学士院に3人で住みます。ギアールが病むと看病を続けてみとり、残されたヴァンサンもみとりました。マリーにとって、アデライド・ラビーユ=ギアールは終生の師匠であり、あこがれの先達だったのでしょう。一生を師匠への献身ですごしたけなげな女性画家と思って見ると、自画像の美貌ぶりも、「盛りにもったな」という意地悪な見方が反省させられます。

マリー・カペと並ぶアデライド・ラビーユ=ギアール 

 
第4章 19世紀
 19世紀になると、貴顕の婦人像ばかりでなく、庶民の女性も描かれるようになりました。
 ブーグローの少女像。サンディエゴ所蔵と西洋美術館の作品が対照されています。
ウィリアム・アドルフ・ブーグロー「小川のほとり」1875     
   ウィリアム・アドルフ・ブーグロー「羊飼いの少女」1885サンディエゴ
  

 ロートレック「うずくまる赤毛の裸婦」1897


 ホアキン・ソローリャ「水飲み壺」1904

 ニ館の作品を対照して鑑賞してきた西洋美術館。平日でも館内かなりのにぎわいぶりでした。自館所蔵作品はまた常設展示で見る機会があるだろうからと、主にサンディエゴ所蔵作品の写真を撮りました。


 東京都美術館ミロ展からはしごの西洋美術館でしたから、同行のタカ氏は「先に帰る」と退場。私は梶光男のエマーユ展までしっかり見ました。次回、エマーユについて。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「西洋画どこから見るか? in 西洋美術館」

2025-06-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


20050615
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩緑陰(2)西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派までサンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館展 in 西洋美術館

 3月21日。西洋美術館で「西洋絵画、どこから見るか?―ルネサンスから印象派までサンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館」展という長い名前の展覧会に行きました。タカ氏と科博にいったついでです。会期は6月8日まで。そのあと京都市京セラ美術館に巡回2025年6月25日[水]-10月13日[月] 

 サン・ディエゴはアメリカ・カルフォルニア州の南部、メキシコ国境の町。カルフォルニアでロサンゼルスに告ぐ都市といっても、ニューヨークのメトロポリタン美術館とかボストン美術館、シカゴ美術館などなじみの美術館に比べると、え、どんな絵や彫刻を所蔵していたのだっけと、すぐには思い浮かばない美術館でした。
 それほど見たい気もなく入館しました。同時開催の企画展エマーユ展のほうが目的の入館でしたが、サンディエゴ所蔵品が日本で公開されるのは初めてのことですから、貴重な機会に見ることができてよかったです。西洋美術館所蔵品はもともと撮影自由でしたが、サンディエゴ所蔵品も撮影可。

 今回のサンディエゴ美術館と西洋美術館の所蔵品を並べて見せるという展示方法も、実のところサンディエゴから借りだした作品だけではめぼしく華やかな目玉作品が弱い、というキュレーターの判断だったんじゃないかなって思います。サンディエゴ所蔵作品は40点ほど
 マイケル・ブラウン博士(サンディエゴ美術館ヨーロッパ絵画担当学芸員)と川瀬佑介(国立西洋美術館主任研究員)の監修です 。

西洋美術館の口上
 本展は、米国のサンディエゴ美術館との共同企画により、同館と国立西洋美術館の所蔵する作品計88点を組み合わせ、それらの対話を通じてルネサンスから19世紀に至る幅広い西洋美術の魅力とその流れを紹介する展覧会です。
サンディエゴ美術館は、主に1930年代を通じ、当時のアメリカ合衆国西部では随一の質と規模を誇るヨーロッパ古典絵画のコレクションを築きました。サンディエゴという土地の歴史・文化性や、篤志家たちの趣味を色濃く反映したユニークな内容を誇り、初期ルネサンス絵画やスペイン17世紀絵画などに多くの傑作を有しています。一方国立西洋美術館は、松方幸次郎の収集した印象派を中心とするコレクションに基づいて1959年に設立され、1960年代末から古典絵画の体系的な収集を開始しました。以降、歴代の館長や研究員の調査研究に基づいて、西洋美術史の主要な流派やジャンルを網羅にカバーする総合的なコレクションの形成を目指して収集活動を続けています。
  本展は、両館の所蔵する作品をペアや小グループからなる36の小テーマに分けて展示、比較に基づく作品の対話を通じ、ルネサンスから印象派に至る西洋美術史の魅力を分かりやすく紹介することを目指します。また両館は非ヨーロッパ圏においてヨーロッパ美術を収集した点においても共通します。その点に着目し、両館の持つ傑作を比較対照させながら、それぞれ西洋絵画がどのような目的や理想に基づいて収集されていったのかについても、紹介する予定です。 

 以下のように区分けがなされていました。 
第1章ルネサンス
第2章バロック
第3章18世紀
第4章19世紀

 1階から地階に下りていくと目に入るエントランスロビーのパネル展示。


第一章 ルネサンス 
・ゴシックからルネサンスへ
聖母子サンディエゴvs西洋美術館
カルロ・クリヴェッリ「聖母子」1468サンディエゴ vs アンドレア・デル・サルト1516
 


 聖母子像を見るたびに思うこと。幼子イエスはどうしてどの絵もにくたらしい顔をした子供なんだろ。イエスは特別だからかわいく描いちゃいけないっていうタブーがあるんだろか。おさな子といえ、将来の磔刑の運命を予知しているから、とか説明があるらしいけど、そんな運命、子供に悟らせなくてもいいんじゃないか。アンドレア・デル・サルトのイエスなど、笑顔に描いているのに、不気味な笑顔です。クリヴェッリのイエスなんて、「テメーら人間ども、おっかさんのこと、ててなし子を産んだ婚前〇渉の母なんて呼ぶなよな」と、すごみをきかせている感じがします。むろん、そんなこと言ってません。ちゃんと聖なる天使の輪っかがアタマに載せられていますから、聖なるお姿なんです。
 この天使の輪は、英語ではAngel haloと呼ばれ、 ルネサンス時代から表現されるようになったもので、中世のイコンには描かれていません。ルネッサンス時代のマリア画像のモデル女性の誰か。髪のキューティクルが神々しく美しかったので、画家も後光を描かずにいられなかったのでしょう。

ジョット「父なる神と天使」 1328-1335

 三角形の絵になった理由。祭壇画のてっぺんにくっついていた三角形だったのに、教会移転の際、移転先の教会の天井にひっかかっててっぺんが祭壇に入らないことが分かって、切り離されてしまった、という解説パネルがありました。父なる神の顔、ちょい怖い。三角じゃなくて、丸かったら、印象変わったのかしら。いや、ユダヤ教キリスト教イスラム教を統べる父なる神は、基本怒りの神で、いつも怒って人間のアラ捜しをしている。悪い人間見つけると、雷落としたり洪水起こしたりする。怖い!

フラ・アンジェリコ「聖母子と聖人たち」1411-1413サンディエゴ
 バルトロメ・ベルメホ「聖エングラディアの捕縛」1474-1477サンディエゴ
   
 聖エンディグラは、3世紀の貴族女性。嫁入り途上でキリスト教徒迫害に遭い、殉教。殉教の地アラゴンで崇拝され、祭壇画として描かれました。アオ斑馬に乗るエンディグラを捉えようとする茶色の馬に乗るローマ総督ダキアヌス。

 フランクフルトの画家「アレクサンドリアの聖カタリナの神秘の結婚」1500-1510

 聖カタリナ(287-305)は、キリスト教の殉教者。聖人に列聖されました。(正教会ではは聖大致命女エカテリナ)。聖マリアによって天に迎えられ、イエスの花嫁として遇されたという伝説が生まれ、「聖カタリナの神秘の結婚」としてさまざまな祭壇画に描かれました。

アドリアーン・イーゼンブラント「聖母子と天使」1510-1520サンディエゴ
       イーゼンブラント(に帰属)「玉座の聖母子」1510-1520
 

 ヨース・ファン・クレーフェ「三連祭壇画:キリスト磔刑」1525 年

 三連の両脇には、この祭壇画の寄進者が描かれている。

 ヒエロニム・ボスの工房(ストルホーヘン・ボスほか)「キリストの捕縛」1515サンディエゴ
 ヨース・ファン・クレーフェの磔刑図では捕縛したローマ側の人もそれほどにくにくしげじゃないけれど、ボス工房の描く捕縛側の人、どの顔もいかにも悪人面です。ボス工房に注文した依頼主の気持ちが反映しているのでしょうか。工房の商売敵かなんかの自分の嫌いな人物の顔をモデルにしているのかもしれません。

第2章 バロック
 調和のとれたルネッサンスが熟してくるとバロックの時代(16~18世紀)になります。ポルトガル語のbarroco(ゆがんだ真珠)を語源とするといわれ、規範や整合から逸脱した自由な感動表現、動的で量感あふれる装飾形式が特色。

