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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 706 頼もしきホープたち ①

2021年09月22日 | 1977 年 



パ・リーグの3強は只今、南海・近鉄・阪急の3チーム。その強さを支える一つに首脳陣が期待していたホープさんたちの活躍がある。そしてこの近鉄・井本、阪急・今井、南海・藤田のヤング投手たちのこれからの力くらべがパ・リーグのペナントを左右するに違いない。

チョンボもツキに変えた研究心
優勝戦線で不気味な存在なのが近鉄。その近鉄のカギを握っているのが " イモ " こと井本隆投手(26歳)で太田幸投手と右のエースの座を競っている。だが今季の井本はチョンボからのスタートだった。4月3日、開幕2戦目のロッテ戦で2対2の同点の8回から先発の柳田投手をリリーフ、三塁に走者を置いて打席にはリー選手。その初球がワイルドピッチとなり勝ち越し点を与えて敗戦。2日後の阪急戦でもチョンボは続いた。近鉄打線は初回から3本塁打を放ったが先発した井本は1イニングでKOされてしまった。「ロッテ戦はニャロメ(柳田)に悪いことをしてしまった。阪急戦も弁解の余地はない」と井本は反省しきりだった。

だが内心では「(2試合とも自分に)黒星がつかずラッキー」と思っていたようだ。今季初勝利は4月10日のクラウン戦。投手戦となったが粘り強く投げて2対1の完投勝利。2勝目は1週間後の南海戦に先発しプロ5年目で初完封勝利をあげた。「う~ん、やっぱり嬉しいですね。この味は投手をやった人間にしか分からないでしょう。チームには申し訳ないけど、あの2試合の失敗で悪いモノが落ちた感じがします(井本)」と神妙な面持ち。井本は26歳の現代風青年だが、なかなかの野球のムシである。ベンチ入りしない日でも記者席で試合を観戦してメモ書きに余念がない。また酒が入ると遊びより野球談議に花が咲く。何よりも野球が好きなのである。


オレこそ " 右のエース " になるんだ
生まれは高知県。気が強く物おじせず、ちょっぴり向こう見ずな所は " 土佐のいごっそう " の流れをくんでいる。出身高校は伊野商。県下では高知・高知商・土佐の3強が有名で伊野商の知名度は劣る。卒業後は鐘淵化学に入社し4年在籍後に近鉄入り。井本が歩んできた道は決してエリートコースではない。昭和49年8月の日ハム戦でプロ初勝利を飾ったが、まだ安定せず一昨年の後期シーズンになって頭角を現してきた。優勝をかけた9月21日の阪急戦に先発した井本は7回まで投げ4安打に抑えて勝利に貢献した。首脳陣の期待に応える見事な投球だった。この日を境に井本に対する信頼感が増し一軍の戦力として定着することになる。

しかしプロの世界はそう甘くはなく、一人前になる過程において反省する場面も少なくなかった。昨季は目標としていた10勝に届かぬ6勝止まり。被本塁打数はリーグ2位の23本と厚いプロの壁に行く手を阻まれた。開幕前に井本は「打者との駆け引き、配球、スタミナの配分など昨年の反省を活かして頑張りたい」と決意を表した。その効果があったのか今季は順調な滑り出しで「昨年できなかった2ケタ、10勝を必ず成し遂げます。15勝、20勝なんて先の話です。先ずは10勝です」と。太田幸投手が調子良いのも井本を刺激している。太田が毎年のように " 右のエースへ " と言われているのが気に入らない。「俺が右のエースになってやる」気構えなのだ。

太田が完封を含む2勝。対する井本は同じく完封を含む3勝。沸々と燃えたぎるライバル意識が胸の内に沸いてきている筈だ。それでなくても負けん気が強い " いごっそう " だけに太田との勝ち星争いが続けば目標とする2ケタ勝利は意外と早い時期に達成するかもしれない。西本監督や杉浦投手コーチら首脳陣も井本の成長を願っている。「イモ(井本)のヤツ、初めはチョンボばっかりやりおったが、今の調子を続けてくれればグッと頼りがいが出てくる(西本監督)」、「だいぶ良くなってきた。この調子なら2ケタは間違いない(杉浦コーチ)」と。「あの時(昭和50年・後期優勝)の感激は忘れられない。もう一度監督を胴上げしたい」と井本は熱く語る。

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