孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

何とも洗練されたアホの文化じゃないですか。

2015年08月13日 | 日記


徳島市の阿波踊りが12日、開幕した。 市観光協会によると、15日までの4日間、県内外から最大で延べ約900連が参加し、約7万人が舞い続ける。期間中の人出は、昨年の114万人以上を見込むそうだ。



地元の盆踊りに行ったのは、もう記憶にほとんどないほど昔のことだが、夏祭りに血が騒ぐのは日本人たる証拠かもしれない。ニュースに本場の阿波踊りを踊る画像があったが、あのシンプルで妖艶な中にも気品のある女踊りは、さすが本家本元だなあと、思わず見入ってしまう。



そろって踵を後ろに蹴り上げたときの、ピンクや赤の蹴だしの色合いといい、シルエットといい、何ともいえず色っぽくて粋で乙である。また、編み笠がいい。傾き加減が微妙に顔を隠し想像力をかき立てるし、半円形の形が何とも女性的でチャーミングである。



徳島市の阿波踊りは数百年の歴史があるそうだ。動きは至極単調で、ヤットナー、ヤットナーの掛け声に合わせて、両手を頭上でひらひら動かす。長い歴史が衣装と動きを洗練させ単調ながらも見る方も、踊る方も飽きさせないエッセンスを凝縮した伝統文化だと思う。

  

似たような踊りに、同じ四国の高知のよさこい踊りがある。こちらも全国に波及しているようだが、私はどうも好きにはなれない。なぜかと考えたのだが、どうもあのケバケバしい衣装が嫌いである。洋風なのか和風なのかワケが分からず、ただ目立てばいいといった感じで、日本文化の趣が微塵も感じられない。



阿波踊りに見られるような上品さはまったく無く、ひたすら決った振り付けを隊列を組んで踊ることを観客に見せること。これに力点が置かれているような気がする。好みの問題で、決して非難するつもりなど無いのだが、まだ伝統文化とは呼べないシロモノではないかと思う。



初めてよさこい踊りをテレビで見たとき、それは本場高知の踊りだったか記憶は定かではないが、何だか以前どこかで見たような既視感を感じた。何だろうと考えたら、それは、30年以上前に東京の原宿などに出没して話題になった、「竹の子族」と呼ばれた小集団だった。

週末の歩行者天国に繰り出して、派手な原色の衣装に着替え、ディスコ音楽に合わせて踊っていた中学生や高校生たちの一団だった。

竹の子族がよさこい踊りのルーツかどうかなどは、どうでもいいが、改めて阿波踊りと画像を見比べると、本物とまがい物といった差を感じてしまうといったら、よさこい踊り愛好家の方々から反感を買うかもしれない。すみません。



徳島県のみなさん、今後とも日本の伝統文化を大切に継承していってください。ただ、お願いですから、ユネスコ文化遺産登録などという下らない色気をださないようにしてください。

害鳥、鳩。

2015年08月12日 | 日記
産経新聞 8月12日(水)16時28分配信

【ソウル=名村隆寛】韓国を訪問中の鳩山由紀夫元首相は12日、ソウル市内にある西大門刑務所の跡地(西大門刑務所歴史館)を訪問した。同刑務所は、日本の朝鮮半島統治時代に独立活動家らが収監されていた場所で、韓国では“抗日”の象徴。現在は独立活動家らの「苦難の歴史」が、写真や資料で館内に展示されている。

 30分あまりにわたって館内を見学した鳩山氏は、独立活動家らをしのぶ記念碑に献花した。さらに、鳩山氏は靴を脱ぎ、膝を屈したうえ、モニュメントに向かって手を合わせ、ぬかずいた。

 この後、記者会見した鳩山氏は、「元日本の総理として、ひとりの日本人、人間としてここに来ました」と述べた。その上で、「日本が貴国(韓国)を植民統治していた時代に、独立運動家らをここに収容し、拷問というひどい刑を与え命を奪ったことを聞き、心から申し訳なく思っている。心から申し訳なく、おわびの気持ちをささげていきたい」と謝罪の言葉を繰り返した。



またもやこのバカ、とんでもないことをしてくれたものだ。だから、こういう売国奴からはパスポートを没収しておくべきなのだ。

宇宙人と呼んだり、チヤホヤして扱ったお陰がこの有様である。そして、日本国民は目を見開いて良く見るがいい。これが民主党の姿なのである。彼らの頭の中は、日本という国を弱めるだけ弱めて、支那共産党の手に売り渡すことだけを考えている。

土下座して頭を垂れることで、安倍政権にダメージを与えることになれば、それで十分目的は達成できたわけだ。



ひょうきんな言動や奇をてらう発言に、面白がっていた国民は、自国の名誉が一個人の無鉄砲な行為で毀損されていることを、もう少し真剣に捉えるべきだ。どうせ、翌日のワイドショーでは、芸能スキャンダルレベルの取り扱い方をして、意識的に軽く扱うことだろうが、彼の犯した行動は国家に背く背信行為ではなかろうか。



安倍総理、元首相がここまで謝罪してくださったのだから、そう何度も何度も謝罪することは無いでしょう。これまでの「談話」と重複するようなことを言うなら、いっそ談話など止めた方がいいと思います。改めてご忠告申し上げます。

カスみたいな5人。

2015年08月12日 | 日記
参院特別委で審議中の安全保障関連法案に反対する元首相5人の提言が、8月11日に発表された。「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会」が7月、中曽根康弘氏以降の存命の元首相12人に要請文を送付。11日までに回答した細川護熙、羽田孜、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人の5氏の提言を発表し、安倍首相側にも郵送されたという。

「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会」というのは、要するに反日マスゴミで食ってきた連中のことでしょうか?それにしても、顔写真を並べてみると、そういえばこんな人も総理をやってたんだよなあ・・よく日本は持ったな。そんな感慨があります。



まずは、細川79代総理大臣。元朝日新聞記者だったそうで、そう聞いただけでもう十分胡散臭いのですが、どうもお殿様だとか言われると、「きっとご立派なお方なのだろうなあ」と勝手な想像をしてしまいがちです。

   