 バロックの表現のひとつとして、静物画のボデゴンがあります。台所絵画と言われるのは、台所に置かれている食材の果物、狩りの獲物などが描かれています。
 西洋美術館の常設展に展示されていたフアン・バン・デル・アメン「果物籠と猟鳥のある静物」は、常設展をひとまわりするたびに見てきましたが、サ-ディエゴ所蔵のボデゴンと対照して展示されると、また一味違って眺めることができます。
フアン・サンチェス・コターン《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》1602年頃(サンディエゴ)
  フアン・バン・デル・アメン「果物籠と猟鳥のある静物」1621年頃
 
  
 この時代まで、果物や狩りの獲物は、命を失ったものやがて腐っていくものとして、「失われていく命」の象徴でした。バロックの果物や仕留められた鳥も、その意味で描かれてはいるのですが、それにしても、これらの果物のなんとみずみずしくおいしそうに描かれていることでしょう。宗教上では「消えゆく命」として描かれたというしかないのでしょうが、輝く命を感じます。
 コターンの果物野菜を立体で表すと。位置関係が複雑な構造で、絵に描かれた通りに位置を定めようtすると、前後左右が摩訶不思議なことになっている、という実験をテレビのアート番組で見ました。

 フアン・サンチェス・コターンは、17世紀初頭に「ボデゴン」と称されるスペイン独自の静物画のスタイルを確立した画家です。トレドで工房を営み、彼の代名詞といえる静物画を手がけました。43歳の時に修道士となり、それ以降は宗教画しか描かなかったため、現存するコターンの静物画は世界に6点しかないとされ、「マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物」はその6点の中で最高傑作といわれる作品です。

 フランシスコ・デ・スルバラン「神の仔羊」1635-40年頃サンディエゴ

 羊にも金輪が描かれているので、ただの羊じゃない。神に捧げられる聖なる子羊。十字架にかかって神に捧げられた方の象徴でもあります。神道の祭壇に捧げられた稲穂や果物魚貝を見ても、うん、よい捧げものだと思うのに、手足を縛りつけられたかわいい顔をした子羊を見ると、ちょっとだけヴィーガンさんたちの気持ちになります。肉になっていればラムチョップも食べますけどね。
 
エル・グレコ「改悛するペテロ」1590-1595
 エル・グレコ「十字架のキリスト」1610-1614
 ペドロ・デ・オレンテ「聖母被昇天」1620


 ファン・サンチェス・コターン「聖セバスティアヌス」1603
   ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ「悔悛するマグダラのマリア」1620サンディエゴ
  

            
ぺーテル・パウル・ルーベンスと彼の工房「聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者ヨハネ」1625  
                             ぺーテル・パウル・ルーベンス「豊穣」1630
  

 ファン・デ・メサ「幼児キリストの勝利」1620サンディエゴ
    ペドロ・デ・メサ「アルカラの聖ディエゴ」1665-1670サンディエゴ
  
 彫刻の幼児キリストは、絵画でマリアに抱かれているイエスよりかわいらしく立っている。ちょっと悲しそうにも見える。

シモン・ヴ―エ「トロイアから逃れるアエネアスとその父」1635サンディアゴ 
  フランシスコ・デ・スルバラン「聖母子と聖ヨハネ」1658サンディアゴ
   
  
 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「改悛するマグダラのマリア」1660-1665サンディエゴ
 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「聖フスタと聖ルフィ―ナ」1665-1666 
  

 これまでムリーリョという画家に目を止めたことがありませんでした。こうしてサンディエゴ所蔵と西洋美術館所蔵の二作を並べて見ることによって画家の力量に目が届きます。
 聖女ふたりの間にあるのは、町のシンボルの塔だそう。

 ヤーコブス・フレル「座る女のいる室内」1660サンディエゴ


ダニエル・ス-ヘルス、コルネリス・スフート「花環の中の聖母子」1620-1625   
 ダニエル・セ―ヘルス、エラスムス・クエリヌス「花環の中の聖家族」1625-1627サンディエゴ
  

 花をダニエル・セーへルスが、聖母子をコルネリス・スフートが描いた ものと、花をセ―ヘルス聖家族をクエリヌスが描いたものを対照しています。オランダですから、チューリップも華やかに。
 カトリック国スペインからの独立を果たしたばかりのオランダでは、この主題も宗教性を脱した純粋な静物画として描かれることが多かったが、カトリック側にとどまったフランドルでは、花も宗教的な主題を伴いました。聖母子、聖家族が描かれており、花は聖母子や聖家族への献花の意味も持つが、花自体を鑑賞するために部屋に飾られた場合もあったろう。

 次回、第3章第4章のサンディエゴVS西洋美術館を紹介。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ミロ展 in 東京都美術館」

2025-06-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250617
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩緑陰(1)ミロ展 in 東京都美術館

 東京都美術館は第3水曜日の高齢者無料入場制度をやめてしまった。けしからん。そのかわり、往復はがきに住所氏名を書いて申し込む。いまどき往復はがき!と思うし、抽選の倍率どれくらいかわからずどうせあたらないと最初からあきらめて、田中一村展もデ・キリコ展もハガキ出さず、「シルバー料金」を払って観覧しました。どうしても見たかったから。でも、ミロは「当たれば見るし、あたらなければあきらめる」という気持ちだったので、旧い往復はがきに値上げした分の切手を郵便局で貼って出しました。当選!

 4月8日火曜日に東京都美術館へ。10時半に入館。
 4月6日にNHK日曜美術館がミロ展を特集したから、平日だけど混んでいるかもと心配しながら入ったのだけれど、思ったよりは混んでいなかった。日曜美術館が取り上げるとすぐにわんさか押し寄せるジジババもミロはそんなに好きじゃないらしい。私だってハガキ当選しなかった今回はパスと思っていたんだもんね。

東京都美術館の口上
 1893年にスペインのカタルーニャ州に生まれたジュアン・ミロ(1893~1983)は、同じスペイン出身のピカソと並び20世紀を代表する巨匠に数えられます。太陽や星、月など自然の中にある形を象徴的な記号に変えて描いた、詩情あふれる独特な画風は日本でも高い人気を誇ります。そんなミロの創作活動は、没後40年を迎えたいま、世界的に再評価されています。本展は、〈星座〉シリーズをはじめ、初期から晩年までの各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻により、90歳まで新しい表現へ挑戦し続けたミロの芸術を包括的に紹介します。世界中から集った選りすぐりの傑作の数々により、ミロの芸術の真髄を体感できる空前の大回顧展です。 
 
アトリエにいるミロ


 まあまあの混み具合といっても、人が集まっている絵があるから、人のいないところを縫って観覧。1章から3章までは撮影禁止。4章と5章の一部のみ撮影可。
 ミロ長生きの結果、著作権は2053年まで存続。1968年までに亡くなっているアーティストは2018年に著作権が切れるはずだけれど、戦時加算とかいろいろついて、パブリックドメインになるのはなかなかめんどう。1章2章3章の画像は借り物。4章5章は撮影できましたが、照明が画面で光るのを反射させないために、斜めから撮ったりしたので、あまりきれいにはとれません。

 第1章若きミロ芸術への決意
 入り口の説明を横目で見て、最初に目に入るのは、ピカソが死ぬまで所蔵していたというミロの自画像。

 「自画像」1919         「ヤシの木のある家」1919
 

第2章モンロッチーパリ 田園地帯から前衛の都へ
 パリに出てきたミロは、シュールリアリズムやダダなど、最先端のアートにふれ、具象から離れました。

「オランダの室内Ⅰ」1928 (フェルメールの翻案)


第3章逃避と詩情 戦争の時代を背景に
 コラージュや、布や糸を使った作品など、多彩な試みを重ねました。

「絵画(カタツムリ、女、花、星)」1934


第4章 夢のアトリエ 内省を重ねて新たな創造へ

 「火花に引き寄せられる文字と数字」1964

「女と鳥」1967 ほか
 

「太陽の前の人物」1968        「月明りで飛ぶ鳥1967」       
 

「逃避する少女」1967
  

第5章 絵画の本質へ向かって
 
「にぎやかな風景」1970


「スブラテシムー袋13」1973


「焼かれたカンヴァス2」1973 表と裏
 

「花火Ⅰ,ⅡⅢ」1974アクリル/カンヴァス 


「バルサFCバルセロナ75周年」1974リトグラフ 「ユネスコ:人権」1974リトグラフ
 

 東京近代美術館が所蔵している「あら、あの人やっちゃったのね」というミロの作品。近美では解説はなかったですが、今回の展示の解説を見て、「何をやっちゃったのか」という疑問にミロ自身が回答しているのだと知りました。何をやったのかというと「おなら」。ふぇ~、それを絵にするの?と思いますが、ミロにとっては絵の中に表現したかったのでしょう。たぶん、世界の現代絵画の中でおならが表現された数少ない、あるいは唯一の絵と思います。浮世絵には、河鍋暁斎や月岡芳年の作には男女が突き出した尻から噴出する姿がありますが、西洋画でこの画題を見たことない。ミロは浮世絵の「放屁合戦」を見たことあったでしょうか。
 

