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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#286 新聞辞令 ②

2013年09月04日 | 1982 年 



開幕から14試合で2勝10敗2分と出遅れチーム内にはギクシャクした雰囲気が充満して「内紛」やら「対立」の話題ばかりがスポーツ紙に書かれてファンからも「ダメ虎」と見放されていた阪神が息を吹き返した。7月3日から甲子園に巨人を迎えての3連戦の初戦は西本投手を打ち崩し破竹の11連勝で借金を返済して貯金を「3」にまで増やした。この連勝を生んだ裏側には選手個々の怒りや反発があったのは言うまでもない。その筆頭にいるのが若菜捕手である。

5月初旬に一部スポーツ紙に「若菜ロッテへ移籍」と書かれ大騒ぎとなった。左胸に死球を受けた影響で控えに回った所、代役の笠間が大活躍したがヤンチャ坊主的な性格の若菜は面白くない。ムスッとした表情をベンチで見せる日々が続くと当然、首脳陣の心証も宜しかろうはずもない。そこへ例の記事が出て若菜の周辺の雰囲気は最悪。更に翌週には別のスポーツ紙が「若菜年上女優と結婚へ」と追い討ちをかけたから堪らない。結果的にはどちらの記事も「誤報」だったのだが「トレード話や女性との関係を書かれるのはお前自身がシッカリしていないから」と安藤監督に説教され、本間勝広報担当には「ああしたゴシップ記事を見返すには野球で結果を出すしかない。汗水垂らして必死の姿を見せればチームメイトやファンもお前を認めてくれるよ」と深夜まで切々と説かれた。

こうした周囲の声に若菜は「記事を書かれた原因は自分自身がシッカリしていないから。死んだつもりで頑張る」と一念発起して朝一番に球場入りして室内練習場で特打を始めたり、妻子を九州に残してマンションで一人暮らしをしていたのをやめて若手選手の合宿所である虎風荘に移って野球に専念するようになった。元々力のある選手だけにプレーに集中出来れば自ずと結果は付いて来る。シーズン当初は不振を極めていた伊藤投手と工藤投手の独り立ちや「数年に一度の珍事」と揶揄された益山投手の好投を引き出すリードでチームの勝利に貢献した。「野球がこれだけ楽しいと思ったのは初めて。今ではあの記事に感謝してるよ。色々と書かれたけどあれが俺を立ち直させてくれたのも事実だからね」と当時とは別人のような笑顔を見せた。

もう一人、スポーツ紙の記事を発奮材料にしたのが小林投手だ。開幕直後に完投勝利を一度マークしたものの、それ以降は勝ち星こそ増えたが終盤になると打たれて降板する場面が多かった。スタミナ切れか集中力の欠如か原因は定かではないが「完投出来ないエース」のレッテルが貼られて「7回戦ボーイ」とマスコミに叩かれた。小林は常々「先発投手は完投するのが当たり前。僕は完投出来なくなったらこの商売からキッパリ足を洗いますよ」と公言していただけに、体たらくぶりに「口だけエース」「エエ恰好しい」とここぞとばかり集中砲火を浴びたのだ。14試合に先発して完投が1試合のみではエースの称号が泣く。「ウチのエースはコバ。完投するのが当然のクラスの投手がいつまでも『7回戦ボーイ』では情けない」と奮起を期待していた安藤監督にはマスコミのバッシングは好都合だった。

「皆さんに色々と言われないように完投勝利もお見せしようじゃありませんか」と有言実行宣言した小林は6月20日の中日戦での今季初完封に続き6月25日の広島戦で自身初の2試合連続完封を記録した。それも7回二死まで無安打に抑え、山本浩に左前安打を許して大記録達成は逃したが見事な「1安打完封」だった。だが連続完封ぐらいでは小林は満足しない。散々叩かれたマスコミを見返すかのように次の登板は志願して中3日で大洋戦に先発して勝利し、続く巨人戦も中3日で江川と投げ合った。低迷していた開幕当初が嘘のような現状を「皆がそれぞれ自分の役割を一生懸命に頑張ってくれたお蔭。結果論だがマスコミの『誤報』も時として良薬になる」とあれだけスポーツ紙をはじめとしたマスコミ報道を批難していたのと同じ人物とは思えない安藤監督の笑顔が印象的だ。

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