クイズにでも出されそうな、合計8党による連立政権でしたが1年も続きませんでした。ええと、日本新党、新政党、社会党、民社党・・あとその他4つもあったわけで、「8頭立ての馬車」と揶揄されたそうです。

当時は私は海外勤務の身で、人生で一番仕事に精を出していた頃です。日本の政治などまったく関心がなく、何故こんな政権が誕生したのか、正直言ってよく知りません。



政界を引退したと思っていたら、去年小泉氏にそそのかされて、東京都知事選に立候補していましたな。つくづく、おだてに弱いタイプのお坊ちゃまのようで・・・。しかし、こういう背骨のないタイプの人間は、組織の長には向いていないと思いました。

戦後平和が維持できたのは、「平和憲法」「9条」のお陰だ、などと言っているようでは、国の安全保障は任せられません。その歳になって、女子学生の拍手をもらいそうな戯言を吐いているくらいなら、静かに花瓶でも焼いている方がお似合いかと思います。



細川氏から政権を引き継いだ羽田80代総理。たった64日という歴代最短の短命政権でした。この方も細川氏同様スタートは自民党でした。しかし、その後、新政党、新進党、民政党、新・民主党と渡り歩いて、ひょんなことから総理大臣になってしまった方のようです。

この方で真っ先に連想するのが、省エネスーツです。意表をつく衣装でしたが、まったく流行りませんでしたね。

    

晩年は一人で歩くことも出来ないのに、政治家であることに固執して、醜態をさらしていましたが、正直言って、今回の5名に名を連ねていて驚きました。まだご存命だったのですね。

ただし、口述筆記でのメッセージは、「平和憲法の精神が今日の平和と反映の基礎を築いた。特に、9条は世界に向けての平和宣言・・グダグダ・・」と、支那や朝鮮半島に向って言ってるのか、相変わらずの型に嵌った「お花畑ぶり」を見せ付けていました。

     

村山富市氏は最近も国会周辺のデモに立ってアジっていましたが、あれでも81代総理大臣として、約1年半政権を担っていたんですね。

この方はハナから頭の中は真っ赤だったようで、自民党に所属しない総理経験者として唯一の総理大臣だったそうです。

この頃も私は海外勤務の身でしたので、どういう経緯でこんなのが総理になったのかよく把握していませんが、このとき起きた阪神淡路大震災では、勤め先の工場が大変な影響を受けたので、当時のことは記憶にあります。

そして、その後暫くして、自衛隊の派遣がもう少し早ければかなりの人命も助かったのではないか、ということも耳にしていました。「なにぶん初めてのことで・・・」という総理の釈明会見は、当然の如く支持率を急落させたわけです。



日本社会党から社民党に名前を変えたところで、頭の中身は左に寄ったまま。口を開けば、アジアに対する加害責任とか、謝罪とか、「過去の歴史を直視して・・・アジア諸国との信頼関係を築くべき・・」とか、このお方の言うアジア諸国とは支那・朝鮮の特定アジアだけであることは明白です。

支那や朝鮮半島の為政者にとっては、この老人ほど使い勝手のいい日本人は他にはいないでしょう。とことん利用し尽くします。日本にとっては「老害」の見本のようなお方ですね。

     

このお坊ちゃまは、恐らく史上最低の総理といっても過言ではないと思います。東大の工学部を卒業してから、あの名門スタンフォード大学の博士課程に学び博士の資格を取っていると、経歴には書かれていますが、私は眉唾ではないかと睨んでいます。

根拠は、前にブログにも書きましたが、彼の国連での演説を聞いたときの印象でした。原爆のことを「atomic bombing」と読んでいましたが、彼の読み方は「アトミック・ボンビング」でした。しかも何度かその言葉を読んでいましたから、うっかりミスではないはずです。「

bombing」の発音は「ボミング」で後ろの「b」は発音しません。こんなこと、中学生でも知っています。「comb」「tomb」「climb」など、語尾が「-mb」となっていれば「b」は無声音となり、「コウム(くし)」「トゥーム(墓)」「クライム(登る)」と言います。中学校で習うことです。

いくら大舞台でのスピーチでも、東京大学を卒業して、アメリカの大学の博士課程で勉強された人が、あんな間違いをすることなど、到底私には考えられません。



外国人記者から露骨に「アホ」呼ばわりされた日本のリーダーは、彼を置いて他にはいないし、今後も出ないでしょう。言動もさることながら、ママから5年間で合計9億円のお小遣いをもらっていたという事実。

開いた口が塞がらないどころか、顎が外れそうになりました。その後も口では殊勝なことを言ってましたが、心の中ではまったく反省などしていない様子で、あちこちで日本を貶める発言を繰り返しています。

公然と日教組を支援すると言ったり、外国人参政権の実現を宣言したり、正に国家反逆罪でしょっ引いて貰いたい存在です。

安倍総理へのメッセージも、「あなたに大きな顔をして、お説教をする立場ではないことを良く心得ているが・・・」と何か延々と書いてありましたが、まったくその通りで、その先は見る気もしませんでした。どこかの別荘で静かに余生を送られることを強く望みます。

    

鳩山政権は266日間という短命政権でしたが、あのまま続いていたらと考えるだけで、体感温度が2~3度下がる気がします。しかし、彼の後に登場したのがこれに輪を掛けて酷かった。

平然と、「議会制民主主義とは期限を切った独裁」だと公言していたスッカラ菅こと菅直人総理はあれでも94代総理大臣である。

何と言っても、彼の在任中に起きた尖閣諸島での中国船衝突事件での対応が最悪だった。海上保安庁の巡視艇に体当たりしてきた中国漁船は事故でもなんでもなく、仕掛けてきたのだった。船長を逮捕、船を拿捕したものの、事件の実態は何も分からず、一部の国会議員にのみ公開された映像を見た後の感想は「コツンと当たった程度だった。」(福島瑞穂談)などと、事件を矮小化しようとする魂胆が見え見えだったことが、その後のyoutube への映像公開で明らかになった。