 ミロの絵、心がのびやかになるような絵もあるし、なんじゃこれ~と思うのもある。見る人のこころのままに楽しんでいいのだと思います。

  

<つづく>
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ぽかぽか春庭「能と菖蒲 in 小石川後楽園」

2025-06-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250612
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記あやめ咲いたか菖蒲はまだか(3)能と菖蒲 in 小石川後楽園

 6月7日、109シネマズプレミアム新宿へ行く前に、小石川後楽園に寄りました。菖蒲がちょうど見ごろだろうと思った予想は今回はぴたりと当たり、菖蒲祭のイベントもやっていました。

 今回はじめて東門から入園しました。これまでは飯田橋から歩いて後楽園に行ったので西門から入園してきました。今回都営線水道橋駅で降りて、東京ドーム脇を歩いて後楽園東門に着きました。今まで見過ごしてきた赤門をくぐって入園。睡蓮の花もきれいでした。
  

蓮池と唐門             赤門
  

 イベントは、宝生流の能の上演。秋に小石川後楽園で開催したい薪能のための募金が目的で、上演後に募金箱に寄付を願います、という口上つき。2本の松の間に簡易舞台がしつらえてあり、橋掛かりはないけれど、簡単な楽屋があります。解説が10分、上演後の写真撮影会が10分。「杜若」上演は20分ほどでした。
 上演中の写真撮影は禁止でしたが、上演後にシテがいろんなポーズをとって撮影タイムがもうけられ、能をはじめてみたという菖蒲めあての観客も楽しめるひとときでした。
  
 その昔『伊勢物語』を写真版で読む授業があったのですが、変体仮名の流麗な文字はとても読めず、文庫本の翻刻と照らし合わせながら、自分の分担頁の現代語訳を発表しました。東下りの部分は分担個所ではないので、事前に翻刻活字版を読んで頭に入れて、授業では写真版を開いて文をたどりました。ですが、いろいろな日本画にも工芸作品にも「かきつばた」の折句は出てくるので、「かきつばた着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞおもふ」はそらんじています。能で見るのははじめてなので、簡易舞台でも上演はありがたい。
  

 宝生流能「杜若」
 シテ:木谷哲也 地謡:高橋憲正 川瀬隆士 笛:熊本俊太郎
 

 本来の上演なら90分かかる杜若ですが、前半は省略。
 前半のあらすじ:ワキ都の僧が三河国八橋近くの杜若を見ていると、若い里女があらわれ、昔の在原業平の東下りについて語ります。
 後半も一部省略されていますが、あらすじは。
 里女は杜若の精であることを明かし、業平の形見の初冠をつけ、二条后の残した衣を着て『伊勢物語』について語りつつ、業平は歌舞の菩薩の生まれ変わりと僧に述べます。草木国土悉皆成仏という仏教のこころが説かれた演目です。
   

  

 今年も娘の懸賞生活、大阪万博のペア2回分、109シネマズプレミアム新宿ペア券2回分、横浜中華街ランチ券、栗原ひろみレストランペア券などなど、成果を挙げています。買い物クオカードやトートバッグなどはもういちいち母に報告はありませんけれど、毎週なんらかの賞品が届きます。

 後楽園には田んぼがあります。菖蒲咲く前には田植え。今年も、きれいな稲苗が緑を見せていました。秋にはたわわな稲穂になるでしょう。


 お米高騰につき、我が家の家計では買えないと思っていたら、青森産「青天の霹靂」2kgと熊本産「くまもんの輝き」5kgが当選しました。これを大事に食べるうちに、米価も落ち着くかと。

 昔、イケダハヤトは「貧乏人は麦を食え」と言いましたが、今や「貧乏人は古古古米5kg2000円を食え」とか。
 古古古米2021年産だから来年あたりには家畜のエサ、なんて言い放った議員はネットでも大たたき。貧乏人でも、なんせ我が家は「青天の霹靂」ですもん。もちろん、くまもんの輝き食べ終わったら古古古米5kg2000円、食べますとも

 シンジロー氏にちなんで、古古古米のネーミング「ナナヒカリ」だそうです。ネット民のセンス、笑えるけれど、シンジロー氏、七光りじゃすまない人です。曽祖父小泉又次郎祖父小泉純也父親小泉純一郎の3代の政治家一家を背負ってるんですから、3×七光で21光じゃないかい。古古古米21光。いいね。21世紀にぴったり。


 父も母もそのまたご先祖も、まったく子孫に七光りは及ぼさなかった家系に生まれて、まったく光らない人生を75年間過ごしてきたHALですが、この時期は光輝く花をながめて、梅雨に向かうコメ不足どんより気分を晴らしましょう。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「109シネマズプレミアム新宿」

2025-06-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250610
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記アヤメ咲いたか菖蒲はまだか(2)109シネマズプレミアム新宿

 「国宝」を鑑賞した映画館は、新宿109プレミアム。贅沢豪華なしつらえで、チケットひとり6500円といういいお値段。一般映画館のシルバー料金千円さえ払えずに、テレビになるまで待とうかと思い悩むHALですから、むろんそんなお高い席を自腹で買うはずなし。例によって、娘の「応募しまくったら当たった」という当選賞品です。ペア券が2回分当たっています。

 待合室には1時間前から入れて、ポップコーン食べ放題ドリンク飲み放題。ゆったりソファ。ドリンクはおかわりをして客席に持ち込む。ポップコーンは、塩味とキャラメル味の2種。LサイズとMサイズがあります。貧乏性はHALは、待合ラウンジでできる限りおなかに詰め込み、お代わり分を映画上映室に持ち込む。

 窓も広くて開放感のある待合室  カフェカウンターでポップコーンとドリンクをもらう
 
プレーンとキャラメルコーンのトッピングはチョコクッキー。 
   

 窓から見える歌舞伎町あたり。歌舞伎町ゴジラロードから見るゴジラ像の裏側が見える。ゴジラロードから見えるゴジラに比べると迫力はないが。
  

 国宝の上映は第7室。クラスA110席クラスS12席。私と娘はS席D列の8番と9番。3日前からオンライン予約開始で、3日前の0時にメールしたのだけれど、すでに中央の6席7席は予約終了で、8と9がとれたという娘の奮闘記。母にはできないスマホ予約なので、娘に感謝です。 

 音響は坂本龍一設計。どの席からも映画の音が明瞭に聞こえ、映画のほかの雑音は消去してくれる。S席は隣の席との間の仕切りがしっかりしていて、隣の席で娘がポップコーンを食べる音などまったく聞こえない。一般の映画館だと、お菓子の紙袋を開く音にセリフが邪魔されるなんてこともあるけれど、映画だけに集中できる音響設計です。
  

 S席観覧者は、映画を見終わったら、アフターラウンジを利用できます。ふたりで映画の感想を語り合ったりできるバーコーナーが利用できる。ビール、ワイン、カクテル、ソフトドリンクが無料サービスされ、ゴディヴァのカカオ75がプチプレゼント。いたせりつくせり。私はビール小瓶、アルコールを飲めない体質の娘はオレンジジュース。夜景を見ながら、ゆったりすごせます。お代わりは有料。 
 
 アフターシネマラウンジからのながめは、西武新宿駅界隈。
  

 夫タカ氏は「映画見るのは、場末の名画座で十分」というタイプなので、夫と二人でここに来ることはないだろうけれど、若いカップルには、この109シネマズプレミアムをおすすめ。よい映画見た後、アフターシネマラウンジでカクテル飲みながら感想を語りあったら、きっとよい思い出になると思います。

 問題は、ペア券がもう一組あること。国宝は私と娘の「見たい」が一致したのでよかったけれど、次に娘が見たい「リロ&スティッチ」が、娘の望む吹き替え版は、朝早くか夜遅くにしか設定されておらず、字幕版が通常営業なのだ。それもそう。吹き替え鑑賞の主な観客である子供をこんな豪華な映画館に連れてこなくてもよい。

 娘は、私に合いそうな映画は『ルノワール』がいいんじゃないかと勧めるのだけれど、私も夫じゃないけれど、ルノワールは名画座で見たい気分。どうせプレミアムで見るなら豪勢気分の映画がよい。娘は『教皇選挙』がプレミアムにもかかることを予測できずに川崎で先行鑑賞してきたことを後悔し、プレミアムにかかるのなら、こっちで見たかったとぼやくことしきり。さて、次はどうしよう。
 今回は私はキャラメルポップコーン、娘はプレーンにしたけれど、次はハーフ&ハーフかな。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「国宝」

