グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

2020世界災害語り継ぎフォーラム 2日目

2020年02月07日 | 火山・ジオパーク

ずいぶん時間が空いてしまいましたが、神戸で開催された表題のフォーラム2日目の分科会「ジオパークと語り継ぎ」の報告です。

国や地域を越えて大災害を語り継ぎ、 これからの災害に備え、被災者を少しでも減らすことへの貢献を目的とする国際ネットワーク「TeLL-Net」のフォーラム。

今回ジオパークの分科会が設けられたのは、時間的に人の体験を遥かに超えた長いスパンでの語り継ぎの可能性を、期待していただけたからのようです。

分科会の座長は時事通信の中川和之氏
ご自身のことは「そびえ立つ壁のような六甲山が地震で高くなった山だと知らずに六甲山の麓で育ち、親たちが25年前の大地震で被災。以後地震学会で子供達と地震や火山を学ぶ活動を続け、ジオパークの審査員もしている」と紹介されていました。(写真は分科会開始前)


議論の内容は…

パネリストが15分前後の発表をしてから、議論しました。

全体を通し私の印象に残った話を、ごくごく簡単にまとめてみます。

イブラヒム コモオ氏(共同座長)
世界ジオパークネットワーク(GGN)副会長でマレーシアの地質学者で土砂災害の専門家。世界自然遺産のキナバル山の麓で、マレーシアの国内ジオパークとなっているボルネオ島クンダサンの事例の紹介でした。

「クンダサンは大規模な地すべり地だったが、ジオパークを通じて科学的な情報を提供し、現場からの経験を通じて学ぶ活動の中で、コミュニティのリーダーが話を出来るようになったり、地元政府がより良い計画を立てるようになった」
地元の人にとって、ずるずる動いていく地すべり地で、家を直しながら暮らすのが当たり前だったという話もビックリしました。
「マレーシアでジオパークを始めた時、最初は地質学的な話ばかりしていた。いまでは、ガイドの方、マネージャー(地質学者ではない)の方が話がうまい。地質学の役割りが段々小さくなって、地元の人たちの役割りが大きくなっていく。チームで互いに話をして理解をし合っている。使う言葉も変わってきた。つながりが生まれたことで変わってきた。素晴らしい人が集まっている。災害ですらも素晴らしいことを起こしている。ジオパークが一番の語り部になる。政府、省庁、民間全てが調和できるようにコーディネートするのがジオパークの仕事」とも話していました。

ナンシー アグダ氏
フィリピン大学国立地質科学研究所に所属する地質学者。フィリピン中部のセブ島の東にあるボホール島(世界ジオパークに申請中)での、地震や台風災害とジオパークのお話しでした。

「2013年10月15日の朝、M7.2の地震がボホールを襲った。5万4千件の家が破壊され、22自治体で深刻な建物被害があった。ボホールの地震の3週間後に台風。それによってより被害が拡大してしまった。ボホール島のジオパークは、研究の活動として始まり申請準備をしていたが、地震で頓挫。それまで自然環境をいかしてツーリズムや漁業を行ってきたが、それができなくなり、住民は家も失った。その後準備を進め、国内ジオパークになった。ジオパークを進めることで、災害後もチャンスができる。小さな石ころでも、島の歴史を語り、教育機会になり、ツーリズムの機会を与える。ボホール島の地形のでき方を学び、時間はかかったが受け入れて、理解だけでなく希望を得られた」
石灰岩のカルスト地形が創りだした景勝地「チョコレートヒルズ」の一部が地震ではげ山になったのですが、海岸に新たな段丘も作ったそうです。

柴田伊廣氏
現在は文化庁文化財第二課で天然記念物を担当。入庁前は室戸ユネスコ世界ジオパークの専門員で、日本ジオパーク委員会調査運営部会員でもある。熊本地震の後、地表に現れた布田川断層を天然記念物に指定する時に、地震前に地元小学校で足元の断層を教育に使っていたことや、子どもたちへの教育プログラムの重要性について紹介していました。
「天然記念物は100年前に始まったの自然保護制度。珍しいものと言うことより、学術上価値が高いもの。天然記念物のうち10件程度が活断層。阪神大震災の野島断層も指定されている。熊本地震では地上に断層が31キロ分布し、もっとも横ずれの変異が大きかった麦畑の場所など象徴的な3カ所を天然記念物に指定した。ここでの指定に重要な働きをしたのが、地元の小学校の理科の先生。指定した麦畑の農家の若者はその教え子。小学校時代にこの先生から布田川断層のことを学んで地震が来る可能性を知っていて、いきなりの地震ではなかったので怖くなかったという証言をしていた。詳しいことは覚えていないというが、先生が楽しそうに教えてくれていたことは覚えているという。地元が、いち早く天然記念物の指定に合意してくれたのはこういうバックグラウンドがあった。子どもたちには、地震の恐怖ではなく、地元の誇りを伝えて、断層を仲間にしてあげて欲しい。最先端の科学と地元住民が近いと言うことがジオパークの面白さ。子どもの目線からも分かりやすく、地元に伝える言葉で語るのにジオパークが重ねてきた経験を活かせる」(写真は先生と教え子)

「断層も仲間に」という言い方は面白かったです。

中川氏は、別の分科会に参加していたジオパーク関係者らからも意見を聞いていました。

佐藤公氏 磐梯山噴火記念館館長(磐梯山ジオパーク)
「25年前から全国の火山系博物館でネットワークを組んできた。地元でも子どもたちに伝えてきた。磐梯山と同じような山体崩壊の風景は日本中至る所にある。鳥海山、磐梯山、富士山、島原などにもある。日本という大地は共通すると言うことが学べる」

杉本伸一氏 元・島原市職員、現・三陸ジオパーク
「ジオパークの中だけで議論するのではなく、こういう場や内閣府のぼうさいこくたいなどにもっと出て行って、皆さんから学びながら、ジオパークを伝えていかないと、外には拡がっていかないと思った。もっと交流していかないと」

古澤加奈 氏 JGN事務局次長 元室戸ジオパーク専門員
「成功事例のみでなく失敗事例の共有が必要。ジオパークの関係者の共有だけでなく、社会へのアプローチが重要。自分は地球科学素人で災害に付いての視点はなかったが、ジオパークに関わって、そもそもこの大地とは何か、恵みと災いを表裏一体があるのだと理解が進んだ」

深澤良信氏  TeLL-Net事務局次長 元人と防災未来センター副センター長
「皆さんの話を聞いていて、ジオパークはジオの現象と、そこに住む人たちの生活を強く意識した活動だと分かった。とても良かった。僕たちがこれまでやってきたタイムスパンに比べれば遙かに長い。語り継ぎのウイングがとても拡がったと思う」

2006年に設立されてからずっと「語り継ぎ」の努力を続けてこられたTeLL-Netの皆さんの活動に感動しました。

そして日本以外のジオパークでも、地元の大地についての学びを復興や防災に繋げる地道な努力が継続して行われていることを知って感動しました。

このブログではその内容の、ほんのわずかしか書ききれないのが残念です。

なので、せめてコアな方々の写真だけでも…(?)


ところで実は、私もパネリストの1人でした。
では、私は何を語ったか?どいうことですが…

あまりに長くなるので、また次回に続きます!
(しばらくツアーが続くので、たぶん2週間後ぐらいかも…^^;)

(かな)


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