当時の中国大使は支那にメロメロの丹羽宇一郎。官房長官は、自衛隊を「暴力装置」と呼ぶ仙谷由油人。結局、2週間して中国人船長を釈放してしまった。

この一件だけで、民主党政権に任せておいては日本の将来は危ないと感じた日本人は多かったのではないだろうか。

更に、まだ記憶に新しい2011年3月11日に起きた、東日本大震災への危機管理能力の無さは、「人災」と呼ぶにふさわしいほどの体たらくであったではないか。菅首相自らテレビカメラに向って、「官僚などバカだ」と言い放って、自党のど素人たちに対応させようとしたのは、見ていられなかった。

後になって、次々に菅首相の横槍がいかに現場を混乱させたか、当時の吉田所長の悲鳴のような証言が物語っている。



悪夢の民主党政権は、授業料と呼ぶにしてはなんと膨大な負担であったか、政権交代二加担した有権者は猛省すべきだと思う。彼らは意図して日本という国を壊して、彼らが望む共産主義国家に作り変えようと画策したとしか考えられない。そして、それは今でもまだ諦めずに、マスコミや左翼団体を巻き込んで画策中である。

菅氏は安倍総理へのメッセージで、「私は政治家の使命は国民のため、自国のため、世界のためを考えて行動することだと考える」と語っている。言うこととすることがこれほど乖離している人のことを、日本語で「嘘つき」と言う。

安倍総理は、このような日本という国が本当は大嫌いな政治家たちのメッセージなど気にせず、無視して紙くずに捨ててください。

安倍談話の文案で悩んでいるようなら、無理して発表することも無い、その代わりと言って、黙って靖国神社を参拝するだけでいい。それだけで強烈な世界中へのメッセージとなることでしょう。

毒か薬か・・。

2015年08月12日 | 日記
2年ほど前、風邪をこじらせ、呼吸するたびに胸が痛くて我慢できず、痛み止めでも注射してもらおうと近くの町医者に診てもらったら、「これは痛み止めというレベルじゃないですね。すぐに入院した方がいい。」と言われて、俄かに信じられなかった。

その町医者が以前独立する前に勤務していた市民病院に連絡して、入院可能ということになり、その日撮影したレントゲン写真を抱えて、這う這うの体で市民病院に入院した。

すぐに痛み止めの点滴をして、痛みは和らいだが、ナントカという炎症を示す数値が検査の結果、通常値の数百倍の値を示していると聞かされ、ひっくり返りそうになった。もうこうなると、医者の言うがままである。

溜まった膿を出す必要があるということで、背中にチューブを刺すという。「はぁ・・、いつですか?」「今日の午後です。」

もうそうなると、まな板の上のお魚状態で、「えぇい、どうにでも好きにしろぃ!」となって、急に無口になったものだった。

医者の言うとおりに節制して、病状も回復し、ひと月ほどで退院できたが、終わりごろはもう退屈で退屈で死にそうなくらいだった。当初は周りを見る余裕はなかったが、次第に同室の患者の話が耳に入るようになり、聞くとはなしに、隣の老人は血圧が高めで塩分をかなり控える食事が不満らしく、窓際の老人は、何の病気か分からないが、膝が痛くて歩けない様子だが、口は達者で付き添いの奥さんに、小言ばかり言っていた。

その小言爺さんが、よく奥さんに言ってたのが、「アオジルが少なくなったから作って冷蔵庫に入れとけ」で、食事のたびにそのアオジルを愛飲しているようだった。ある日娘らしき女性が昼食時に見舞いに来て、「それ苦くないの?よく飲めるね。」と言っていた。



すると、その小言爺さんは、「これは苦くないアオジルで、いくらでも飲めるんだ。ちょっと味見してみろよ。」そう言ってその女性に飲ませたようだった。」「ホントだ。甘い!」と女性は素っ頓狂な声を上げていた。

私は、ああいう飲み物で野菜を食べた気になるという、その安直な神経が気に入らず、只でも飲みたくもない派だが、テレビであれだけ宣伝すればつい試したくなる人も多いだろう。金を払って買って、ちょっとでも飲めば「プラセボ効果」も手伝って、何か体調がよくなった気になるものらしい。

しかし、その数日後、小言爺さんのアオジル好きが看護婦さんの知るところとなり、ましてやそのアオジルが甘い、つまり糖分を含んでいると知れ渡り、看護婦長がお出ましとなって、その場でアオジル禁止令を発令、しかも小言爺さんもタジタジとなるような婦長さんの小言爆弾が炸裂したのだった。

どうも、呼吸器疾患とは別に、小言爺さんは糖尿病を患っていたようで、なのにこんなものを毎食事に飲むとは・・と、婦長さんの鼻息は荒かった。



トクホというマークが付いた製品は、お上のお墨付きを得た健康食品で、早朝にテレビで盛んに宣伝する「まがい物っぽい」健康食品とはちょっと違いますよ、ということらしいが、そのお上が後押しする「高濃度茶カテキン」飲料は、どうも海外では「要注意飲料」という評価が定着してしまったようだ。

「脂肪燃焼」を助けるどころか、発がん性も指摘され、大量に取るのは危険だということです。カナダでは高濃度カテキンが肝障害を引き起こす報告があり販売禁止状態。アメリカでは、タバコのように「注意書き付き」で販売され、イタリアでも肝機能障害との因果関係あり、という判断が下されたとの事です。

 

元々、トクホがスタートしたときは、お上のお墨付き健康食品ということで最初歓迎されたようですが、その分売値に大きく影響して、「値段はちょっと嵩むけどね・・・」ということで、財布に余裕のある方の為の商品となっているようだ。

当時、どこかの大学の栄養学の先生が、「高濃度茶カテキン」といっても、あんな高い飲み物飲むより、一日一杯、いつもよりちょっと濃い目の緑茶を飲むようにすれば、効果としては変わらない・・とコラムで述べていたのを読んで、「どうせそんなモンだろう」と思っていた私は、海外の反応を見て、「やっぱりね」と思ったものでした。