2025-06-08 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250608
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2025シネマ緑風(4)国宝

 新聞小説として連載されていたとき読み、文庫本が出てかでら再読。いつか映画化または舞台化されると思い、待っていました。
 109シネマズプレミアム新宿の特別席で6月7日に鑑賞。

 文庫本読後、自分なりの配役をして楽しんでいました。どうしても歌舞伎に寄せてしまう。普通の役者じゃ、あの演目はこなせないと思ったので、歌舞伎育ちのイケメンをあれこれ思い浮かべていたのですが、染五郎ではまだ若すぎるから若いころの俊ぼんか、など思っているうち、映画のキャスティングのほうが一枚上の国宝級イケメン。喜久雄が吉沢亮、俊介が横浜流星。ふたりとも精進して歌舞伎シーンもがんばったと思います。ただの「国宝級イケメン」じゃなくて、本物の国宝級役者魂を見せてくれました。これからは「国宝の吉沢亮」でいいと思います。舞台挨拶や宣伝テレビ出演では「酔っぱらって隣人宅侵入」が何の影もなかったので、胸なでおろす。お隣さん、示談にしてくれてありがとう。

 映画で残念なことひとつ。喜久雄とともに生い立ち、「坊ちゃん」を支え続ける人物徳次が、映画ではすっぽり切られたこと。喜久雄と俊介の対比を鮮明にするためという脚色でしょうが、小説の中の徳次のキャラクター、好きでしたのに。原作吉田修一は脚色もする人ですから、李相日とは、「悪人」「怒り」などでのタッグをふまえ、納得の徳次欠落でしょう。

 分厚い文庫本で上下2巻。少年時代から50年間の歌舞伎役者の生涯を3時間でまとめるには、あっちも削りこっちも切り落としし苦労もうかがえて見事な脚本、撮影のソフィアン・エル・ファニ 、美術監督種田陽平。 
 国宝女形を演じる田中泯はじめ、役者はすべてどのひとりをとっても国宝級。公式サイトのキャラクター紹介に名前が載せられていないひとりひとりも、とてもよい演技でした。丹波屋の番頭を演じた芹澤興人。鎌倉殿の13人では、八重(新垣結衣)の夫(という建前の監視役)を好演して初めてその名をしりました。丹波屋番頭でもいい味だしていました。公式キャスト欄にも名前が出ていないので、配役メモしておきます。

 映画は映画としてみればいいので、徳次や弁天が切り捨てられても、隠し子綾乃の扱い方が原作と異なっていても、映画は映画として見て、よい作品でした。
 ほかに原作に出てこなかったと思うシーン。喜久雄と俊介が詰襟学制服のまま自転車に二人乗りして桜並木を疾走する。青春ぽくて桜が美しくて、こりゃカンヌっつうか外国上映のサービスカットかと思うけれど、とってもきれいな画面作り。

 『国宝』を絶賛する評があふれているので、ひとつくらいは文句つけられそうなところを見つけたいへそ曲がり婆なのに、「ここに難癖」が見つからない。

 もう一度映画を見たいと思うけれど、その前に原作をもう一度読む。映画の感想は、それ以後もう一度かみしめます。

 学生時代に近松門左衛門の詞章で「曽根崎心中」を読んだきり読み返していないし、「道成寺」も「関の扉」もテレビの古典芸能番組で見ただけで、歌舞伎座などで見たことはない。結婚以来歌舞伎座に入ったこともないHALだし、娘は歌舞伎のかの字も知らないで「国宝」を見たのだけれど、ふたりとも大満足の鑑賞でした。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「youtube鑑賞録」

2025-06-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250614
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2025シネマ(4)youtube鑑賞録

 映画を映画館で見ることが、めっきり減りました。その昔は、映画館といっても文芸座や全線座のような名画座で見ることが多く、学生の身安月給の身では、ロードショーは手が出せなかった。
 近年映画館に足を運ばなくなった主な理由。私にとっては飯田橋ギンレイの閉鎖ですが、世間的にはコロナ禍の「外出するなステイホーム」の影響が大きかったでしょう。

 テレビ放映を録画して見る、というのが主だったHALの映画視聴方法でしたが、仕事をリタイアして以来、家でyoutube視聴という映画の見方が加わりました。見たいと思っていたのに、テレビ放映を見逃してしまった作品をyoutubeの無料放映で見られるのはありがたし。深夜枠だったので見ることがなかった『きのう何食べた?』も、劇場版のyoutube公開を期に、テレビドラマのシーズン1,2を見て、レシピまねしようと思ったり。
 2010年にテレビドラマとして見た『塀の中の中学校』を久しぶりに見て、15年前と同じところで涙する。15年前のシーンで一番覚えていたのは、面会にやってきた演劇一座の座長が自分を刺した息子の前で踊る「人生いろいろ」だったことに驚く。卒業式で「栄冠は君に輝く」歌うことなどまるで覚えていなかったのに。

 テレビでは見なかった「恋愛映画」というものも、youtubeでは睡眠剤がわりに。寝転がってスマホ画面を見ているのが、入眠にちょうどいい。恋愛などという出来事とははるか遠くなった心には、「いーよなぁ、おまいら、恋する心がいっぱいで」と、うらやんで見ているうちに眠くなる。『それから』1985、『ハナミズキ』2010、『花束みたいな恋をした』2021

 『ハナミズキ』2010を見て、あまりに型通りの純愛模様に、なるほどガッキーがかわいいという評価のほか言いようがない、という評判通りだったなあ、と納得。ジャニーズタレント使う以上、ベッドシーンなどあるはずもなく。
 『それから』。久しぶりに見て、そのあまりにゆっくりな進行に、時間の流れが違っていたんだなあと感じました。ジェットコースターのような展開がいいとは思っていないのですが、映画を倍速で見る世代に老婆も毒されていくのかしら。

 5月、2021年公開映画を、youtubeで続けて見ました。『花束みたいな恋をした』。『ハナミズキ』と同じような型通りの恋愛映画でありながら、2010年のハナミズキから10年余の歳月のおかげか、恋愛の始まりと終わりを心地よく見届けることができました。麦と絹のことばの中に、同時代性を喚起するカルチャーアイテムがちりばめられたことが、若い世代に受けた、みたいな解説もあったけれど、昭和生まれには同時代ではないはずなのに、時代がわかる気分。これは『なんとなくクリスタル』のカルチャーアイテムの羅列が、そこから古びた感になったのとどこが違うのかわからぬ。



 『花束みたいな恋をした』では、恋のはじまりの初々しさから同棲、イラストレーターの夢をあきらめざるを得ない「生活のための就職」。三か月のセックスレスも平気になる、なれあいの関係。5年のつきあいののちに別れがきて、数年後にはお互いに新たなパートナーとめぐりあって、さりげなくバイバイと手をふる。5年間の恋人生活は、別れたあとも、人生のひとこまとして、貴重なものであったことが、手をふりつりつつも、決して振り向かないという姿勢に表されています。
 2021年というコロナ禍真っ最中にもかかわらず、『花束みたいな恋をした』は、ランキング8位38億円という興行収入を得たヒット作になりました。

 一方、2021年公開の映画のうち、興行的には大成功したと言えなかった作品も。
 見に行けなかったけど、見たかったなと思い続けてきて、期待してみた『HOKUSAI』2021。弟子たちによる史実が書き残されている晩年部分は、田中泯の迫力演技とあいまって、まあよかった。顔にベロ藍をぶちかけるシーンは気持ち悪かったけれど。しかし、記録が何もない前半生の部分、柳楽優弥の目はよかったけれど、蔦重の阿部寛のほうが存在感ましまし。(滑舌悪いのはいつものことだけど)。

 期待してみた『HOKUSAI』と、期待しないで見た『ハナミズキ』2021。この純愛に入れ込める人と、なんじゃこりゃという人で評価がわかれるんだろうけれど、あまりにもオーソドックスな純愛で、ラストシーンの邂逅までにだれる。カナダ港町に置かれた船の手作り模型、必ず最後にはガッキーの手元まで届くだろうと、みな思う。

 北斎も2021年という観客動員のためには最悪のコロナ期の公開だったから、運が悪かった、という面もありますが、『花束~』のヒットに比べて、何が観客動員を妨げたか。ひとつには、人を惹きつける女優の配置が足りなかったとか。北斎の娘お栄を演じた河原れんは、この作品の企画・脚本の担当者だから、キャスティング担当者も納得の配役だったのだろうと思うし、演技がまずいわけじゃないけれど。NHK「眩(くらら)〜北斎の娘」でお栄を演じた宮﨑あおいは、魅力的でした。北斎弟子筋が描いた実際のお栄は、容姿端麗とは言えぬ風貌ですが。あごが出すぎている顔により、北斎が娘を呼ぶときは「あご!おーい、あご」と呼んだそうです。

 『HOKUSAI』興行収入ランキング117位1億円。製作費は公表されていませんが、最低でも3.5億円と言われており、興行収入だけでは完全に赤字。種々のビデオ販売ネット販売などで赤字埋めはできたでしょうか。 · 

 川崎のシネコンまでロードショーを見に行った『教皇選挙』の次に「見てよかった」と思えた映画は、『あの子は貴族』という2021年公開の映画。数年待てば、テレビ放映は無理でもyoutube公開されるのなら、単館映画館はますます衰退するだろうな。がんばれ下高井戸シネマ。

 次回、「109シネマズプレミアム新宿」で『国宝』鑑賞報告。1席7000円のS席。むろん買うわけなく、娘の懸賞生活のおかげ。ペア券が2回分当たっています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「あの子は貴族」

2025-06-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250605
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2025シネマ緑風(3)あの子は貴族 by youtube

 「あの子は貴族」は、2015年小説すばるの連載小説。2021年映画公開。私は原作を読んでいないので、映画オリジナルキャラが誰だったのか、わからず映画を見ました。原作読んでないから、どの役の俳優さんも役柄にぴったりのすばらしい演技に思えました。一つだけ、田舎出身という設定の時岡美紀役水原希子が都会的に洗練されすぎていて、まったく田舎出身には見えなかった、というところは、田舎出身者のわが身が、終生都会的に洗練されることがなかったことにひきつけての感想でしょう。

 『あのこは貴族』は、よい映画でしたが、公開された2021年は、映画館には足を運びにくいコロナ真っ最中。映画が大ヒットすることはありませんでした。私もタイトルは聞いたことがあったけれど、見たことはなかった。で、多くの人もこの映画のストーリーを知らないと思うので、やや詳しめにストーリー紹介をします。ラスト、ネタバレ含みます。

 映画は、タクシーの窓の外を東京の夜景が流れていく画面から始まります。タクシーの運転手が「元日に大ホテルに個室をとって一家の新年会をするなんて、私らには思いもよらない」と、客の華子に言います。華子(門脇麦)にとっては、毎年のことで特別なことと思っていないので、運転手に行先を告げるついでに問われるままに新年にホテル個室で、家族と食事をするのが恒例だと話してしまったのでしょう。もしかしたら、どこの家でも、新年と言えばそのくらいの祝いの食事はするもんだ、と思っていたのかも。華子はすべての移動にタクシーや家族運転の車を用い、バスや電車移動はない。

 食事会に遅れた言い訳として、榛原家の面々に対して、華子は「今日、婚約者と別れた」と打ち明けます。病院を経営している一族はくちぐちに「さっさと切り替えて、お見合いして結婚するように」という意見を言うと、華子はあっさり承知します。コネで入っていた会社を婚約してすぐやめ、「家事手伝い」という花嫁修業で習い事程度しかしていない華子は、結婚以外の人生を考えたことがなかった。

 アラサーの華子。初等科からのクラスメートがつぎつぎに結婚し出産もしている現在、「人生の岐路」的な焦りを感じていたのだ。仲良しグループのうち、未婚は、ドイツでバイオリン奏者として活動している相良逸子(石橋静河)だけ。逸子も、ドイツでそううまくいっているわけでなく、日本で演奏者の仕事を探している。

 お見合いを繰り返し、ピンとくる相手がいない中、弁護士の青木幸一郎(高良健吾)には華子も一目ぼれ。帰り際には「また会ってもらえますか」と積極的だ。何度か食事や映画デートののち、逸子に打ち明ける。逸子は青木家というのは一族から代議士も輩出している「私たちより上の階級」の一家だと教えてくれる。広大な屋敷内にはドンの祖父が住む母屋のほか、代議士のおじ邸、幸一郎両親の家もあり、池や植え込みが見事な庭がある生活も、幸一郎にとっては、子供のときからのフツーの生活で、特別なことと思っていない。おじの選挙区を継ぐことも、当然と考えている。

 時岡美紀(水原希子)は、富山の田舎町出身。田舎の学校では、成績も容姿も抜群の美紀だったけれど、猛勉強して慶應義塾に入学したあと、自分程度の容姿も頭の良さも「その他大勢」だったことを思い知る。慶応大学には、あきらかな階級差が存在し、大学入試を経て入学した学生は一番下のランク。幼稚舎から入っているひとにぎりが一番上の階級。中学高校から入った学生までは「内部生」と呼ばれ、グループはかっちりと自分たちだけで行動している。
 ある日、「お茶しない」と内部生に誘われ、美紀と同じく受験入学組の平田里英(山下リオ) とついていくと、「お茶」は、ひとり5千円のアフタヌーンティだった。

 まじめに授業に出ていた美紀に「今日の分のノート貸してくれ」と近づいてきた学生がいた。ノートは内部生イケメンのカリパクとなる。
 父親が失業し、仕送りがなくなった美紀は水商売をはじめるが、結局大学は退学せざるを得なくなる。美紀はキャバクラからしだいに店のグレードを上げていき、高級ラウンジ勤めのとき、昔ノートを貸して結局返してもらえなかった男幸一郎と出会う。幸一郎の縁で会社に就職した美紀は、能力を発揮していく。

 ある日のパーティで、逸子はBGMとしてバイオリンを演奏しており、美紀から「イベントに出演して」という打診を受ける。幸一郎と美紀がただの同僚ではないことに気づいた逸子は、華子に知らせ、美紀にも華子が幸一郎の婚約者であることを告げる。

 逸子は美紀と華子を引き合わせる。美紀は幸一郎と華子の間を邪魔する意思はないことを伝え、華子は結婚式をあげる。
 華子は、江戸時代の廻船業から財をなした青木家の一員となり、表面的には問題のない生活が続いた。跡継ぎを生むことへの露骨な圧迫ほか、「日本でひとにぎりの家族が所属する階級」の暮らしは、松涛に住む開業医の娘である華子にとっても想像以上の「上流生活」だった。上流社会の嫁に「意思」なんてものは必要ない。

 ある日、華子は自転車で街を疾走する美紀を見かける。タクシーを止めて美紀を呼び止め、美紀のささやかな部屋を訪れる。大邸宅で、なにひとつ自分の思うままにならない生活をおくる自分に比べ、美紀の部屋は、自分で働いたお金で買った、自分の好みの品々に囲まれていた。美紀の部屋から見える東京タワーを眺めて、華子は「東京で生まれ育ったのに、この景色を見るのは初めてだ」と言います。そういえば、渋谷の高層ビルが邪魔するので、松濤のお屋敷街から東京タワーは見えない。東京タワーだけでなく、松濤の家で育ちタクシーで移動する華子の目には見えなかったものが多い。

 美紀と出会ったことで、華子の意識が変わっていきます。結婚すること以外に人生を考えたこともなかった華子。幼稚舎からのKOボーイ幸一郎。だれもがうらやむ優秀でイケメン資産家跡継ぎとの結婚。しかし、一家のドンの死去のあと、お決まりの遺産相続問題勃発。少しでも多くの遺産を幸一郎に残してやるのが、将来出馬する幸一郎のためになる、という姑のことばに、幸一郎から将来の話を聞いたこともなかった華子は動揺する。幸一郎にとっては、弁護士をやめておじの秘書になり、地盤を継いで議員になることは、当然の未来であって、ことさら妻に告げるまでもないことだった。華子は庭でトマトを育てようとして、幸一郎に「買ったほうが早い」と、せせら笑われる。たかがトマト栽培ということも、自分の意思では決められない生活と、すべて自分の意思で決定し、ささやかな部屋での暮らしを成り立たせている美紀の対比は華子を変えていく。

 美紀は大学同期の友人平田里英から、新会社立ち上げに加わってほしいという依頼を受け快諾する。企業ブランディングやイベントを担当する会社で、これまでの美紀の能力を生かせると里英は言う。
 華子は、突然離婚を申し出て、青木家を出る。青木家も、跡継ぎを生まない華子からの申し出はやむを得ないこととして、離婚成立。

 華子は逸子のマネジャーとして、地方のイベントなどにも同行する。田舎の小さなホールでの「小さなコンサート」に出演するため逸子に同行して、華子は集まった子供たちとしばし遊ぶ。ここでHALの小さな違和感。バイオリン奏者として、指をなにより大事にしなければならない逸子が、子供たちとバレーボールのやりとりをして遊んだこと。楽器演奏者は、ピアニストもトランぺッターも、指を傷める危険のあることは決してしないと聞いていたので、逸子がバレーボールで指を傷めることに華子が注意をむけないのは、演奏者の健康をだれより気遣うべきマネジャーとして不注意だと思った。演奏者としてもマネジャーとしても、それくらい「ゆるい」生活であることを表そうとしたのかもしれないが。