グラフによる巧みな視覚効果や、複雑な統計手法でほんのわずかな差をあたかも奇跡の効果がある如くの宣伝をするやり方には、十分気をつけたいものだ。



軽いノリでは済まない洗脳。

2015年08月12日 | 日記
人間誰しも大なり小なり悩みはあって、考え始めると憂鬱になってしまう種を抱えて生きているものだ。そんな悩みを解消してくれそうだとなれば、飛びついてしまうのも無理はない。

それが時には「神の救いの手」であったり、「同世代の優しい声掛け」であったりして、運命的な出会いを感じさせて突如目の前に現れたりする。

子育てが一段落した頃、同世代の若奥さんたちが訪れて、何気ない世間話を始めたのをきっかけに、以前から少し興味があったキリスト教の勉強会に出始め、最近どうも女房の言動がおかしくなってきた。すぐ近所の、年齢は6歳ほど上の方から相談を受けたことがあった。



私がピンと来たのは、実は私の家にもしょっちゅうその手の訪問が過去にあり、私は延々数時間に及んで論じ合った事があったからだった。相談してきた近所の人には、すでに洗脳されているようだから、我慢して見守るしかないのでは、と言うくらいしか出来なかったが、あれから20年以上経った今、特に家族の間に問題はなさそうなので、安心している。ただ、奥さんの方は、近所の法事の手伝いなどには一切参加しないようなので、心の中まで洗脳が解けたわけではないようだ。

以前、このブログにも書いたと思うが、学生時代同じ下宿の同級生がやはり別のキリスト教系の集団にある日突然加わり、彼らが借りている郊外の一軒家で、共同生活を始めた。大学に入学した年のことで、極普通の若者がああも変わってしまうものなのか、私はちょっと信じられなかった。

(写真はイメージです)

大学を卒業しても彼は就職せず、布教活動を続けて、何年後かに例の世間を騒がせた「合同結婚式」を挙げて、神が定めた女性と結婚した。今も千葉県あたりで布教活動を続けていると思う。



オウム真理教の事件でも、何故頭のいい学力の高い人達が、あのような胡散臭い、バカげた集団に参加してのめりこんでしまうのか不思議だったが、実際厳しい受験勉強から解放された時など、ポッカリと心に隙間ができて、そこにタイミングよく助けの手が差し伸べられると、スーッとその手にすがってしまうのだろう。

それが、宗教団体だったり、政治団体だったり、自己啓発のグループだったりするわけだ。同世代の同じ悩みを持った人達と時間を共有できるというだけで、幸せ感を感ずることができ、行動の中身など大して関心など要らないものなのだろう。



しかし、それを巧妙に利用して己の野望を達成しようとする連中がいると分かると、これは見捨てては置かれない。ことは自国の安全保障に関わることで、若者たちの「はしか」のような騒ぎだと軽く考えてはいけない。



学生たちが、高校生までもが、この法案に反対して立ち上がっています。とマスコミはこぞって報道し、映像を垂れ流しているが、後ろで糸をしっかりと引いている政治集団が存在すると言う事実は見捨てて置けない。

彼らが乗り回すワゴン車が左翼政党のワゴン車であることを、ネットの有志が暴いている。「な~んだ、そうだったのか・・」で済ませては置けない、極めて悪質で狡猾な反体制活動でないか。

一時期よく耳にした「マインドコントロール」という言葉は、いまも相変わらず世にはびこる危険因子で、見逃すと大変なことになるから要注意である。




朴李化する日本・・。

2015年08月12日 | 日記
STAP細胞騒ぎは、論文のパクリ疑惑が発覚して、そこから現代のアカデミズムの世界のいい加減さが露呈され、テレビに出ている学者先生方の肩書きも、何だか疑いの目で見てしまうようになった。

新聞の折込チラシで胡散臭い健康食品を推薦する「ナントカ教授」とか「カントカ博士」というのは見かけたが、世の博士や大学教授が小遣い稼ぎに名前を貸してるんだろうな、くらいにしか感じていなかった。

しかし、どうもその肩書き自体が何ともいい加減な審査で得られるようだと分かってしまうと、もはや「末は博士か大臣か」などという言葉も、死語になったも同然だろう。

今の騒ぎが起きる前にも、何かで読んだことがあるが、「今の学生は論文を書くにもインターネットを駆使して、あちこちの他人の論文を切り貼りして提出してくるので、困ったものだ・・・」とどこかの大学の先生がぼやいていた。



参考として引用するのなら、その旨をはっきり表示すればいいのだが、あたかも自分の意見や成果のように発表するのは、これは犯罪行為だろう。

つい最近も、お隣の朴李(パクリ)本家で、売れっ子女性作家が三島由紀夫の「憂国」の一節を盗用したと、ちょっとした騒ぎになったが、本家だけに、しかも物書きだけに、その言い訳もなかなかのものだった。曰く。

「憂国は読んだ事はないが、自分の記憶が信じられなくなった・・・。」ひょっとして、この作家には別にお抱えのゴーストライターでもいるんじゃないかと勘ぐりたくなる発言だった。

ゴーストライターと言えば、こんな方も登場して、世間を驚かせたが、あれは彼を利用したテレビ局側にもかなりの責任があったと言える。



皮肉なことに、正直に白状したゴーストライター役の作曲家が、人気を得ているのを知ると、まるで昔ばなしの結末のようで、「めでたし、めでたし」という感じだ。

東京五輪のロゴマークの朴李(パクリ)疑惑は、デザイナーの言い訳会見もやり、五輪組織委員会の会長も「自信を持って使用する・・・」と自分に言い聞かせていたようだが、ネットの世界では、彼の過去の作品に疑惑の目が向けられ、どうも薮蛇になってしまったようだ。

   

みんな偶然のことで、盗用ではないと言い張るのだろうが、第一印象はやすやすとは拭えないものだ。

そう言えば、昔仕事の関係で知り合った建築関係の方が、「あそこのホテルの階段の手すりのデザインが素敵だ。」とか、「エントランスの感じのよさは、○○ホテルが世界一だね。」とか、次々にそういう話が飛び出してきて、「ああ、その道の方は普段から見るところが我々とは違うものだなあ。」と思ったことがあった。

一旦、真似しておいしい思いを経験すると、人間なかなか止められないものだろうが、そこは、本家隣国の浅はかさを嘲笑することで、それを歯止めとしなければならない。

ところが、この国全体が、何だか朴李化しているようで、私はその点が最も気がかりなのである。

原爆犠牲者の霊を慰めた?