 幸一郎がこの小さな会場に来ていた。選挙区だから。「良かったら、あとで会いたい」という幸一郎に、華子は、ただ笑顔を見せて終わる。もし幸一郎がまだ再婚していないとしても、華子が元の生活に戻ることはありえない、と思う。なぜなら、華子は「将来の夢」を自分のこととして考える自由をえたのだから。以上であらすじ紹介おわり。

 21世紀制作の作品として、多くの映画が、「女性の自立」「女性が自分の夢を持つこと」について表現してきました。この主題によって、洋画邦画テレビドラマにかかわらず、さまざまな作品が作られてきましたが、『あのこは貴族』は、華子と美紀のふたりを「お嬢様社会と一般庶民」の両側から描いたところがミソでしょう。慶応大学に内部生外部生の格差があることは以前テレビドラマでも扱われていましたし、金持ち階級の生活の描写は『華麗なる一族』などでも見ました。(私が見たのは、キムタク主演の2007年版)。
 
 特権階級である青木家の面々が、華子にあとつぎを望む圧力はあっても、決して姑小姑を意地悪の権化のようには描いていない。幸一郎も自分がおかれた立場に淡々と従う生き方をしているだけで、、悪者としては描かれていない。美紀をホテルに誘う田舎の知り合いが、いやらしい顔つきであった程度で、階級差の対立を描きつつも、華子が離婚を決意し、仕事を得て自立しようとすること、美紀が親友と新会社を立ち上げようとすることなど、女性の自立を声高でなく描き切ったことがこの映画のよいところ。

 田舎から出てきたところは美紀と同じでも、ごくごく地味に中学校教師、大学講師として50年をすごしてしまったHALには、自立することは最初から当然であり、1970年に東京に出て以来、働いて食うことが当たり前の生活であったから、2015年に原作を読んでも、たいして感激しなかったと思います。2025年のyoutubeで2021年の映画を見て、どうしてこれほど心に染みたのかと思います。水原希子が田舎でジャージを履いてもけっしてダサくはなく、田舎娘っぽくなかったことをのぞけば、ひとりひとりの存在が心地よかったこともあるし、最初の東京の夜景からはじまり、美紀が自転車で街を疾走する東京の描き方も良かったのでしょう。

 youtubeでは、篠田正浩 『少年時代』(1990)などの古い時代の作品を見てきましたが、2021年公開という最近の作を見ることができて、今の女性、今の東京を見られたことが気に入ったのだと思います。

 youtubeの映画放映、期間限定のことが多く、いつでも好きなときに映画をみるためには課金が必要。好みによるだろうけれど、私は、課金してみるくらいなら、映画館に行きたい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ナミビアの砂漠」

2025-06-03 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250529
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2025シネマ緑風(2)ナミビアの砂漠

 2月7日に毎日芸術賞受賞式を観覧しました。ユニクロ賞受賞者として山中瑤子が出席するというので、その前に見ておこう、と「ナミビアの砂漠」を見にいきました。
 映画パンフレットを買って、あわよくば山中監督にサインをもらえば、サイン入りパンフレットとして価値がでるかも、というミーハー行動です。むろん、授賞式で一般観覧者が受賞者に近づくチャンスもなく、パンフレットはむなしく持ち帰りましたが、見てよかった映画です。

 娘は「ギンレイがラインナップしそうな映画だけど、ギンレイ復活しないからなあ。テレビ放映ないかな」というので「R12指定だから、テレビはないな」と説明すると、「そんなら見なくてもいいや」。お前は12歳以下かよ、と思うけれど、ジブリとディズニー映画がいちばん好きな40代娘がいてもいい多様性の世の中。

 「ナミビアの砂漠」、検索で都内2月の上映館は下高井戸シネマ一館だけ。下高井戸に映画館があることも知らなかった。できる限りシルバーパスで移動しようと思っているため、延々乗り継ぎをして下高井戸へ。隣にあってすぐに乗り換えできるのかと思った京王線下高井戸駅と東急世田谷線下高井戸駅が乗り変えには不便なくらい離れたところにあるのもしらず、はじめて下りた駅。駅からすすんでも映画館なんか見つからないので、地元らしい女性にたずねて、線路沿いのビル2階の下高井戸シネマにたどり着く。客席数126席の小さな映画館。予告編部分が終わり、本編にかろうじて間に合いました。山中瑤子監督 主演:河合優実

 おおざっぱなあらすじ。
 町田駅前の歩道橋。カナは、友人に会うパーラーまで、肩をゆらして歩いていく。パフェをつつきながら、友達の話にも身が入らない。友人イチカ(新谷ゆずみ)が、自殺した同級生の話をしても、なんの反応も出せない。今の状況、将来もなく、どうしようもない日々。カナは整体院のパート勤務でいくばくかのお金をかせぐ。機械的に「ちょっとつめたくなりま~す」と言いながら、マッサージクリームをぬりつける。

 アパートの家賃も食費も同棲相手のホンダ(寛一郎)が出し、家事も引き受けてカナにつくしている。なんの魅力も感じられないホンダが北海道に出張している間に、カナは偶然知り合ったハヤシ(金子大地)の部屋にくらがえし、ホンダの前から姿を消す。クリエーターというハヤシは「家族キャンプ」にカナを連れていく。金持ち家族の親睦キャンプで、カナがこれまで出会ったことのない、余裕ある人々の間ですごす。皆は肉を焼き、酒を飲み、カナにも優しく、なごやかに談笑する。その和やかさにカナは居心地が悪い。両親に大切に育てられたらしいハヤシの生い立ちも知り、自分の育ち方を思うと、いっそう落ち着けない。

 居心地の悪さ、孤独感を埋めるために、カナはスマホでナミビアの砂漠のライブ映像をながめる。そこにあるオアシス。水を求めて砂漠の動物が集って来る。渇きを癒す動物の姿を見るひとときだけが、カナが渇きを忘れる時間だ。カナを診察するオンライン心理士(中島歩)の診断では、カナは双極性障害(躁鬱症)または、境界性パーソナリティ障害 。それが最終的な診断かどうかはわからないままになるが、これまでネット社会では「メンタルヘルス、メンヘラ」として扱われてきた。他とのコミュニケーションがとれない「コミ障」として「下層民」として消費される対象でもあったこころを持つ一人の人間。メンヘラ、コミ障そのままに人物像を提出できたことは、山中監督の表現力だと思う。この映画を「つまらない、わけわからん。河合優実主演に期待したのに」という評価を下す人たちは、何をこの映画に求めて見にきたのか、わたしにもわからん。

 カナのそばに寄りそうのは、隣の部屋に住む遠山ひかり(唐田えりか)。ひかりという名前からも、おそらくはカナのイマジナリーの中に住む心の友人なのかなと思うけど、ひかりと知り合えたことで、カナはネイリストという、前よりは身を入れられる仕事に転職する。ネイリストにもささっと飽きて放り出すかどうかはわからないが、一歩前進したように見える。

 後半、縁薄く見えていた母親のルーツが中国だったことが明かされ、突然カナのスマホに中国の親戚たちの賑やかなパーティの画像がうつされる。中国にいる親戚たちの中国語は、日本で生まれ育ち、自分のルーツの片方が中国だということも意識してこなかったカナにはまったくわからない。たったひとつ知っている中国語「听不懂チンブートン」と繰り返すのみ。チンブートンは、私が使用した中国語の中で、「多少銭ドゥオシャオチェン 」と並んで口にした発音。「耳で聞いてもわからん」が「チンブートン」でした。これを言うとすぐにミスコピーの裏紙に漢字を書いて、筆談が始まる。カナがチンブートンと表明できたことは、次のコミュニケーションへのステップなのだ。カナの次のコミュ手段がなんなのか、わかりません。ネイルをはさんで、色遣いの会話なんかできるようになるのか。「チンブートンわかりません」
 わからなくてもよい。

 広末涼子が看護師に暴力を振るったとして、逮捕されました。その後、双極性障害という診断が公表され、躁鬱と暴力について、広く認識されました。カナがやみくもに暴れまわる姿、私は映画的誇張かもと思って見ていて、メンタルヘルスについての理解が足りていなかったなあと、感じました。これからだってメンヘラ理解ができていくのかどうかは定かじゃありませんけれど、イマジンの中でもいいから、だれかに寄り添える年寄りでありたいと願っています。いい人っぽく。

 河合優実が好きな人は、この映画にプラス評価。そうでない人は「意味わかんない、つまらない、テンポおそい」と感じるようだ。私は河合優実すきだから、映画も好きでしたけど、合わない人には、途中で映画館を出るか寝るかすると思います。