2015年08月11日 | 日記
今朝の朝刊は随分薄っぺらだなあと思いながら、パラパラめくっていて、ハタと手が止まって目に飛び込んできたのが「慰霊にそぐわぬ政治色だ」という見出しだった。

8月10日の式典での長崎市長が読み上げた「平和宣言」は、偶然私もテレビで見ていて、三日前の広島の「平和宣言」同様、こういう宣言を読み上げることにそれほどの意味があるものなのか、と腐敗臭のする違和感を感じた程度だった。



朝刊の「主張」というコラムに掲載された長崎平和宣言は、手短にまとめれば、「原爆犠牲者らの悼(いた)み、平和を祈る場であるはずなのに、目下論争中の政治課題を取り上げ、一方的な主張を入れたのが残念だ。」ということだった。

具体的には、現在参院で審議中の安保関連法案のことを、田上市長は「憲法の平和の理念が今揺らいでいるという懸念と不安が広がっている・・。」と反政府デモ参加者側に立った言い方を読み上げていた。

この平和宣言の文案は、そもそも被爆者を交えて、学者やマスコミ関係者、平和運動家らでなる起草委員会の議論を経て、長崎市が作成するのだそうだが、そういうことならば当然あんな文に行き着くのだろう。



最終的には田上市長が確認した上で完成する「平和宣言」だが、安全保障関連法案を憲法の平和の理念が揺らぐようなもの」と言ってしまうのは極めて政治色が強く、ここは遠慮をする配慮が必要だったのではないかと、私も新聞の「主張」にまったく同感する。



核を廃絶すれば、平和は維持できるとどんなに大声で叫んでも、いっこうにその気配がないどころか、もう自国の庭先まで安全を脅かす脅威が迫ってきているというのに、その現実には一言も触れずに、(あの市長、元アナウンサーだったんでしょうか)実に滑舌よく、「戦争体験者の話を聞け」「核廃絶の署名をしろ」「原爆展を見よ」と、若者たちに向って訴えていました。

「ピース・フロム・ナガサキ」といういかにもお花畑の住人たちが拍手して喜びそうなキャッチフレーズで締めくくった「平和宣言」でしたが、今ネットで全文を読み返してみても、独特な臭いがして、どうも違和感は払拭できません。



以前、九州旅行をした際も長崎原爆資料館にも行きたかったのですが、広島同様、どうもこういう場所は、「戦争反対」「安倍は帰れ」というプラカードを持った連中の聖地のような印象が強く、行くのを止めました。私の場合、この感覚は前より強くなんているようです。



同じように、沖縄も一度訪れてみたいと思っている所ですが、その気持ちは以前と比べて益々ゼロに近づいていきます。理由は、同じように、いわゆる左翼の平和運動家達がうようよ出没するような場所で、間違ったイメージなのでしょうが、もう日本人離れしてしまった人達が牛耳る観光地になったようで、このままでは恐らく一生行かず終いになることでしょう。

脳味噌÷体重

2015年08月10日 | 日記
何ですか、東京五輪のマークのパクリについて、あの森元首相が、「絶対の自信を持って使っていく・・」と仰せられたそうで・・。・・でその根拠は?と思って記事を読むと、、、

「(佐野さんが) 自分で考えたオリジナルであると言っており、われわれも同意している。芸術、美術関係の極めて卓越した人たちが約1年をかけて協議して決めた。間違いのない手続きをし、国際オリンピック委員会(IOC)も認めてくれた」だとさ・・。

好きなようにやればいいでしょうが、正直言って東京五輪に対する関心は、今回の件で決定的に消滅しました、私は。ここは、IOCが「どうぞ気になさらないで、使ってください。」と言ってきても、選考し直すべきだと思いますがね。これじゃ支那・朝鮮と同類に見られても結構ということになる。冗談じゃないですよ。

大体この体格がご立派な方は、話す言葉が小学生並みで、「自信を持って使う・・」という表現も変ですし、その前に(誇りなどこの際捨てて・・・)とでも言えば彼らしかった。

経歴を拝見すると、名門早稲田大学の雄弁会のご出身で、その後新聞記者も経験されているではありませんか。あの名門大学をご卒業なさっていながら、新聞記者の経歴もありながら、「IT革命」を「イットかくめい」と言ったりして、この方経歴を詐称されているんじゃないでしょうか?

かつて首相を務めた際、クリントン大統領と会談するに及んで、側近が気を利かして、
第一声は「How are you?」と言ってください。すると向こうが多分「Fine, thanks. How are you?」と聞き返しますから、「Me too.」と言うだけでいいです。と教えたそうです。



森首相は、クリントンと会うなり、「Who are you?」と何食わぬ顔で言ったそうです。クリントンは、ジョークはジョークで返すアメリカ人らしく、「I am Hillary's husband.」(ご存じないでしょうが、私はあのヒラリー・クリントンの亭主なんです)

すると、あのデブは、「Me too.」と言ったというから、間抜けにもほどがあるでしょう。



当時から、思いついたらすぐに口から出てしまう悪いくせがあるようで、他にも数え切れないくらいの失言があるようですが、リーダーシップがあるとか、何か特定分野に長けた才能を備えているとかいうなら許せますが、この方は「ゴリラの体に、サメの脳味噌」と揶揄されていましたから、以前からどうしようもない政治家だったようです。



概して、この国はデブには肝要なところがあって、少しくらいのポカなら笑って許してしまうようですが、確固たる地位について、ポロっと言った一言が一瞬で世界中に拡散する世の中ですから、病院に行って、口にチャックでも縫い付けてもらう方が国益を損ねることにはならないのではと、老婆心ながらご忠告申し上げます。

例えば、こんな感じに・・・。




嵩にかかって印象操作。

2015年08月10日 | 日記
私の大好きだったコラムニストの山本夏彦翁が、よく引用して、しょっちゅう引用するものだからいつの間にか自分の作った言葉みたいになったと言っていた、内村鑑三の「平和なときの平和論」という言葉は、今の世相にぴったりの言葉だと思います。

朝鮮半島を見ても、東シナ海や南シナ海に眼を向けても、あるいは日本近海に我が物顔で出没する支那の漁船のような工作船を見ても、周りは脅威だらけと言ってもいい状況ではないでしょうか。

こういう不穏な状況は敢えて見ようとはせず、必死で政権批判を繰り返す人達は、どういう神経の持ち主かと首をかしげます。

 

功成り名を遂げた方たちや、立派な肩書きをお持ちの方々が政治的な発言をする自由がわが国にはありますから、それは否定するつもりは毛頭ありませんが、みなさん迫り来る脅威などまったく感じていないのでしょうか?

  

世間の蒙昧な庶民たちは、テレビでよく見る方とか、大学教授とかノーベル賞受賞者などと聞いただけで、反論するどころか神の声のように聞き入ってしまうものなのです。

実際、夕方のローカル番組などで、まったく売れなくなった芸人さんが、多分ギャラが安い所為で雇われて、街の散歩をして郷土料理などを紹介するとき、その芸人さんを見かけた街の人は、名前などすっかり忘れてしまって出てこないのに、手が自然に出て握手を求める・・なんて場面がよくあります。「テレビに出る人」の神通力は偉大なものなのですね。

  

こういう人達をうまく利用して、純朴な庶民の印象操作をしようと企む輩がいるんでしょう。恃まれた方も、「平和」とか「不戦」というと自分のイメージは大して傷つかないし、何か自分が菩薩にでもなったような快感を味わえるんでしょうな。

しかし、今は兎に角「平和」なんです。何を喋っても誰も咎めることはありません。内村鑑三の「平和なときの平和論」という言葉が味わい深いのは、平和でなくなったときには、こういう人達はみんな口をつぐんでしまって、それどころか、そういう状況になると、「平和論」など唱える連中を袋叩きにする側に廻ると分かっているからなのでしょう。

戦前の朝日新聞など、ソレやれ、ヤレやれと戦争を煽りまくってたそうですね。更に面白いのは、「野球?」あんな下らないもの朝日新聞が叩き潰してくれる、と眼の敵にして痛そうですが、今はどうです。高校野球を礼賛して、大げさに感動を押売りしてテレビの視聴率獲得や新聞販売似躍起になってじゃあありませんか。

  

影響力の大きさから言えば、テレビの右に出るものはないでしょう。朝・昼・午後のテレビのワイドショーを一週間見続ければ、確実に脳は白痴化します。

 

今の状況は、こういう「偏向番組」や新聞報道が、民意を彼らが望む方向に持っていこうと、有名人や肩書きの立派な老人や俳優を利用しているといえるでしょう。

それもこれも内閣の支持率を下げるのが目的なのでしょう。

 

こういう見方でテレビの「偏向番組」を眺めると、番組前の打合せで出演者たちがテレビ局の参謀たちからどういう支持を受けたのか想像しながら見たりして、なかなか面白いものです。

『ママ』とか『主婦』。類は友を呼ぶ。

2015年08月10日 | 日記
時折涙ぐんで訴えてたあの会見・・・危うく騙されるところでした。



いささか旧聞に属しますが、『「安保関連法案に反対するママの会」西郷南海子(旧姓・和賀南海子)。正体はゴリゴリの極左暴力集団・中核派の活動家と発覚』だそうで・・・

とんでもない『ママ』ですな・・・。5年前、京都大生で26歳の中核派の原田容疑者が電車内で女子学生の太ももをお触りして、痴漢容疑で逮捕されたので、その後継者に当時京都大学法学部自治会委員長4年生だった和賀南海子氏が選ばれたそうです。




当時から反政府街頭デモでギャアギャア嘘泣きして同情を得ようとするのが得意技だったようですが、「安倍の首を絞めるぞー」とか叫ぶような、頭の中身は恐ろしい「極左過激派活動家」のようです。(それにしても、あっという間に3人の子持ちですか・・・。少子化の折、大変お盛んなことで結構ですな。)



同席しているのが、鷹巣直美という「普通の主婦」だそうで、この方もガチガチのプロ市民運動家だそうです。何でも憲法九条にノーベル賞を・・・と騒いだお方で、あの反日・朝日新聞が「普通の主婦だ、普通の主婦だ」と持ち上げていましたね。こういうのを「類は友を呼ぶ」って言うんですね。



「ママ」とか「主婦」とかいうソフトイメージを前面に出して、同調者を獲得しようという魂胆でしょうが、載せられた方は安っぽく扱われたものですな。京都大学とか海外留学経験とか、その辺のママや主婦はそう聞いただけで、ビビッてしまって何の疑いもなく付いていってしまうのでしょう。

やる方も裏で糸を引く方も、日本人、特に女性たちはそういう肩書きにコロンと参ってしまうのを見越してのことなんですね。



この鷹巣直美というご婦人も「平和をつくる会」とか、「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会」とかいう、胡散臭い、どうも半島系の反日組織のガッチガチ運動家のようですね。

新聞記者だとかテレビ局の記者は、こういう情報を持っていながら故意に報道しない、というかグルになって、反政府活動を支援しているというのが今の反日の動きなんでしょうな。



朝日新聞とかTBSなどの反日マスコミはみんなグルになって、政府転覆を画策しているわけです。



視聴者も読者も随分甘く見られたものだと思います。国民が「自民党にお灸をすえる・・・」と、民主党に政権を任せることになった結果、どうなったか・・。

喉元過ぎれば熱さ忘れる・・ようでは、この国の将来は危ういものです。

おめでとう、「明るい北朝鮮」。

2015年08月09日 | 日記
今日はシンガポールがマレーシアから分離独立し、建国してから50周年の記念日だそうで、現地は祝賀ムードで賑わっているそうだ。



式典のリハーサルも前日に盛大に行われたと、朝刊が伝えていた。しかし、記事にも掲載されていた式典開場の巨大スクリーンに建国の父「リー・クワン・ユー初代首相」の写真が映し出されているのには、何だか違和感を覚える。