 映画を見ている間、ナミブ砂漠のオアシスが人工的に掘られたものとは知らなかったので、集まってくる動物たちが嘘っぽくて、これって、ナミブ砂漠じゃなくて、どこかのサファリパークの偽オアシスだろう、動物たちはパークに飼われているタレント動物なんじゃないか、と疑っていました。スマホ映像にはいつも2匹のオリックス(ゲムズボック)が立っていて、あまり動かなかったので、捕食される肉食獣などいない環境なのかと。

 ナミブ砂漠のオアシスのまわりに集まるオリックス(画像借り物) 
 真ん中にあるオアシスの水位が下がると、遠く離れた水源の管理地から地下のパイプを通して水が補給されるそうです。 


 おそらく、カナは、このオアシスが人工であることは知らずに画面を見ていたのではないかと思います。カナの画面では水飲みにきたオリックスがいつも2匹だったことも、対幻想のゆえか。
 山中監督が、このオアシスが人工のものだと知っていたのだとしたら、人工であれ自然のオアシスであれ、砂漠の中の水辺は人にも動物にもうるおいを与えるものだという象徴として出していたように思います。

 ナミブ砂漠がある国だからナミビア国。だから、「ナミビアの砂漠」とは、「ナミブ砂漠のある国の砂漠」というややこしいタイトルです。

 このややこしいタイトル、山中監督は意識的につけたのでしょうか。
 「ナミブ砂漠のある国の砂漠」そしてその砂漠の中の人工オアシス。ナミビアの砂漠の中のオアシスが人をも癒す水であるのかどうか。チンブートン。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「教皇選挙」

2025-06-01 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250601
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2025シネマ緑風(1)教皇選挙

 5月3日。混むことは承知で川崎のシネコンへ。川崎駅みどりの窓口前で待ち合わせて、川崎ラゾーナ4階の109シネマズ19時の回。
 娘と映画にいっしょに出かけていたのは、タカ氏のギンレイメンバーズカード会社用を使うためでしたが、ギンレイ閉館以後、チケットを買っていっしょに出かけるのは久しぶり。

 私はアカデミー賞ノミネート報道で存在を知り、見ようと思っていたのですが、娘が興味津々になったのは、やはり4月21日に教皇が帰天なさり、教皇選挙コンクラーベがにわかにキリスト教カトリック教徒以外にも話題にのぼるご時世になったからだと思います。教皇帰天は、残念なことではありましたが、映画製作者側にとっては、こんなよい宣伝材料はほかにない、というピッタリど直球の出来事。まさか映画公開に合わせてコンクラーベが開催されるなんて予想していなかったことはわかりますが、これぞ神のはからい。アメリカでも日本でも、教皇帰天後、観客倍増三倍増とか。

 結果、この上質のサスペンス、知的ミステリー映画に私も娘も大満足できました。おもしろかった。チケット代はらったのにつまらなかったら、悲惨でしたが、ペアチケット代以上の内容でした。以下ネタバレなし(のつもり)

 娘は、バチカンでロケができるはずないのに完璧な画面なので、撮影状況を知りたいからと、パンフレットを買いました。
 ロケではなく、すべてチネチッタでのセット撮影。思えばテルマエロマエもチネチッタで古代ローマ再現セットで撮影したんでした。チネチッタに残されていた聖堂や教会のセットを、美術チーム総がかりで改修。ミケランジェロの最後の審判の絵も天井画も見事。実際にロケしたのかと思えるような壮大荘厳ななシスティナ礼拝堂。枢機卿宿舎の聖マルタの家も、枢機卿を閉じ込めるにふさわしいしつらえでした。昔の建物だから、隣の部屋で男女が争う声がすれば、聞こうと思わなくても聞こえてしまう。

 聖マルタの家で枢機卿の世話をするシスターたちを統べるのは、アグネス。信念を貫き、シスターのまとめ役として、裏方に徹していますが、前教皇と親しかったことから、シスターの枠を飛び出す発言をいといません。シスターアグネスを演じたイザベル・ロッセリーニ。母イングリット・バーグマンを思い起こす静かな信念を秘めた演技でした。アカデミー助演女優賞ノミネート。

 原作は2016年に発表されたロバート・ハリスの小説。アカデミー脚本賞を得たストーリー、映画向きにするため原作とは異なるところがあるとはいえ、極上のはらはらドキドキに仕上げてあり、ラストの大逆転もあっとおどろくバチカン1962公会議の発展形。

 主役ローレンス枢機卿を演じたのが、『ハリー・ポッター』シリーズで、闇の魔法使いヴォルデモートの役者だなんて、娘のパンフレットを見るまで気づきませんでした。 静かに公正を実現しようとする信念の持ち主を体現していました。イギリスで男爵家につらなる家系出身の正統派俳優。

 108人の枢機卿が世界各国から召集され、ローレンス枢機卿のマネジメントによってコンクラーベが始まります。前教皇から「神のしもべの羊たちをまとめる牧場管理者」として信頼されてきたローレンス。
 ローレンスは亡き教皇の「教会の改革へ向かう理念」を実現してくれると思う親友ベリーニ枢機卿を推していますが、ほかの有力者も多種多彩。

 選挙開始にぎりぎり間に合ってバチカンに到着したのは、前教皇によって昨年新たに任命され、他の枢機卿には任命を知らされていなかったアフガニスタン・カブール教区のベニテス枢機卿。メキシコ出身で、イスラム地区の宣教に誠実に向き合ってきた。だが、ローレンスもベニテスについては前教皇に聞いていなかった。
 有力候補者は次の通り。
  • アデイエミ枢機卿。ナイジェリア教区所属、初のアフリカ系教皇の座を狙う野心を持つ。
  • テデスコ枢機卿。イタリア・ベネチア教区所属、イタリア人教皇を復活させたい伝統主義者の保守派。人種差別を排し、同性愛者を許す方向にむかっているカトリックの現在の方向を批判している。
  • トランブレ枢機卿。カナダ・モントリオール教区所属、保守派だが、穏健派。問題もあるが、テデスコ枢機卿よりはマシと、ローレンスは思っている。
 108人の枢機卿の票のうち72票獲得することが当選の決まり。2日間、3度投票を繰り返しても、72票は集まらず、票は割れたままでした。
 枢機卿のスキャンダルをあばく陰謀が実施されたり、前教皇が秘密裏に残した調査報告書が取り出されたり、選挙戦は二転三転。

 前教皇が進めてきた1962年公会議の革新を引き継ぐために、保守派を押さえたいと、ローレンスはある決意をします。すると、システィナ大聖堂に爆弾が投げ込まれるなどの大騒ぎがおこります。保守強硬派が「これは戦争だ」と演説すると、これまでローレンスに投票してきたと告白していたベニテス枢機卿が、アフガニスタンの戦地を経験してきた信念から「宗教は戦争ではない」と、強く主張します。イスラム圏で狂信的なモスレムから暗殺される危機も覚悟していたであろうベニテス枢機卿のことばは、他の枢機卿の胸を打ちます。

 最終的に72票以上を獲得した次期教皇は「自身の教皇名」を問われると、「インノケンティウス」と名乗ります。14世です。インノケンティウスという名前の由来は、ラテン語の「innocentis」で、日本語訳すると「無邪気な」「清らかな」という意味だそうですが、歴史上の13人のインノケンティウス教皇は、歴代が強力な教会権力を発揮し、十字軍派遣やら王族破門やら、大きな問題を引き受けてきた歴史がある。

 教皇決定後、ある秘密が語られます。身体に関わる重大な秘密。秘密を知っていた前教皇はどう応じたか、新教皇はどう決意したか。ローレンスはどう対応するのか。

 前教皇の死の場面を描く冒頭シーン。教皇のチェス相手だったベニーニ枢機卿が、教皇愛用のチェス一式をかたみにほしいと述べるとき、前教皇はいつも8手先を読むので、負けてばかりだった、というエピソードが話されます。ローレンスは、前教皇が自分の死後の選挙戦推移についても先を読み、手を打っていたことを知ります。前教皇は自分亡き後のコンクラーベについて、8手先まで周到に根回ししており、最終的な勝者は、自分の路線を確実に進めていける人材になるように手を打っていたのでした。

 5月7日から、バチカンで前教皇フランシスコ1世帰天後のコンクラーベが始まりました。きっと、システィナ礼拝堂の中では、説得やら裏切りやら事実は映画より奇なり、だと思いますが、きっと14億人カトリック教徒に慕われるPopeが選ばれることでしょう。知らんけど。

 

 コンクラーベとは、コン(ともに)クラーベ(鍵)。前教皇の部屋を鍵で封印し、鍵とともに教皇の魂の見守る中で選挙を行う。私が「根競べ」と思った通りに枢機卿たちは根をつめて投票していきます。
 