途中、ゴー・チョクトン氏が首相を引き受けているが、その後はお決まりのリー初代首相の長男、リー・シェンロン氏が首相になって現在に至る。



「明るい北朝鮮」と呼ばれるシンガポールには、実質的には報道や集会の自由はない。
親子で世襲する独裁国家といえば、思い浮かべる画像はこれだ。



本家は、すでに三台に渡って権力を世襲しているので、まだ足元にも及ばないが、シンガポールもいずれは同じような道を歩むのだろうか。



9日当日は、お父さんの肉声の独立宣言をテレビやラジオで流すそうだが、何だかオヤジの威光をかざす様で、眉をひそめたくなる知らせだ。

国民一人当たりのGDPはすでに日本・米国を追い抜いて、「アジアで最も豊かな国」となっているのだが、私が1年弱だが住んだ経験からは、便利で治安がいいというだけで、実に窮屈で住みにくい印象を抱き、住めといわれても住みたいとは思わない国の一つとなった次第である。

米国の調査会社が2012年に調査したところでは、日常生活の「幸福度」は、調査した148カ国中で、最下位だったという。

教育熱心というより、異常だとも思える競争社会や政治的な締め付けが窮屈なところがその原因ではないかと指摘されているそうだ。経験者として、私はこの点、大きくうなづくのである。

それに、街中に存在する観光スポットも人工的過ぎて味も素っ気もなかった。



お父さんも天国に旅立ってしまって、残った息子は前途多難であろう。お父さんが築き上げた「能力至上主義」を基本としたビジネスモデルは、日本の参考にはならないと私は感ずるのだが、如何なものか。この国の今後10年が楽しみである。


ダイインという茶番・・

2015年08月09日 | 日記
もう30年以上も前のこと、私が滞米中に起きたショッキングな出来事にエルビス・プレスリーの死と、もう一つ、ピープルズ・テンプル(人民寺院)の集団自殺があった。

プレスリーはそれほど馴染みがなく、それほどショッキングだったとは言えないが、新聞・テレビ・ラジオでは大騒ぎしていた記憶がある。

ピープルズ・テンプルの信者集団自殺事件は、普段読みもしない新聞を買い求めて辞書を片手に記事を読んだ記憶がある。

1978年11月のことだった。南米のガイアナという国に集団移住したキリスト教系の新興宗教・カルト集団の信者たちが、粉ジュースに青酸カリを混ぜて飲み、「革命的」な集団自殺を遂げ、教祖も自殺したというおぞましい事件だった。それまで、「カルト」という言葉にも馴染みがなかったが、この事件で二度と忘れることのない英単語になった。



テレビでも繰り返し報道され、原色の甘いジュースを次々に紙コップで飲み干し、幼い子供には親が少しずつ飲ませて、合計900人以上(内子供が303人)文字通り、バタバタと倒れて死んでいったようだった。



恐らく日本ならあの状況をそのまま報道することはなかったと思うが、映像で転がっている死体の映像を見せ付けられ、ドキッとっさせられた記憶がある。



教祖のジム・ジョーンズは、南米のガイアナという小国にジャングルを入手して、ジョーンズタウンという町を作り、共産主義の到来を唱えていたそうだが、やっていることは支離滅裂で精神的に狂っていたようだった。

いくら信仰心に飢えていたとしても、人間がこうも教祖の言い成りになるものなのか不思議だったが、その後日本でもオウム真理教の似たような事件が起きてみると、人間とはかくも脆いものかと思わざるを得ない。似たようなカルトが、まだまだこの世には存在していることに、我々は注目すべきだと思う。

何故こんなことを思い出したかというと、広島の被爆式典の際だったか、平和愛好家の集団が「ダイイン」をやっていたという新聞記事が目に入ったからだった。「その中には、横になって携帯電話をいじっている若者もいた・・」と記事は締めくくっていて、時代を反映しているなあと、笑ってしまった。

『ダイイン』とは、昔平和愛好家たちが、何かあるとよく手をつないで地面に横になり、死んだフリをするパフォーマンスで、真意はよくわからないが、多分死の恐怖を訴えるという意味の行為なのだろう。

    

「ダイイン」をする現場に立ち会った経験がないので分からないが、きっとリーダーの掛け声で一斉に地面に寝転がり、数分間ジッとしていて、聴衆に「どうだ?死とはどんなに恐ろしいものか分かったか!」と無言のアピールして、解散となるのだと思う。

画像でみると、人民寺院の集団自殺と大差ないようだが、片方は紛れもない死体が転がる風景であるだけに、平和愛好家たちの「ダイイン」パフォーマンスが笑えるほど茶番に見えてしまうのだった。

    

それにしても、こういう行動を共にする平和愛好家集団は、一種のカルト集団という範疇に入れてもいいのではないかと思ってしまう。そうではないか、情緒を煽られて催眠状態にさせられて、非常識な言動を繰り返すという集団心理・・・。とても理性で制御できる集団だとは、私は思えないのだ。




大人は理性で行動すべき。

2015年08月09日 | 日記
今朝も、暑さで目が覚めて、テレビのスイッチを入れたら、丁度例の反日報道番組がはじまったところで、役者崩れの司会者が、いつもの通り自信なさ気に、ボソボソとした声で、反日お抱えコメンテーターにご意見を喋らせていました。

そうかと思うと、アシスタントの若いお嬢さんが、鼻にかかった甘ったるい声で、間抜けな視聴者のために、分かりやすく砕いた解説をしてくれていて、まあ、相変わらずの放送法第四条など無視した番組構成でしたな・・。

特に、お嬢様アシスタントが、国会前のデモについて、「今や高校生もデモに参加するという高まりを見せている、若者たちの抗議行動・・・」と来たときには、笑っちゃいました。これは反日マスコミ用語で、『高校生たちよ! もっと抗議行動に参加よ!』という煽りのメッセージにほかなりません。

  
実際に見たわけではないですが、ニュース報道でちょっと目にしたり、ネットの画像を見たりすると、彼らが手にしているプラカードは英語表記がやたら多くて、これは昨今の文部科学省の英語による愚民化政策にまんまと載せられていると言えるんじゃないでしょうかね?それとも、一種の「照れ隠し」の現象なのでしょうか?