 ニコライ堂のミサに参加したとき、結構詳しく正教会について知識を得ました。「オーソドックスチャーチ」を日本語では正教会と訳しています。東方教会という訳語もあります。通称ではギリシア正教と呼ばれていますが、ロシア正教会もアルメニア正教会もジョージア正教会もあり、地域ごとに名称がありますが、同じ東方教会で名前は変われど中身はおんなじ。

 カソリックとの細かい違いはいろいろありますが、私が注目した違いは、イエスの母マリアについての解釈。カソリックではマリアは「聖母」で、神の側の存在。しかし正教会ではマリアは「一番神に近い人間」で、あくまで人間の一人として夫を持つ前にイエスを生み、「生神女(しょうしんじょ)」と称される人間。最高の模範となるよき人間ですが、神ではない。カソリックではキリスト信仰よりマリア信仰のほうが広がってきたように思います。西欧にキリスト教が広がるためには、土着の「大地母神」信仰を習合させることが重要だったのに対して、東方教会ではそうではなかった、という点だと思います。

 私はマリアもイエスも人間だと思っています。自分の姿に似せて人間をこしらえた、という神様もやっぱり人間。アダムとイブがこしらえられたのは、6千年くらい前だ、と聖書の記述研究から推定されています。神が、150万年前のトゥルカナボーイを見たとしたら「俺に似てねぇ!」と、憤慨すると思います。DNA研究からいうと、神様がアダムをこしらえた中東の荒野だと、だいぶ各地人類やらネアンデルタール遺伝子が入っているんじゃないかと思いますから、アフリカから出なかったトゥルカナボーイは、神様に似ていなくてもやむなし。

 お茶の水聖橋はふたりの聖人にちなんで橋名がつけられました。ニコライ堂の聖人は、ロシア人ニコライ。(正教会では、聖人と呼ばずに亜使徒と呼ぶ)。儒教の聖人孔子。イエスも孔子も本人はそうなりたかったわけじゃないのに、弟子たちが己の正当性を主張するために教祖を聖化したことは共通しています。

 現在の世界で、カトリック教信者は14億人。プロテスタント3億。正教徒3億人。イスラム教徒18億人(シーア派1億2千万、スンニ派15億人その他の派も)。 仏教系のうち、チベット仏教900万人。上座仏教(小乗仏教)1億3千万。大乗仏教3億。
 教皇選挙の後半、強硬派テデスコが主張したように、「宗教戦争必至」ならば、数から言ったたら、カトリックはモスレムに負ける。

 西欧でのカトリック信者数は、年々減少しているそうです。しかし、カトリック信者は年々増加している。なぜかというと、インドでのカトリック信者が増えてきたから。今はインドに、2000万人の信者がいます。15億人のうち11億人はヒンズー教。しかし、ヒンズー教は身分制度カーストが厳しく、法律ではカーストを否定しているにもかかわらず、社会制度として根強い。カーストから離れたい人は、カトリックに転じることが多い。カーストでは、僧侶階級、武士階級、平民階級など、こまかく分ければ2000に分けられた身分によって従事できる職業が決まっています。しかし、近年のIT産業など、これまでのカーストではどこに属するのか決まっていなかった職業に就く若者が増え、新しい産業についた人は、カーストに縛られるのを嫌い、改宗者も増えた、という事情があります。 

 映画「教皇選挙」に誕生した新教皇が進めるであろう、他宗教との融和、同性愛を認め、聖職者のうち女性の活用(女性枢機卿、今世紀のうちか)女性法王は今世紀中はむりだろうけれど、もし女性法王が出現したとしたらPope、Papa、お父様という呼び方はどうなるのだろうか。中世の伝説で855年から858年まで在位したとされる女性のローマ教皇というヨハンナ教皇がいたとされています。研究者はヨハンナは伝説上の人物で実在はしていない、と述べているけれど、男装のヨハンナは、女としてふるまったことはないのだから、次に女性教皇が誕生したら、最初の人になります。 
 仏教のほうでは、ダライラマの生まれ変わりが女の子になることがあるだろうか、などなど、長生きして見届けたいと思います。

 私は、すべての宗教信者に対して寛容でありたい。しかし、自分自身では特定の宗教の信者になることはないだろうし、宗教的団体の組織に加わることもないと思います。

 輪廻転生を固く信じるミャンマーの人には悪いが、人は死ねばそれで終わりと思います。もし魂というものがあるなら、地上での生が終わったあと、銀河系外のブラックホールまで飛んでいって吸収され、ホールから出ることはないと想像します。想像力は自由だから、私の魂が、広い宇宙を光速で飛んで行く間、どこかの銀河がビッグバンで生まれるところを見たり、どこかの惑星で、無機物アミノ酸が複雑に絡み合って生命を生み出すところを見られたらうれし。

 どこかにいるのかもしれない阿弥陀様やエホバ様やら、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3柱やら、八百万の神やらに、お願いしておきます。神様仏様、孔子様老子様、天神様、首塚の将門様、大権現様、道祖神様お庚申様、わが魂のブラックホール行き、よろしく。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2025年5月目次」

2025-05-31 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250531
ぽかぽか春庭2025年目次

0501 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記薫風(1)古代DN A散歩 in 東京科学博物館

0503 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2025二十五条(1)すべて国民は

0504 2025二十五条日記薫風(2)べらぼうたちの本 in国立公文書館
0506 2025二十五条日記薫風(3)お好み焼き教室
0508 2025二十五条日記薫風(4)神田川橋巡り with 地学研究会
0510 2025二十五条日記薫風(5)神田川沿い史跡点描 with 日曜地学ハイキング
0511 2025二十五条日記薫風(6)ネモフィラ in 舎人公園
0513 2025二十五条日記薫風(7)はいさいフェスタ・エイサー in 川崎ラチッタデッラ
0515 2025二十五条日記薫風(8)母の日20257

0517 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記万博(1)大阪関西万博①大屋根リング、コモンズC
0518 2025二十五条日記万博(2)大阪関西万博②イタリア館
0520 2025二十五条日記万博(3)大阪関西万博一日目③オランダ館関西パビリオン
0522 2025二十五条日記万博(4)アオと虹のパレード&ドローンショウ
0524 2025二十五条日記万博(5)大阪関西万博2日目⑤三菱未来館カナダ館
2025 2025二十五条日記万博(6)大阪関西万博2日目⑥ウズベキスタン館ブルーオーシャン館インド館オーストラリア館
2027 2025二十五条日記万博(7)大阪関西万博⑦チケットゲットの件万博災難の件
 
2029 春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記アヤメ咲いたか菖蒲はまだか(1)白河清澄公園
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ぽかぽか春庭「白河清澄庭園」

2025-05-29 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250529
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記あやめ咲いたか菖蒲はまだか(1)白河清澄庭園

 毎月の第3水曜日シルバーデー、2025年5月は現代美術館へ。
 現代美術とは相性が悪いHALですが、現在シルバーデーで入れる主な美術館博物館は庭園美術館写真美術館現代美術館の3館。東京都美術館はシルバーデーを実施しないことに決定して、高齢者は往復はがきでチケットを申し込み抽選にかわりました。江戸東京博物館は休館中。よって、今月は現代、来月は庭園。展覧会情報を見比べて、よさそうなところへ。庭園美術館のときは白金植物園(科博付属自然教育園)についでに寄るし、現代美術館のときは木場公園によることがあるけれど、木場公園は、先月娘とお好み焼き教室のついでに寄ったので、今回は清澄白河庭園へ。

 清澄白河庭園は2022年6月に訪れて以来。6月1日にもまだ菖蒲もあやめにも時期が早かったので、5月21日にも早かろうと思って出かけました。咲く時期は年によって異なります。24日土曜日から菖蒲祭りというので、もしかしたら21日に気の早いつぼみも出ているかと思ったのですが、全然でした。

 菖蒲の勝負には負けましたが、夏日になるという予報の中、水辺の散歩は気持ちよく、朝ちゃっちゃと作った焼きそば弁当を池の端のベンチで食べてから帽子かぶって日傘さしてぶらぶらしました。

  
涼亭へ向かって歩く        涼亭の茶室で外国人団体が茶道体験中
 

芭蕉句碑。近くに芭蕉庵があったことから、芭蕉庵近くの池というゆかりで「古池やかはつ飛びこむ水の音」
 

 外国人観光客も老人会の団体も、老夫婦ふたり連れも、のんびり池周遊の散歩。奥多摩あたりの自然の中を歩く森林浴セラピーとは異なりますが、公園セラピーっていうのもあるのだとか。11時から12時半までの公園で、心身リフレッシュできました。

<つづく>
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