  
ネット掲示板などでは、こういうデモに参加するかなりの学生さんたちが、「デモ参加が将来の就職活動に影響するか・・」という不安を抱きながら声を張り上げている、という実態が垣間見えて、私が学生だった頃を思い出しました。

最初大学に入学した当時は、正門でビラ配りをするヘルメット姿の過激派学生たちが、なぜタオルで顔をかくして目だけ出しているのか分かりませんでしたが、その後先輩たちに聞いたところ、学内にもしょっちゅう公安の私服刑事がたむろしていて、ほとんどの過激は学生の顔写真を撮っている・・という事らしいのです。

実際、私の先輩が地元の市役所の採用試験を受けたとき、面接で「君は民青に一時期入っていたようだが・・」と言われて、まったく見に覚えがないので考えた末、同じ下宿の同期の住人のことを思い出し、彼が民青の幹部で同郷だったのでよく勧誘されたが、入会したことは決してなく、断り続けた、と答えたそうです。

それが原因かどうかは不明ですが、結果は不採用でした。しょぼくれていた彼を、「お前なんでそんなに公務員になりたがるんだ?」と言って慰めましたが、彼はその同期の住人を相当恨んでいるようでした。


この女子学生さんたちのようなデモ参加者は、戦争を回避するために具体的にどうすればいいとお考えなのでしょうか?これまで戦争がなかったのは、日本国憲法九条が日本を守ってくれたからで、今後も今のまま未来永劫あの条項が国土・国民を守り続けていくと、本気でそう考えているのでしょうか?

  
若者たちがデモで使用する自動車が、この政党が所有するワゴン車のものであるという事実が、ナンバープレートを撮影して立証した動画が youtube にアップされていました。どうも彼らが「民主青年同盟(民青)」が名前を洋風に変えたものだということが本当のようです。
                              

いくら行列に並ぶのが流行りだからといっても、何の行列なのか分からずに、とりあえず並んでみる、という軽率な行動は、分別ある大人のとる行動とは言えません。

もうちょっと理性で物事を考える習慣を身につけた方がいいのでは、アドバイスしたくなります。

雷、、そして、私のお気に入り。

2015年08月08日 | 日記
少しは気温が下がってきたような感じもするが、それでも日中は外に出る気がしない。今日は雲が多い天候だった為か、夜になって雷鳴と共に雨が降り出した。稲光がしたと思ったら、ほぼ同時にゴロゴロ、バキバキと雷がなっている。

こういう雷鳴を聞くと必ず思い出すのが、学生のとき6日連続で毎日映画館に通って観た「ザ・サウンドオブミュージック」だ。



雷が鳴り出すと、怖がる子供たちが順番にマリアの寝室に逃げ込んでくる。こんなときは、自分の好きなものを思い浮かべてみるといい、と言って歌いだすのが「My favorite things (私のすきなもの)」という歌だった。

♪バラの花びらに落ちた雨粒 子猫のひげ、 光った胴のやかん 暖かなウールの手袋
 茶色の紙で包んで 紐で結んだ小包 これが私の好きなもの ♪

今でも覚えている歌詞を和訳すると、だいたいこんな意味になると思う。40年近く前に観た映画だが結構覚えているものだ。これはきれいに韻を踏んだ歌詞の所為かもしれない。

ミュージカル映画などまったく興味が無かったのに、何気なく観たこの映画は私を虜にしてしまった。



主演のジュリー・アンドリュースに一目ぼれしてしまったのかもしれなかった。今振り返っても、これまで私が観た映画の中でベスト3に入ると思う。あの後も、この映画は時々観てきたが、いつ観ても新鮮に感動させられる名画中の名画だと思う。



ストーリー展開もテンポ良く、笑わせるところも随所にあり、ハラハラさせられる場面もある。めでたく歩いてアルプス越えをする場面で終わるのだが、観終えた後すぐまた
観たくなるような映画だった。

一番好きな映画は何ですか?と聞かれて、この映画を言うと、怪訝な顔をされた事があったが、オヤジがこの映画が好きだと言うのはおかしいか?

近・現代史は面白い。

2015年08月08日 | 日記
石原慎太郎さんがどこかで披露していた話に、坂井三郎さんのことがある。坂井さんといえば、「大空のサムライ」として日本よりアメリカの方が名を知られた海軍の戦闘機乗りで、「撃墜王」として知られている元海軍兵士だ。

坂井さんが中央線に乗っていると、学生らしき若者が乗ってきて坂井さんの前に立って話に夢中になっていた。すると、片方が「オイ、知ってるか?日本は昔アメリカと戦争やったんだってよ。」と言った。するともう一人が、「そんなワケねぇだろ。」「いや、ホントだよ・・・。」「ウソだろ・・。マジでぇ?・・・で、どっちが勝ったの?」

坂井さんはこの二人の話を聞いていて、降りる予定のない次の駅で降り、気を落ち着けるためにホームの端っこでタバコを立て続けに二本吸ったそうである。

学校では縄文式土器と弥生式時の違いは丁寧に教えるが、近・現代史についてはほとんど授業で教えないのが現状であるようだ。私の頃もそうだった。だから、若い頃の私も、この坂井さんの前で話をしてた二人とは、もしかしたら大差なかったかもしれない。

この流れでいけば、国会周辺で太鼓にあわせて、「戦争止めろ!」「憲法守れ!」とやっている連中の多くも、もしかしたら日本は昔ロシアを戦争で打ち負かしたと聞けば、「・・・なワケねぇだろ。」と返答するかもしれない。

私は社会人になって、アジアがここまで西欧列強に侵食されていて、大東亜戦争の後それらの国がみんな独立できたのだという事実を知って、正直目からウロコが音を立てて落ちたのだった。


緑は欧米列強の植民地だった。


中国共産党が中華人民共和国として成立したのは、1949年戦争が終わって4年後のこと。それすらもあまり知られていないのでは・・・。



自虐史観で洗脳された日本人の目を覚ますのは、まず近・現代史の勉強からスタートするのがいい方法だと思うのだが・・。